第19話 あなたのためにできること 後編


「先生、お願いです。私を、殺してください。処刑してください……」


「「……!?」」


「アリア!?キミは何を言って……!バカなことを考えるのはやめろ!」


「ううん。私……きちんと、考えました。ずっと、考えていたんです……」


 僅かな呼吸を保ちながら、私は言葉を口にする。

 大好きなふたりに、伝えたいことがあるから。

 そんな私を見て、泣きじゃくるコーラル。


「なんで!?どうして!?」


「コーラル……せっかく庇ってくれたのに……ごめんね」


 ねぇ、コーラル?

 私、立派なお姉ちゃんになれたかな?


 嬉しかったの。私の後ろをちょこちょことくっついてきてくれるあなたが、まるで弟みたいに可愛くって。

 その懐っこい笑顔が、弟を失って空っぽになった私の心を、あたたかい気持ちでいっぱいに満たしてくれたのよ。


「いやだ!なんでそんなこと言うの!?お姉ちゃん!!」


 初めて会ったとき。あなたは先生を殺そうとした。私は、そのことが許せなかった。

 けどね。先生が、あなたの為なら死んでも構わなかったって言ったとき。私は、『自分が先生の立場だったら、同じことが言えたのかな?』って考えたの。


 答えは、わからなかった。


 だって、先生は優しすぎて、ご自分のことが嫌いすぎて。『誰かの為なら死ねる』の基準ハードルが低すぎるんだもの。


 でもね、今ならはっきりとわかる。

 私は多分、先生と同じように、誰かのためには死ねない。

 だけど、『先生のためなら』……死ねるの。


 だって、私は……先生を――


「あのね、先生……私の『最期の望み』……叶えてくれますか?」


「……ダメだ。アリアは罪人ではない。僕は医師としてキミを救う」


 その言葉に、私は懺悔するように零した。


「罪人……なんです。私、罪人なんです……!」


「な――」


「私、先生に拾われる前は、貴族としてなに不自由のない生活をしてきました。私はおてんばな子で、侍女たちの目を盗んでは街に遊びに行くような悪い子でした」


「……?」


「私は、街で出会った孤児の子に『パンをください』って言われました。私、ポケットにクッキーを持っていたのに、あげられなかった。『なんだか汚いな』って、思っちゃったんです……」


 あのときのことを思い出すと、私は自分の醜さに、今でも泣きそうになる。


「私、悪い子だったの。貧しかったんです……心が。持ってるものはキラキラとした宝石ばかりで、心の中が空っぽだったの。私は、謝っても謝っても許されないようなことをした。そうして、そのことに気づくこともないまま、日々をのうのうと過ごしていたんです……!」


「アリア……」


「ごめんなさい!私、私……!ごめんなさい……!」


 本当に、本当に……!


「もういい!喋らないでアリア!傷口が開いてしまう!」


 先生の言うように、自分の身体がかなりの重症であることは、自分が一番わかっています。

 だから、だからこそ……

 最期まで、私は伝えないといけない。


「先生……私、先生の最後の思い出になりたい。私が死ねば、この革命は終わる。民衆の意見が通る世の中になる。そしたらきっと、死刑は無くなる。先生の夢が、叶うんです……!」


「……!」


「私、知ってます。先生が、死刑の廃止を願うお手紙を国にずーっと送り続けていたことを。死刑がなくなれば、先生はもう、処刑しなくてよくなるんです。救われるんです。だから、だから……」


「だから、キミを見殺しにしろっていうのか!?」


 見たこともないような、先生の怒った顔。

 本当に、先生は『誰かのために』しか、怒れない方なんですね?


 その優しさに、私はこくりと頷く。

 そして、最期の力を振り絞って……笑った。


「先生の夢は、私の夢です。だから、きっと叶えてくださいね?そしてどうか、幸せになってください。私、先生に幸せになって欲しいの。その為なら……命だって惜しくはない」


「アリア、もうよせ!僕は、キミに生きていて欲しいんだ!キミ以上に大切なものなんて、この世には――」


(……!)


