第8話 処刑人の罪滅ぼし 後編
ある晴れた冬の日。私は複雑な想いで馬車に揺られていました。
行先はとある遠方の田舎町。隣では先生がナイフのお手入れをしています。
先生は、手先が細くて長くて、とっても綺麗。
(先生……私のこと、助けてくれた……)
怪しいおじさんが私を『結婚したがっている主の元へ連れて行く』と言ったときは驚きました。まさか私に、そんなおとぎ話みたいな話が訪れるなんて。
でも、すっごくイヤでした。
だって……
先生に視線を向けていると、二コリ、と目が合います。
「どうしたの? アリア?」
「いえ、その……あの……」
「今日は怖い思いをさせてごめんね? いくらキミを守る為とはいえ、目の前で人を切りつけるなんて。いくら手術の手伝いでそれなりに慣れているとはいえ、刺激が強かっただろう? 気分は悪くない?」
「いえ! だ、大丈夫ですっ!」
その優しい笑みに思わず声を裏返らせていると、先生は寂しそうな顔をした。
「僕が……怖いかい?」
「え?」
「どんな人でも平気で刺せる、処刑人の僕が……」
その言葉は、全く想定外のもの。私は勢いよく立ち上がる。
「そんなこと、これっぽっちも! これっっっっぽっちも! 思ってません!」
「じゃあ、どうしていつものような元気がないの?」
「それは、その……急に結婚なんて話、驚いたから……」
恥ずかしくて俯いたままそう言うと、先生は驚いたように目を丸くして、いつもより少し大きめな声で笑い出しました。
「な――なんだ、そんなことか! あはは! そうだね、アリアも年頃だからね!」
「わ、笑わないでください! 私、真剣なんですよ!?」
「あはは……ごめんごめん。キミがあまりにも肝が据わっているから、驚いて。拍子抜けだよ。いやぁ、まいったな……」
むぅ……
私が頬を膨らませていると、先生はさっきまでとは違う笑みを浮かべます。
「それにしても、結婚かぁ……アリアはきっと、素敵なお嫁さんになるんだろうね?」
「それは……」
先生が望むなら、どんな人にでも……
「お料理も上手だし、このサンドイッチも絶品だ。あ。たまごサンド入ってる。これ好きだなぁ……」
「遠慮せずに、どんどん食べてください!」
先生がお好きだから、沢山入れたんですよ? 毎日でも喜んで作りますよ?
「結婚式には、呼んでくれるかな? 処刑人だっていうのは内緒で行くからさ? 身内席の端っこに……ふふ、アリアの花嫁姿、見たいなぁ……!」
珍しくわくわくと顔をほころばせる先生。
その表情に、私はキレそうです。
そもそも処刑人は立派なお仕事で、縁起の悪いものでもなんでもないし。
もっと胸を張ってください。
それに、身内席の端っこ? 何言ってるんですか?
私、結婚式のときは……
――先生に、隣にいて欲しいのに……
むぅ……
せっかく先生と一緒にお出かけしてるのに。膨れっ面が直りません。
(どうして? どうしてわからないのかなぁ? もっとぐいぐい行った方がいいの?)
でも、あんまりやり過ぎると意識されて避けられて、『寂しいから』って言い訳で一緒に眠ってくれなくなりそうで。それはそれでヤだな……
相変わらず、自分のワガママさにはびっくりだ。
そんなことを考えて悶々としているうちに、馬車は目的地へ着きました。
「わぁ……!」
村の中は見渡す限り、羊、羊、羊。もこもこめぇめぇしてて……!
