1. あどけなく微笑む幼子の絵
「やあ」
ボクの前に居たのは美しい
床に座し、軒先のような場所に立ち尽くすボクと同じくらいの目線にいる。
「あなたは――」
明らかに年下なのだが、上品な振る舞いから高貴な身分だと伺い知れ、つい丁寧に話しかけてしまう。
「僕はそう、皆様ご存知の菅原道真公さ。あっ、自分で公って言っちゃったよ、てへっ」
……あん?
何だこいつ。
――ああ、もちろん心の中じゃ普段通りのボクなわけだが。
うーん、ちょっと待って。
情報過多で何から突っ込めばいいのかわからない。
明らかに女の子の格好をしたこの子が菅原道真で、しかも自分のことを道真公と言ってる。
……は?
「まあそーだよね、うん、普通の反応。そーだなぁ、今で言うところの男の娘? 女装男子? みたいな。僕ってば、玉のように可愛い子だから蝶よ花よと育てられたからね。しかもチョー賢いの。マジ神童。マジチート。異世界チートここに極まれりって感じ」
うん。
だから何言ってんだお前。
ていうか何なんだお前。
あまりにも知りすぎているだろ。
「あれじゃん。ここ平安の世だけど、異世界に迷い込んだって設定じゃん」
設定って言うな。
「で、僕、菅原道真じゃん。天才じゃん」
そこは否定しない。悔しいけど。
「知ってることだけっていうか、なんでも知ってるって言うかさ」
本物だこの人。
いや本人って意味じゃなく、ね。
「でもさ、だからと言ってその人の性根まではそう簡単には変わらないわけさ。ありとあらゆることを知っても――それこそ、己の運命とか、さ。雀百まで踊り忘れずってヤツ。おっと、僕の時代に合わせて言うと三つ子の魂百までって方かな」
残念ながらどちらの故事も道真公の時代には生まれていない。
そんなことは些末なことだ。
「己の、運命」
「そう。例えば僕が栄枯盛衰を絵に描いたような人生を歩んだとしても、いや歩むことを知っていたとしても、だからと言って今この僕が大人しくうなだれて襟を、いや姿勢を正そうってなるかと問えば、そんなことはない。すまないとも思っていないし、反省もしない」
そう言って幼い道真公は姿勢を崩す。
のけぞるように両腕を後ろ手に伸ばし床につけ、両足も前に伸ばして遊ばせる。
その姿はあどけない子供にしかみえない。
ああ、なんて強い人だ。
素直に敬服する。
己の命運を知って尚変わらず立ち振る舞うなんて、ボクには出来ないだろう。
占いみたいな曖昧なものじゃなく、はっきりと己の行く末を示されても思考行動を変えないというその意志は、ボクには持ち合わせていない。
「だからさ、なんていうか。変わらなくていいんだよ。今を変えたいって思い悩んでいるかもしれないけど、今の自分にもっと自信を持てばいいのさ」
見透かされたような言葉に何も言い返せない。
なんでも知っている。
その言葉に嘘偽りなし。
「人生の迷い子だって構わない。五里霧中なら立ち止まって、霧が晴れるのを待てばいい。待てば海路の日和あり、ってね」
「すごい……けど、そこまでズバズバ言い当てられちゃうのも、なんか怖いな」
「なに、簡単なことさ」
道真公は微笑みながら言う。
「あどけなく微笑む幼子の絵を選んだあなたはズバリ、自信がなくて悩んでいます! ってね」
……心理テストかっ!
「さて、もう頃合いかな」
「え?」
「道は示した。ならば、正しい世界で歩むのが道理ってもんだろう」
なるほど。
ふっと体が軽くなる。
本当にお別れのようだ。
「最後に金言を一つ」
「おおっ」
「――高校デビューや大学デビューって、ある意味最大級の中二病じゃね?」
いいのか別れの言葉がそんなんで。
じゃあボクからも一つ。
――男の娘と女装男子は全然別物だからっ!
再びその絵の前に立ち尽くしていた。
幼子は優しく笑いかけているみたいで、先程までのやり取りを思い出す。
なんだかくすぐったい。
ボクはそれに微笑返し、軽く頷き背を向け去っていく。
自分自身の道を行くために。
ああ、だから今日も。
異世界には行かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます