第22話 愛しい人を手にかけた僕

 アリアとの約束を果たす為、僕は一族の悲願である『死刑制度の廃止』に本格的に乗り出した。


 祖父よりも上の代からせつに願い、嘆願書を提出してきたのだが、王政がしかれていた時代には邪魔者を排除する有効な手段だったために、無視されてきたのだ。


 しかし、民衆が力を取り戻し、下からの意見が通りやすくなった風潮と、『革命』によって出た多くの犠牲がそれを後押しし、僕はその『願い』を叶えることに成功する。


 晴れて処刑人をお役御免となった僕は、様々な想いの詰まった収容施設を畳み、医師として、これまで様々な人を手にかけてきた分、ひとりでも多くの命を救いたいと、日々励んでいる。


 僕はもう、人を殺さなくていい。


 もちろん、彼らのくれた思い出や、一族の誇りを捨て去ったわけではないし、今でもそれらは僕の支えとなっている。

 そもそも、こんなに大切な思い出を易々と忘れられるわけがないだろう?


 あの日々を思い出すたびに、切なく、胸を締め付けられることもある。けど、これは僕にとって必要な『痛み』だから。それで構わない。

 この『痛み』を感じる限り、僕は彼女らと共にある。そんな気がして、心があたたかくなったりさえするのだから。


(これで、よかったんだ……)


      ◇


 それから何年かして、僕はコーラルに結婚を申し込まれた。

 当時にしては珍しい、女性からの求婚。歳の差だって十はあるのに、と戸惑いはしたものの、コーラルは『お姉ちゃんと約束をした』のだという。


 アリアは、自分が『ラストロイヤル』であることに薄々気がついていた。死を覚悟して、その命を以てして革命を終わらせることで、僕を救いたいと、そう願った。

 そして、『どうか先生を幸せにして欲しい』と、『自分の心残りはそれだけだ』と言い残したそうだ。

 『自分に万が一があれば、先生のことをお願いしたい』と、冗談めかして笑ったという。


 当時、それを『縁起でもない』と一蹴したコーラルだったが、アリアの最期に立ち合い、その決意と覚悟、言葉の重みを理解した彼女は、僕に寄り添う道を選んでくれたのだった。


(ほんとうに……僕なんかより、彼女たちの方が、よっぽど大人だったようだね……)


 『先生』は、いったいどちらだったのか。

 彼女たちは本当に多くのことを僕に教え、与えてくれた。昔も、今も。


(でも、コーラルは本当にそれでいいのかな……?)


 コーラル自身の意思はどうなのかと問うと、彼女は『もちろん自分もそれを望んでいる』と、頬を染めたのだった。

 色々と思うところはあったが、結局コーラルの熱意に根負けし、僕はその意思とえにしに感謝しながら、申し出を慎んでお受けした。

 緊張で震える手を一生懸命に差し出してくれたその勇気に、僕は誓う。


 今度こそ守り抜いて、『幸せ』を共に掴もう、と――


 掴み損ねたふたつの手。

 彼女たちの想いに報いるためにも、僕は『自分の幸せ』を願ってもいいのだろうか――?

 ふとした拍子に口に出すと、コーラルは笑った。


 『先生、気づくのが遅すぎますよ』――と。


 コーラルは、処刑人としての家業を畳み、医師として少しでも多くの命を救うことを望んだ僕の残りの人生を、隣でいつも支えてくれた。

 自身の病を克服し、その知識と経験を病に苦しむ人のために遺憾なく発揮して、いつしか街の人々は彼女を『救世の天使』とすら呼ぶようになっていった。


 ひとりだけだが子どもも生まれ、僕たちはアリアの想いに恥じないような、幸せな家庭を築くことができたと思う。

 まっさらな、何にも汚れていない無垢な存在を、父親として一から育てることに戸惑いもしたが、そこは流石母親。コーラルはかつてのあどけなさを感じさせない頼もしさで、立派に子どもを育てていくのだった。


