第15話 目の前を暗くするほどの愛 後編
午後の診療も一通り終え、あとは事前に連絡を受けている定期健診の訪問を待つのみとなった。今日の患者さんは注射と薬の処方だけで済むはずなので、アリアに注射を任せようと思っていたのだけど、いつまで経っても下りてこない。
(おかしいな……いくら友達が来ているとはいえ、仕事をすっぽかすような子ではないと思うんだけど……)
何か、あったのだろうか?
「コーラル。ちょっと二階に行ってくるから、タオルとシーツの取り換えを頼んでもいいかな? 終わったら、器材を洗ってくれると助かる。怪我すると大変だから、メスやハサミは洗わなくていいからね」
「そんな……! 私、できるよ! お姉ちゃんにお料理だって教わって、包丁だって使えるんだから!」
「刃物の扱いを侮るんじゃありません。そういうことを言ってると怪我をすることになるんだよ?いいから、お願いした分を任せても?」
「う……私、もう子どもじゃないよぉ……」
「そういう風に拗ねてるうちは、子どもだね?」
「む……! 見てて! きっちり全部こなしてみせるんですからねっ!」
そう言うと、コーラルは踵を返してシーツを取り込みに行った。
(なんか……アリアに似てきた……?)
その後姿は、ここへ来たときよりも随分と背が伸びて、少しお姉さんになってきたかな?
出会った頃は無造作に伸ばしていた髪も、アリアにならって綺麗に手入れするようになって、最近では読み書きに、お勉強。お料理にお裁縫と……きっと将来はいいお嫁さんになるだろう。
(その頃には『革命』なんて終わって、穏やかな世の中になっていればいいけど……)
僕はその思い胸に、アリアのいる二階へと向かった。
リビングの扉を開けると、床に倒れ込んでいるアリアが目に映る。
「……っ!? アリア、どうしたの!?」
すぐさま駆け寄って心音と脈拍を確認する。
(よかった……動いてる……)
とくとくと聞こえる音に、僕の鼓動が落ち着きを取り戻していく。
(それにしても、どうしてこんな……)
体温に異常もなく、ただ寝ているだけのように思えるが、友人をほったらかして床で寝るなんて。いくらのんびり屋さんなアリアでも限度があるだろう。かくいうお友達の姿は部屋になく、もぬけの殻だった。
(最近できた商店の……)
「まさかっ……!」
僕はアリアを隣室のベッドに寝かせると、ポケットを探った。
「……っ!」
――やはり。『鍵』がない……!
(やられた……!)
「アリア。すぐ戻るからね!」
僕は一声だけかけて、別棟の収容施設へ急いだ。
◇
(まさか、アリアが狙われるなんて……! どうして!? 彼女が鍵を持っていることは、中にいる罪人にしかわからない筈……それとも、収容施設に出入りするところを監視されていた!?)
各罪人がどの収容施設で処刑されるかは、依頼主か連行した憲兵にしかわからない。たとえ親族や関係者がいたとしても、たったひとつの収容施設に目をつけて常に機会をうかがっているなんて、そんなの、よっぽど人員に余裕がある組織にしかできない芸当だろう。
僕の収容施設に、そんな重要な組織の人物なんて、メイソンさんの他には――
「マーチか……!」
でも、どうやって外と連絡を? それとも彼を助けたい人間が独断で!?
「そんなこと、今はどうでもいい……!」
とにかく今は、彼を逃がさないようにしなければ。
――『罪を背負った罪人は、等しく処刑せねばならない』。
そして、『その最期をあたたかく迎えさせること』。
我が一族の誇りにかけて。
彼を逃がすわけにはいかない。
罪状が曖昧なうえに『刻限』も確定していない彼。もし手違いで外に出れば、その罪状故にあらぬ疑いをかけられて即刻切り捨てられてもおかしくはないからだ。
罪の決まっていない罪人を断じるなんて、冤罪だったら取り返しがつかないことになる。
それに、『不落の監獄』と名高い僕の収容施設が突破されれば、僕のところだけでなく、他の収容施設に暴徒化した罪人の仲間が押し寄せる可能性もあった。そんなの、『革命』以前にアリアやコーラル、他の患者さんや罪人の身が危険に晒される羽目に――
それだけは、阻止しないと……!
