第16話 ラストロイヤル


 リーゼちゃんが去ったのを確認し、僕はアリアに向き直った。


「アリア……キミに、話したいことがある」


「?」


 きょとんと首を傾げるアリアを引き連れて、僕は私室へ向かった。


「コーラル。もし患者さんが来たら、少し待っていてもらうようにお願いできるかな? 僕は少し、アリアと大事な話があるから」


「いいですけど……先生、怖い顔してどうしたの?」


「できれば部屋には誰も近づけないで」


「……わかった」


 全てを言うまでもなく、コーラルは事の重要性を理解したようだ。


 ここ数週間、僕はいつアリアの身柄が確保されるかと思うと気が気ではなかった。

 いくら中立の立場である処刑人とはいえ、公的機関に、国の重要人物として迎え入れると言われたら、僕には反論の余地がない。


 そんな僕の気を知ってか、コーラルはなるべく自分がアリアの傍にいることで、僕を安心させようとしてくれた。元から優しいというのもあるだろうが、僕が何を言わずともそうしてくれるくらいには、コーラルは聡い子に育っていた。

 僕は病院のことをコーラルに任せ、アリアを傍に座らせる。


「アリア。キミには言っておかなければならないことがある。落ち着いて、聞いて欲しい」


「…………」


 只ならぬ雰囲気を察し、静かに言葉を待つアリア。

 僕は、告げた。



「キミは……ラストロイヤルだ」



「……!」


「初めて会ったときのことや、これまでの襲撃や接触。そして、革命軍のリーダーであるマーチが安易にも投獄され、ここに乗り込んできたこと。それらの全てから推測するに、王家の血を持つ者はキミで最後なのではないかと思われる」


「じゃあ、私の両親や弟、国王様の血縁たちは……」


「おそらくは、もう……」


「…………」


 目を伏して濁すと、アリアは意を決したように語りだす。


「そう、ですか……やっぱり、ダメだったんですね……私だけが先生に拾われて、生き残った……」


「アリア……」


「私、国王様とは遠縁の血筋です。だから、政治とは無関係だったけれど、裕福な世界で暮らしていました。でも、ある日屋敷が襲われて……」


 震える口で語られるその出来事は、十七歳の少女にはとても耐えがたいであろう、過酷なものだった。


 屋敷に『革命軍』を名乗る暴徒が乱入してきたこと。従者を含む、その場にいたすべての人を捕え、抵抗するようなら殺そうとしたこと。アリアや弟を逃がすために、両親がそれらの暴力の前に立ちはだかったこと。

 命からがら逃げ伸びたと思ったのに、街に来る途中で馬車が襲われ、弟と離れ離れになったこと。そして、自分よりも幼い弟が、『復讐なんて考えるな。とにかく生きろ』と声を張り上げたことを……


「だから、私……先生に拾っていただいたときは本当に救われたと思いました。ぼろぼろになって街までたどり着いて、でも、そこからどうやって生き延びればいいのか見当もつかなくて。ただひっそりと路地裏で、夜と人、飢えやねずみに怯えながら震えていたんです。弟の、『生きろ』って言葉だけを握りしめて」


「…………」


「先生……黙っていて、ごめんなさい」


「いいんだ……」


「私、せっかく先生が優しくしてくれたのに。怖くて言い出すことができなかった。自分が最後の生き残りだって認めるのが怖くて。それが知られて見捨てられちゃうんじゃないか、先生やコーラルが危ない目に会ったらどうしようって思うと怖くて……」


「いいんだよ、アリア?」


「でも……! 私がもっと早く勇気を出していれば、先生が怒ったり傷ついたりすることもなかったのに……!」


 ぽろぽろと、大きな翠の瞳から涙が零れ落ちる。

 僕は、その雫を指で掬って拭き取った。


「話してくれて、ありがとう」


「先生……!」


 僕は、それ以上泣かないようにと、アリアをそっと抱きしめる。


「こわかったね? もう、大丈夫だよ?」


「うっ……」


「ほら、泣かないで?」


「うわぁぁあああん……!」


 僕は、その言葉にならない泣き声が次第に小さくなっていくを、『もう泣かないですめばいいのに』と願いながら、ずっとずっと、見守っていた。


      ◇


 アリアがラストロイヤルと分かった以上、僕らは今後、確実に『革命』に巻き込まれることになるだろう。もたもたしていれば、アリアだけでなく、無関係のコーラルにまで被害が及びかねない。


 コーラルは毎日飲み続けている薬や、アリアの作る美味しいご飯、規則正しい生活が功を奏しているとはいえ、未だに病気の発作がたまに起こる。そういうときは一晩中傍に付き添って介抱しなければならないから、できれば医療器具や薬の整った環境で完治するまで安静にしていたい。


 それに何より、僕には処刑人としての使命が残っている。この病院と収容施設を放棄して逃げ出すわけにもいかなかった。

 だが、このまま手をこまねいていれば、いずれ誰かに襲撃されて――


(いったい、どうしたら……)


 そんな葛藤がぐるぐると渦を巻き、僕が勇気を出せないまま、日々が淡々と過ぎていった。


      ◇


「先生?」


「…………」


(コーラルの具合がもう少しよくなったら、アリアを連れて別の拠点にふたりを移すか? でも、その場合護衛は……僕以外の者の手に預けるとなると、信頼できる誰かを……しかし、処刑人である僕に信頼できる相手など……)


「……先生!」


「…………」


「先生!!」


 びくっ!


