命題16.新たな治癒術師 7
エドアルドは、アダムスの弟子の治癒術師だ。
エクセリシア帝国でも有名な治癒術師で、これは最近知ったことだが、彼は治癒の大魔術師になるよう誘いも受けていたという。
しかし、彼は不老不死となれるその誘いを断った。
ステラは、エドアルドがどんな返事をくれるのか気になって仕方がなかった。
早速エクセリシア帝国の紋が入った封蝋を剥がし、便箋を開く。
そこには、厳格さが滲む丁寧な文字でこのように綴られていた。
* * *
ステラさんへ
月日が経つのは本当に早いですね。
ステラさんと出会ってからまだ一年ほどだと言うのに、もう何年も過ごした気分になります。
せっかく元気になったのですから、色々な事を経験して学んでいってほしいと私は思っています。
そんなステラさんに、また新たな課題ができてしまったのですね。
娘と同じ位の年齢の貴方が、常人では耐え難い困難ばかりを背負う様は――いえ、それでも頑張って前を向く貴方は、とても素敵だと思います。
不老不死について、私が言える事は少ないです。
可否を決める事もできません。
アダムスさんたちに比べたら、私が出会ってきた命の数も、治癒術師として診てきた命の数も、ずっと少ないでしょう。
大きな事はとても言えません。
ですが、ステラさんは私が大魔術師になることを断った、という話を知っているのですよね。
だからその件について、どうしてそういった結果を選んだのかをお話します。
と言っても単純な事です。
自然に任せて終わろうと思った。ただそれだけです。
私にも、大切な人がたくさんいます。不老不死のアダムス先生や、ランプの皆さんもそうです。
不老不死になれば、彼らとずっと一緒にいることができるでしょう。
現存する治癒の大魔術師にも説得されました。
私程の実力があれば、これから先たくさんの人々を救える、技術は大きく発展すると言われました。
ですが、不老不死になってしまえば、人生を終える事が難しくなります。
自然の流れから逸脱した存在となり、人々の時間のから置き去りにされたら、私は世界を俯瞰して見るようになるでしょう。
世界そのものと自分を線引きしてしまうでしょう。自分の性格はよく理解しているつもりです、不老不死になればきっと自惚れてしまいます。
私は、自分がそうなるのがちょっとだけ寂しいとな思ったのです。
それは、なりたかった自分ではありませんから。
ただの人間として生まれたのだから、ただの人間として皆と生きて死にたい。
そう思っただけです。
他人にとっては下らない理由かもしれませんが、私にとってはこれが一番の理由でした。
全然参考にならないかもしれませんね。
でも、もしステラさんがどうするか選ぶ時は、なりたい自分を想像してみると良いかもしれません。
そしてそれは、今すぐに決める事ではありません。
時間はたくさんあるのだから、ゆっくり考えてくださいね。
* * *
「私がなりたい自分……」
読み終えたステラの口から、ぽつりと言葉が漏れる。
「どうかしましたか?」
「いえ……ちょっと考えただけです」
「そうですか」
本を飲んでいたルヴァノスがふと顔を上げ、また視線を落とした。ステラが考えている内容を知っているからだろう、それ以上の言及はしてこない。
ステラの問いに、みんなが答えてくれる。どれも新鮮だったし、気遣いと思いやりのこもった返事ばかりだ。
しかし、まだ十数年しか生きていない少女には、やはり答えを出すのは難しい。お礼の手紙を書いて、これからゆっくり考えていかなければ。そう結論づけるのが精一杯だった。
眉間に皺を寄せて唸っていると、背後から声がかけられた。アダムスだ。
「ステラ、手紙の返事はどうだった?」
「とても有意義でした、感謝してもし足りません……でも、答えの出すのは――」
「そりゃあ、こんな問題にすぐ答えを出せる人なんていないよ」
苦笑するアダムスは、両腕に抱えた薬草の束をテーブルに置いた。すっかり乾燥しきったそれのくすんだ緑色は、どこか惹かれるものがある。カサカサという軽い音もなかなか良いものだ。
