第5話 旦那さんの最期のお願い
別棟地下の収容施設。僕はあるひとつの部屋を訪れた。
送られてきた者が等しく刑期を持つ中で、この部屋にいる者だけは唯一、『刑期を持たない罪人』だった。
僕は中にいる人物に声を掛ける。
「お加減はいかがですか?アランさん」
「ああ、先生。おかげさまでこのとおり。まだ生きておりますよ」
「あなたはまた、そんな投げやりな言い方を……」
アランさんは、窃盗と殺人、暴行の罪で摘発され、僕の所に送られてきたお年寄りの罪人だ。だが、誰に恨まれているわけではないので、刑期というものが存在しない。それは何故か。
彼が殺したのは――
「……1年ですか。私が、あなたの元の送られてきてから」
「はい。そろそろ二年になります」
「先生?どうして私を処刑してくれないのですか?」
アランさんは、少し伸びた白髪を搔き分け、不満げな瞳を覗かせる。
「だって……」
できれば、殺したくないからだ。
『死を望まれていない人間』を殺して、何になる。
処刑とは、その罪の断罪を望む者がいて、初めて成り立つんだから。
(かといって……)
アランさんは、『生きること』を誰に望まれているわけでもない。
彼の瞳は、そのことを訴えている。
「もう、いいでしょう。妻を殺した私に、思い残すことなんて無い。ひと思いに処刑してください。このままいつまでも先生の穀潰しになるのも後ろめたいのです」
「アラン、さん……」
「どうか、憐れな老人の最期のわがままを、聞いてはいただけませんか?」
ゆるりと口元を綻ばせたアランさん。
「……わかりました。準備をしましょう」
「ありがとうございます」
「では最期に……あなたの望みを聞かせてください」
◇
ある晴れた、風のない穏やかな日。
先生と私はある郊外の墓地にやってきていました。
先日買ったお花を供える為です。
今日は、そのお墓に眠る奥さんの旦那さんも一緒です。
アランさん。
地下収容施設で一番お歳を召した方だとは聞いていたけれど、私は最近任され始めた処刑人の助手としてのお仕事(罪人の方に食事を運ぶお仕事です)の際に数回お話した程度。いつも優しくて……ご飯を持っていくと私に『先生とは仲良くなれましたか?』と声をかけてくれるの。
でも、私はアランさんがどんな罪を犯した人なのか知りません。
(あんな穏やかそうなお爺さんが、どうして……)
アランさんは先生から渡された花束を手に取ると、ぺこりとお辞儀をして墓前に供える。ふわふわとして綺麗な、白い薔薇。
よそ行きのタキシードに似たジャケットを羽織ったアランさんは、まるでプロポーズでもするみたいな恭しさで花を供えた。その姿が、若い頃はとってもカッコイイ方だったんじゃないかと想像を掻きたてる。
墓標に向かって何か話しかけていたようだけど、先生と私はその様子を少し離れたところから見守っているので、何と言ったのかはわかりません。
「先生……それじゃあ……」
「はい」
「?」
首を傾げていると、アランさんはジャケットを脱いで先生に預け、少し離れたところに置かれた棺桶の中に入った。身を横たえる直前、先生がアランさんに何かを手渡す。
(あれは……薬と……マッチ?)
「先生……?」
「アリア。もし耐えられないようなら、先に帰っていなさい」
「……!?」
(まさか……!)
私は思わず声を張り上げた。
「どうして!?アランさん!あなたの刑期は、まだ……!」
その言葉に、アランさんが身を起こす。
「いいんですよ、お嬢さん?」
「なんで!?いつも優しいあなたが、どうして……!?」
言葉を詰まらせていると、アランさんは穏やかに語りだす。
「お嬢さん、人は見かけによらないのです。こう見えて、私はれっきとした罪人なんですよ?」
「そんな……!」
ふわりと笑ったアランさんは、先生に視線を向ける。
「先生、少しお時間をいただいても?」
「どうぞ。あなたが望むのなら、いくらでも」
「……ありがとうございます。ねぇ、お嬢さん?お年寄りの昔話を、聞いてくれますか?」
「昔、話……?」
「罪の告白、と言った方がいいかもしれません。私はね、盗みと、殺人を犯したんですよ」
「え……」
(殺人……!?あの、優しいアランさんが!?)
「殺したのは、私の妻です」
「……っ!?」
「私の妻は、長きにわたり病に臥せっていました。老後の為にふたりで使おう、と蓄えていたお金の殆どは薬代に消え、私と妻はいつもお腹を空かせていました。けど、せめて結婚記念日くらいはと思い、魔が差してしまったのです。花屋さんで、花束を少し。持ち帰ってしまいました」
「…………」
「妻はすぐに気が付きました。『こんなものを買うお金はうちに無いはずだ』『すぐに返してきなさい』と、激しく私を責め立てました。私は、言われた通りに花束を花屋に返した。きちんと謝って理由を話したら、花屋の店主はその花束を私に譲ってくれた」
「それは――」
『よかったですね』と言いかけて、私は言葉を止めた。
じゃあ、どうしてアランさんは奥さんを殺したなんて言ったのか。
たった今まで忘れていた事実を、思い出してしまったからだ。
「私は、意気揚々と花束を持って妻の待つ家へと帰りました。ですが……帰ったら、家は炎に包まれていたのです」
「え……?」
「焦るあまり、私はスープの残りを火にかけていたことを忘れていた。妻は病気で足が悪く、思うようには歩けない身体でした。私が気を付けなければいけなかった。私はすぐに燃え盛る家に飛び込もうとした。ですが、近隣の住人に止められて、錯乱した私は彼らを殴りつけたのです。無遠慮に、わけのわからない罵声を発しながら」
「そん、な……」
あまりに悲しい過去に、言葉を失う。
だって、その話が本当なら、アランさんは何も悪くない!