 不意に出された大きな声に驚いて顔を上げると、診察中のコーラルがむっと頬を膨らませていた。アリアを真似て伸ばしている美しい金髪を耳に掛け、大きな蒼い瞳の向こうから、何かを訴えているような……


「先生、話聞いてる?」


「ごめん……聞いてなかった」


「もう、やっぱり! 最近ずーっと上の空なんですから!」


 ぷんすこと頭から湯気でも出さんとする勢いで腕を組むコーラル。

 だが、その仕草もどこかアリアを彷彿とさせ、ふたりは今や仲のいい本当の姉妹のようになっていた。


「お姉ちゃんも心配してるんだよ? 先生、最近元気ないねって」


「そ、そうかな……?」


「そうだよ! せっかく今日は先生に秘密の相談があったのに!」


「秘密の相談……?」


 首を傾げると、コーラルはこしょこしょと口元を僕の耳に近づける。


「そろそろ、お姉ちゃんの十八歳のお誕生日でしょう? せっかくだから、皆で丘の上にピクニックに行きましょうよ! 美味しいご馳走を、沢山持って!」


「ピクニック……」


 なんだか、懐かしい響きだ。

 思えば、以前は天気のいい日に三人でよく遊びに行ったような。


「先生ってば最近、浮かないお顔をしてるでしょう? お日様の下で美味しいものを食べれば元気出るかなーって、お姉ちゃんとも話してたの。だから、お誕生日を祝うのは私と先生からのサプライズってことにしよう!」


 ふふふ、と口元に手を当てて、屈託のない笑みを浮かべるコーラル。

 その無垢な表情に、僕の心がふわっと軽くなったような気がした。


「コーラルは、いい子だね?」


「……!」


 思わず頭を撫でると、コーラルはかぁっと赤くなる。


「じゃ、じゃあ決まりね! お姉ちゃんの誕生日は来週だから、少し早いけど、ピクニックは次のお天気がいい日に決定! プレゼントは私が手作りのアクセサリーを用意するから、先生は最後にお姉ちゃんの名前を彫ってあげてね! それでいいでしょう!?」


「あ。うん……」


 そして、そそくさと立ち上がって診察室を出ていく。

 僕はその背を見送りながら、『アクセサリーに名前を彫るなんて、素人の僕にできるかな?』と、最近の自分からは想像もできないような可愛らしい悩みに頭をひねるのだった。


      ◇


 そして、ある晴れた昼下がり。

 僕らは約束通り丘の上にピクニックに訪れた。

 季節は春。一面に咲くシロツメクサの花が美しい野原に腰を下ろし、コーラルが作ったお手製のお弁当に舌鼓を打つ。


「んっ……! 美味しい! また腕を上げたわね、コーラル?」


「ふふん! そのうちお姉ちゃんだって追い越すんだから!」


「言ったなぁ~!」


「ふふ。本当に美味しいよ、コーラル。この菜の花のサンドイッチなんて、いろどり鮮やかで、目にも楽しいね? 味も申し分ない」


「へへ……えへへ……////」


「あ、先生! 私のやつとどっちが美味しいですか! 先生の大好きなたまごサンド!」


「どっちも」


「「も~!そうじゃなくって~!」」


「ふふ……」


 僕はそれまでの不安を嘘のように忘れて、青空の下、ふたりとピクニックを楽しんでいた。すると、不意に大きな鐘の音が街に響き渡る。

 火事を知らせる、鐘の音だ。


「……っ!?」


 煙の方に視線を向けると、ふたりが声を上げた。


「先生、あっちって……」


「私達の家がある方だ!」


(防火設備は万全のはずだ。だが、万が一……)


 どくどくと、嫌な音を立てる心臓を押さえつけるように目を凝らす。

 すると……


 ――収容施設が、燃えていた。


 隣にある病院よりも、より強固な造りをしているはずの、収容施設が。

 まるで一点に集中するかのような火の上がり方で。


 間違いない。誰かによって、放火されたのだ。


(革命軍……!)


 だが、マーチの望みは『公の場で、派手に死ぬこと』。そして、『同志の心に火をつけること』だ。こんな形で彼が死ぬのは『革命軍』にとっても本意ではないはず。

 だとしたら、この火はまさか……


「脱獄か!」


(もしくは、自死を……!)


「……ッ!」


「「先生!?」」


「僕は罪人の安否を確認する! 幸い病院に入院患者はいない。罪人を捕縛して一時的に病院に避難させるから、ふたりはここにいて!」


「でも、それだったら私達にもできることが……!」


「いいからここにいなさい! 必ず迎えに来るから! ふたりとも、絶対、何があっても自分の身を守るんだ! いいね!」


 僕は、それだけを言い残してふたりの元を離れた。

 絶対、ふたりなら大丈夫だと信じて。

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