 その言葉が聞けたから。もう、未練なんてありません。ほんとうに、私なんかにはもったいないくらいの――素敵な最期。


 でも、もうひとつだけ、わがままを言ってもいいですか? そろそろ、限界みたいだから。喉の奥から血が込み上げて、喋れなくなる前に……


「げほっ……!」


「アリア!!」


「はぁ……あのね、先生。もし叶うなら……私は先生の手にかかりたい。先生なら、私の想いを、きっと受け止めてくれるから」


「アリア……?」


 私は、ぽろぽろと零れる先生の涙が少しでも止まるようにと、そっと手を握る。


「先生、お願い。私を救って。もう、痛いの。苦しいの。寒いの。先生の顔が、見えなくなりそうなの……」


「……!」


「……私、最期は先生の腕の中で眠りたい。眠れないとき、いつも先生がそうしてくれたみたいに……」


「うっ……」


 だから、お願い。

 泣かないで。先生?


 私は、あなたの笑った顔が……

 一番、好きなんです。


      ◇


「アリア……!」


 なぜ? どうして?

 キミはそんな顔をしているんだ?


 必死に言葉を紡いで、無理を押して喋るから、傷口が開いてしまったじゃないか。

 腹部の刺し傷は内臓の寸前まで届いていて、出血量ももう限界だ。痛くて痛くて……苦しくてたまらないはずなのに。

 どうしてキミは……笑っているんだい?


 誰のために、笑って……


「…………」


 考えるまでも、ないか……


(僕は、なんて愚かな……)


 本当に、アリアにはなんと謝ればいいのかわからない。

 でも、せめて……

 その、『最期の願い』だけは――


 僕は、徐々にあたたかさを失っていく彼女の手を離さないように、もう片方の手でナイフを握った。


「先生……? そんな……!」


「ごめん……コーラル。僕は……アリアが、望むなら……」


 震えて口元を抑えるコーラル。もう、彼女も子どもじゃない。

 ちゃんとわかっているんだ。アリアが、もう限界だということに……


 僕らを見上げる、澄んだ優しい瞳。

 その翠は、あたたかな風の吹く、春の新しい命のような。その瞳を見ると思い出すのは、一緒に寝転んだ草のやわからさと、咲くような……

 キミの、笑顔……


 路地裏で、コップ一杯の水に救われたような顔をしたキミ。失意に溺れる僕を救い出してくれたのは、そんな、『生きる気力』に満ちたキミだった。


 あの日から時間が止まってしまった僕を、連れ出すように手を引いて、色んなことを教えてくれと、陽のあたる方へと導いてくれた。


 『好きな食べ物は?』と聞かれては、そのあと三日はそれが出てきたり。

 『次からはこうして』と言えば、何十回もそれをチェックする。

 『元気があっていい挨拶だ』と笑うと、毎朝顔を見せにきてくれたり。

 夜は『さびしい』と言ってベッドに潜り込んできては、そのあたたかさが僕をどれだけ救ってくれたことだろう。


 僕にとっては、それらのすべての思い出が、かけがえのない……大切な……


 僕が、全てを投げ出さず、使命と誇りを抱いて、今まできちんと歩いてこれたのは……


 キミの、おかげだ。


 そんなキミが、苦しいのを我慢して、最期に伝えたかった言葉――

 僕はその姿から、想いから、目を逸らしてはいけない。


 そして、一族の誇りを胸に抱く。


 ――せめて、その最期をあたたかく……

 『最期の願い』を――叶えよう……


「先生、泣かないで」


「泣いてなんか……だって、僕はキミを、救って……助けるんだから……」


「泣いてますよ?」


「そんな、こと……」


「ありますよ?」


 困ったような笑み。

 あの寂しがりなアリアが、いつからこんな顔をできるようになったのか。

 それとも、こどもみたいに甘えているのは僕のほう――


「うっ……アリ、ア……」


 縋るように手を握る。惜しむように、拒むように。

 でも、どれだけ力を込めても、熱がかえってこないんだ。


「アリ、ア……!」


 こんなの。全ての『死』に安楽を与える処刑人失格だ。

 いつまでも手をこまねいて、キミにお別れが言えないなんて。

 できれば早く、その苦しみから解放してあげないといけないのに……


「先生、笑って。私、あなたの笑った顔が好き。大好きなの。ずっとずーっと、最期まで。目に焼き付けていたい……」


「……っ!」


 僕の背を押すように、アリアが笑った。


 いつもの、やさしくてあたたかい、野に咲く春の花のような。僕の大好きな、笑顔。

 そして、愛しい――


「アリ、ア……」


「ありがとうございます、先生。愛して――いいえ……」


『――大好きです。先生』


「僕もだよ……アリア……!」



 ――さようなら。

 愛しい、愛しい……大好きなアリア……!



 次に会うときは、必ず――


 僕は、その胸元に刃を突き立てた。

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