命題15.黒鉄の戦士 ブロスケルス 7
ステラがドアを潜ると、赤ん坊を抱いた若い女性が落ち着きのない様子で二人を出迎えた。
「今晩はわざわざどうも――あの、今お茶を出しますので」
「いや、お構いなく。あんたも向こうに同席してきんしゃい」
彼女を手で制し、ブロスケルスは慣れた様子でテーブルについた。
ステラもそれに
それが目についたらしい女性が、ブロスケルスに控え目に尋ねる。
「そちらの方は……獣人? お知り合いですか? 足が蹄――」
「あぁあぁ、気にせんでくれ。事が事だから付き添ってもらってるだけじゃよ。そんな事より、早くグランとこ行って孫の顔を見せてやってくれや」
女性は小さく首を傾げたが、すぐに一礼すると踵を返し、奥の部屋へ入っていった。
ドアが開いた一瞬、若い男の泣くような怒っているような騒がしい声が聞こえ、ドアが閉まると同時に静寂が戻る。
ふぅ、と息を吐いたブロスケルスが、ポツリと呟いた。
「まぁ、嬢ちゃんはそういう事にしておこうな。付き添い付き添い。もしかしたら、さっき外で待たせてる間にグランが怖気づいて逃げちまってたかもしれんし、見張っててくれて良かったよ」
「イエ……ソンナ事ハシナカッタト思イマスヨ」
カッカと笑うブロスケルスの言葉を否定しつつ、ステラは俯いた。
あの木の板の向こうでは、念願の再会を果たした家族のやりとりが行われているのだろう。
やはり、
「私ガ軽卒ニ同行シテ良イ事デハアリマセンデシタネ……」
「なんじゃ、そんな事気にしとったんか。グランの行く末が気になって、勇気が湧いたから来たんじゃろ? 堂々としときんしゃい。できれば……あいつらが安らかに眠れるように祈ってくれ」
ステラが怪訝な顔でブロスケルスを見返すと、彼はたっぷりとした白い髭を触りながら天井を仰いだ。
「あいつのカミさん、もういつ死んでもおかしくない。というより、とっくに死んでてもおかしくなかった。グランの事、待ってたんじゃなぁ……。精神の強さだけで寿命を超える奴ってのは、結構いるもんだ。じゃが、これでカミさんの方も未練が無くなる。二人そろってあの世へ旅立つことになるじゃろう」
「ブロスケルスサンハ、オ別レヲシナクテ良インデスカ?」
「儂は、さっきちょっと話したからの。それで十分じゃよ。後は家族水入らずさね」
「ゴ家族ノ皆サンハ、喜ンデイラッシャルデショウカ? グランサンハ……アンナ姿ニナッテシマッタノニ」
「そりゃあ、嬢ちゃん。自分と重ねてるんかね?」
図星を付かれ、ステラはバツの悪さに押し黙った。そんな少女に向かってブロスケルスは身を乗り出し、
「責めてるんじゃないよ? 儂が見た限り、グランの家族はあいつが幽霊になった――死んでた事には悲しんでたが、悪い感じではなかったの。大切な人との再会ってのは、往々にして喜ぶだけの単純な感情じゃないんよ」
ブロスケルスの大きな手が、フード越しのステラの頭をぽんぽんと撫でる。
「儂が旅人たちの遺品を集め、時には骨を拾って弔い、身元が調べて縁のある人たちに届けるとな、悲しんだり、怒ったり、呆れたり、喜んだり、表に出る感情は一概には言えん。じゃが、その根源が何かは伝わってくる」
「……何デスカ?」
戦士の大男は少し照れ臭そうに白い髭を弄ると、小さく呟いた。
「“愛”じゃよ」
「愛……デスカ」
「そう。愛してるから、再会を喜んだり怒ったり泣いたりできるんじゃ」
奥の部屋から若い男の大声が聞こえた。ドア越しに聞こえるそれはくぐもって何を言っているかまではわからない。ただ、怒鳴っているような、半分泣いているような、胸が苦しくなるほど切ない声色をしていた。
ステラはなんとはなしにそちらを眺めながら、思いのままを零す。
「私モ、喜ンデモラエルデショウカ……コンナ姿デモ」
ブロスケルスは、遠い目をするステラの横顔を真剣な面持ちで見つめた。
少女はグラン達がいる部屋を見ているのではない。もっとその先の、自身の故郷を見つめている。
「…………わからん。こればっかりは、どうにもな。しかし、嬢ちゃんがご両親やご家族に愛されていたのは伝わってくるよ……」
ステラは遥か遠くを見つめたまま、「ソウデスカ」と応えた。
何時間経ったのか、グラン達のいる部屋の中が慌ただしく騒ぎ始めた。
ブロスケルスが真剣な表情を浮かべつつ、おもむろに立ち上がる。
「そろそろか……嬢ちゃん、外に出るぞ」
「外、デスカ?」
部屋を振り返りながら立ち上がるステラに、ブロスケルスは頷いた。
「あぁ。黒の塔が来た。死霊や訳ありの幽霊のお迎えじゃ」
ブロスケルスが玄関のドアを開けて外に出る。
ステラも後に続こうとして、冷やりとした外気に足を止めた。
白い煙のようなものが、開け放たれたドアから流れ込んでくる。夜更けとはいえあまりにも冷たい空気だ。躊躇しつつ、ステラは一歩外へ出ると後ろ手にドアを閉めた。
