命題16.新たな治癒術師 1

 高々と掲げられたくわの刃が、朝の陽光を反射して眩しく光った。

 ざく、という小気味よい音と共に、振り下ろされた刃は青々とした芝生に深く突き刺さり、土を大きくえぐる。

 それを何度か繰り返し、幾分進んだ所でブロスケルスは手を止めた。

 地面に立たせたくわの柄に両手を置いて、爽やかな春風を浴びながら空を仰ぎ見る。


 本日も、精霊の森は気持ちの良い晴天だ。


 ブロスケルスが治療院を訪れてから、今日で一週間が経った。

 死霊となった戦友に会いに来た彼は、戦友を家族に引き合わせて見送った後、万が一の事に備えて人外専門治療院の護衛として暫く滞在する事になったのだ。

 とはいえ、居候いそうろうを決め込むわけにはいかないので、治療院の力仕事を主に手伝っている。


 例えば、ツリーハウスの修理。

 死霊となって暴れる戦友と一戦交えたマスター、フィルル・エルピスが落ちてきた屋根に大きな穴が開いていたので、数日かけて直し終わった所だ。

 例えば、街への買い出し。

 アダムスは、この治療院で唯一の治癒術師だ。

 しかし彼は三名の患者の面倒をすべて見ているから、忙しくて手が離せない。

 だからブロスケルスが適当な街に出向いて、食料を買いに出かけている。


 そして今は、新しい畑を作っている最中だ。

 人外専門治療院の財政は切迫している。元々、紅蓮の商人・ルヴァノスに多額の借金をして開業した治療院だ。一度は完済して数年はもつくらいの貯蓄はあるものの、患者が来るたびに目減りしているらしい。

 蓄えが尽きる前になんとか対策を講じなければならない。

 そこでアダムスが思いついたのが、特製の薬売りだ。


 治癒術師が治癒術をかけて作って薬は効果が高く、重宝されている。実際にアダムスが各地を旅していた時には、この方法で路銀を稼いでいた。

 既に裏口すぐの所には小さな畑があり、使用頻度の高い薬草を栽培している。

 だが、商売として使用するには心許こころもとないので、畑を増やしてもっと薬草を育てようというのだ。


「しかしなぁ……」


 ブロスケルスは今しがた耕してきた、一本の細長い土の道を見て溜息を吐いた。

 商売に明るくないブロスケルスでも理解できるのだ。アダムス一人では、この治療院の切り盛りは難しいという事を。

 アダムスと同じ治癒術師で、双子の妹として造られた白月はくげつの治癒術師・イヴリルは、「今回は緊急だから手伝ったけど、自分で開業した治療院なんだから、ちゃんと自分で運営できるようになって」と言って、早々に出て行った。

 冷たいと思われそうな態度だが、これは建前であり、彼女なりの激励だ。


 彼女は蒼空そうくうの騎士・ブラウシルトと旅をしている。

 ブラウシルトは“誰かを守る事”が存在意義の魔法生物ランプだ。だから、フィルルに好きなように生きろと告げられた時、守るべきマスターがいなくなって困ってしまった。

 存在意義を失ってしまえば、魔法生物ランプは自壊しかねない。

 だから、ブラウシルトに好意を抱いていたイヴリルが、“旅をする自分を守って”と名乗り出る事で上手く収まっているのだ。

 昨年の精霊の森は、北の泉の死霊の脅威に晒されていた。

 しかし、現在の精霊の森はまったくもって平和である。北の泉の死霊は封印され、脅威らしい脅威はほぼ無くなったと言ってもいい。


 だからイヴリルは、もうこの治療院への長期滞在はできない。

 平和な場所にブラウシルトが居続けると、彼が自壊しかねないからだ。


「私はもう治療院のお手伝いがあまりできないから、変わりにブロスケルスが手伝ってあげて」


 そう言い残して、二人は出て行った。


 目を閉じれば、ブラウシルトの悔しそうに俯く顔がまざまざと蘇る。

 難儀だな、とブロスケルスは眉尻を下げた。

 そう思う自分だって、他人事ではない。戦い破壊する事が存在意義のブロスケルスにとっても、平和はじわじわと身体を蝕む毒である。

 自慢の大剣が曇り、漆黒の甲冑が錆び付く前に、世界のどこかの戦場や、世界のどこかの危険な場所に身を置かねばならない。

 全く、難儀なことである。


 でも、アダムスの力にはなりたいし、この治療院で療養中の三人に報いるくらいの事はしたいと思っているのだ。

 大怪我をしたマスターフィルル・エルピスは、大怪我はもちろんのこと、死霊と化したブロスケルスの戦友との戦いで魔力を使い果たしてしまい、ずっと眠り続けている。一日一回起きれば良い方だ。

 吸血鬼のテオは、死霊となったブロスケルスの戦友に大怪我を負わされてしまった。死霊の傷は、魔力が多い存在にとっては厄介なものだ。治りが遅い。

 彼の恋人、マルテは妊娠中である。五カ月目との事でお腹の膨らみはさほど目立たないが、つわりがひどい。テオの件もあって、ずっと顔色も悪いままだ。


 彼らを傷付けた原因は、ブロスケルスの身内である。

 念願叶って冥府に旅立った戦友の尻拭いは、責任を持って果たすつもりだ。


 気持ちを切り替え、再びくわを振り上げる。

 細長い土の道を折り返し、せっせと耕していると、視界の端に治療院の玄関から出てくる合成獣キメラの少女が見えた。

 もうそんな時間か、とブロスケルスは手を止めた。

 合成獣キメラの少女・ステラは朝食を終えて院内の掃除を終えると、湖に聖水を汲みに行く。

 深緑色のローブを来て、大きな水瓶を乗せた台車を押す彼女は、ブロスケルスの視線に気付くと小さく手を振った。

 ブロスケルスも手を振り返し、森へ向かうステラを静かに見送る。

 純白の毛並みと孔雀の尾羽が、陽光を浴びて美しく煌めいていた。あまりに輝くものだから、そこだけ眩しく発光するかのようだ。


 そういえば、彼女も難儀な子だな、と思い出す。

 元々人間の少女だったステラは、合成獣キメラにされて、本来とは似ても似つかない姿にされてしまった。

 アダムス達の手によって普通に生きられるようになった彼女だが、これから一体どうするのだろうか。

 ブロスケルスはやはり眉尻を下げて、森の中へ姿を消していくステラを見送った。



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 ※更新予定日を 毎週日曜 朝8:00 に変更しております。

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