4. 都を襲う鬼神に挑む男の絵

 清涼殿に稲妻が落ちる。

 この世の終わりと思うほどの稲光と轟音で、どこに逃げようが追いかけてくるのではという不安が膨れ上がる。

 周囲が騒がしくなる。

 天皇の無事を確かめようと侍従たちが慌てふためきながら清涼殿へ向かっていく。

 その様子を眺めながら、先程まで眺めていた絵を思い出し、あれは菅原道真公が鬼神となって平安京にやってきた絵なのだと理解した。


 簡単に補足すると、清涼殿は天皇が政務を行う場所であり、住まいである。

 そんな場所に稲妻が落ちたとあれば、そりゃあ一大事だ。

 清涼殿へ向かう途中、人が慌ただしく出入りしている場所があったのでそこが清涼殿かと思い入ってみる。

 違った。

 台盤所だった。

 ちょうど人が出払って誰も居ない。

 食事を運んでいるようだ。

 ……美味しそう。


「へぇ、鬼が出たって? 菅原道真の呪いだとは、驚きだ」

 男性の艶めく声が背後といか、真上から聞こえる。

 振り返るとすぐ後ろに偉丈夫が立っていた。

 距離が近いのに加えて背も高いので、かなり顔を上げなければならない。


 清涼殿の前で人がごった返して中に入れないため、少し離れた場所で様子を見ていたところ急に話しかけられたのだ。

「……近い」

「おっと失礼。のように可愛らしかったので、つい」

 それは比喩的な表現なのか、特定の人物を指しているのか。

 平安の世でもボクの背はかなり低いようだ。


「ここ最近都を騒がしている奇々怪々な事件の数々、菅原道真の祟りってことにしたいらしいが、そうはいかねぇ。あいつはちょっとばかし変わり者だったが、この都を愛していた。悪霊となって出てくるなんて、にわかには信じられんな」

 男はうんうんと頷きながら言う。

「随分と親しい間柄だったんですね」

「はっはっは、あいつとは都で起こった難事件を共に解決した相棒のようなものだ。ホームズとワトソン……というよりはバディものに近いイメージだが」

 うわ、この人時代背景ガン無視した発言をしたな。

 まぁいいけど。

 ここ異世界だし。


「ところであなたは一体」

「よくぞ聞いてくれた。我が名は在原業平。平安一のプレイボーイだ」

 ……また。


 え。

 いや、ちょっと待って。

 おかしいって。

 在原業平って菅原道真の20歳くらい年上のはず。

 しかもこれ道真公の死後の話だからこの人が生きているはずがない。


「何いってんの。そんな常識が通用する世界かね、ここ」

 ですよねー。


 在原業平といえば天皇の孫という立場から皇族の地位を剥奪され、没落貴族としてスタートしている。

 それが最終的に蔵人頭くろうどのとう右近衛権中将うこのえごんちゅうじょうという高い地位にまで上り詰めているのだから、女たらしというより人たらし、権謀術数にも長けていたのだろう。

 伊勢物語には彼の女性遍歴が記されているが、おそらくこんなもんじゃないだろう。

 きっと410冊は優に超えるんじゃないか。



「きゃーーーっ!!」

 後方で悲鳴が上がる。

 声の方へ向かっていくと、そこは台盤所だった。


「どうしたんだ!?」

 業平公が先人を切って中に押し入る。

 そこには女中たちが青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「一体何があったのだ」

「た、大変です! お食事が……帝に出す予定だったお食事が誰かに食べられてしまったのです!」

「な、なんだと!」

 え。

 そんなんで殺人事件でも起こったような叫び声上げる?


「帝の食事に手をつけるなどもってのほか。そのような輩は厳重に処罰せねば」

「……そこまでのこと?」

「帝は絶対であり、これは帝を冒涜するに等しい行為。よろしい、私が必ずや犯人を見つけましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 根拠のない自信はどこからくるのだろう。

 さすがプレイボーイ。


「して、何が消えたのだ?」

「ええっと、菜類は手付かずでしたが、アワビの煮付け、それに海苔の佃煮、団子が無くなっています」

「ふむ……。海苔か。ならば舌を見れば一目瞭然だ」

「舌、ですか?」

「うむ。海苔を食したのなら舌が黒くなっているはずだ。この騒ぎの最中、人目を盗んで侵入したのなら、おそらく口をすすぐ余裕もあるまい」

 そう言って業平公は舌を突き出す。

「まずはここに居る皆の身の潔白を証明するために舌を見せてもらおうか」


「――なぜ舌を出さない?」

 業平公は笑顔のまま、表情は柔らかいが目は笑っていない。

「ええっと、あなたがホームズならボクはワトソンってことで、助手が犯人なのは禁じ手かと」

「これはミステリー小説かね?」

「いいえ」

「じゃあタブーには引っかからない、そうだね」

「ええ」


「そいつが犯人だぁぁ!!」

 やばい、逃げろ!

 くそ、つい美味しそうだと思ったのが失敗だった!

 ボクは業平公や女中たちが追いかけてくる中を必死で駆けた。

 朱色の大きな門をくぐった時、ふっと体が軽くなった。



 その絵を見て、いつも疑問に思っていたことを思い出した。

 道真公の祟りと言われているが、人徳者である彼が祟りを起こすとは考えにくく、つまり道真公本人ではなく道真公排斥を快く思わなかった人々や怨霊による仕業だったのでは、と。

 もちろん道真公の亡霊が枕元に現れたなどというのが実際に起った話かどうかは別として、もっと色々と血なまぐさい真実が隠されているのではと思っている。


 まぁそんなことどうでもいいか。

「お腹すいたな。平安貴族の食事って実は味付けが薄くて美味しくないんだよね……」

 帰りにスタバにでも寄ろう。

 食事は妥協してはいけないな、うん。


 ああ、だから今日も。

 異世界には

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