「すっごく可愛いですね!」
「ふふっ。アリアは羊を見るのは初めてかい?」
「はい! 本物は初めてです! わぁあ……!」
「勝手に触ってはいけないよ? 牧場主さんに怒られてしまうから。さ、目的の家は奥の民家だ。行こう」
「はい……!」
私は先生の後についてこじんまりとした民家の前にやってきた。
トントン。
「ごめんください。アッシュさんの娘さん、コーラルさんはいらっしゃいますか?」
「…………」
トントン。
「コーラルお嬢さん? お父さんから手紙とお薬を預かっています。開けてくれませんか?」
先生の問いかけに、扉がギィィ……と開く。
すっごく細い隙間から覗き込む、蒼い瞳に金髪を垂らしたの女の子。歳は私より三つ下くらいかしら? 先生は目線を合わせて微笑みかけます。
「こんにちは。コーラルちゃん?」
「……だれ?」
「わけあってお父さんから頼まれてね。お届け物だよ? 僕は医者だから、できればキミの病気の具合を診察したいのだけれど……おウチに入れてはもらえないだろうか?」
「…………」
コーラルちゃんはおずおずと扉を開いて私達を部屋に通す。
家の中には、小さなダイニングテーブルと椅子が三脚。キッチンには洗い物がまだ少し残っているけれど、そこまで汚れてはいません。お父さんがいない間、ひとりで一生懸命生活していたのが伝わり、思わず涙が零れそうになる。
隣を見上げると、先生も寂しそうな悲しそうな、なんともいえない表情。
(やっぱり……言い出すのは辛いですよね……)
コーラルちゃんのお父さんが先日処刑の『刻限』を迎えたのを、私は知っています。
先生は今日、それを告げなければなりません。
(処刑人のお仕事がこんなに悲しいものだったなんて……)
思わず言葉が出せないままでいると、先生はポケットから手紙とペンダントを取り出し、コーラルちゃんに手渡す。
「コーラルちゃん。これ、お父さんから……」
『お父さんから』の一言に目がぱぁっと輝くその様子に、胸が締め付けられる。
そわそわとそれを受け取り、手紙に目を通すコーラルちゃん。その蒼く透き通った瞳が、揺らめく湖面のように悲しみを映し、凍りついて行きます。
「おとう、さん……」
「「…………」」
「うそ……」
ぽつりと呟いたコーラルちゃんは、私と先生に目を向けました。
「おとうさん、死んじゃったの……?」
その問いに、こくりと頷く先生。ゆっくりと、諭すように口を開く。
「お父さんは罪を犯し、捕まって、処刑人の元に送られた。そして、処刑人によって殺されました」
「……!」
「僕がその、処刑人です。僕が、あなたのお父さんを……殺しました」
その瞬間。コーラルちゃんの目に火が灯る。
形見のペンダントをぎゅうっと握りしめ、まっすぐに先生を見据えた。
「なんで……?」
「僕が、処刑人だからです。この世の罪は、等しく罰せられねばならない。そうでないと、同じ悲しみを抱く人間が後を絶たなくなってしまうから」
「――っ! うそだっ!」
「「…………」」
「うそだうそだうそだっ! おとうさんが悪いことをして捕まったなんて……! こんな手紙……! うそだッ――!!」
コーラルちゃんは手にしていた手紙を握りつぶすと、走って部屋の奥に消えていった。
「先生……」
「仕方ないよ。あの子はまだ幼い。現実を受け入れられないのも無理はないさ。ただ、幼いが故に、僕らはどうしたら彼女の悲しみに寄り添ってあげることができるのか……僕にもわからない……」
先生は投げ捨てられた手紙を拾って丁寧にしわを伸ばしていく。
その、泣き出しそうな眼差しと、撫でるようなやさしい手の動きに、私の胸はきゅうっと苦しくなった。
もどかしい。
こんなときに先生にどんな言葉をかけたらいいのかわからないのが、もどかしい。
(私は……なんて未熟な――)
シン、としたまま動けないでいると、奥からバタバタと足音が聞こえてくる。
「コーラルちゃん……?」
不思議に思って視線を向けると、小さな影が先生を目指してまっすぐに飛び込んできた。
「……!」
「ううう……!」
――ザシュ……
(え――)
耳にしたイヤな音に、思考が停止する。
「うっ……! アリ、ア……」
振り返った先生がコーラルちゃんを抱きとめたまま、何かを呟く。
「――――――」
「……!?」
わからない。何が起こったのか全然わからない。
けど、心臓がすごくイヤな音を立てていることだけはわかる。
先生は僅かに微笑むと、ぐらりと倒れた。
「せ、先生……?」
「はぁ……はぁ……おとうさんの、仇……!」
「先生っ!!」
駆け寄ると、鼻の奥まで鉄さびの匂いが駆け抜ける。
ぬらりと光る赤黒いものが、床を埋め尽くしていって……
「先生っ! いや! 先生ぇえええ――ッ!!」
「…………」
「先生っ! どうして! どうして!?」
見上げると、血濡れたナイフを手にしたコーラルちゃんが呆然としたまま突っ立っていた。ただただ苦しそうに呼吸を荒げたまま、床に伏した先生を凍った瞳で見つめている。
その様子はまるで、抜け殻。
自分でやってしまったことに、気持ちが追いついていないようだ。
「……ッ! あなたよくも……! 先生を……!」
私の中に、怒りが満ちる。
さっきまで、この子のことをどうやったら元気づけられるのか考えていた、あたたかい気持ちが嘘のように飛んでいき、どんどん冷たくなっていく。
掴みかかろうと足に力を込めると、不意に傍らでぴくりと動く気配。
「…………」
「先生……まだ、生きて……!」
すごく浅いけど、呼吸がまだある……!
そのことに、心臓が再び跳ね上がる。
「……ッ!」
私はすぐに急患用の医療セットを広げた。
(なんとかしなきゃ……! 私がなんとかしなきゃ……!!)
「うっ……! 重、い……!」
鉛のようなその重さに驚きつつも、うつ伏せからなんとか横向きの状態に身体を押して、そのまま仰向けに転がす。
「先生! 死なないで! 先生……!!」
ぼろぼろと涙がこぼれるのを強引にぬぐって、私は包帯とガーゼを取り出した。
(まずは傷口を塞いで、血を止めて……! それからそれから――!)