アダムスが薬草の葉っぱだけをちぎって籠に選り分けて行く。葉と茎で薬効が違う薬草なのだ。調合も処理も違ってくる。アダムスの作業を眺めていて、ステラも最近薬草には詳しくなってきていた。
ぼんやり眺めていると、ルヴァノスはテーブルに本を伏せた。
「それ、次回の納品分ですか?」
「うん。梅雨になると体調を崩す人も多くなるからね、今のうちから作っておくとよく売れるんだよ。旅してた時もたくさん作ってた!」
「なるほど、薬はあまり取り扱った事がないので勉強になりますよ」
へぇ、と頬杖をついて様子を眺めるルヴァノス。しかし、アダムスは困ったように肩を竦めた。
「これ、いくらくらいになりそう?」
「アダムスの薬は良く効くと評判になってきてますからね、小金持ちにちょっとふっかけたりはできますが……」
「あんまり、薬や治癒術を高額で売るのは好きじゃないんだよなぁ」
眉尻を下げる治癒術の少年に対して、商人の青年は眉を吊り上げながら笑った。
「そうは言っても、お金を稼がないと治療院はやっていけませんよ? 今はまだ貯蓄があっても、油断したらすぐ無くなっちゃうでしょう。治療院は手も足りてませんから、たくさんの薬は作れませんしね。お金に余裕があって贅沢してる人に、良く効く薬という贅沢品を売ってるだけですよ」
「……僕、ルヴァノスには感謝してるけど、そういう考え方はやっぱり苦手だよ……」
「そんな事わかってますよ、百年来の付き合いなんですから」
ルヴァノスはそう言うと、溜息を吐きながら背もたれに上体を預けた。呆れたと言わんばかりの表情を見せている。
「また私から借金しないように気を付けてくださいよ、ヴェルデリュートやブロスケルスにも手伝わせてるんでしょう?」
「わかってるよ」
「あ、あの……!」
ステラが口を挟もうとして、思わず上げた声が上ずった。驚いた二人の視線が
恥ずかしさに背中を縮こまらせながら、ステラは恐る恐る言った。
「あの……私も、手伝います」
「ありがとう! でも今でも十分手伝ってもらってるよ。院内の清掃に、薬草の選り分け、摘んできてくれたりもしてるし、患者の治療の雑用なんかも」
「いえ、そうではなくて……」
言い淀むステラを見て、アダムスは首を傾げた。
「でも……本当にすごく助かってるし。それに今は不老不死の事もあるし、ステラは大変でしょ? 僕の事は気にしなくていいからさ!」
明るく言い放つと、アダムスは「よいしょ」と席を立ち、選り分け終えた薬草を運んでいった。
彼がここに座っていたのはほんの少しの時間だけだ。ここ最近、アダムスの忙しなさは拍車がかかっている。余裕のある表情を見せてはいるが、少なくともステラは働き過ぎだと思っていた。
なのに、はっきりと言い出せなかった自分にがっかりしてしまった。尖った耳も鼻先も垂れて、テーブルの木目とにらめっこしてしまう。
実は、ずっと考えていた事がある。しかし、不老不死の話やテオ達の事があって、なかなか言い出す機会がなかった。ましてや忙しくしているアダムスにこれをお願いするのは、正直気が引けてしまう。
それに理由も不純なのではないか、と思う部分もある。少なくとも、ステラが知ってるその存在はみんな高潔で尊敬すべき者たちだ。
だから、手伝いたいから、なんて理由で目指していいものか――つい思ってしまうのだ。
「……商談では、積極的に動く方が良い結果を得られます」
「え?」
ルヴァノスの独り言のような声に、はっと顔を上げる。
ルヴァノスは涼し気な表情で、すっかり冷めた紅茶を一口飲んでからこう言った。
「助言ですよ、何か言いたそうでしたので。今のアダムスは忙しくて周囲の機微に気を配ってる余裕はなさそうです。だったら、自分でいかないと。ステラさんは妙な所で大胆ですが、基本的に遠慮しがちですからね」
そう言って片目を瞑って見せる姿に、少女は大きく頷いた。
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