断頭台の守り人
南川 佐久
第1話 愛しい人を手にかけた
愛しいエリー。
僕の、幼馴染。
彼女は幼い頃から愛らしい少女だった。
代々処刑人の一族である僕に、他の者に向けるのと同じ、隔てのない笑顔を向けてくれた人だった。
不吉な処刑人の家柄であるのがバレて、僕が学校を辞めた後も、彼女は度々様子を見に来てくれた。
『キャロル。今日、学校でね……』
色んなことを教えてくれた。
天気のいい日は僕の手を引いて、サンドイッチとクッキーの入った籠を手に近くの野原に赴き、一緒にピクニックをした。
シロツメクサで花の冠を作って、咲くような笑みを浮かべる姿に『お姫様みたい』と、同じように微笑んだのはいつのことだったか。
僕にとっては何よりも大切な、春の陽だまりのような思い出だ。
公爵家に見初められ、もう二度と届かない存在になってしまったが、またいつか会うことがあれば、君に好きだと伝えたかった。
想いを叶えるとかではない。ただ、伝えることができればそれでよかったんだ。
もしこの想いを告げたら、君はどんな顔をするだろうか?驚くかな?困るかな?
それとも、喜ぶかな?
それがまさか。
こんな形で再会することになるなんて。
僕は穏やかに話しかけた。
「久しぶりだね、エリー。十年ぶりくらいかな?」
「その声……キャロルなの?」
罪人として、処刑人である僕の元に送られてきた彼女。僕はそっと目隠しを取った。
大きくて、睫毛の長い綺麗な瞳。まるで自由な空の蒼さを湛えたような、そんな瞳がこちらを見つめる。
「キャロル……!」
その喜びは、安堵か懐かしさか。
「キミは昔から、本当に仕方のない子だね?」
どこかで尋問を受けてきた後なのだろうか、ぼさぼさに荒れた髪を梳かしてやると、エリーの金髪はかつての美しさを取り戻した。
エリーの罪は不義。社交界にて他の貴族に言い寄られ、公爵夫人という立場にも関わらず、不義を働いたらしい。
公爵家の恥。誰の目にも触れぬようにと、処刑を命じられた。
昔から、ちやほやされるのが大好きで、誘惑に弱いエリー。
ほんとうに、仕方のない人だ。
だからこそ、守ってあげたかったのに。
そっと微笑むと、エリーはその綺麗な瞳に悲しみを湛えた。
「あなたの元に来たということは……私、終わりなのね?」
「……うん」
助けてあげたいけれど、それは出来ない。
エリーの処刑を命じた公爵家は、僕より身分の高い貴族だ。逆らうことになれば一族郎党皆殺し。そんな時代だった。
それに、罪を背負った罪人は、全て等しく処刑せねばならない。
それが僕の一族の使命であり、誇りでもあるから。
送られてきた書状に記載されているのは、『最も辛く苦しい処刑を所望す』の文字。だとしたら、八つ裂きの刑が妥当だろう。
僕はエリーに視線を向けた。
「ねぇ、エリー?キミは、最期に僕に何を望む?」
「え……?」
「キミの望みを、叶えてあげる。だって僕は……キミのことがずっと好きだったから」
その言葉に、蒼い瞳が大きく見開かれる。
驚き、喜び、そして悲しみ……様々な色を見せたエリーは呟いた。
「ありがとう。優しいのね、キャロル」
そして、そっと僕の頬を指でなぞる。
「泣かないで、キャロル」
「泣いてなんかないよ。だって、処刑するのは僕の仕事だ。別に初めてってわけじゃない」
「でも泣いてるわ」
「そう?」
「そうよ」
困ったような笑み。あの甘えん坊のエリーが、いつからそんな顔をできるようになったのか。それとも、こどもみたいに甘えているのは僕の方なのか。
彼女の最期の望みを叶えることで、彼女を手にかける罪悪感を少しでも減らし、自分が救われようなんて。そんな考え、甘えが。僕のどこかにはまだ残っていたのかもしれない。
そんなの、処刑人失格だ。
処刑人は、すべての罪人と、民衆の正義の為に存在しているのだから。そこに個人的な感情を持ち込むなど、本来あってはならない。
エリーと僕は、幼馴染。
エリーには、今この瞬間。僕の気持ちが、なんとなくわかったのかもしれないな……
「キミには、敵わないな……」
僕は枷が付いたエリーの手を取って、地下に案内した。
「……ここは?」
「地下処刑場。キミは秘密裏に、との命令だからね」
「でも、剣も槍も、何もないわ?」
キョロキョロと辺りを見回すエリー。
そこにあるのは、木でできた奇妙な形の台だけだ。
「でも驚いたよ。てっきり凄い勢いで命乞いされると思ってたから」
そう尋ねると、エリーは屈託のない笑みを浮かべた。
「……いいの!私ね、夢を叶えたから!」
「夢?」
「そうよ!小さい頃、一緒に話してたのを覚えてない?」
懐かしい記憶に想いを馳せる。
浮かんできたのは春の草の匂いと、咲くようなキミの笑顔。
『私ね、将来はカッコイイお金持ちのお嫁さんになるの!』
『へぇ、それはいいね』
『それでね。毎日たくさん美味しいケーキを食べて、マフィンを食べて、スコーンを食べて……!』
『食べてばかりじゃないか』
『それだけじゃないわ!うんとお洒落して、たっくさん!皆から可愛いって言われたい!』
『今でも十分可愛いと思うけど……』
『もう!そう言ってくれるのは、キャロルだけよ?』
(…………)
――『僕だけじゃ、ダメ?』
そう言い出せていたら、キミは公爵家に嫁いでいかなかっただろうか。
その少しの勇気があれば。
