第18話 あなたのためにできること 前編


 皆でピクニックをした丘へ、ただ『無事でいてくれ』と、それだけを胸に足を動かす。


 道すがら、武器を手にした革命軍がアリアを探して散り散りになっていくのを見かけるたびに、脚を斬りつけて再起不能にしていった。


 彼らは、マーチに煽動された民衆が王城に雪崩れ込んでいる隙に、この街にいる『本当のラストロイヤル』を捕えるつもりなのだ。


 リーゼちゃんやマーチは、アリアのことを知っている。だからおそらくは、彼らもその正体を知らされているのだろう。

 それにしても――


(思いのほか、数が多い!)


「くっ……! 無事でいてくれ、アリア……!」


 返り血にまみれながら丘の麓へ到着すると、誰かを引きずりながら、とぼとぼと歩いてくる人影が見える。


「コーラル! 背に負ぶっているのは……アリアか!?」


「せ、先生っ……!!」


 僕の姿を見るなり、力が抜けたように泣きべそをかくコーラル。


「先生! 先生っ……!! ふぇっ……ううっ……!」


「ああ、無事でよかった……!」


 すぐさま駆け寄ると、近くに複数の男たちが血を流して倒れているのが目に映った。


「この者たちは……! キミが、やったのか?」


「ぐすっ……だって、お姉ちゃんを連れ去ろうとしたから……! 私、先生に『守れ』って言われて。絶対、私が守らなきゃって……! 護身術、私もお姉ちゃんと一緒に習ったから。それで、それで……!」


「コーラル、もういい……! もういいから! 傷だらけじゃないか! 早く横になって、傷の手当を!」


「でも、私なんかより、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……!!」


 ぐったりと座り込み、背負ったアリアを地面に下ろす。

 すると、アリアの腹部には深い刺し傷があった。


「……!?」


「ごめんなさい……! 私、お姉ちゃんを、守り切れなくて……! だってあの人たち、私には見向きもしないの! 寄ってたかって、お姉ちゃんばっかり……!」


 大人四人を相手に、ふたりが、コーラルが、どれだけがんばったのだろう。

 地に伏した男たちは喉元や手首、腹部を切りつけられ、もはや動くことは無い。

 だが、僕は精いっぱいの労いを込めて、コーラルを抱き締めた。


「コーラル……! よく、がんばったね……!」


「先生……私、人を……!」


「いいんだ、何も気にしなくて。コーラルは大切なひとを守った。ただ、それだけだよ。コーラルがこうしていなければ、きっとアリアは攫われて、広場で首をねられていただろう。だから、コーラルは僕との約束を守った。ただ、それだけだ……」


「うっ……! お姉ちゃん……!」


 視線を落とすと、アリアは僅かに呼吸を保っていた。

 僕は自分とコーラルに言い聞かせるように、深く息を吸い込んだ。


「大丈夫。まだ、大丈夫だ! 絶対に、僕が生かしてみせる……!」


 僕はアリアをそっとシロツメクサの上に横たえると、傷口にタオルを当て、マーチを捕えるために持っていた縄を固く縛って止血した。心臓マッサージで心肺を蘇生させ、しばらく様子を見ていると、溢れだしていた血の勢いが止まって、僅かにアリアの瞼が動く。僕はその手を握って必死に声を掛けた。


「アリア、聞こえるかい? 聞こえていたら、手を握り返してくれ!」


「お姉ちゃん、先生が来たよ! もう平気だよ! 私達、助かったんだよ!」


「頼む……! 目を開けてくれ、アリア……!」


「うぅっ……! お姉ちゃん! お姉ちゃぁんっ……!!」


「…………」


 握ったその手に微かな力が入り、アリアが目を覚ました。


「アリア……!」


「せ、ん、せい……?」


「あぁ、よかった……! ほんとうによかった……!」


「……?」


「生きていてくれて、ありがとう……!」



      ◇



 ぽろ、ぽろ、ぽろ。



 頬に落ちてくる雨が、あたたかい。


(あぁ、これは……)


 先生が、泣いています。


 私の手を握って、私の目をまっすぐ見ながら、涙を流している。


 先生はこれまでも、私の顔を見て泣きそうな顔になることがあったけど、これは今までに感じたどの感情とも違う。


 ――先生……

 ようやく『私』のこと、見てくれたんですね……


 先生が私を見て泣きそうになる理由。

 ずっと心の奥に引っかかっていたそのわけが、今、わかりました。


 先生は多分、私の中に『よく似た誰か』を見ていたんじゃないのかなって。


 先生が泣きそうになる度に、そのあと、フッと口元に笑みを浮かべていたのを、知っています。それはまるで何かを思い出すような、自分に何かを言い聞かせているような、そんな笑みでした。


 でも、その笑顔はいつもどこか悲しくて寂しそうで。私は、少しでもいいから、心の底から先生に笑顔になって欲しかった。

 道端で猫に懐かれたときのような、小さな子どもの患者さんに『ありがとう』と言われたときのような、そんな、あたたかくて優しい笑顔を絶やさないで欲しかった。


 そして、少しでいいから、その笑顔を『私』に向けて欲しかった……


 できれば、ずっと。

 ずっと、ずっと……


 その『願い』は、どうしたら叶えることができたのだろう?


