第20話 大切なひと 前編


 アリアの亡骸を寄越せと、群衆の声がする。

 その首を晒して、勝利を宣言するのだと。


「触るな」


 僕は淡々とした口調で告げる。

 これ以上近づくようならば、容赦しないと意を込めて。


 革命軍と思しき奴らはどこからともなくあらわれて、口々に何かを叫ぶ。

 しかし、僕の耳にはもう、どんな言葉も届かない。


 いまはただ、早く家に帰りたかった。

 徐々に冷たくなる背中の熱。重くなるその身体。

 なるべく綺麗な状態で、丁重に弔ってあげなければならないし、隣で泣きじゃくるコーラルは満身創痍だ。他ならぬ僕だって、平静を保つのがやっとなのだから。

 彼女を守らなければ、という強い意志がなければ、すぐにでも地に伏して泣き崩れたいほどに。


 僕はまっすぐに革命軍の残党を見据える。

 ここに来るまでにかなりの数を減らしてきたと思ったのだが、まだ残っていたようだ。これもマーチのカリスマ性の為せるわざということか……


「処刑人である僕が、責任をもって弔う。だから、任せて欲しい」


「それで俺達の気がおさまるか!!」


「……知らない。そんなもの。僕は、僕の務めを果たすだけだ」


 僕はナイフを構えた。


「アリアには指一本触れさせない。もう誰にも冒涜させない。アリアの想いは……僕が必ず守る」


「ふざけた真似を!今まで俺達がどれだけ貴族の奴らに冒涜され、蔑ろにされてきたと思ってる!」


「そうだ!その身体を寄越せ!首を捻じ切ってやる!!」


「…………」


 怒気を帯びた者たちの、想いはとどまるところを知らない。

 人の想いに優劣などないと思っていた僕も、流石に今だけは、人の醜さ、愚かさというものについて考えてしまった。



 あぁ、何故。人はこうも――繰り返してしまう生き物なのか。


 彼も、僕も――



 深呼吸をし、口を開く。


「どけ。僕は処刑人として、職務を全うしているところだ。道を開けないのならば、容赦しない」


「うるさい!何が処刑人だ!時代は変わるんだよ!お前なんて、用済みだ!」


「…………」


 そう。処刑人ぼくは用済みだ。

 新しい時代に、『人を断じる、絶対的な存在』など、必要ないのだから。


 永らく望んでいたその結末。

 処刑人ぼく処刑人ぼくでなくなる日。

 それをくれたのは――


(アリア……僕は、キミを……キミとの約束を……)


 僕はアリアを背負ったまま、行く手を阻む男を切りつけた。

 斧を持った手首の腱を切り、怯んだ隙に内臓を避けるようにして脇腹を掻っ捌く。


「うわぁぁぁ……!」


 派手に血飛沫と悲鳴をあげた男を見て、群衆が恐怖におののいた。


「……っ! よくも!」


 怒気に満ちた声で襲い掛かる者を次々と静脈だけを選んで切りつけ、見かけばかり激しい傷を負わせていく。しっかりと対処すれば、命に別状はないだろう。


「…………」


「せ、せんせっ……」


「コーラル。出てきてはいけないよ?」


(キミまで失ったら、僕はもう――)


「……っ!」


 ふと見やると、コーラルはおずおずと一歩さがった。


(よし。それでいい……)


 大丈夫。この程度の数なら、片手でも問題はない。

 ただ、背後からの攻撃だけは注意しなくては。

 僕が刺されたとしても、背負ったアリアを刺されるわけにはいかないのだから。

 この身体には、傷ひとつ――


「もう一度言う。そこをどけ」


「……っ!」


「僕たちは、家に帰る。キミたちと同様に。ただ、それだけを望んでいるのに……どうしてわかってくれないんだ?」


 ひやりと見つめると、群衆は気圧されて動きをとめた。

 そして、その中から一名の、黒髪の男がこちらに向かって歩いてくるのが目に映る。あの顔は……マーチの兄か、弟か。親族だろうか?

 彼によく似た、炎を宿した眼差しだ。


「あんたが……」


「キミが革命軍の新しい『頭』だな?彼の仇を取りたいのか?だったらこの命……好きに持っていけばいい」


「先生っ!?」


「その代わり……この子達には手を出すな」


 背後のアリアとコーラルに視線を向けると、男は大袈裟にため息を吐く。


「兄貴の言ってた『先生』が、まさか……こんな腑抜けた野郎だったとはな? そんな簡単に命を投げ出して……それで残された者が満足するとでも?」


(…………)


 その言葉に、コーラルが前に出た。


「……先生はっ! 先生は腑抜けなんかじゃ――! あなたに何がわかるの!? 先生は……先生はねぇ……!」


「…………」


 自らもぼろぼろに傷ついているのに、まるで身を挺するような姿。

 男も目を見開いて、驚いたような顔をする。

 そして、コーラルは大粒の涙をこぼすと、ぽつりと祈るように呟いた。


「もう、これ以上……先生に殺させないで……」


「……!」


(……コーラル。そうだ、僕は……)


 彼女との約束を、守りたい。

 こんな僕に、『幸せになって欲しい』と望んでくれた、あの子のために。


(もう誰も、殺したくない……アリアとの約束を、夢を、叶えるんだ……!)


 絶対、絶対に……!


 僕は、革命軍を制して僕たちを見守っている彼に背を向ける。


「おいでコーラル!」


「せ、先生っ……!?」


「おうちに帰ろう!僕たちの……家に!」


 僕は、その想いだけを胸に、我が家を目指した。


      ◇


 その後、『ラストロイヤル』が亡くなったという噂がまことしやかに流れ、『革命』は遂に終わりを迎えた。多くの犠牲の元、民衆の総意が王政を打ち破り、『これからは誰もが自由で平等な世界が訪れる』という希望の声と共に、街は落ち着きを取り戻していく。


 結局あれから、革命軍が病院や収容施設を襲いに来るということもなく、僕たちはアリアを丁寧に弔った。

 丘の上の墓地に、彼女の好きだった春に咲く白い花を添えて。

 そこへ水やりに行くのは、僕とコーラルの新しい日課となった。


 大切な人との別れを経験するといつも思うのは、その人を忘れるべきなのか、忘れないべきなのか、ということだ。

 僕は、できればその思い出と共に生きていきたいと考えるのだが、悲しいことに、日を追うごとにその声が、顔が、思い出せなくなってくる。

 どれだけ大切だったとしても、どうしても時の流れに逆らえない。それは、コーラルも同じようだった。


 神は何故、人をこのように忘れやすい生き物に造られたのか。

 僕は、訴えたくて仕方がない。どうか、わすれさせないでくれと。


 一方で、僕は思う。

 もし仮に、自分が大切なひとを残して亡くなったとしたら、僕はどう思うだろうかと。


 答えは決まっている。


 きっと僕は、『どうか自分のことなど忘れて、幸せになって欲しい』と願うだろう。その人のことを大切に想えば想うほど、そう願ってやまないのだ。

 もしアリアや、その他の沢山の魂たちが同じようにそう願うのだとしたら……いや、だからこそ。神は『彼女たち』の願いを叶えているのかもしれない。


(アリア……)


 僕に、沢山の『うれしい』をくれてありがとう。


 思えば、キミと過ごしたあの日々こそが、僕にとっての『幸せ』だった。


 そして、キミがこの国にもたらした自由と平等、たくさんの幸せが、今もこの国と人々を支え続けている。

 そんな、時代が目まぐるしく移り変わるのとは反対に、僕の時間は止まってしまった。


 だって。僕の大切なひとは――もうこの家に、帰ってこないのだから。

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