第13話 その生き様が、残すもの 後編
馬車に乗って郊外へ出て、そこから徒歩で森へ入る。
ひと気のない森。だが、メイソンさんはあれから僕を再び狙うことはなかった。
(家族、か……)
メイソンさんはマフィアのボス。だとしたら、所謂ファミリーというやつだろうか? だが、頭であるメイソンさんが逮捕され、処刑を命じられたのだ。ひょっとするとその家族というものは、もう――
心苦しい思いに口数を減らしていると、メイソンさんは不意に滝の裏から洞窟へ入る。長くて暗い道を抜けた先は向こう側の森に繋がっていて、開けた場所に、一軒の屋敷があった。
「ここだ」
「…………」
なんというか、いかにもそれらしいマフィアのアジト。だが、ここがそうだと知っていなければ、ただのうらびれた貴族の別荘に見えなくもない。敷地の看板には『別邸』の文字があり、そういう風に装っているのだろうということがわかった。だが――
(人の気配が、あまりにも……)
隣を見ると、メイソンさんも同様に、その静けさに伏し目がちな表情をしていた。
「とにかく。せっかく来たのですから、入ってみませんか?」
僕は中から血の匂いがしないことを確認すると、ドアの前で佇むメイソンさんに声をかける。
――ギィィ……
蝶番が軋んで、静まり返った屋敷が木漏れ日に照らされる。
「まぁ……薄々そんな気はしてたんだけどよ……」
人のいない屋敷を、寂しそうに、どこか懐かしそうに歩くメイソンさん。
「やはり、ここは……」
「ああ。俺と
「…………」
「あーあ! やっぱ
メイソンさんは埃だらけのソファにドカッと腰を下ろすと、大袈裟にため息を吐いた。
「あいつら、達者でやってればいいが……内輪揉めとか、それだけは勘弁してくれよ? ――つっても、俺はそもそも幹部の裏切りであんたの元に送られたわけで。それも無理な話か……」
遠い眼差しで過去を語るメイソンさん。そこには『死』への恐怖など微塵もなく、ただただ、今を生きる者への未練と後悔、そして、その行き先を心配する少しの懺悔がうつっていた。
「なぁ、センセー?」
「?」
「俺は……あいつらに何かを、残せたかなぁ? マフィアの頭取として、他の組に潰されねぇようにって、若造ながらにここまで突っ走ってきたが、前ばっかり見てたせいで、後ろの奴のこと、なんにも見れてなかったんだ。だから、裏切った奴のことを恨めば気が済むかって言われれば、それもなんか違うっていうか……」
「メイソンさん……」
「あんたに会って、気がついた。誰かの前に立てばそれで全てを守れるわけじゃないんだって。俺達みたいな罪人の言葉に耳を傾けて、隣でそれを聞いてくれる。一緒に考えてくれる。そんな……あんたみたいな人に、なれればよかったのにな……」
「僕は、そんな大層なものでは……」
言い淀んでいると、メイソンさんは再びソファに深く沈む。
「俺は、ただあいつらとここで笑って暮らせていればよかったんだ。だから、他の組とかどうとか、そんなのは放っておけばよかったのに。わかってなかった。わからなかったんだよ……って。今更こんな話されても、カタギのセンセーにはわからねぇよな! すまねぇ! すまねぇ、な……」
その言葉は、おそらく僕に向けられたものではないのだろう。メイソンさんは、それをまるで亡霊のように繰り返す。
「あーあ! せっかくここまで来たのに、無駄足だったか! 悪いな、センセー。帰ろうぜ?」
「いいのですか? 『刻限』までは数日あります。また明日にでも、再び――」
「やめとけ、やめとけ! 俺に構ってる暇があったら、嬢ちゃんとピクニックにでも――」
そう言ってメイソンさんが立ち上がったとき。不意に暖炉の奥が隠し扉のように開いて十歳くらいの少年が姿を現した。震える手には銀の小銃を持っているが、あの構えでは到底的には当たらないだろう。
「お前たち! ここで何して――!」
「……!」
みるみるうちに大きく見開かれる、よく似たふたつの瞳。金髪の利発そうな少年は、信じられないようにおずおずと口を開く。
「……ボス?」
「マット、お前……生きてたのか?」
ふらふらと立ち上がり、少年に近づくメイソンさん。
