命題14.マスター フィルル・エルピス 5

 フィルルの正直な言葉に、ステラの緊張が少し解された。

 小さく首を振り、キッチンに立つアダムスの背中を眺めながら、一つずつ言葉を選ぶ。


「フィルルサンノ、オ話ヲ、リュートカラ聞キマシタ……」

「ヴェルデリュートの事かな? 名前、ちょっと呼びにくいよね」


 苦笑するフィルルに、ステラも釣られて肩を竦めた。


「アト、アダムスニモ。大魔術師ニツイテモ、チョット聞キマシタ。不老不死ダッテコトモ」


 あぁ、とフィルルな天井を仰いだ。コップの水を一口飲むと、少し黙り込む。

 彼もまた、言葉や話題を選んでいるように感じる。ステラも同じく水を一口飲んで、彼の言葉を待った。

 テーブルの隣に視線を落とす。そこでは銀色の毛並を持つ子狼が、空になったミルクの皿の横で丸くなっていた。

 彼は、狼王ろうおうと呼ばれる存在だそうだ。人と狼の姿を持つ人狼じんろうが、長い時を経て強い力を持つようになった者で、人外の中でも上位に位置している。狼王ろうおうはそういった存在の名称で、彼自身の名前ではないらしい。

 気位が高いため滅多に口を利かず、ランプ達は彼の本名すら知らない。ステラも何度か話しかけてみたが、全部無視された。


狼王ろうおうが気になる?」


 突然声をかけられ、ステラは小さく肩を揺らした。両耳を立ててフィルルを振り返る。彼の頭に生える狼の耳は、ステラと違ってゆったりとした様子で斜めに傾いて、銀色のピアスがキラリと光る。


「彼とお喋りできた?」

「イイエ……」

「だよねぇ、俺もごくごくたまーにしか話してもらえないよ。俺、一応子孫なのにね」

「子孫?」


 驚いて聞き返すと、フィルルは得意げに胸を張ってみせる。


「そ。と言っても何代も間に挟んでるけどね。俺は人狼と魔術師のハーフなんだよ。だから、生まれつき人間よりも人外に近かったんだ。だから不老不死になるのも、あまり抵抗が無かったな。どちらにしろ、俺の魔術師の血筋は不老不死になる事が前提ではあったのもあるけど……」


 ぽつぽつと語る彼は、でも、と続けた。


「君の場合は違うよね」

「私、デスカ?」


 フィルルは一つ頷くと、姿勢を正し、正面からステラを見据えた。隠れていない左の瞳が鋭くすがめられ、、真剣みを帯びる。

 彼の長い指が、ステラの胸元を指した。


「君に埋め込まれたその結晶は、とても強い魔力を帯びている。それは、ステラの命を繋ぎとめる存在であると同時に、ステラ自身の魔力でもあるんだ。本来ならあり得ない事だけど、今なら、君が望めば不老不死にもなれるよ。ただし――永遠を貫けるだけの願いがあれば、だけどね」


 ステラは息を呑んだ。不老不死なんて考えた事もない。第一、そんな話も聞かされていない。ソルフレアなら、エドアルドならウヴリルなら、アダムスなら、知っていたら絶対に説明してたはずだ。

 こちらを見つめる紫色の瞳から目を逸らす。思わずその場で身をよじり、身体を丸めて逃げようとした。

 しかし、彼はそんなステラの心境を見透かしたように――吟味するように言葉を紡ぐ。


「多分、それは副作用だよ。結果としてついてきてしまったもので、施術しじゅつ前に予想はできなかっただろう。そのくらい、その結晶と君は相性が良かったんだ」


 フィルルの言葉に、恐る恐る顔を上げる。アダムス達が秘密にしていたわけじゃないという事に、少しだけ安堵した。


「俺は別に、君を脅したいわけじゃないよ。ただ、これから生きていく上で不老不死になるという選択肢ができたというだけだ。こういうのは、知っておいた方がいいだろう? 君はやっと“普通に生きられる”ようになったんだから、これからは“どう生きていくか”を考えなくちゃだしね」

