第6話 天界レフォルシア・2
「着くぜ。天界レフォルシアだ」
それと同時に光が弾けた。粉々になった光の粒は空へ舞い上がり、そして溶けるように消滅する。その向こうに見えるのは緑に囲まれた、石造りの白い街並みだ。
「ここが天界だ。下界とほとんど変わらないだろ?」
カインの声を聞きながらゆっくりと周りを見回してみると、そこには言われたように下界とあまり変わらない天界の姿があった。ここが天空だと感じさせないようにどこまでも続く大地と、石造りの街並み。下界と同じように空には鳥が飛び、街には人があふれている。
物珍しそうに辺りを見回していたシェリルはふと自分が立っている場所へと目を落とし、そこに描かれていた魔法陣にはっと目を見張った。石畳の上を削って作られた魔法陣は、昨夜カインを召喚した時に部屋に現れたものと同じだ。
そこは長い階段の上に造られていて、魔法陣とシェリルを取り囲むように建てられた四本の太い柱には緑色の細い蔓がぐるぐると巻きついている。
石畳の広がる街の中央には大きな噴水が透明の水飛沫を撒き、その周りには人間と何ら変わらない姿の天使がいる。その街を見下ろすように少し小高い崖の上に、大きな宮殿が見えた。一目見ただけでそこに女神がいると分かる。
「……羽がないわ」
行き交う天使たちを見ながらぽつりと呟いたシェリルの目の前で、カインが背中の翼を大きく羽ばたかせた。その羽はまるで光に溶けるように少しずつ色をなくし、透明になりながら肩胛骨のあたりに消えていった。
「これで解決したか?」
「まぁ……ずっと出してても生活しづらいだろうし」
「現実的だな」
軽く笑みを零して、カインが先に歩き出す。その後を数歩遅れでついていくシェリルだったが、初めて目にする天界の姿に目を奪われ、その足は階段の途中で完全に止まってしまった。
下界とほとんど変わらないと言っても、どこかしら女神の優しい力を肌で感じる事が出来、天界全体をそれは守るように包み込んでいた。
「シェリル!」
名前を呼ばれて我に返ったシェリルの数段下で、カインがこちらを見上げたまま立ち止まっている。
「置いてくぞ」
「ま、待って」
遅れまいと慌てて階段を駆け下りたシェリルの足が――空を踏んだ。それと同時に体がぐらりと前に傾き、視界ががくんと降下する。
「きゃ!」
反射的に目をぎゅっと閉じて体を強張らせたシェリルは、けれど硬い石の階段ではなくカインの腕に支えられ、間一髪階段を転がり落ちる事を免れていた。投げ出された体はどさりとカインの腕に倒れこみ、勢いに任せてシェリルの顔から眼鏡が落ちる。
「眼鏡してるのに転ぶなよ」
「……ごめ……さ」
カインの腕にしがみ付いたまま、まだどきどきと鳴る胸に手をあてたシェリルは、腰が抜けたようにその場にぺたりと座りこんだ。カインがいなければ残り二十段はある階段を真っ逆さまに転がり落ちていた。そう考えるだけで、早くなった鼓動が治まらない。
「おい、大丈夫か?」
口も利けないくらいに驚いて座りこんだシェリルを、カインが身を屈めて少し心配そうに覗き込む。かけられる言葉にただ黙って頷くだけのシェリルの腕を掴んで、カインはゆっくりとその体を立ち上がらせた。
「ほら、眼鏡……ってお前、これ度が入ってないぞ?」
「……あ。いいの、貸して」
何とか気持ちを落ち着かせたシェリルが、カインの手から眼鏡を取るなり、すぐにそれをかけ直した。そんなシェリルを不思議そうに見つめていたカインだったが、深く追求する事もせず、シェリルの手を引いたままゆっくりと階段を降り始めて行った。
「ねえ、どうして私の名前を知ってたの?」
無事に最後の一段を降り終えたシェリルが、さっきから気になっていた疑問を口にしてみた。こちらを見る視線を感じていながら目は合わせず、カインはそのまま何度か左右を確認してから人混みの中へ歩き始めていく。
「俺を誰だと思ってんだよ。お前の名前くらい、会った時から分かってたさ」
「そういうものなの?」
「そういうもん」
街の中央ほどまで歩いた所で手を離し、カインはそれまでの歩幅から少し速度を遅めてシェリルの少し前を歩いていく。背の高い彼を見失う事はなかったが、それでもやっぱり一人は心細いのか、シェリルが慌てたようにカインの後を追いかけて行った。
口も悪く性格も最悪だと思っていた天使は、それでもシェリルの事を考えて行動してくれている。風の回廊で激しい風の衝撃から守ってくれた事も、階段から転がり落ちそうになった時も、そしてシェリルがついて来れるように歩幅を縮めて歩いてくれている今も。
(……口が悪くて女好きなだけじゃないのかもしれないわ)
カインに対する警戒心を少し解いたシェリルは後ろから横に並んで、気付かれないようにそっとカインの横顔を見上げてみる。
「……カイン。あの」
躊躇いがちにお礼を言おうとしたシェリルの声は、次の瞬間カインの名を呼ぶ女の大きな声にあっけなくかき消されてしまった。
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