「マーチっ……!!」
収容施設に足を踏み入れると、奥からガシャリと音がした。
最奥の独房区画に入る鉄格子。その扉の前に見慣れない人影がいる。
アリアの鍵では、中の様子は覗けても、独房区画には入れない。
僕はその人影を背後から素早くねじ伏せる。
予想通りというべきか、その人影は少女だった。
アリアと同じ背格好くらいの……リーゼちゃんだ。だが、脱獄の手引きをしようという彼女にかける慈悲は無い。
それ以上に、僕は怒っていた。
身の内の血が熱く、『それを許すな』と囁きかける。
「そこまでだ……! アリアに何をした!!」
「……っ!? どうしてここに!? 音もなく眠るように仕掛けたはずなのに……!」
「眠り薬か……効力は!? 有毒物じゃあないだろうな!?」
(目が覚めない眠り薬だったら、どうしようかと……!)
さっきまで頭の中は罪人を逃がしたらどうしようとか、そんなことばかりだったのに。気がつけば、アリアのことしか出てこない。
僕は立て続けに詰問する。
「解毒薬は!? 気付け薬の用意はあるのか!?」
「そんな心配しなくても! ただの眠り薬よ!! いい加減離して!」
「……離すわけないでしょう?」
その言葉に落ち着きを取り戻した僕は、リーゼちゃんの両手足を縛って拘束した。
独房区画に続く格子を開けると、マーチの檻の前に連れて行く。
「マーチさん! よかった……! 生きていたのね!」
「リーゼ!? どうして!?」
「そうですよ。どうして脱獄の手引きを? 彼は、何者なんです?」
長らく不明だった彼の正体。想定外の事態だが、吐かせるには丁度いいだろう。
ひやりと見下ろすと、リーゼちゃんはマーチの顔色を伺う。
マーチは観念したようにため息を吐いた。
「その様子……リーゼがあんたを怒らせるようなことをしたんだろ?」
「…………」
「あんたのそんな顔、初めて見たよ。ふふっ……それが素顔か」
「いいから答えなさい。さもなくば――」
――『彼女を革命軍に差し出してもいいんだぞ? アリアの、”身代わり”に……』
――『その首を、断頭台に――』
僕は、喉の奥から出かかる言葉を飲み込んだ。
そう。僕はもう、とっくに気がついている。
アリアはおそらく、『ラストロイヤル』なのだということに。
いったいどの程度の血筋が流れているのかは知らないが、彼女が革命軍の手に渡れば、公の場で処刑が行われ、この『革命』に終止符が打たれるだろう。
『王の血族』は貴族の象徴。もし失うことになれば『貴族派』の権威は失墜し、誰を次期国王にするかと内輪揉めする暇もなく、今後の方針など立てられないほどに再起不能になるはずだ。そして、『反貴族派』は晴れて貴族主体の政治と治世を打破し、表舞台にあがる。
貴族と平民、隔ての無い自由を掲げて、新しい時代が幕を開けるのだ。
あくまで中立とはいえ、僕だって、できればそれを望んでいる。
だって、もし『誰にでも自由で平等な時代』が訪れれば、僕の……一族の悲願が、叶うのかもしれないのだから。
けれど。まさか思ってもみなかった。
その時代の終止符に、ひとりの少女の命が必要とされるなんて。
それが、僕にとって大切な大切な存在になるなんて……
思っても、みなかったんだよ……
だから、僕は望んでいたんだ。
心のどこかで意識しないようにしていたのに、無意識のうちに。
アリアの身代わりにできるような少女がここに送られて来ることを……
(僕は、悪魔か……)
しかも、処刑人であるという、自分の立場を利用して……
そんなの。ご先祖様にも、父さんにも。今まで手を下してきた多くの命にも顔向けできない。
でも、そう考えてしまうほど、僕はアリアに生きていて欲しかった。
僅かばかり、口を開く。
「どうすれば、終わるんだ……?」
「ん?」
「どうすれば、この『革命』は終わるんだ……?」
力なくぽつりと零すと、マーチは笑った。
「じゃあさぁ……俺を殺せよ?」