隣で黙って耳を傾けていた先生も悲しげに目を伏せるばかりで、淡々と語るアランさんに声をかけられないようだった。
私達の気持ちを知ってか知らずか、アランさんは穏やかに語りかけました。
「そうして、私はここにいる。そして今日、ようやく妻の元へ行くことができるのです。私は先生と出会い、獄中にいる長い間、ずっとそのことばかりを考えていました。あれはきっと、盗みを犯した私へ神罰が下ったのだと。ですが、私は神に罰されはしたが、人には救われました。それは、花束を譲ってくれた花屋の店主然り、こんな私の最期の望みを叶えてくださる先生然り。そして……話を聞いてくれた、あなたです」
「わたし……?」
アランさんは、にこりと微笑む。
「はい。これは、こんな時世に長生きをしてしまった私から、未来を生きるあなたへの願い。どうか、あなたのように純真な少女だけは……どうか、まっすぐに生きて欲しい。私が犯したような、まがったことをして欲しくはない」
「アランさんは!決して曲がったことなんてしてないです!ただ、ただ奥さんが大好きだっただけで……!」
「ええ。ですから、もう逝かせてください。早く妻に謝りたい。仲直りを、したいのです」
そう言うと、アランさんは白い花で埋め尽くされた棺桶に身を横たえた。先生はそっと声を掛ける。
「いくら奥様と同じ方法で死を迎えたいとはいっても、身が焼ける苦しみは生半可なものではありません。渡した薬で眠ってください」
「お心遣いありがとうございます。もしもの時は使わせていただきます。先生、今までありがとうございました」
「こちらこそ、あなたから聞くお話にはいつも励まされていました。処刑人である私になんの偏見もなく接してくださり、ありがとうございました」
「そんなことはありませんよ。先生、見ている人は見ています。あなたの優しさを知る人間は、私だけでは無い」
私がかける言葉を見つけられないまま、アランさんは棺桶の花に火を付けました。
先生はそれを見届けるとそっと棺桶を閉じる。そして、呆然とする私に声をかけた。
「アリア?祈ってくれるかい?アランさんが、天国で奥さんと仲直りできますように、って」
「……はい」
「キミはほんとうに優秀な助手だね?じゃあ、これを――」
先生が私に手渡したのは、籠いっぱいの白いお花。
「これは?」
「アランさんからの、最期のお願い。奥さんに、結婚式で見たような花の雨をお土産に持っていきたいんだって」
「素敵な、人ですね……ぐすっ……」
「アリアにも、いつかそんな素敵な旦那さんが見つかるといいね?」
「ぐすっ……」
先生は……やっぱりなんにもわかってません。
「ほら、思いきり投げて?空いっぱいに、花が広がるくらいに」
「はい……はいっ……!」
やけくそみたいに、私はフラワーシャワーを空に撒きました。
◇
後日。私が患者さんのシーツを取り換えていると先生がひょっこりと顔を覗かせる。
「アリア。ちょっと」
ちょいちょいと手招きする仕草がなんだかお茶目で可愛いなんて、恥ずかしくって言えません。そんなことを悶々と考えていると、先生は私に小さな包みを見せました。
「ちょっと、付き合って欲しいところがあって」
「どこですか?」
……どこまででも、ついて行きますけど……
連れてこられたのは、アランさんと奥さんが眠る墓地でした。
先生は手が汚れるのも気にせずに近くに穴を掘り始めます。
「ああっ……!先生の手が怪我したらどうするんですかっ!私がやります!」
「え。でも……女の子の手に傷をつけさせるわけには――」
そういうとこですよっ!もう!
「いいから代わってください!先生が怪我したら、うまくいく手術もうまくいかなくなっちゃいますからっ!」
「そう?」
「そうですよっ!」
私がキレ気味にげんこつ大の穴を掘り終えると、先生は包みを開けて、灰を流し入れました。白くてサラサラの……
(これは、きっと……)
アランさんだ……
「さ。こんなものかな?あとはコレを……」
「それは?」
先生がポケットから取り出したのは、また別の小さな包み。
先生はふふふ、とイタズラそうに笑うと、包みを逆さまにして中身を入れました。
「花の種さ。アランさんには、年に一度、結婚記念日に花を供えて欲しいと言われていたんだけど。きっとこれならもっと美しい花が咲くから」
私は思います。
やっぱり、先生より素敵な人なんて、この世にはいません。
手に着いた泥を拭いて、先生は立ち上がった。
「助手君に、新しい仕事を与えます。処刑人としてのお仕事です。週に一度、雨の降らなかった週はここに水やりに来ること。
なんて素敵な、お仕事でしょう。
「はいっ……!」
私は、少しだけ勇気を出してみた。
アランさんに言われた通り、自分の想いに、まっすぐに。
「ねぇ、先生?植えたお花が咲きそうになったら、先生をデートに誘ってもいいですか?」
「デート?」
「はい!またここに、花束を供えに来ましょう?ふたりで、一緒に!」
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