第2話 少年と少女の望み 前編


 僕がアリアを拾ってから数週間が過ぎた。僕はその間、処刑の助手をさせるのはまだ早いと考え、アリアには専ら医師としての仕事の手伝いをさせていた。


 アリアは、明るくてよく働く子だった。


 素性の知れない孤児を家に置くことに若干の不安はあったものの、杞憂だったようだ。だって、僕の知ってる孤児達は皆、窃盗や殺人を犯して処刑人ぼくのところに送られてくる、野犬のように獰猛な子達ばっかりだったから。

 その素直さに思わず拍子抜けしてしまう。


「先生!患者さんのタオルの取り換え終わりました!次は何をすればいいですか?」


 綺麗な金髪を揺らし、アリアが診察室に顔を出す。


「こら、アリア。診察中は大きな声を出さないでと、前にも――」


「まぁまぁ、いいじゃないですか先生。それにしても、明るくて可愛らしいお嬢さんですねぇ?」


「ええ。リンジィさんはお会いするのは初めてでしたか?彼女は最近入った助手のアリアと言いまして……」


「アリアです!このおうちで先生にお世話になっています!よろしくお願いします!」


「あらあら。私も先生には長いことお世話になってましてねぇ。足やら腰やら内臓やら、あちこち悪くてどうにも……歳ですねぇ?そろそろお爺さんのところへ行った方がいいかしら?」


「何を縁起でもないことを!リンジィさんはお歳の割に大変元気なお身体で――」


「いいんですよ、先生。もう、自分でもわかってますから。ここまで長生きできたのも、先生の治療とお薬のおかげかしらねぇ?でも、本当にいいの?お値段がこんなにお安くて……」


「構いません。僕はただ、我が一族の独自の医療技術を少しでも世間のお役に立てたいと思っているだけですので……」


 笑顔で見送ると、リンジィおばあさんは曲がった腰を更に曲げて丁寧にお辞儀をして帰っていった。その様子に、おずおずと僕を覗き込むアリア。


「とか言って。先生、お金持ちの患者さんからはそれなりにお代いただいてますよね?」


「人聞きが悪いなぁ……富の再分配をしていると言いなさい」


「ふふっ……!でも、先生のそういう優しいところ、私はいいと思います!」


 そう言って、咲くような笑みを浮かべるアリア。


 こうしてみると、彼女はとても端正な顔立ちをしていた。その素性は知れないが、ひょっとするとどこかの娼館の子だったのだろうか?だが、それにしては言葉遣いも綺麗だし、動きの所作も丁寧だった。


(まさか……没落貴族の生き残りか?)


 そんな予感が脳裏をよぎる。


 今、この国では『貴族派』と『反貴族派』が激しい抗争を繰り返していた。

 古くからの伝統と言い張りながら、横暴と贅の限りを尽くす貴族に痺れを切らした民が暴動を起こし、元より禍根の多かった低い身分の貴族と結託して各地で『貴族狩り』を行っている。


 そんな穏やかでない世の中で、僕は不吉な存在と忌み嫌われる『処刑人』でありながら『医者』であるが故に、その収入で貴族並みにいい暮らしができているという、複雑な立場に身を置いているのだった。


 だが、触らぬ神に祟りなしというように、普段であれば疎ましく思う『処刑人』という肩書も、ことこの時代においては有用だった。何せ、怖がって誰も僕の家を襲おうなんて思わないのだから。

 そして、このご時世でも安価で薬を提供する僕は、正当な医術の使い手ではないにしても腕がいいとの噂が広がり、図らずも富を築いている。


 僕は、この機会を使わない手はないと考えていた。


 昔から上級の貴族の横柄な態度を嫌っていた僕だが、皆に等しく死を与える処刑人という立場故に、『貴族派』と『反貴族派』のどちらにも属することが許されない。


 そんな僕が民に味方できることがあるとすれば、こうしてささやかに富を再分配することくらいだ。貧しいものからは多くを望まず、無償で治療を施すこともある。

 そして、高貴な身分の者からは相応の対価をいただく。

 こんなちょっとした義賊みたいな行為で僕の罪が許されるわけではないが、それでも、何もしないよりはマシだと思っていた。


 そんな僕の心中を知ってか知らずか。アリアは僕のことを『優しい先生だ』と言ってしきりに褒めるのだった。それがどこかこそばゆい。


「そういえば、アリア?例のものは作ってくれたかい?明日行くピクニックに持っていくクッキー」


「はい!一生懸命作りましたから、きっと美味しいです!先生にも、食べていただきたくて!」


 そう言うと、アリアはキッチンにパタパタと駆けていき、小さな包みを僕に手渡した。


「これ、先生用です。一番よくできたと思うのを、包んだものですが……」


「僕に?」


「はい……!」


 にこにことした、素直な好意が胸に響く。

 僕はアリアにそのことを悟られないように包みを受け取り、口を開いた。


「ありがとう。言いつけ通り、味見はしなかっただろうね?」


「はい!でも、クッキーは焼き立てが一番なのに『味見はダメ』なんて……」


「ふふ、そうしょんぼりするものじゃないよ?明日、みんなで一緒に食べよう。焼き立てがいいなら、また作ればいいんだから。この不穏なご時世に、僕らはそれができる。明日がある。そのことを神さまに感謝しないとね?」