意味が、わからな――
「キミは、まさか……!」
「そのまさかだよ。国家転覆罪。こんなにぴったりな罪状もねぇだろう? なんたって、俺は『革命軍』のリーダーなんだから」
自信たっぷりの表情で今まで秘匿していた事実を暴露するマーチ。
だが、彼は以前に『叶えたい夢がある』と言っていたはずだ。だから今まで『革命軍』の頭であることを黙っていたはずなのに。
僕はその掌返しにどこか疑問を覚えて問いかける。
「何のつもりだ……? 自ら、死ぬだなんて。今や『革命軍』が優勢……ここまで来た『革命』を、それで今更終わらせる意図が、理解できない」
「そうよ! お願いだから死ぬなんて言わないで! そんな……! あなたにそんなことを言われたら、私達は今まで、何の為に……!」
彼を想う少女の悲痛な叫びに、マーチは再び笑う。
「だからだよ。あと少し。あと少しで『革命』は為される。だからさ、先生……俺を殺してくれよ? 公衆の面前で、その断頭台を使って……派手に殺してくれ」
「なっ……」
「俺には夢がある。希望がある、野望がある。そして、仲間がいる。リーゼをはじめとする、沢山の仲間と築いた絆がある。だから……俺が死ねば、時代が変わるんだ」
淡々と語るマーチの、意図するところがわからない。
だが、そんな僕の疑問を吹き消すように、マーチは語った。
「死んでいく者の残す想いが、残された者にどんな想いを与えるか。知らないあんたじゃないだろう?」
「……!」
「俺が残した想いは、炎のように。仲間の心に燃え移り、道を繋いでいく。だからこそ。俺が今死ねば、『革命』の熱は激化して、一気に『王国軍』を打ち倒すエネルギーが生まれるんだ」
「だからって、そんな……! それじゃあ、マーチさんは……!」
「時代のために……死を選ぶというのか……」
その問いに、マーチは首を横に振った。
「いや? 言っただろう? 俺は俺の願いを叶えるだけだって。俺はなぁ……その為の
黒髪の奥から覗く、琥珀の瞳。
(もしマーチが無理にでも革命軍を奮い立たせるのだとしたら……アリアが危ない)
不敵に笑うマーチに、僕は言い放った。
「させない……キミの思い通りには」
「どうして?」
「だって、そんな話を聞いてしまったら、僕はキミを処刑することで、『革命軍』に加担することになる。それは中立の誓約に反する行いだ。そうか。だから君には……『刻限』が無いんだな?」
「ふふっ……俺たち、求めるものは同じなのに。とことん気が合わないなぁ、先生? 動くことで得る平和と、動かないことで得る安寧。あんたも薄々気がついているんだろう? そんな時間稼ぎがいつまでも通用しないことなんて……」
「いずれにせよ、『刻限』が無い以上、僕がキミを罪人として処刑することはない。僕がキミを殺すときは……キミが罪人になったときだ」
はっきりと告げると、マーチは観念したように、笑った。
「だろうな? あんたなら、そう言うと思ったぜ……リーゼ!」
「……っ!?」
「逃げろ。お前じゃ先生には敵わない」
言うや否や、檻の中から伸びてきた手が僕を捕まえた。
僕はその手を振り払うが、マーチはすかさず言葉で揺さぶりをかける。
「いいのか? リーゼは罪人じゃない。そんなあいつを、あんたが捕まえる義理は無い」
「それは、そうだが……」
(リーゼちゃんは、アリアに薬を……友達のフリをして、アリアの想いを裏切ったんだ……!)
腹の底からぐらぐらと、何かが煮えたぎる。
それが不快で、気分が悪くて。僕の視界が狭まっていく。
もたもたとしていると、マーチが声を上げた。
「いいから走れ! 『刻限』が決まらない限り、俺は殺されない。振り返るな、行け! 俺が外に出るときは、世界が変わるときだ! そのときお前は……隣にいろよ!」
「……っ!」
その言葉に、少女が駆け出す。隠し持っていたナイフで拘束を解き、出口に向かって走り出した。
(……ッ!)
