第21話 大切なひと 後編
――大切なひと。
僕はずっと、誰かの『大切なひと』になりたかった。
意識的にそうだと思うことは少なかったけれども、無意識のどこかで、ずっとそれを望んでいたのだと思う。
幼い頃、僕は母を病気で亡くした。
父はそのことで酷く心を病み、食事も喉を通らないような日が長く続いた。
『大切なひとのいない世界になんて、いる意味がない』
父はそう言い残して、断頭台で自らの命を絶った。
僕はその時、とても悲しくて悔しくて。それと同じくらいにどこかで父の決断に納得していた。だって、父は事あるごとに『母さんが僕の全てだ』と言っていたから。
父にとって、母は全ての『初めて』だったという。
処刑人である父を、鬼でも悪魔でもなく、『人』として接してくれたのも。
親切にしてくれたのも。花や緑を美しいと教えてくれたのも。何かを、誰かを、愛しいと思う気持ちをくれたのも。
だからこそ。母が亡くなったときの父は、もう誰にも救うことができないような、そんな姿をしていた。
父にとって、母より大切なひとなどいない。それは僕にだってよくわかっていたし、両親が仲睦まじいことは、僕にとって誇らしく、幸福なことだった。
自分の家業が人とは異なるものだとわかったときも、父さんが『おかげで母さんと巡り会えた』と胸を張っていたから。僕はその背を追いかけていたのに。
それでも、父は僕を残してこの世を去ったんだ。
そんな父を祖父は『無責任な奴だ』と怒ったが、そういう祖父だって泣いていた。
僕はこのとき、思った。
僕は、父にとって『大切なひと』になれなかったのだろうか、と――
だから。
心のどこかで、いつか誰かの『大切なひと』になりたいと。
胸の奥ではそう願ってやまなかったのだと思う。
「アリア……」
彼女は、そんな僕の、誰にも言わない『望み』すらも叶えてくれたのだと、ようやくわかった。
今でもぼんやりとした頭に浮かぶのは、キミの最期の笑顔と、『幸せになって欲しい』の一言。
『彼女』を失ってからの数か月間。僕は毎日のように丘の上を訪れ、気がつけば夕陽が頬を照らすような時間になることが多々あった。
そんな僕が、いつかどこかへ行ってしまうのではないかと、コーラルはいつも心配していた。帰りの遅い僕を、ときに叱り、ときには慌てて迎えにきたり……
しかし、大抵は『おかえりなさい』と言って、あたたかい食事と共に待っていてくれるのだった。
「先生?今日もあの丘へ行っていたんですか?昨日も一緒にお水をあげに行ったのに」
「うん」
「お姉ちゃん、なんて言ってました?」
「……わからない」
もう、聞こえないんだ……
目を伏してそう呟くと、コーラルは励ますように笑った。
「私、わかりますよ?」
「え?」
いたずらっぽい表情。その一言に、驚きが隠せない。
僕はおずおずと問いかける。
「アリアは、その……なんて?」
「お姉ちゃんはね、『先生、お元気ですか?』『今、幸せですか?』って。きっと、そう言っていたと思います」
「…………」
「だって、それがお姉ちゃんの……一番の『望み』だったから」
「……!」
ハッとしたような僕に、コーラルは再び笑いかけた。
「もう。そんな顔ばっかりしてると、お姉ちゃんに怒られちゃいますよ?」
(……そうだ。そうだったね……)
思い出させてくれて、ありがとう。
僕はまた、繰り返すところだった……
「……そうだね。今の僕を見たら、きっと……怒られちゃうな?」
「そうですよ! だから、先生……笑って? お姉ちゃんと、約束したんでしょ?」
「うん、約束する。必ず、アリアの望んでくれた『幸せ』を、この目でちゃんと見届けるから……きっと、きっと……絶対に……」
きっといつか、叶えてみせるよ。
(……アリア)
だから、どうか……
今だけは。
この、涙が枯れるほど――泣かせてくれないか。
※次回、最終回! そのあとも少しですが、更新を予定しています。
今後とも、よろしくお願いします!
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