「はい!でも、急にピクニックをしようなんて、どうしたんですか?」


「それがね、こないだ送られてきた盗人の子があまりに小さくて、たまには外で楽しいことをさせてあげたいな、なんて……ほら、地下の囚人用施設は光が差さなくて気が滅入るだろう?」


「まぁ!先生、本当にお優しいのね!」


 アリアは両手を合わせて尊敬の眼差しを僕に向けている。しかし、しばしの間を空けておずおずと口を開いた。


「でも……先生?その子も、いつか処刑してしまうのでしょう?」


「期日が来れば、ね……」


「それなのに、傷の手当てをして、ピクニックまで……あ、一緒に行くのがイヤとか、そういうことじゃないの!けど、どうしてなのかな?って……」


 不思議そうに首を傾げるアリアに、僕は諭すように返事した。


「傷の手当てをするのは、処刑するまで生きていて貰わないと困るから。だって、僕の仕事が無くなっちゃうだろう?」


「……先生?本当はそんなこと、ちっとも思っていないでしょう?」


「何?僕のことはなんでもお見通しというわけかい?さすがは優秀な助手様だ」


「そんな……!それくらい、助手じゃなくてもわかります!私だって、ただぼっーっと先生のことを眺めてるだけじゃないんだから!」


「ふふ、いつも見つめていますって?そう言われると照れちゃうな?」


「せっ、先生!!もぉ……!」


 むぅっと頬を膨らませるアリア。その動作は年相応でなんとも愛らしいが、彼女がふとしたときに僕に向ける表情とその好意は、僕をときどき困らせる。

 彼女は子供と大人の狭間の存在だ。それに、彼女は孤児とは思えないくらいに賢くて聡い子だった。

 ここで質問をはぐらかしても、逆効果かもしれない。僕は穏やかに呟く。


「僕が傷ついた罪人の手当てをするのは、だ」


「……え?」


 そう。僕はこわかった。


 罪人である彼らが、その命をなんら顧みられることなく死んでしまうのが。

 失意と無念と寂しさだけを胸に朽ちていくのが。

 そして、その目に最期に映るのが、であるということが。


「僕は彼らが、安らかな最期を迎えられることを望んでいる。だって、そうでもしないと僕ら処刑人は彼らの恨みに押しつぶされてしまうだろう」


「先生……」


「でもそれ以上に、僕は、自分が『人の命をなんとも思わない存在』になるのが怖いんだ。目の前にいる怪我人が苦しんでいるのに、『どうせ殺すから』なんて、ただ捨て置くような人間に、僕はなりたくない」


 いつそうなるかわからないと思うと、怖くて眠れないんだよ。


「だから、『痛い』と言われれば手当をするし、期日まではご飯もきちんと与える。湯浴みの為のお湯を与えて、身体も清潔にしてもらう。彼らの思い残すことが、少しでも減るようにね?」


 わずかに微笑むと、アリアはしょんぼりとうなだれてしまった。


「ごめんなさい……私、当たり前のことを忘れていたわ。いくら罪人といっても、彼らも私達と同じ、『人』だというのに……」


「わかってくれればいいんだよ?それがわかって初めて、キミは処刑人ぼくの助手になれる」


 僕はしゅん、と落ち込むその頭をそっと撫でる。

 そして、照れ臭そうに赤面し、慌て始めたアリアを元気づけるように話しかけた。


「さぁ、今日の授業はここまでだ。明日は晴れるように祈ってくれるかい?その子と三人で郊外の丘に行くからね、明日は病院もお休みだよ?今日は早く寝ること。あと、クッキーは明日食べるから、絶対に味見をしてはいけないよ?」


「はい、先生!」


 僕は、エリーを思い出させる嬉しそうなその眼差しから逃れるように立ち去った。


      ◇


 午後の診察もひと段落し、件の盗人の少年の様子を確認しようと僕は病院とは別棟の地下室を訪れた。ここは、処刑を待つ囚人を収監し、必要であれば拷問や尋問、刑罰を与える為の施設だ。

