2. 父と娘を分かつ梅の木の絵

 白梅の花言葉は「気品」。

 その清楚で凛とした佇まいに由来する。


 紅梅の花言葉は「優美」。

 白梅とは違う艶やかな美しさに由来する。


 昔は花といえば桜ではなく梅を指すほど梅の方がメジャーだった。

 そして梅全般の花言葉には「忠実」というものがある。

 これは菅原道真が大宰府に流された時、梅の花が一夜にして九州まで飛んできたという飛梅伝説に由来している。


 そしてボクが見た絵は『紅梅別離』を再現したものである。

 大宰権帥だざいのごんのそちへの左遷を命じられた菅原道真は、満足に家族と別れの挨拶も出来ぬまま京を旅立ったとされている。

 梅の木の左には娘が、その右には道真が。

 すぐそばに居るはずの二人が引き裂かれているようで、物悲しいその絵にどうしても心惹かれてしまったのだ。



「――失礼しちゃうわね。私だって好きで二人を隔絶しているわけではないのに」

 その絵の中に入り込んでしまったボクに語りかけてきたのは、であった。


「あなたは良いの? 挨拶に行かなくて」

「ええっと……」

「ああ、もしかして一緒に太宰府まで行く従者の方? うら……大変ねぇ」

「……まぁ、そんなとこ」

 気さくに話しかけてくるその声は優しく、そして気高く、何より美しかった。


「まったく、これであいつの顔を見ないで済むと思ったら清々するわ」

 え。

 凛とした清らな声は、いきなり毒づいた。


「ここの主ときたら、とんだご主人様よ。世間で言われるような品行方正で清廉潔白、頭脳明晰で立派な学者様と思ったら大間違い」

「……そうなの?」

 ボクは庭から屋敷の様子を眺めながら、その梅の木にもたれ掛かる。

 少し肌寒く、まだ梅香る季節ではないのだけれど、僅かに鼻をかすめたのは梅の匂いだった。


「そもそもあの人、私を最初に見たとき梅だってわからなかったんだから。『いやあ立派な木だ。これは桜か紅葉か。よもや柘榴ざくろ楊梅やまももであろうか。いやぁ楽しみだ』って。私は直感したわ。こいつバカだ、って」

 なんというポンコツエピソード。


「そして花を咲かせたら『なんだ、梅かぁ。菓子の木であれば毎年美味い水菓子が食べられると思ったのに』ですって! ぬか喜びさせるんじゃないって言ってたけど、自分で勝手に勘違いしただけじゃないのよ」

「……正直、それに関しては強く言えないなぁ」

 ボクも植物に関しては無知だ。

 木を見ても違いがまるでわからない。


「そのくせ春になったら人を集めて『ほら見て! この梅の花、綺麗だろう、って!』 どの口が言うのよそれ! どんだけ自慢するのよってくらい毎年毎年人を呼んで。こっちだって花が散らないように必死に繋ぎ止めてるってのに、花の気も知らないで!」

 ヒートアップしてきたのか、徐々に語気に力が入る。

 しかし怒っていると言うわけではなさそうだ。

「でも、自慢されたのは嬉しかったんじゃ?」

 ボクは彼女を見上げながら話しかける。

「そ、そりゃ悪い気はしないけど……って、そうじゃなくて。ああ、他にもあるわよ、あの人の駄目駄目話。聞きたい? というか、聞きなさい」

 視界に入る慌しい様子とは裏腹に、ボクと梅の木の間に流れる空気はのんびりとしていて、穏やかなものであった。


「いつだったか、ひどく酔っ払って帰ってきたときなんか、こともあろうにあの人ったら私に小便をかけてきたのよ。自慢の梅じゃなかったの!? ってショックだったわ。それから宮中のことをあーだのこーだの管を巻くわけ。『もっとこの国を豊かにするためには』だの『帝に礼儀を払うべし』だの私に熱く語ったってどうにもならないでしょうってのに」

 道真公は忠義に厚く、左遷された後も天皇や他の者を悪く言わず、最後まで忠節を尽くしたという話だ。


「ねぇ、なんでそんな人が大宰府になんて左遷されなきゃいけないのよ」

「……」

「人の世のことはわからないけれど。あなたに言ったって仕方ないことなのに、ねぇ」

 表情こそ見えない梅の木だが、声から憂いに満ちた顔が容易に想像できる。


 それから幼少期にはじまり、道真公の半生を見てきた梅による思い出話は尽きることなく続いた。

 相槌を打ちすぎて首が痛い。

「……ま、それも今日を限りにってやつね。はぁーあ、これでお別れか」

 変わらぬ調子で梅の木は続ける。

「ところで、この人ってまた戻ってくるのかしら。あなた、どう思う?」

「……難しい、かも」

「そう。そっかぁ。神のみぞ知るってね……ま、私には関係ないことだけど」

 神のまにまに。

 百人一首のあれも道真公の句だ。


 気がつけば屋敷の中には誰も居なかった。

 もう出発したのかもしれない。

「太宰府、ねぇ……。遠いかしら。日の沈む方よね」

「うん」

「……ん? 私に挨拶もなしに出発したの?」

「あー、もしかしたら話に夢中で気づかなかったかも。たしか最後に別れの歌を詠んでいたはずだけど。東風吹かば、えっと――」

「聞いてないんですけど!? ああもう、やっぱりもう一度あの顔に花びらぶつけてやらないと気が済まないわ! あなたも従者なら先回りして住まいの掃除でもするべきよ。ほら、行くからしっかり掴まってなさい!」

「行くってどこに」

「太宰府に決まっているでしょう!」


 そして、ロケットのように打ち上げられた梅の木は西に向かって弾道弾ミサイルのように飛んでいった。

「他の梅に浮気なんかしたら許さないんだから~~~!!!」

「ぎゃああああ!!!」

 ボクは叫び声を上げながら、薄れゆく意識の中で「ああ、これが本物のツンデレか」などと思っていた。



 はっとして再びその絵を見る。

 梅の木は二人の真ん中にあるのだが、最初に見たよりもずっと鮮やかな赤で、多く花が咲いているように思えた。

 道真公もこの梅を愛し、梅もまた主を忘れぬよう精一杯咲き乱れているのだ。


 そんな景色がボクにはあっただろうか。

 眺める景色は日々変化していく中で、変わらずそこに在るもの。

 それを探すのもまた人生なのだろう。

 ならばボクはその景色にまだ出会えていない。


 ああ、だから今日も。

 異世界には

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