「ハァ……」


 不安と戸惑いの入り混じった、溜息の様な返事が漏れる。そんなステラの様子を、フィルルは愉快そうに笑った。


「俺としては、ステラには是非とも不老不死になってほしいけどね。そうすれば、アダムスと永遠に一緒にいられるよ?」

「エッ?」

「俺は俺のランプ達が可愛くて仕方が無いから、アダムスが気に入ってる君には、ずっとアダムスの側にいてほしいけど」

「ア、アノ……」

「そういう事も含めて、これからどうするのか考えていかなきゃね」


 そう言ってフィルルは、縋るように声を出すステラを無視して話を切り上げた。

 満足そうな顔をしてコップの水を煽る彼を前にして、ステラは混乱する。不老不死とかアダムスと永遠に一緒とかいきなり言われても、十代半ばの人間だった少女には全然消化しきれない話だ。一人では無理だ。

 視線を彷徨わせ、アダムスの背中に行き当たる。後で彼に相談をと思ったが、なんとなく別の人が良い気がする。でも誰がいいだろう。ソルフレア? 同じランプで、マスターの言った事だ、彼女を困らせてしまうかもしれない。エドアルド、は今はご家族とゆっくりされてる時だし心配をかけたくない。それに彼なら親身になってくれるだろうが、アダムスと一緒に、という点で、アダムスの弟子である彼を困らせてしまうかもしれない。


 ステラがあたふたとする様子を、床で丸まった狼王ろうおうがちらりと見やり、また目を閉じる。

 が、次の瞬間、小さな狼は急に立ち上がり、窓の外を見つめた。

 次いでフィルルの顔色が変わり、椅子から立ち上がる。

 リビングの空気が一変した。


「何? 何かあったの?」


 アダムスが鍋の火を消して、こちらを振り返る。

 ステラも不安な顔で、フィルルを見上げた。剣呑な色を称えた瞳は窓の外を見据えたままだ。


「……血の匂いだ」

「えっ!?」


 言うと同時に、彼は患者服のまま外に飛び出した。狼王ろうおうも彼の後に続く。

 ステラがアダムスを見やると、彼は力強く頷いた。


「患者かもしれない。行こう」

「オ手伝イシマス!」


 ランタンを手に取り、二人も外へ駆け出した。



 * * * * * *



 外はとうに日が沈み、真っ暗な夜のとばりが降り切っていた。

 冷たい夜風がステラの白い毛を撫でる。同時に、狐の嗅覚が鉄臭く湿った匂いを捉えた。

 今日は新月だ。

 何故か、いつもなら森中にちらちらと漂う精霊の姿が見当たらない。

 治療院の前は広場になっている。横切る小さな小川には小さな橋がかかり、その向こうには黒い森が広がっている。


「いた」


 仁王立ちで森を睨むフィルルが、小さく呟いた。

 ステラとアダムスもランタンを掲げ、目を凝らす。

 確かに人影がある。見つけたと同時に、その人影が絶叫した。


「助けて! お願い!」


 若い女性の声だ。

 ステラの耳がピンと尖る。声に聞き覚えがあった。咄嗟に彼女の名を呼ぶ。


「マルテ!」


 ステラの請えと共にランタンの光が届き、赤い髪が照らし出された。しかし、赤いのはそこだけではない。彼女の衣服にも所々赤い染みができている。

 マルテの隣にいつも並んでいた吸血鬼の青年は今、彼女に肩を抱かれたまま、ぐったりと動かない。

 名前を呼ばれた女性は続けて叫んだ。


「ここ治療院よね! 確かにあの人外専門治療院よね! お願い、テオがやられたの、ひどい怪我なのよ!」

「ステラ、行こう!」


 アダムスが彼女に駆け寄り、ぐったりとしたテオを抱き留めた。

 ステラもそれに続き、力が抜けたマルテの身体を支える。彼女の背中をさすりながらテオを見下ろした。全身が血に濡れて、ステラではどこが患部だか一目ではわからない。不自然に長く見える右腕が、二の腕辺りで取れかけているのはわかった。かろうじて息はしているが、栗色の髪が血で肌に張り付いているせいで、顔色が伺えない。

