第4話 人を殺めた日の夜は――
夜になり、僕はベッドに横になって眠れないままでいた。
膝の上に、まだ少年の熱が残っている気がして、心がカラカラと音を立てている。その音が、いつまでも潮騒のように押し寄せて眠れないのだ。
(処刑をした日は、いつもこれだからな……)
僕は目を閉じた。目を閉じて、呼吸をゆっくり、吸って、吐く。
これを繰り返していれば、いつしか眠りに落ちるはずだった。
だが、今日はどうにも寝つきが悪い。
(本でも読むか……)
そう思って枕元のランプを付けようとしたところ、不意に寝室の扉がノックされた。
――コンコン。
「はい?」
「……先生?入っても、よろしいですか?」
「……アリア?」
『どうぞ』と声をかけると、おずおずと開かれる扉。ちょこんと覗き込んでくるのは、パジャマ姿のアリアだ。
「どうかしたのかい?」
「その……眠れ、なくて……」
その腕には、遠慮がちに枕をぎゅう、と抱えている。
(そうか。アリアも……)
僕は微笑んでベッドの端をぽすりと叩いた。
「おいで?ひとりでいるよりは、幾分マシだろう?」
「あの……いいんですか?」
「いいよ。キミが眠れないのは、僕のせいだから。何も言わずにクッキーを作らせたりして……」
そう言うと、アリアは『先生のせいじゃないです』と、首をぶんぶんと横に振りながらそっと僕の隣に身を横たえた。
僕はそっと腕枕をするようにして、アリアが寒くないように布団をかけ直す。
「……ごめんね。キミにこんな思いをさせるなんて」
「いえ!眠れないのは、寒いから……」
「ふふ、嘘が下手だ」
「う。でも、こんな……
「アリアは人の死と向き合うのは初めてだ。無理もない。僕もね?人を手にかけた日はいつも眠れないんだよ。だから、何を恥じることもない」
「先生も……?」
「うん。今日みたいな、あたたかい日は特に。彼を乗せた膝がね……あたたかい。まだあたたかい気がして、眠れないんだよ」
「…………」
返す言葉がないのか、黙ってしまったアリア。
僕はその背をそっと撫でながら眠るように促す。
声のトーンを小さめにして、心臓の鼓動と同じリズムでトントンと背を叩いた。
「アリア?今回は、どうしても必要だったからキミにあんなことを頼んでしまったけど、もし耐えられないようなら、助手は医者の方だけで――」
「――やります」
「え?」
「続けさせてください。
胸元からそっと覗くのは、思いのほか強い意志を秘めた瞳だった。
「キミはよく働いてくれている。助手は、医者の方だけでも十分に助かっているよ?」
「いえ。私は、処刑人の助手をしたいんです。罪を犯した人と向き合って、彼らの最期を大切にする……彼らのことを、先生のことを、もっと知りたい。先生の傍にいさせてください。その悲しさを……分けてください」
「アリア……?」
「先生、前に言ってましたよね?『怖い』って。私、今日その意味がわかりました。あの子は、彼を殺した私達のことをきっと恨んでいないと思います。わかっているけど、やっぱり寂しくて、悲しくて……心に穴が空いちゃったみたいなんです。こんなのをずっとひとりで続けていたら……いつか壊れてしまいそう」
「だから、キミは無理しなくても――」
「でも、ふたりなら幾分マシです」
アリアはもう一度僕を見上げると、顔を赤くしながらぎゅぅ、と全身で抱き着いてきた。恥ずかしいのを我慢するように。それでいて、赤子を抱き締める母のような慈愛を込めて。
「……先生。彼の熱が膝から引かないのなら、私が代わりにあっためます!寂しい気持ちも悲しい気持ちも吹き飛ぶくらい、全身があったかい気持ちになれるように。苦しいくらいにぎゅ~ってしますから!」
そうして、彼女にできる精一杯の力で僕を抱き締めた。その、子どもらしい行動と子どもらしくない気遣いがなんだか可笑しくて、思わず吹き出す。
「ふふっ……くすぐったいよ、アリア?」
「まだまだ!私の力はこんなものじゃありませんから!」
ぎゅぅぅうう……
「あはは!まいった、まいった!降参だ」
気が付けば、膝から『彼』の熱は消えていた。さっきまで耳の奥でカラカラと響いていた音も、今は聞こえてこない。聞こえてくるのは、胸元でうるさいくらいに高鳴るアリアの鼓動だけだ。僕は、これ以上ないくらいに想いを込めて口を開いた。