 僕が愛しいエリーを処刑したのも、ここのもう一つ下の階の処刑場。


 僕は少年の檻の前まで来るとしゃがんで目線を合わせた。


「やぁ、気分はどうだい?」


「先生……!」


 送られてきたときは目も当てられないような折檻を受けた後だった孤児の少年。

 処刑を命じてきたのは盗みに入られた屋敷の主だ。

 余程この子が憎かったのだろう、こんな小さな子相手にここまでするか?みたいな傷を負わせていたにも関わらず、『殺すと神の御許みもとに行けない』と言って、処刑人ぼくの元にこの子を送ってきた。

 彼らは基本、自らの手を汚すことはしない。だから、処刑人ぼくみたいな職業がいつまでも世に残っている上に、人を殺すのが生業の僕が人より裕福な暮らしをしているという、なんとも言えない居心地の悪さをもたらしているのだ。


 そんな苦々しい想いを胸に封じ込め、少年に語りかける。


「傷が膿んだりはしていない?夜中に熱でうなされることは?」


「ないよ!これも先生のおかげだ! へへ……なんか、ここに来る前よりちゃんと生活できてる気がする!」


「そう。それは良かった」


 今は手当ても済んで、新しい囚人服に着替えているので清潔さもそれなりに保たれていた。歳は七、八歳といったところか。

 最初は『大人』である僕に怯えて目も合わせなかった少年だが、手当をしながら毎日話しかけていたところ、随分と明るい表情をするようになったのを嬉しく思う。


 寝る場所にも食べるものにも困るような毎日。それと比べると、檻に入っていれば三食運ばれてくる今の境遇は天国みたいなものなんだろう。たとえそれが、処刑を待つ身だったとしても。

 僕はこの子が最期を迎えるまで、できるだけあたたかい光景に触れさせてあげたいと思っていた。それで僕の何が許されるというわけではないが、そうでもしなければ、孤児という身に生まれた彼があまりに報われない。

 そんな偽善を抱くぐらいには、僕は愚かな迷いを抱えた人間だった。


「ねぇ、先生?あのさ……」


 少年は、アリアが僕を『先生』と呼ぶのを見て、それを真似るくらいには僕に懐いていた。以前とは見違えるような明るい顔を向けてくる。


「明日ピクニックに連れて行ってくれるって、本当?」


「ああ、本当だよ?キミ、言ってただろう?『一度でいいから、美味しいクッキーが食べてみたい』って。せっかくなら、いい景色と綺麗な空の下で食べよう?」


「やったぁ!でも、ほんとにいいの?俺、悪いことしたから一生檻の外には出られないんじゃ……」


 少年は喜びのあまり檻にがしゃん、と手をつく。僕はその隙間からそっと手を入れて少年の頬を撫でた。


「いいよ。キミの監視者である僕が言うんだから、間違いない。ただ、出た瞬間に逃げ出そうとするのはやめてくれると助かるな?手荒な真似はしたくないからね?」


「そんなことしないよ!先生は、俺の命の恩人だから!」


「そう……」


 そう思ってくれるなんて――


「じゃあ、明日の朝また迎えに来るから、いい子にしてるんだよ?」


「うん……!先生、ありがとう!」


 なんて、なんて――

 どうして。こんな子が。


 僕は想いを飲み込んで檻を後にした。


 自室の扉を閉めて、ポケットから小さな包みを取り出す。


(アリアのクッキー……食べたかったな……)


 けど、僕はこれを食べられない。


 僕は『きっと美味しい』という、アリアの想いが込もったソレを、惜しむようにそっと捨てた。


      ◇


 翌日。アリアの祈りが神さまに届いたのだろうか。

 僕らはこれ以上ないくらいの快晴に恵まれた。


「わぁ……!風が気持ちいいですね!」


 スカートの裾と髪を抑えながら風に身を任せるアリア。

 僕は目隠しをしたままの少年の手を引いて野原までやってきた。


 街並みを一望できる郊外の丘。秋も終わりかけで花々が咲いていないのが悔やまれるが、紅く色づいた山々を望むことができるのはこの時期だけの絶景だろう。

 僕は少年をアリアに預けて敷き物を広げてから、少年の目隠しを取った。


「わぁあ!すげー!」


 久しぶりの空の蒼さと、色づいた木々に目を輝かせる少年。そのあどけない笑みに心が軋む。


(約束の刻限は、今日……)


『罪を背負った罪人は、全て等しく処刑せねばならない』


 遂に、この日が来てしまった。

 何度乗り越えても、罪人がいる限り僕は『この日』から逃れられない。


 できれば、来て欲しくなかった……


 何度そう思っても、少年が罪を犯した事実は消えない。

 僕が処刑人であるという事実も。


 そして、処刑人ぼくの使命は、『その最期をあたたかく迎えさせること』だ。


「ああ、今日はほんとうに良い天気だね……」


 今日中に、どこかのタイミングで、彼を処刑せねば――


 けど……


「先生、連れてきてくれてありがとう!」


 僕に、それが出来るのだろうか……?

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