3. 嵐の中を果敢に進む船の絵
嵐の夜だった。
船は波に揺られ、立つこともままならない。
天地の区別もつかないほどの悪天候を大宰府に向かって今日も往くのだ。
「やれやれ。こいつはいけないねぇ。まさしく大宰府は魔境の地ってか」
船頭のような男が遠くを眺めながら言う。
この揺れの中、しっかりと立っていられるだけでも相当の手練だ。
雷鳴轟く嵐の海。
まさしく異界への旅立ち。
もっとも異世界に近いとも言える雰囲気の絵だったが、ちょっと荒々しすぎやしませんか。
「ちっ、瀬戸内は穏やかだって聞いてたけど、荒くれ者に聞いたのが間違いだったか。奴らにとっちゃこれくらい茶飯事ってことかよ」
いや、その認識で合ってます。
この荒れ具合は日本海側でもそうそう無いはず。
「こんな潮流からはさっさとオサラバするとしようか。野郎ども、準備はいいか!」
「イエッサー!」
左右の
「面舵イッパーイ!」
船頭がそう叫びながら紐のようなものを引っ張る。
……ヒモ?
すると後方から爆音が鳴り、船は一気に加速する。
「わっはっは、どうだ俺様の船は。最新型スクリュー搭載だ!」
「なんで!?」
時代背景考えて!
たとえ異世界だとしても!
「いやぁあの学者センセは凄いぜ。こんな発明までしちまうとはな」
菅原道真を万能発明家みたいに扱うな。
そんなの平賀源内にでも任せておけ。
「……あれ。あなたは菅原道真公では、ない」
「ん? センセならあっちで寝てるぜ。船酔いがひどいとかで。やっぱお偉方は体力が無いねぇ」
あなたのせいでは。
後方でうずくまっているのが道真公だろうか。
というか、多分お付きの人も含め結構な人の顔色が悪い。
精神的にも肉体的にも限界なのだろう。
「――ああ、なんだこりゃ」
男が大声を上げる。
眼前には行く手を阻むような暗雲の壁が広がっていた。
「夜霧か? にしちゃあやけにどす黒いな」
初めて見たと言わんばかりの顔で、眉をひそめている。
迂回しようにも、その壁は終わりが見えない。
「この中を突っ切ったっていいが、何人脱落者が出るかって話だ」
「いや、流石にそれはやめて」
「とはいえ、引き返すわけにもいかず、嵐が止むのを待ってたらそれこそ船が沈んじまう。おいセンセ、何かいい方法は――って駄目か」
うん、道真公はすでに瀕死だ。
不意に霧の中で影が蠢く。
それに気づいたときにはもう事は進んでいて、金剛力士像のように筋骨隆々で巨大な怪物が霧の中から姿を現した。
「巨人だーっ!」
「化け物だーっ!」
人々は次々と声を上げ、恐怖で震え上がっていた。
「汝らに問う」
怪物は低い声で言う。
「『決して座らず、いつも先を行く、誰の前にも現れるもの』とは何ぞ?」
「な、何だ? 急に何を言っているんだ?」
「多分、ここを通りたければ問題に答えよ、ってことかと」
スフィンクスみたいだ。
でも見た目的にはミノタウロス。
「ああ? 何だっけか……誰の前にも現れるもの? 神様とか言うんじゃねぇだろうなぁ」
船頭が答える。
「否」
「ああっ、くそ。俺の頭じゃ全然答えが浮かばねぇ。おいセンセ、って駄目だったな」
振り返り、惨状を再確認して向き直す。
舌打ちしてますけど、多分あなたのせいなんですって。
「おい、誰かわかんねぇのか!」
声を荒げて他の船員にも促す。
しかし考えても答えは出ないようだ。
やがて道真公のお付きの一人が小さく呟く。
「――み、帝?」
「否」
「ああっ、駄目か!」
「『決して座らず』が間違っているぞ。むしろ帝は常に座しておろうが!」
なんとかひねり出した答えも間違っていた。
これはなぞなぞだ。
言葉のとおりに受け取る必要はない。
つまり、少しひねって考えると……。
「答えは『時間』だ」
「ああ?」
「時間はたつもので、決して座らない。いつも先を行くし、誰の前にも現れるものだし」
「――然り」
そう言って、怪物は霧の中に戻っていく。
やがて霧は晴れて、遠くに小さく陸が見える。
それは目的の九州であった。
「何だったんだ……?」
「さぁ……」
「まぁいいか、とにかく進むぞ」
「西海道だーっ!」
九州に到着する。
少し前の嵐が嘘のように空は晴れ渡り、あたり一面鄙びた景色が広がる。
船に揺られ続けて少し気分が悪い。
早く陸に降りようと足を伸ばし、ジャンプして地面に降り立つ。
そして地に足つけた瞬間――
ボクはその絵の前に立っていた。
荒々しい海を征くその船は見ているだけで頭が左右に揺さぶられる感覚に陥る。
まずいな、もう丘の上なのに。
船酔いが続いているのか、召喚酔いにでもあったのか。
早く地に足つけた暮らしをしろという暗示だろうか。
ボクだってそうしたいよ。
そんな想いを抱きながら、次は電車に揺られながら家路につくのだ。
ああ、だから今日も。
異世界には行かなかった。
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