命題17.夜王 クロノス 3

 テーブルに下ろされたテオが見上げる先で、マルテは少し表情を曇らせる。


「吸血鬼といえば、皆さんはどうしてるんでしょう?」


 ぽつりと零れた彼女の言葉に、その場にいる全員が顔を見合わせた。

 吸血鬼たちは、その身体の全てが魔術的な素材として非常に優れた生物だ。故に、狩人ハンターに追われ続け、各地に潜みつつ命からがら生きているような状態だった。

 そんな彼らも、今は寄り集まって今後の事を考えている。きっかけはテオとマルテが信頼できる治療院であるこの場所とその関係者を紹介したからだ。

 しかし、人外専門治療院と吸血鬼との関係は、とても良好――とはいえない。

 プライドの高い彼らは魔法生物ランプのアダムス達を見下す傾向にあるし、治療院に出入りする人間たちの事も非常に警戒している者がほとんどだ。

 人外専門治療院の協力者には人外はもちろん、人間も少なからずいる。彼らの生い立ちを考えれば仕方のないこととはいえ、なまじ強い存在だからこそ、こちらも下手な行動はできない。

 とはいえ、


「私やテオ、ジュリエッタさんは平和に暮らせてるけどエインズワースさん達はそうもいかないでしょう?」

「マルテはお人好しだね、テオとあいつらの所にいた時、相当目の敵にされてたのに。脅された事も一度や二度じゃなかったじゃない。テオもせっかく色々紹介してあげたのに、若いからって相手にされないし」

「だからと言って、どうなっても良いと思ってるわけじゃないわ」


 眉尻を下げるマルテに見つめられ、ジュリエッタは呆れた様子で肩を竦めた。


「心配しなくても、怪我が治って元気な吸血鬼たちがそれなりの数集まっちゃえば、狩人ハンターがいくら束になっても勝てっこないよ。あいつらは単独の吸血鬼を集団で狙ってたんだからさ」


 そう言い捨てると、ジュリエッタは目の前に置かれた紅茶に口を付け、置かれた焼き菓子に手を伸ばした。

 その様子を見ながら、ブロスケルスがうーんと首を捻る。豊かな白髭に焼き菓子をこぼしながら、小さく身を乗り出した。


「しかし、それだけ集まっちまうとどうしても目立つじゃろ?」

「そこは上手く隠れてるわよ。自慢じゃないけど、吸血鬼は隠れるのが上手いの。長いことそうしてきたからね。物資調達もルヴァノスがやってくれるから危険も少ないし」

「じゃけど、完璧にはいかんじゃろ? 儂がここに来る前、ちらっと聞いたんよ。なんでも強力な魔物の巣を叩くとかで、傭兵を募っておったわ。もしかして吸血鬼たちじゃったんじゃないかのーって今になって思うわ」

「いや、それなら心配ないだろ」


 なんでもない事のように、ロメオが否定した。まるでどうでもいいと言わんばかりの軽さで、彼は語る。


「聞いた話だと、確かにどっかの国だか組織ぐるみで吸血鬼たちを叩こうとしたらしい。でも結局返り討ちにあったんだってさ。ま、数百年生きた吸血鬼が本調子で向かってくるんだから仕方ないよな。外の世界ではかなり有名な話だぜ、ルヴァノスさんの方が詳しいかもな」

「ボクの耳にも届いた。大吸血鬼が出たらしい」

「大吸血鬼、って、すごい方って事ですか?」


 ヴェルデリュートの涼やかな声に、ステラはつい疑問を投げかけた。名前の通り、と言えばその通りなのだろうけど、と口にしてから心の中で呟いていると、ヴェルデリュートがくすりと笑った。


「そう。千年以上を生きた大吸血鬼。フィルルと一緒にいる狼王ろうおうと同じ、とある種族の中でも長い長い時を生きて、とても強い存在となった者。あくまでそう呼ばれているだけで、大吸血鬼も狼王ろうおうも、彼らだけではないだろうけど」


 そう言って、彼はツリーハウスを見上げた。それぞれの家を繋ぐ渡り廊下の手すりの間から、子狼の姿をした狼王ろうおうがこちらを覗いている。

 その隣では、まだ包帯が取れないフィルルと、彼の様子を見に行ったアダムスがこちらに手を振っていた。



 * * * * * *



 ツリーハウスの渡り廊下から手を振るアダムス達に、ステラやブロスケルスが手を振り返す。穏やかで楽しいお茶会をしているのを見て、少年の姿をした治癒術師はふっと微笑んだ。

 湿り気を帯び始めた風が、少年の白髪を撫でる。


「吸血鬼がこうして陽光の元を出歩くなんて、信じられない光景だな」

「フィルルもそう思う? 大魔術師を驚かせるなんて、ロメオも隅に置けないね」


 茶化しながら、隣に立つマスターを見上げる。顔色はここ最近の中では良い方だ。しかし、一度完全に魔力も体力も使い切った者の回復は容易ではない。数日に一度起きる程度の彼の怪我は未だに治りきっていないし、頬はこけ、鍛え抜いた身体の筋肉も落ちてしまっている。髪にもしっぽの毛にも艶はないし、彼自身の覇気も失せてしまっている。

 不老不死だから、時間をかけて直せば問題ない――とはいえ、治癒術師としても彼の魔法生物ランプとしても、複雑な心境だ。

 口元に笑みを作ったまま小さく俯くと、フィルルが小さく口を開いた。


「先日、見舞いにきてくれたルヴァノスから聞いた話だ。吸血鬼たちを指揮している大吸血鬼、もしかしたら近いうちにここに来るかもしれない」

「え? なんで!?」


 驚愕で声が裏返った。そんなアダムスをちらりと見やり、弱ったマスターは続ける。


「最近、大きな吸血鬼討伐があって、失敗した。商人のルヴァノスが吸血鬼たちに密告したのもあって、完勝だったそうだよ。そして、大吸血鬼の存在が大きかった。でもね――」


 ふ、と息を吐いて困り顔を作る。口の端だけを小さく吊り上げて、彼は肩を落とした。


「ここにいると外の世界の情勢に疎くなるね……彼らは脅威となってしまった。次は傭兵たちによる大討伐程度ではすまない。戦争になるだろう」

「た、確かに……そしたらまた大変な事になる。人間たちにとっても吸血鬼たちにとっても良くないよ」

「そう。そして戦争を避けるなら交渉――だけど、今の彼らに人間と交渉する余裕も手段も、基盤もない。なら、まずは基盤――安全な住処、国とも呼べる場所を作らなければならないだろう?」

「え、それって、まさか……」


 アダムスの顔がひきつり、わなわなと震える手が口元に近づいていく。人外、魔法生物にとって、狼王ろうおうや大吸血鬼など、自分よりずっと長寿で魔力を多く持つ格が違う存在には、基本的に頭が上がらない。


「まさか、ここに!?」

「そう、、他に住もうとするだろう。彼らを率いている大吸血鬼なら、そのくらいの事はするはずだ」


 再度の驚愕に声を失っていたアダムスだったが、ふとフィルルの言葉に我に返る。


「大吸血鬼ならって、もしかしてフィルル、知り合いか何かなに?」

「いいや」


 手すりにもたれかかりながら、青年は紫色の瞳で遠くを見つめた。ぱさついた紫銀の髪をかきあげながら、ぽつりと呟いた。


「聞いた事があるだけだけど、ルヴァノスにも話を聞いてる。彼は本物の――エクセリシア帝国の建国の三王、夜王クロノスだよ」

「ぁ――――」


 変な声を最後に、アダムスは宙空を見つめたまま動かなくなってしまった。


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