それはもう、条件反射のようなものだった。
僕は咄嗟に追撃し、少女の腕を掴んで捕まえた。
「……っ! 離して! 罪人以外には手を出さないんじゃなかったの!?」
「キミを赦すかどうかは、僕が決めることじゃない」
「じゃあどうして!?」
「それを決めるのは……アリアだ」
僕は、振り返るように背後の入り口に現れたアリアに視線を向けた。
「はぁ……先生……ここに、いたんですね……」
走って探しに来たのだろうか。
息を切らしたその姿に安堵と、僅かな焦りを覚える。
「どうしてここへ来た? ダメじゃないか。安静にしてないと」
「先生……? まさか、怒って……いるんですか?」
「そんなんじゃ――いや。そうかもしれないね」
そうか。この感情が……激しい、怒りか。
久しぶりだ。ここまで僕が、自分の行動に冷静さを欠くなんて。
怒りで目の前が暗くなる僕の頭に、アリアの透き通るような声が響く。
「先生……リーゼちゃんを、赦してあげてくれませんか?」
「「……!?」」
その言葉に、僕もリーゼちゃんも思わず閉口してしまう。
動揺してわけがわからない僕たちに、アリアはぽつぽつと続けた。
「私、リーゼちゃんの気持ちが少しだけわかります。友達だって思ってたのに、裏切られたのは悲しかったけど。それでも、リーゼちゃんは大切なひとを助けたかっただけなんだと思うから」
「……っ!」
「どうして? もし彼女が本気なら、アリアは毒を飲まされていたかもしれないのに?」
「でも、毒でなくて眠り薬を飲ませたのは、あなたが少しでも、心のどこかで私のことを友達だと思ってくれてたからじゃないの?」
「それ、は……!」
言い淀む少女の姿が、それが真実であることを告げている。
僕は、腕を掴む力を少し緩めて問いかけた。
「それでどうして、裏切ったという罪が許されるんだい?」
するとアリアは、言ったんだ。
「だって、先生ならそうしたでしょう?」
「え?」
「私、思ったんです。先生がコーラルを赦したのはなんでなのかなって。それは、先生が優しいからだけじゃなくて、コーラルのお父さんのことを負い目に感じてるからとかでもなくて。ただ純粋に、コーラルが好きだったからじゃないのかなって、思ったの」
「それは……」
「一緒にコーラルのお家に入ったとき。先生の顔がふわってなったのを、覚えてます。病気にも関わらず、ひとりで一生懸命暮らしてるコーラルを見て、『この子のために何かしてあげたい』って、そう思ったんでしょう?」
「……!」
「私もね、リーゼちゃんのこと、好きなんです。たとえどれだけ裏切られて、傷つけられても。リーゼちゃんが私にくれた楽しい思い出は、嘘にならないって信じたい」
「アリア……」
呆然とその場で耳を傾ける僕たちに、アリアはしゃん、と向き直って言い放つ。
どこまでもまっすぐな、それでいて強い意志を秘めた瞳で。
「だから、私はリーゼちゃんを赦します。でも、死んじゃうのは怖いっていうか……命は大切にしたい。私の命は、私の『大切なもの』のために使いたいから。だから、もう二度と私に刃を向けないって約束できるなら、今回はなかったことに……」
「いいの? 私はまたあんたを殺して、鍵を奪いに来るかもしれないのよ?」
「だったら、そのときまでに私、強くなりますから! 先生にたくさんお稽古をつけてもらって、自分の身くらい自分で守れるようになりたいんです!」
『……ダメですか?』と見上げるアリアの顔からは、この子を赦したいという想いが伝わってくる。僕は、その気持ちに応えることにした。
彼女を拘束している縄を解くと、外へ出るように促す。
「二度と、人の気持ちを裏切るような真似はしないでくれるかな? アリアが赦したキミの罪を受け止めて、心に隠したナイフと、キミの命は……『大切なもの』のために使いなさい」
「……っ……」
「いいね?」
「……甘ちゃんなのね? どいつもこいつも」
その問いに、僕は首を横に振る。
「優しいのはアリアだけだよ。もしキミが再び彼女を危険に晒すようなことがあれば……僕は容赦しない」
「…………」
「……いいね?」
「貴族のお嬢様はいいわね? 優しいってだけで、誰にも彼にも愛されて……」
「そうじゃない。貴族だからとかじゃなくて。それは、アリアの心が愛されるほどに素敵だということさ。マーチのために尽くしたいと思う――彼を好きだと思うキミになら、その気持ちがわかるんじゃあないのかな?」
「……っ!」
少女はかぁっと頬を染めると、踵を返して街の人混みに消えていった。
『必ず。必ずマーチさんを解放してみせる……覚えてなさい』と、僕にしか聞こえないような声で呟きながら。
アリアの言うように、彼女は、確かにアリアを友達だと思っていたと思う。
しかし、そんな彼女が友情よりも大きな力に動かされてしまったのだとしたら。それは、目の前が暗くなるほどの『愛』に侵されたということなのだろう。
それくらい、僕にもよくわかっているさ。
だって、一瞬でも彼女を『身代わりに』と考えた僕の内にも、その黒い炎は確かに潜んでいたのだから。
それを悟ったとき、僕は何よりもそれが恐ろしいと感じた。
命に上も下もないと、誰よりも理解していたはずの僕が、その感情故に、命に優先順位をつけようだなんて。
でも、万一そうなってしまったとき。
僕は己の行いを悔いるだろうか? それとも、笑うだろうか?
『大切なひと』を守る為に、そうしたのだと。
――『これで、よかったのだ……』と。
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