命題16.新たな治癒術師 2

 湖に聖水を汲みに行くのは、ステラの日課だ。

 同時に、行き帰りではヴェルデリュートとのお喋りをする。これもステラの日課であり、楽しみの一つでもあった。


「ステラ、お喋りが上手くなってきたね」

「はい、おかげさまで。ヴェルデリュートさんがお喋りに付き合ってくれるおかげです」

「ステラとのお喋りは、ボクも楽しい」


 シルバーブロンドの髪を軽やかになびかせながら、ヴェルデリュートは視線を下に向けたまま返事する。

 聖水で満たされた水瓶を台車で押しながら、ステラはヴェルデリュートの手元を覗き込んだ。


「どのくらいできましたか?」

「今、こんな感じ」


 そう言ってヴェルデリュートは、首から提げた木の板に広げていた紙を差し出した。

 大きな木と治療院の絵を中心にした精霊の森の地図だ。それもただの地図ではない。森の至る所に生息する薬草や木の実の種類が書き込まれた、植物の分布図である。

 昨日見せてもらった時から比べると、南西方面の地図が進んでいた。


「アダムス、薬を作ってルヴァノスに売ってきてもらうんでしょ? ボク、そんなに忙しくないし、歌って森を浄化するついでに出来るから引き受けたけど、薬草にはあまり詳しくないから時間がかかってる」

「薬草の種類って紛らわしいですもんね。葉の形がそっくりだったり、見た目はほぼ一緒だけど季節が違ったり……」

「毎回、薬草っぽいものを摘んで見てもらうんだけど、よく間違えてる。精霊たちに聞いてもこれはあれだ、違うそれだって言い合ってるし」


 そう言って、ちらりと木々の影を見やる。光の玉の姿をした精霊たちが、おろおろと漂いながら困った様子でこちらを覗いていた。

 肩を竦めるヴェルデリュートに、ステラは笑って応えた。


「それでも、アダムスはとても助かってるって言ってましたよ。治療院を手伝ってくれてありがとうって」

「ふふ」


 軽やかに微笑んだヴェルデリュートだったが、ふと、神秘的な顔立ちが曇る。

 ステラが心配して首を傾げると、彼は一瞬顔を背けた後、言いにくそうに口を開いた。


「ごめんね。ステラの心の声、聞いちゃった」

「あ、あぁ。別に構いません――」

「君が今悩んでる事、知っちゃった。不老不死になるか否か」

「あ……」


 はっとして、ステラも視線を逸らした。鼻先を正面に向けて、なんとはなしに道の先を眺める。

 ブロスケルスの友人だった死霊・グランが精霊の森に現れる直前に、ステラはアダムスを始めとしたランプ達のマスター、フィルル・エルピスにこう言われていた。


 ――君が望めば不老不死にもなれるよ

 ――俺としては、ステラには是非とも不老不死になってほしいけどね

 ――そうすれば、アダムスと永遠に一緒にいられるよ?


 心を見透かし、値踏みするような鋭い紫色の眼差しを思い出して、自然と背筋が伸びた。

 飄々とした青年だが、彼は百年以上を生きた大魔術師。長い年月をかけても色あせないほどの強い願いを持った人物だ。そう思うと、やはり自分のような十年と少し生きた程度では心の在り方というか、構えが違う。

