命題15.黒鉄の戦士 ブロスケルス 3

「はぁ――……」


 と、ブロスケルスはリビングに入るなり大きな溜息を吐いた。

 一番近くの椅子に崩れるように腰を降ろし、大きな両手で顔を覆う。熊のような大男がテーブルに向かって俯く姿は、少女のステラから見てとても痛々しく感じられた。


 あえて声をかけずに彼の脇を通り過ぎると、水を鍋にかけてから茶器を棚から取り出す。目についたオレンジ色の蜂蜜糖とビスケットも盆に並べた。少なくともステラは、甘いものを口に入れると少しだけ気分が楽になる。


「蒼空のあんちゃん、相変わらず儂には冷たいのぅ。昔からあぁなんじゃよ」


 くぐもった声が、ステラの背中に届く。振り向くと、ブロスケルスは顔を覆ったまま独り言のようにしゃべり始めた。


「儂とあいつは戦闘が得意じゃが、あいつは守ることに長けてて、儂は逆に攻める方が得意じゃった。だからよく、どっちが強いかって喧嘩しとったんよ。ま、どっちが強かろうが紅蓮のあんちゃんが一番なんだけどね」


 ふぅー、と長く息を吐いた後、彼はゆっくりと両手を離した。覗いた表情は、治療院に着くまでと打って変わって暗く、元気がない。


「とは言え、紅蓮のあんちゃんは死霊にめっぽう弱い。儂らならまだ対処できるが、あやつではほとんどやられる一方だったろうなぁ……」


 ブロスケルスの言葉に、ステラも眉尻を下げた。火をかけた鍋から、ぶくぶくと沸騰し始めた水が揺れる気配がする。


「昔からそうじゃった。儂はいつも機を逃す。今回も白日の坊主が目を覚ましたって聞いた時、嬢ちゃんの話を聞いた時、儂では役に立たんと思って来なかった。儂は、破壊するしか能がない。できる事がない上に、こんなうるさいジジイがいては落ち着かんだろうと思ってな……でも、来るべきじゃった。力になれた。死霊との戦いでなら……」


 彼の話に耳を傾けながら、ステラは湧いたお湯をポットに移し、茶葉から赤い色がにじみ出る様子を黙って眺めた。


「今回も、儂が来てたらおチビがあんなボロボロになることはなかったかもしれん……いつもいつも、自分は役に立たんと勝手に決めつけて、肝心な時にいない。何度注意されても直らんの。みんなから役立たずじゃない、力が必要だって言われても、やっぱり心のどこかでお世辞なんじゃないか、気を遣って言ってるだけじゃないかって思ってしまうの」


 テーブルの見つめる彼の視界に、淹れたての紅茶を滑り入れる。大き目の蜂蜜糖をカップの中に落とし、ビスケットを乗せた皿も差し出すと、ブロスケルスはやっと頬を緩ませた。

 傷跡で引きつった赤い肌をくしゃりと崩すと、温かい紅茶を口に運ぶ。たっぷりとした白い髭をほんのり橙色に染めて、大きく息を吐いた。先ほどまでとは違う、安堵のため息だ。

 ステラも向かいの席に座り、紅茶を飲んで心を落ち着ける。心が切羽詰まった時こそ、ゆったりと余裕を持った時間の大切さを実感した。

 ボリボリとビスケットを齧りながら、ブロスケルスは話を続けた。


「儂は今、各地を旅しながら道半ばで死んじまった奴を弔ったり、遺品を家族の元に届けたりしとるんじゃよ。旅には危険が付き物だしの。気休めかもしれんが、少しでも亡くなった奴とそいつを大切に思ってた奴が楽になればと思っとるよ。荒事に強い儂ができそうな事って、このくらいかなぁと思ってな」

「トテモ立派ダト思イマス。誰ニデモデキルコトデハ、アリマセンヨ」


 心からの賛美を、素直に誠実に伝える。すると、ブロスケルスはくすぐったそうにはにかんで笑った。自信が足りない印象がある彼は否定するかと思っていたので、少し意外な反応にステラは肩を竦めた。


「頑張り屋だっていう嬢ちゃんにそう言われると、照れるねぇ」


 赤い肌をもっと赤くしながら、彼は屈託なく笑う。ぐぃっと紅茶を飲み干したので、ステラはすかさずお代わりをいだ。

 新しい紅茶を嬉しそうに飲みながら、彼は話を戻す。


「そんな事をする前は、傭兵まがいの事はやっておった。人を相手にするような戦争ではなく、魔物やらの討伐を中心にな。表のあいつと出会ったのは、そんな時の事だ。あいつはとある国の騎士じゃった。ウマが合ってな、儂もあいつを気に入って、よく技を教えたりしたもんだ。よく酒を飲んだり、あいつの家で飯をごちそうになったりした。カミさんと小さい子供がいてな、料理が本当に美味かったよ。そのカミさんが、あの吸血の坊主のコレにそっくりなんじゃ」


 小指を立てて、わざとらしく茶化す。


「妻子を一番に大事にしてる奴だったから、カミさんに似てる娘を見て追いかけちまったんだろうなぁ……。あいつと仲良くなって数年後、その国に魔物が現れた。あいつは国を守る騎士として任務に就き、儂も討伐隊に参加した……」

「マサカ、ソノ時ニアノ方ハ――」

「いやいやいや」


 ブロスケルスは手を振ってステラの言わんとしている事を否定した。


「あいつは無事じゃったよ。まぁ、怪我はしとったがな。じゃが……」


 一度言葉を区切り、彼はティーカップを置いた。


「あいつのカミさんと子供が住んでる村が、魔物にやられた。魔物は群れを作ってて、編成された討伐隊と騎士だけでは足りんかった。近くの村が襲われて、ひどい有様じゃったよ。壊された家屋と、食い散らかされた人の残骸しか残っとらんかった。あいつのカミさんと子供の遺体も見つからんかったよ……。抜け殻みたいになったあいつは、家族を探してフラフラとどっかに行っちまった。儂も、その国を去った」


 残酷で悲しい話に、ステラは息を詰まらせた。

 二人の間に沈黙が降りる。

 しかし、それはすぐにブロスケルスの言葉によって打ち破られた。


「でもな、でもな、あいつのカミさんと子供、生きてたんじゃ! 旅をしてる時に見つけた! 魔物から逃げて逃げて、別の場所でどうにか生き延びてたんじゃよ! 怪我で故郷には戻れなくなってたが、カミさんたちはずっとあいつの事を探してた。でも、その頃にはあいつの居場所はわからなくなっちまってた……」


 ブロスケルスが再び顔を覆う。手指のすき間から、熱い吐息とうめき声が漏れた。

 彼は、泣いていた。


「なんで儂はいつもこう、機を逃してしまうんじゃろうな……あの時あいつを引き止めていれば、励まして支えていれば、もしくは同行してれば――こんな事にはならんかったかもしれんのに……」


 言葉を詰まらせる彼に、ステラは何も声をかけられなかった。

 やすい言葉をかけるのは、とても失礼に感じた。

 黙ったままステラは席を離れず、彼の前で彼の話に耳を傾け続けた。

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