(今の、『この瞬間』を、切り取ることができたらいいのにな……)


 でも、そんなこと、今はどうでもいいの。

 先生が私の手を取って、私のために、涙を流してくれる。ただそれだけで、こんなに胸の奥があたたかくなるんだもの。


 私、なんて幸福な人間なのかしら。


「せんせい……」


 私、思うんです。

 私の人生に、意味はあったのかなって。


 貴族の家に生まれて、何不自由なく暮らしてきて、誰かのために何かをするなんて、考えたことがなかった。

 お父さんやお母さん、弟が、身を挺して私を守ろうとしたとき。誰かのために何かをするということが、どれほど凄いことなのかを初めて理解した。

 そして、それをできる人がどれだけ強い人なのかということを。


 私は、先生のところに来てから、そのことばかりを考えていました。どうしたら、亡くなった人に報いることができるのかなって。

 だから私は、先生みたいな人になりたいと思ったの。


 自分のことなんて顧みない、罪人の『最期の願い』を叶えるためなら、どんなことだってできてしまう、優しい優しい先生。

 人の想いに寄り添って、その人の『大切なもの』を理解できる。

 処刑をするというその結末は変わらないかもしれないけれど、先生という人に巡り合えただけで、どれほど多くの罪人たちが救われたか。私は傍で、ずっと見ていました。


 そんな先生みたいになりたいと思って、一生懸命がんばったけど、やっぱり先生みたいにはなれなくて。

 追いかければ追いかけるほど、私は先生に貰ってばっかりでした。嬉しいことや楽しいこと。素敵な気持ち、あたたかい心……


 眠れない日は同じお布団に入れてくれて、背中をそっと撫でてくれた。それでも眠れない夜は、星を眺めて星座の生い立ちをお話してくれて。

 一緒に出かけて、初めて羊を見て。世間知らずな私に何を言うでもなく、色んなことを沢山教えてくれました。

 こっそり練習を繰り返して作れるようになった料理を、『美味しいね?』って褒めてくれて……それが、どれだけ嬉しかったことか。


 私がずっと打ち明けられないでいた危険な出自ひみつをようやく切りだすことができたとき。責められても、怒られても、軽蔑されても仕方がないのに。

 『ありがとう』って、『もう大丈夫だよ』って……


(先生……)



 ――大好きです。



 だから、私……恩返しがしたい。


 私の命を使うことで、世の中が平和になるのなら。それで沢山の人が救われるのなら……

 そして、死刑という制度が無くなるかもしれないのなら……

 私は、先生のお役に立ちたい。


 だってそれが、先生の……一族の『望み』なんだって、私、知ってます。


 先生、毎週決まった曜日に、政府のお役人さん宛にお手紙を書いていますよね?

 その宛先は同じだったり、まちまちだったり。でも、差出人の名前の横には、いつも小さく『嘆願書在中』って書いてありました。


 本当はじろじろ見てはいけないとは思いつつ、お使いを頼まれるとき、ついつい気になってしまって、ごめんなさい。

 でも、先生からお役人さんに『嘆願』なんて。それも、ずーっとお返事が来ないのに、何度も何度もお願いをして……それでも諦めきれない『願い』……


 私には、ひとつしか思いつきませんでした。



 私は、残された僅かな力を振り絞って、口を開く。


「せん、せい……」


「……! よかった。意識ははっきりしているかい? もし動かして大丈夫なようなら、今すぐ病院に――」


「私……先生の『願い』を、叶えたい……」


 だって……もしそれを叶えることができたとしたら、私の人生にも意味はあったんだって、きっと胸を張れるから。


「……? 僕の、願い……?」


 私は深呼吸をして、首を傾げる先生にゆっくりと語りかける。


「今まで先生は、たくさんがんばりました……だからもう、休んでください。救われてください……」


「アリア……? キミは、何を言って――」


「私はあなたを……救いたい……」


「……!?」


 そう告げると、『何か』を理解した先生の表情が、一気に凍り付く。

 私を抱きかかえる手が震え、『やめろ』と、『それ以上を口にするな』と、全身が訴えかけてくる。

 でも――これだけは、譲れません。


(だから……)


 私は、決して折れない眼差しを先生に向けた。


「お願い……私を、処刑して……?」

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