少年は大きな瞳を潤ませていたが、ハッとしたように僕に銃口を向けた。
「お前! どうしてここにいる! ボスに何をした!!」
少年の視線はメイソンさんの身体についた無数の傷痕に向けられていた。僕の元に搬送されて来るまでに受けたであろう尋問の痕や、僕がつけた数々の――
(何を、と言われても……)
「懲罰を……少々?」
「てめぇっ!!」
「やめろマット! この人は俺の恩人だ!!」
「!?」
わけがわからないといったように混乱する少年を、メイソンさんは抱き締めた。
「あぁ、よかった……生きてたんだなぁ……よかった。よかったよぉ……!」
「!?」
これまでの、ボスとしての風格溢れる彼からは想像もできないような、か細い声。動揺して動けないままの少年の肩をぎゅうっと抱いて、それは本当に救われたような声だった。これまた、『どうしちゃったんだ!?』というように仰天する少年。
すると、暖炉の裏から声を聞きつけた幼い少女がてけてけと姿をあらわす。
「お兄ちゃん、何かあっ……パパ!! パパだ!」
「こらっ、エミリ! 危ないから出てくるなって言って――!」
「パパぁ!」
エミリと呼ばれた少女は少年の言うことを聞かずにメイソンさんに駆け寄った。その小さい体を宝物のように抱き締めるメイソンさん。
「エミリ! あぁ、エミリ!」
「パパだ! 本物のパパだぁ!」
その手からひらりと零れ落ちたのは、一枚の紙。そこにはメイソンさんの似顔絵と思しきものが描かれていた。素人目には似ても似つかない、でも、メイソンさんを知る人ならばわかるだろうという、想いのこもった似顔絵が。
「うわぁ! パパ、いきてた!」
「あぁ、生きてるよ。お前らも、こんなボロ屋敷でずっと、待っててくれたのか?」
「当たり前だろ……! だって、ボスは、俺達の……!」
「わかってる。わかってるよ、マット。でも、こんなときくらいそんな呼び方しないでくれよ? もう、組のみんなは誰もいないんだから……」
「うっ……オヤジ……! ごめん……ごめん! 俺が不甲斐ないから、他の奴らはみんな出ていっちまって……!」
想いが溢れだし、ぽろぽろと泣き出す少年をメイソンさんは優しく包み込む。
「いいんだ。お前らが生きてさえいてくれれば、それでいいんだよ……心配かけたなぁ、マット?」
「うっ……うわぁあああん……!」
「わぁあああん……!」
つられるように泣きだす兄妹をそっと優しく抱きしめると、メイソンさんはふたりの頭を撫でる。そして、名残を惜しむように立ち上がった。
「……ごめんな?」
「「?」」
「俺ぁ、もう帰らねぇと」
「え?」
「迷惑かけてすまねぇなぁ? 約束なんだよ、センセーとの」
そう言って僕を振り返るメイソンさんは、これまでに見たどんなものよりも晴れやかな表情だ。力強く少年の両肩を掴むと、ふたりの子どもと目を合わせた。
「俺は、もうすぐいなくなる。だから、最期のお願い……聞いてくれるか?」
首を傾げるふたりに、父親はそっと告げた。
「……生きろ。何がなんでも、幸せに」
「「!?」」
「もう、それだけでいい。組のことなんて考えないで、ふたりでまっとうな人生を送るんだ」
「でも……! 俺はオヤジの息子で……!」
メイソンさんはその方を再び強く抱く。
「悪かったな……マフィアの子になんかに生まれさせちまって。ほんとうに、悪かった……子どもは親を選べねぇから……」
「そんな、こと……!」
「もし足を洗えるってんなら、お前……騎士になれ。騎士みたいな、立派なやつに。てめぇの大事な人を守って死んでいった。あいつぁほんとうに、かっこよかったよ……」
(そうか。メイソンさんはシルハルトさんが収容されたときには既にいたな……)
見て、いたのか。彼の生き様を……
『本当に、彼は多くのものを残してくれた』。
そう口を挟みたくなるのを我慢して、穏やかに微笑むメイソンさんを見守る。
「あと、もうひとつだけ謝らせてくれ。お前らの母さんなぁ……檻の中にはいなかった」
「「!?」」
「もうこれ以外はわからねぇっていうから、敢えて取っ捕まったのに。アテが外れて悪かったなぁ?」