外に充満する白い煙は湿気を帯びていて、ステラの純白の毛皮を濡らす。
霧だ。しかもすごい濃霧だ。視界が悪く、森の木々どころか足元さえ薄っすら見えなくなるほどのそれが、この辺り一面に広がっていた。
「ブロスケルス!」
彼の姿は一瞬で見失った。しかし、こんな霧では歩く事さえままならない。
周囲を探っていると、大きく力強い手が少女の腕を掴んだ。
「おぉ見つけた。黒の塔が現れる時、濃霧が立ち込める。ほら、あれじゃ。嬢ちゃんが見たかった、死霊がどうなるかじゃよ」
霧で顔を霞ませながら、ブロスケルスが天を指差した。
ステラは見上げると同時にびくりと肩を揺らした。
そこには、いつの間にか細長い塔が建っていた。しかも漆黒の、文字通り黒の塔である。窓や塔の外周には青紫の炎が揺らめく神秘的な建造物だ。
しかし、少女はその不思議な美しさに見惚れるよりも驚愕が勝った。
こんなの、来た時には無かった。
少女の胸中を察したらしいブロスケルスが、口端を片方だけ吊り上げる。
「黒の塔は神出鬼没。死霊や幽霊を導く時みたいな、必要な場所に濃霧と共に現れるんじゃ。巷では黒の塔が現れると死霊がらみの不吉な事が起こる、なんて言われとるが、実際は逆。死霊たちが悪さしてる所に出てくるのがあの塔なんじゃよ」
「ア……アレニハ、誰カ住ンデイルンデスカ?」
「まぁの。儂らランプの一つも塔の一つに住んでお仕事しちょるよ」
「アノ塔ッテ、タクサンアルンデスカ?」
思わずブロスケルスの顔を覗くと、彼はうんうんと頷いてみせた。
「うんにゃ。あいつらは精霊の森と似たようなもんじゃからな。精霊の森は魔力の源であるマナを作り出し、世界中に供給しちょる。黒の塔は、死霊やそれらに付随する者たちが必要以上に世界を傷付けるのを防ぐため、彼らを導いている。両方とも、世界の均衡を保つための機能の一つじゃな」
はぁ、とステラが感心する。
ぼんやりと黒の塔を見上げていると、ふと視界の端に青い二つの炎を捉えた。
火の玉となったそれは、導かれるように塔に昇っていく。
「あれは、グランとそのカミさんじゃな……」
ブロスケルスの言葉からは、どこか寂しそうな、そして安心したような気配を感じた。
彼が太い腕を振り上げ、二つの炎に向けて大きく手を振る。
ステラも手を振って、二つ――二人の門出を見送った。
彼らが見えなくなり、黒の塔の姿が消え、霧が晴れるまで見送り続けた。
* * * * * *
「ブロスケルスさん、大変お世話になりました。父を見つけてきてくれて、本当にありがとうございます」
「いやいや、見つかったのは本当に運が良かったんじゃ。でも、間に合って良かったよ」
玄関先で深々と頭を下げる若い男の背を、ブロスケルスが優しく撫でる。
「カミさんも、長い事よく頑張ったな。もちろん、お前さんも……。これから大変じゃろうが、儂は一旦戻らにゃならん。葬儀には顔を出すから、力になれる事があったら言ってくれ」
「何から何まで本当にありがとうございます。俺が小さい頃からお世話になりっぱなしで――」
「いいのいいの! 儂が好きでやっちょるんじゃからね!」
ガハハと笑うブロスケルスに釣られ、男も腫れぼったい目を擦りながら笑った。後ろでは、すやすやと眠る赤ん坊を抱いた女性が再度頭を下げる。
外はいつの間にか白み始め、朝露と草の香りが辺りを包んでいた。
「さて、それじゃあお
「ハイ……ア、アノ。一ツ良イデスカ?」
歩き出したブロスケルスを呼び止め、ステラは若い男――グランの息子に振り返った。
「オ父サマに再会デキテ、ヨカッタデスカ?」
男は驚いたように目を丸くしたが、照れ臭そうに髪をかき上げながら言葉を選び出す。
「親父の事は……正直ずっと諦めてた。離れ離れになった直後はまたきっとすぐに会えると思ってて、でも帰ってこなくて、探しに行っても姿がなくて、何度も何度も探して、それでも見つからなくて。見つからない親父に怒りを覚えることもあった。死んでるんじゃないかって悲しくて泣くこともあった。ずっと心配でたくさん色んな事考えたけどさ――――どんな形であれ、会えて本当によかったよ」
「ソウデスカ」
ステラは微笑むと、ゆっくりと一礼した後、踵を返した。
「帰るかの、治療院に」
命題15.黒鉄の戦士 ブロスケルス ~完~
→次回 命題16.新たな治癒術師
※更新予定日を 毎週日曜 朝8:00 に変更しました。
週1更新に、不規則に追加で更新する形になります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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