 そう痛感した会話だった。


「フィルルが無茶を言ったみたいで、ごめん」

「い、いえ! そんな事は……ちょっと混乱してるというか、どう受け止めたものかなって思ってはいますけど」

「うん。それに本当は、一番最初にアダムスに相談するつもりだったんでしょ? 聞かなかった事にすることもできたけど――ちょっと無視できなかった。ごめんね」

「……いいですよ。そんな事気にしなくても」


 ふっと笑って、ヴェルデリュートの方へ振り返る。

 少し唇を尖らせながら地図を書き込んでいる彼は、いつもより静かな印象だった。

 無視せず言及してきたのは、彼なりにステラを心配してくれたからだ。その心遣いがとてもありがたい。


「アダムスに一番に相談しようと思ったのは、去年の反省があったからです」


 きっと心の声が聞こえるヴェルデリュートは全部知っている事だろうけど、ステラはあえて声にする。


「私、去年の施術しじゅつの前に、自分の本心――不安や恐怖や、そういった事を誰にも打ち明けられませんでした。イヴリルに聞き出されてやっと少しずつ話すことができて……それでもやっぱり、ギリギリまで悩んだりしてました。今ならわかります。きっと対話が少なかったんです。声が出せないのを含めても、私が自分の気持ちを伝えようとしなかったから、みんなを困らせてしまった」


 そう言って呼吸を整えると、ヴェルデリュートに向かって宣言した。


「今度は、ちゃんと話そうと思ってます。まずはアダムスに」


 ヴェルデリュートの緑色の瞳が大きく見開き、みるみる頬が紅潮する。ぱぁっと表情を綻ばせた彼は、嬉しそうにくすくすと笑った。

 ステラは満足げに胸を張り――しかしすぐに慌てて片手を振ってみせた。


「あ! もちろん、ヴェルデリュートさんにも相談するつもりでしたよ、是非意見を聞きたいです!」

「あはは! うん、知ってる。知ってるよ」


 お腹を抱えて笑い出すヴェルデリュートに、あわあわと慌てふためくステラ。だが、彼があまりに笑うものだから、そのうちステラは気恥ずかしくなり、つんと鼻を前に向ける。

 そんな少女に向かって「ごめん」と言いながら、ヴェルデリュートは口元に手を当てた。

 緑色の瞳が細められ、神妙な顔で唸る。


「そうだね……正直なところ、ボクでは不老不死の是非を決めることはできない。きっと、正解なんてないと思う」

「正解が、ない……」

「そう。正解なんてない。強いて言うなら、ステラにとっての解を見つける事になる。きっとこれは、大きな命題になると思う。だから、君一人で解を出すのは難しい」


 そう言うと、彼は再び唸りだした。うんうんと首を傾げ頭を捻ると同時に、さわさわと集まってきた精霊たちも一緒にヴェルデリュートの動きを真似し始める。

 そろそろ治療がある広場まで来た時、「うん!」とヴェルデリュートが声を上げた。


「他のランプ達にも聞いてみるといいよ。みんな百年以上生きてるし、全員違う能力、違う立場、違う価値観で世界を見てきた。色んな意見が聞けるはず」

「なるほど!」

「ルヴァノスに手紙を渡せば、皆に届けてくれる。皆も、ステラのためなら真摯に応えてくれるはずだよ」

「…………」


 ヴェルデリュートの言葉にステラは黙ったまま、静かに微笑んだ。なんて胸が温かくなるのだろう。

 決めた。午後は皆に手紙を書こう。もう去年までのような一人で抱え込んでしまう自分ではない。皆に相談して、考えたい。そう考えながら道を歩き続けた。


「あとね――」


 続けられる言葉に、ステラは顔を上げた。隣にいたヴェルデリュートの姿が見えない事に気付き、思わず振り返る。

 いつの間にか立ち止まっていたヴェルデリュートが、精霊たちに囲まれながら笑顔で告げた。


「君が寿命を迎える道を選んでも、不老不死として永遠の時を生きる道を選んでも、どうかそのどちらの道でもステラはステラのまま、精一杯生きてほしい。ボク、いつか君の人生を詩にしたいなと思ってる。きっと素敵な詩になる」

「…………はい!」


 大きく返事をして、ステラは台車を押して治療院に帰っていく。

 ヴェルデリュートは歌声だけを残しながら、いつものように森の中へと姿を消していった。



 * * * * * *


 ※更新予定日を 毎週日曜 朝8:00 に変更しております。

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