「でも! じゃあ、もう一回出てくれば……! 一緒に母さんを探そうよ! そうしたら、また家族で……!」
「……それはできねぇ」
「どうして!?」
「俺じゃあセンセーには敵わねぇ。センセーは、本気を出したらきっと俺より強いだろうし、俺が罪を犯した罪人だっていうのも事実。だからこそ、他の死んでいった奴らのためにも、いざとなったら刺し違えてでも俺を殺すだろう」
(…………)
「どんな理由があれ、人は平等。だから、俺だけ贔屓されて生き残るわけにはいかねぇんだ。わかって、くれるか?」
「わから、ねぇよ……!」
「ばぁか。そんな顔すんなって? いくらマフィアの子どもでも、世間様にバカにされねぇようにって、賢く育てたつもりなんだけどな?」
「そんなんじゃ……!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、メイソンさんはガシガシと拭う。その手は大きくて、あたたかくて。少年の顔はますますぐしゃぐしゃになった。
そんな様子を見て、メイソンさんは僕を振り返る。
「センセー。こんな俺に機会を与えてくれるなんて……ありがとう」
「いいえ。僕は、
「あんた、本当にお人好しだなぁ!」
にかっと笑って立ち上がると、メイソンさんは子どもたちの頭をぽすんと叩いた。
「じゃ、もう行くわ」
「待って……!」
「なぁに、金のことなら気にするな。あそこに全部置いてある。けど、俺が帰ってこなくても……お前が
「……!!」
「あとのこと、頼んだぜ? お前は俺の……自慢の息子なんだから」
『行こう』と合図して、何か言いたげな少年を残してメイソンさんは歩き始めた。もと来た道を辿って、収容施設へまっすぐ向かっていく。
「パパぁ……」
「……オヤジ!!」
「ダメだ。お前らはこっちに来たらダメだ。俺みたいに、なるんじゃねぇぞ?」
その背に、少年が声をかける。
「俺は……俺は! たとえ何て言われても、オヤジみたいになるよ!」
「…………」
「だって、オヤジは……! 騎士にも負けないくらいにカッコいいんだから!!」
「…………」
その声に、メイソンさんは一度だけ振り返り、最期の笑顔を向けた。
「……百歩。百歩譲って生き様だけは真似してもいい」
「?」
「だって、明日にゃあ死ぬかもしれないってのに。俺ぁ今……サイコーに清々しいからな。お前も……そんな男になれよ?」
「……ああ!」
フッと笑ったその父親は、子どもたちの姿が見えなくなるまで涙を流すことはなかった。
◇
メイソンさんが『刻限』を迎えた日。僕は『最期まで一緒がいい』と別れ際に娘さんから貰った似顔絵を預かった。
「センセー、何から何までありがとよ?」
「いいえ。僕はただ、あなたが迷っているように見えたので」
「そりゃあ、まぁ……死の間際に迷わない人間なんて――あぁ、いたな。結構いたわ。
「皆、それぞれの想いを抱えた、素晴らしい方々です」
「そうだな。命に上も下もねぇ。ここでは貴族も平民も、等しく終わりを待つ命だ」
「…………」
なんとも言えない心地の僕を、メイソンさんは心配そうに覗き込む。
「なぁ、センセー? あんたもなんか……くすぶってるみてぇだが?」
「え?」
「最期の最期で俺に何がしてやれるってわけでもねーけどよ。その……なんだ。俺はガサツだから、あんたが何を考えてるかはわからねぇ。けど、後悔だけはすんなよ? あんたが、俺にそうしてくれたみたいに」
「……!」
(この期に及んで、僕の心配なんて……)
僕の持つ、断頭台の刃を下ろす手が止まる。
メイソンさんはその手を一気に引き下ろした。
まるで、歌劇の幕を下ろすかのように。
「あぁ、サイコーの終わりだ。この景色、あんたも見れるように……祈ってるよ」
「……ッ! メイソンさん……ありがとう、ございました……」
潔く、爽やかな最期をくれた彼。
その姿は誰よりも力強く、誇り高く、そして優しく――
一緒に眠る似顔絵のように、最高の笑顔を咲かせて散ったのだった。
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