以前先生に教わった最低限の応急処置。私は震える指で泣きながら血を拭いた。
上着を脱がせて傷口を固く縛り、血を止める。
(落ちついて! 落ちついて私! 傷はそんなに深くない。ちゃんと止血して、足りない分を輸血してあげられれば……!)
私は注射器を取り出して、震える指を叩いて鼓舞しながら先生の腕に刺した。
心臓は、壊れそうなほどにドクドクと鳴り響いている。
(こわい! こわい……!)
もし失敗したらどうしよう? そうしたら先生は……!
(血が、止まらない……!)
「ダメ! 考えちゃダメ!」
大きな声にびくっ!と肩を震わせるコーラルちゃん。手にしたナイフを落とし、口元を抑えてふらふらと後ずさる。私は激昂した。
「逃げないで!」
「……!」
「あなたっ! 傷口をぐりぐりしたわね!? このへたくそ!!」
「……!?」
「身体を切るときはね、スパってやらなきゃ痛いのよ!」
(だからこんな……! 変に出血して……!)
先生の切り口は、いつも鮮やかだった。
思うように罪人が口を割らないとき。依頼主が拷問の様子を見に来るときがある。
そういうとき先生は、見た目ばかり派手に出血したように見せかけて、気づいたときには気を失うように。最も罪人への負担が少ない拷問を行っていた。
私は遠くから恐る恐る覗いているだけだったけど、先生はそのあと決まって、『意識を失ってしまっては、僕にもこれ以上は……』とさも困ったように両手をあげるのだ。そうして、罪人の意識が無いうちに治療を施して、何事も無かったかのように牢での生活を送らせる。できるだけ、痛みから遠ざけるように。
「うっ……先生……死なないで……死なないで……!」
血が、止まらない。輸血する分がもう無くなりそう。
私は採血用の注射器を自分の腕に刺した。
「いたっ……!」
でも、こんな痛み、先生に比べれば……!
片方の腕で採血をするのは大変だった。針を指しているところを抑えて、もう片方で吸引しないといけないのに、片腕だから思うように引き抜けない。
「あなたっ! ぼさっとしてるくらいなら助けてよ! ここ! 抑えてて!!」
「!?」
「いいから早く! お願いだから!!」
ぼろぼろと泣きながら怒る私に気圧されたのか、コーラルちゃんは訳も分からないまま針を抑えた。
「くっ……! ううっ……!」
私は血を抜いて、新しく輸血させていく。
「はぁ……はぁ……!」
(先生! 先生! 目を覚まして……!)
「私……! このあとどうすればいいのかわからない! 知らないんです! 教えてください、先生! いつもみたいに!! 目を覚まして! お願い! 目を覚まして!!」
「ふっ……ううっ……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」
気がつくと、隣でコーラルちゃんも泣いていた。
ふたりして先生の手をぎゅうっと握る。
『目を開けて』と、ありったけの想いを込めながら。
「…………」
「……!」
手が、ぴくりと動いた。
「あ……アリ、ア……」
「先生!!」
呼びかけると、先生は目を細めて僅かに微笑んだ。
「言うこと、聞いてくれたんだね……?」
「え?」
「僕、言っただろう? 倒れる直前に。『怒らないで』って……」
「「……!!」」
(そっか……冷静になれってことだったのね……)
本当は聞こえてなかったけど、先生の言った通りに行動できた自分が心の底から誇らしい。
その言葉に、コーラルちゃんが涙を流す。
「どうして……? どうして怒らないの? 私、刺しちゃったのに……」
(あ。『怒らないで』って、そういう……)
先生なら、いかにも考えそうなことだ。
私が密かに納得していると、先生は浅い呼吸をしっかり保ちながら語りかけた。
「僕は……コーラルちゃん。キミになら殺されてもよかった。だから、刃を受け入れて、それでキミの気が済むのならと、そう思ったんだよ。だって、キミのお父さんに頼まれたからね?」
「「……!?」」
「お父さんは最期まで、キミのことを心配していた。そして、ボクに頼んだんだ。『どうか、少しでもいいから、娘を幸せにしてやってくれないか?』って……それが、お父さんの最期の望みだった」
「!!」
「こんなこと、僕が言えた義理ではないけれど……どうか、笑ってください。その為なら、僕は刺されても殺されても構わない。ただ、願わくば……殺すのは君の病気を治した後にしてはくれないかな? そうでなければ、キミを想って最期を迎えたお父さんに、僕は顔向けできないから……」
「うっ……おとうさん、おとうさん……! うわぁぁあああ……!」
先生の笑みに、堰を切ったように泣きだすコーラルちゃん。
私達は、その悲しみに寄り添い、ひっそりと、穏やかに。
胸の内にあたたかさを取り戻すのでした。
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