 彼らはどうしてるだろう、また会いたい。そう思った。だが、こんな再会になるなんて思わなかった。


「ステラ、シーツと僕の鞄を持ってきて。これ以上安易に運べない、ここで一通り手当してから運ぶよ」

「ハイ!」


 マルテを座らせて院に向かおうとした所で、彼女に裾を掴まれた。思わず振り向くと、マルテの視線は森の中に釘付けになっている。顔色が青い。


「嘘……なんでここまで来るの……?」


 震える声が、彼女の口から漏れた。

 ステラは眉をひそめ、彼女の視線の先を辿った。フィルルは未だ、森に向かって立ち向かったままだ。小さな狼王ろうおうも並んで森を睨んでいる。

 黒い森の奥で、一瞬青い光が見えた。

 ステラは戦慄した。あの青い光の気配に、覚えがある。

 自然と緊張で呼吸が浅く、早くなっていく。

 青い光はちらちらと頻度を増しつつ、こちらに近づいてくる。

 アダムスも森の方をちらりと見やった。彼の治療の手が止まる。

 白銀の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。


「嘘でしょ……なんで――」


 そう、精霊が姿を見せないのも、吸血鬼――魔力を多く有する存在のテオがここまでひどい有様になっているのも、理由がつく。


「なんで精霊の森に、また死霊がいるんだ!」


 治癒術師の少年の絶叫が、森中に木霊こだました。

 その場にいる者たちの顔が、絶望に染まる。

 しかし、


「あれは北の泉の死霊じゃない!」


 フィルルの大声が、その場の空気を震わせた。


「でも、あの死霊たちは一回森中に広がったから、その残滓ざんしの影響で入ってきちゃったんだろうね。本来あってはならないことだ。しっかりと追い出させてもらわないと」


 どこか好戦的で、弾んで上ずった声音だった。

 フィルルが片足を半歩下げ、両手を掲げる。いつの間にか彼の手には、指揮棒のような杖が握られていた。


「アダムスは治療を続けろ! 狼王ろうおうはアダムス達を守ってくれ」

「承知した」


 低く威厳ある声が響き、巨大な銀色の狼が姿を現した。優雅な脚運びでステラ達を庇う用に立つと、視線でアダムスの治療を促す。

 アダムスは頷き、テオの右腕を慎重に掴むと治癒術をかけ始める。

 ステラもはっとして立ち上がり、院内へ駆け込んだ。診察室のドアを乱暴に開けると、清潔なシーツとアダムスの治療道具が詰め込まれた鞄、タオル、持てるだけの聖水を持って、外に戻る。

 その時には、森の中にいた死霊が広場までたどり着いていた。

 青く発光し、顔に傷跡が走る屈強な壮年の戦士だった。手に持った大剣は血に濡れて、切っ先から滴り落ちる雫が芝生を汚す。目の前にしたら、ほとんどの人がおののいて道を開けるだろう。

 しかし、フィルルは一歩も下がらない。

 体格がいいとはいえ、戦士の死霊と比べたら彼なんて優男だ。

 それなのに、フィルルはむしろ楽しそうにしっぽを振っていた。


「ずっと寝ていたし、腹ごなしの運動にも丁度いい」


 戦士の死霊が大剣を構える。胸の横で天を突くように直立させた刃が、より強く発光しだす。

 相対するフィルルは、不敵な笑みを浮かべて呟いた。


「さぁ、決闘の大魔術師の実力を見せてやろう」

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