      ◇


 そして晩年。僕は母と同じ重い病にかかり、病床に伏した。


 体内に異常な細胞ができては悪性となり、治っては転移、転移しては悪性となる、不死の病だ。

 自分でも、もう余命が幾ばくもないことがわかった僕は、コーラルにある『お願い』をする。


「ねぇ、コーラル……僕を、断頭台で送ってくれないか?」


「え? 断頭台って、あの……地下室で眠っている処刑器具のことですか?」


「うん。あれだけはどうしても処分しきれなくて……だって、あれには沢山の人の想いが詰まっている気がするから」


「でも、どうして……! 先生はまだ若いし、病気だって治るかもしれな――」


 その言葉を遮るように、僕は首を横に振った。


「僕は医師だから、この病が治らないことは嫌というくらいにわかっている。だって、優秀だった父にも、これだけはどうしても治せなかったんだから」


「……!」


「それにね、決めていたんだよ。最期を迎えるときは、僕も“彼女たち”と同じように、断頭台で送られたいって。僕の祖父も父も、そう願い、断頭台で送られたように……」


 僕は、申し訳ない気持ちと、僅かばかりの希望を込めて、口を開く。


「あのね、コーラル。これは処刑じゃないよ。僕はキミに、『お見送り』をして欲しいんだ。……ダメかな?」


「お見送り……」


「こんなお願い……キミにしかできないんだ。だから、どうか……」


 ――「この『最期の願い』を、叶えてくれないかな?」


「……ッ!」


      ◇


 とうの昔に封鎖した、地下の処刑場。

 そして、そこにひっそりと佇むのは、僕が多くの罪人を手にかけた断頭台だ。


 首を固定する台と、その上に真っ直ぐに落下するように添えられた、平たく鋭い刃。一瞬にして罪人の首を刎ねることのできる、安楽の処刑器具。


 僕ら処刑人は、断頭台を、受刑者と執行人の双方の苦痛を和らげるものとして大切に扱ってきたが、刑を受ける側はどうだったのだろうか。これから死ぬというときに、その方法に想いを馳せることなんて、無かったかもしれない。


(この断頭台も見納めか……本当に、この日が来ることを何度夢見たことか……)


 ――もう、誰も。殺さなくていいんだ……


 僕は、様々な想いを胸に、断頭台に頭をのせる。

 ふと脇に視線を逸らすと、コーラルは泣いていた。


 僕という伴侶に自ら手を下すのだから、それは当たり前のように思うが、これがどれだけ酷なことか、僕は誰よりもよく知っている。


「ごめんね? コーラル……」


「うっ……先生……」


 だが、こうして逆の立場になることで、初めてわかったのは――

 最期に目に映る人が、僕のために涙を流してくれるということのありがたさだった。


 それは、なんという幸福だろう。


 まるで今までの僕の人生が、決して無駄ではなかったような。

 こんな僕でも、人に愛され、許されていたのだと思うと、胸のうちがあたたかくて仕方がない。


 僕の送った罪人たちが、少しでもこんな気持ちで最期を迎えられたなら。

 そうだといいなと、僕は思う。


(あぁ。今になって、ようやくキミの気持ちがわかったよ……)


 ――エリー……


 だからキミは、あのとき笑っていたんだね?



 僕は、震える手で刃の引手を構えるコーラルに声をかけた。


「コーラル。大切なキミにこんなことをお願いするのは、少し気が引けるのだけど……もうひとつだけ、お願いをしてもいいかな?」


「ぐすっ……なん、ですか……?」


「僕の遺体は、土葬でなくて火葬して欲しいんだ。そして、その灰をアリアが眠る墓所に納めてくれないか? 一族の墓でなく、僕は、今度こそアリアの傍にいてあげたい……ダメだろうか?」


 その問いに、こくりと頷く蒼い瞳。


「お姉ちゃんの望みを……叶えてくれるんですね?」


「叶えられると……いいな」


「……きっとできます。先生なら」


「ありがとう。コーラル……」


 ほんとうに、ほんとうに。


 こんな僕の『最期のわがまま』を聞いてくれて。

 今まで、沢山の幸せをくれて……


 ――ありがとう。


 だからどうか……


「……泣かないで?」


(…………)


 『あのとき』と同じ言葉を、僕が言うことになるなんて。


 そんなことを言われても無理なことは、僕が、誰より一番わかっているのだけれど。でも、心からそう願ってしまうのだから、どうか許して欲しい。


(僕に、キミを泣き止ませることはできないけれど……)