「ありがとう、アリア……」
◇
「ありがとう、アリア……」
私を呼ぶ優しいその声に、胸の鼓動が大きく跳ねる。
シャツ越しでも感じる先生の温もり。静かな夜を湛えたような瞳に、私の姿が映っている。
今になって思えば、先生の腕の中に私が収まっているこの状況は、顔から火が出るくらいに恥ずかしいような嬉しいような状況だ。
(こ、こんなつもりで来たわけじゃあ……)
少年に薬の入ったクッキーを食べさせて処刑をしたことが気がかりで眠れなかったのは本当で。先生が私と同じように胸を痛めていたのを知って、なんとかしてあげたいと思ったのも本当。けど、これじゃあまるで先生に迫っているみたい……
(うぅ……!私ってば、なんて不謹慎なの!? でも――)
私は、先生が好きだ。
どうしようもないくらい、好きだ。
孤児として拾われた私。その出自を一度聞かれて思わず口ごもった。
その様子を見た先生は、それ以来私の身分について言及してくることは無かった。
貴族派と反貴族派が抗争を続ける今の世で、反対勢力を匿うことは自身の身を危険に晒すことになる。『得体の知れない存在』を手元に置くことは、いかに中立の立場である先生であっても危ないことの筈なのに……
先生は、優しい。
誰よりも優しくて、悲しくて……そして、たまに泣きそうな子どもみたいな目で私を見ることがある。一緒にご飯を食べているとき。他愛もない話をしているとき。お仕事の話をしているとき。
ふとした拍子にあらわれる表情とその意味を私は知らないけれど、そんな泣きそうな顔をした後、先生は決まって口元を綻ばせる。
いつか、その理由を話してくれるようになるように。私は先生に信頼される人間に、心を許される人間になりたい。そのときは、きっと……私も同じように自分のことを話せるようになれているかな?
そんなことを思いながら先生を見上げると、パッと目が合った。
にこり、と微笑む先生。
「くすぐったいよ、アリア」
「えっ!? わ、私、まだそんなにくっついてましたか?」
抱きついているのが恥ずかしくて、今はそっと身を寄せているだけなんだけど……
おずおずと見上げると、先生は可笑しそうにくすくすと笑う。
「そんなに見つめられたら、視線がくすぐったい。おかげで目が覚めてしまった」
「……!? ご、ごめんなさい!」
見つめていたのがバレバレだった!? 恥ずかしい!!
真っ赤になった顔を見られないように、慌てて胸元に顔をうずめても、心臓の音が大きいからますます恥ずかしいことになっている気がする……
「うぅ……」
先生はそんな私の好意に気が付いているのだろうか? 先生は大人の男の人だから、こんな、婦女子である私と一緒に寝るのなんて恥ずかしがる素振りもない。
「さ、アリア?目を閉じて深呼吸をしなさい。そうすれば、いつかは眠りに落ちるから。キミが眠るまで、背中をさすってあげようね?」
「…………」
むしろ完全に子ども扱いされている……
私はこんなに先生を意識しているのに。なんだか不公平だ。
悔しくなってムッとしたまま布団をかぶると、先生はその上からぽんぽんと優しく叩いてくれた。
「明日は、一緒に花でも買いに行こうか。両手いっぱいに沢山の花を。きっと気分が明るくなるよ?」
「はい。でも、お仕事はいいんですか?私、今日がお休みだったからお洗濯ものがちょっと溜まっていて……」
「いいんだよ。僕と一緒に花を買いに行くのも、助手君の大切なお仕事だ。女の子が選んだ方が、きっといいものが見つかる」
落ち込んだ私を気遣って……
「アリア。本当にありがとう。ふたりでいると、こんな日でも胸があたたかいんだね?」
「そんな!お礼を言うのは私の方で――」
先生は、慌てる私をなだめるように瞼に手を当てて、その目をスッと閉じさせた。
「おやすみ?」
「はい、おやすみなさい……」
(う……やっぱり、好きです……先生……)
そんなことを悶々と考えていると、私はいつしか眠りに落ちていた。
明日は、先生と一緒に花を買いに行く。両手いっぱいの花を。
私はそのとき、その花の使い道を想像することは無かった――
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