僕はあのときの弱虫だった自分を悔いない日は無かった。
そんな想いを胸に、あの頃と変わらない笑顔を浮かべるエリーを見やる。
「キミは昔から何も変わらないね。僕はこんなに変わってしまったのに」
「そんなことないわ」
いいや。僕は変わってしまったよ。
父さんの後を継いで一族の当代になり、処刑人として多くの者を手にかけた。
彼らの嘆きを子守唄に成長し、その悲しみに少しでも寄り添えるように心がけてきたつもりだけど、それでも多くのものが手から零れ落ちてしまった気がしている。
縋るように、一族の誇りだけを胸に抱いて。
『罪を背負った罪人は、全て等しく処刑せねばならない』
そして、『その最期をあたたかく迎えさせること』。
それが、我が一族の誇り。
だから、だから……
「僕は、キミを処刑する。処刑できるように、なってしまったんだ……」
言い聞かせるように口を開くと、あろうことか、エリーは笑った。
「何も変わらないわ。キャロルは、優しいキャロルのままよ」
「え……?」
「だって、私の望みを聞いてくれたじゃない?それって、叶えようとしてくれたんでしょ?」
「それは……」
できることなら、『助けて』と言って欲しかった。
愛しいキミがそう口にすれば、僕は、誰も彼もを殺せる冷たい人間ではなくなることができたかもしれないのに。
一族の使命も誇りも投げ打って、今まで手にかけてきた人の想いも全て捨て去って、どこか遠くへ逃げ出すことができたかもしれないのに。
そんな僕を、キミは優しいと、そう言うのか……
僕は、誇りを今一度胸に抱いた。
まっすぐにエリーを見据えて問いかける。
「エリー。最期に、言い残すことは?」
促されるままに台に頭を乗せたエリーは、再び笑う。
「無いわ。だって、私は今まで十分に楽しんだもの!自由に生きて、気ままに振る舞って、沢山の人に可愛いと言われたの!そして、綺麗なままの姿で友達に見送られて死ぬ。これって、考えようによっては、ちょっと贅沢なことじゃない?」
ふふふ、とイタズラそうなエリーは、最後に、思いついたように口を開いた。
「あ。でも、ひとつだけ……」
「なに?」
「痛いのは、ヤだな?」
「……わかってるよ。公爵様には内緒だからね?」
「ふふ!内緒!」
まるで、親に内緒でクッキーをくすねて来たときみたいな顔をしている。
あの頃と何も変わらない、愛しいエリー。
「ありがとう。キャロル……」
せめて苦しみのない最期を。
「さようなら。大好きなエリー」
僕は、断頭台の刃を下ろした。
◇
僕は呆然と、血だまりの上に座り込んで首を抱えていた。
そのわずかに口角のあがった口元を見て、心臓の鼓動が落ち着きを取り戻していくの感じる。
(エリー……笑ってる。よかった……)
これで、よかったんだ。
いつもならすぐに服を着替えて、処刑の終わった身体を袋に入れて裏庭まで持っていくのだけれど、さすがに今日はそんな気になれなかった。
(少し、外の空気を吸おう……)
血塗れのまま外に出ると、裏口に面した路地にひとりの少女が座りこんでいた。
今はもう秋の終わり。寒さに震えるように布にくるまる少女は裸足で、随分と傷ついている。
(孤児か……?)
歳は十五か、十六くらいだろうか。僕より七つは下に見える。
フードに隠れた白金色の髪に、うつむきがちな瞳は翠。孤児にしてはどこか気品の漂う面差しだ。
ぼーっと見つめていると、少女が口を開いた。
「あの……お水を、くださいませんか?」
「……水?」
「ここ数日、まともなものを口にできていないのです」
血まみれの僕に動じることのない少女。その様子をどこかおかしく思いつつも、地下室から囚人用のコップに入れた水を持ってきて差し出した。
ごくっ、ごくっ、ごくっ……!
相当喉が渇いていたのか、思い切りよく飲み干す少女。空になったコップを僕に手渡すと、再び口を開いた。
「ありがとう、ございます……!」
まるで救われたような顔だ。
その陽だまりのような笑顔に、エリーが重なる。
「キミ……おうちは?」
「火事で……無くなってしまいました……」
「家族は?」
「……わかりません。私も走って逃げるのに必死で……」
「……じゃあ、うちで働くかい?」
「え?」
気がつけば、そんな言葉が出ていた。
こんな得体の知れない孤児の少女、引き取ったところで穀潰しなのは目に見えている。だが、僕にはどうしても彼女を放っておくことができなかった。
『ひとりの命を奪った分、ひとりの命を救えれば……』
処刑人であると同時に医師であった僕は、目の前にいる傷ついた患者を助けることで、救われたかったのかもしれない。
僕は目の前できょとんと目をパチクリさせる少女に手を差し伸べた。
「僕はキャロル。この街……いや、この国で処刑人と医師をしている。ちょうど人手が欲しいを思っていたところなんだよ。僕の仕事を手伝ってくれれば、あたたかいご飯と家を提供してあげよう」
「……いいんですか?……ほんとうに、いいんですか?」
差し出された手を、おずおずと握り返そうとする少女。動揺して潤むその瞳に、僕は穏やかに問いかけた。
「キミ、名前は?」
「……アリア。アリアです」
「わかった、アリア。もし望むなら、今日からキミは
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