 だったらせめて、これからもずっと。

 キミのことを見守っていたいと思うから。


「ほんとうに、ありがとう……」


「……さようなら。大好きな……先生っ……!」


 コーラルは、彼女の意思と優しさを以て、断頭台の刃を下ろした。


      ◇


「……先生」


 僕らに花を供える、金髪の美しい女性。

 黒衣に身を包み、風に揺れる花束の花びらが散らないようにと、大切に大切に、何度も何度も、花をおさえては墓標を磨いてくれている。


 周囲の雑草を摘んで、『アリアがさみしくないように』と、ふたりで墓標の傍らに植えた花が、次の春にも咲くように、手入れを欠かしたことはない。


『これで、よかったんですか?』


 慈愛に満ちた表情で彼女を見つめる翠の瞳に、僕はそっと頷く。


『ああ。これで、よかったんだよ……』


「うっ……先生……お姉ちゃん……」


 頬を伝う涙を拭おうとするが、その手ははらりと空を切った。ぽろぽろと零れる粒を掬おうとしても、この手の受け皿では一粒も受け止めることができない。


『ごめんね、コーラル。キミにそんな顔をさせるつもりはなかったのに……どうしても、死という運命からは逃れられなくて』


『先生……』


『でも、おかげでこうしてキミの元へと行くことができたよ。同じ所へ行けたのは、神様の思し召しかな』


『何言ってるんですか? 先生なら、へ来るのが当たり前なんですから』


『……どうして?』


 尋ねると、懐かしい笑顔を湛えた少女は笑う。


『だって、先生は多くの人を救ってきたんですから。私を、救ってくれたように。そして……多くの願いを叶えてくれました。今、こうして会いに来てくれたことも』


 丘の上の墓標。

 そこにもたれるように野に腰を下ろす僕に、アリアはそっと身を寄せた。


『私、ここに眠ってからもふたりのことを見てました。コーラルは、ちゃんと私の願いを叶えてくれた。先生に、少しでも多くの笑顔と幸せをくれました』


『……うん』


『先生も、コーラルのことを大切にしてくれた』


『うん。何よりも大切な……家族だからね』


『でも、先生はやっぱり常識はずれに優しい方ですね。私のために……ここに眠るだなんて。私、少しひやひやしたんですよ?コーラルに怒られるんじゃないかなって』


『そんなことはないさ』


『どうして?』


 僕はそわそわとするアリアに自慢げに微笑む。


『だって……キミもコーラルも、僕の自慢の助手だから』


『ふふっ……そうでしたね』


 くすくすと、楽しそうに肩を震わせるその横顔に、僕は問いかけた。


『ねぇ、アリア……僕は、キミの想いにきちんと応えてあげられたかな?』


『それは……最期の願いですか? それとも私の……恋心?』


 ちょい、と唇を尖らせて、なんだか不満そうな、いたずらっぽい表情。

 僕は、観念して認めた。


『なんとなく、気づいてはいたよ。けど、どうしても負い目があって、キミの想いに応えてあげられなかった。なのに、失ってその大きさに気がつくなんて……本当に、僕はなんてバカで弱虫な男なんだろうね?』


 本当に、なんて弱虫な男だよ。


 処刑人であることもそうだが、アリアをどこかでエリーと重ねてしまっていたことが尾を引いて、はっきりと想いを受け止めることができなかった。


 結局僕は、『あの日』と同じ過ちを、また繰り返してしまったんだ。


 エリーに『好きだ』と言えなかった、弱虫な僕。

 アリアの『好き』に応えられないまま、その想いは最期を迎えてしまった。


 もし……もしも。

 僕がアリアの想いに応えていたら。

 キミは『死んで革命を終わらせる』なんて言わなかっただろうか?


 気づいたときには、もう……


 だから、僕は――


『約束する。今度こそ……今度こそ。キミの傍にずっといるよ。春も、夏も、秋も。寒さに凍える冬だって。僕らを縛るものは何もない』


 この、街を見下ろす丘の上から。

 一緒に花を愛でて、風を感じ、供えられたクッキーの味を思い出す。

 街が寒さに震える夜は、キャロルを歌い、その心に温もりを灯そう。


『アリア……』


『はい。先生』


『これからは、ずっと一緒だよ?』


『はい……!』



 その笑顔に、祝福を。



 愛しい人を、手にかけた。


 そんな僕が――また、人を好きになった。


 止まってしまった時計の針が再び刻みだすように。この心も、想いも……また、動きだす。


 だから、今度こそ。


 この手をずっと……離さない――



                         Fin



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