命題14.マスター フィルル・エルピス 6

 フィルルの腰で揺れていたしっぽが、止まる。

 低く腰を落とし、杖を持たない手が地面に付く。狼の脚が地面を踏み絞り、鋭い爪が浅く土を掻き出した。

 四つん這いのような姿勢になったフィルル・エルピスは、まさに狼そのものだった。


 フィルルが浅く息を吸って地を蹴った。地面すれすれを一直線に滑り、戦士の死霊へ真正面から向かう。

 杖が水平に空を切る。フィルルの背後に発生した四つの火球が、先行して戦士に突撃した。

 戦士が大剣を振るう。横凪に大きく旋回する刀身は、四つの火球全てと着弾。同時に爆発し、火と黒煙が戦士の視界を塞いだ。


 フィルルが一層強く地面を蹴り、戦士の目前にまで迫る。再度杖を構えようとして、上に一直線に流れる黒煙のすき間に、青白い刃が見えた。

 フィルルが左に跳躍すると同時に、自分がいた場所に大剣が振り下ろされた。ドン、と強い衝撃と共に地面が陥没、隆起し、割れる。風圧に紫銀の髪が大きく煽られ、フィルルは両目をすがめた。同時に口元の笑みが深まる。


 戦士の力は強い。今の一撃は、アダムス達がいる場所にまで強く響いただろう。

 脅威ではあるが、獲物が大振りである以上、この戦士の死霊は鈍重どんじゅうだ。脚の早いフィルルの敵ではない。

 弱い者いじめは趣味ではないが、と内心苦笑する。


 地面に着地し、杖を掲げる。戦士は振り下ろした大剣を翻し、フィルルに向かって下段から切り上げた。

 ガキン、と硬質な音が耳朶じだを打った。

 金色の燐光を放つ翼が両翼を広げ、戦士の一撃を防いでいた。

 金色の盾に阻まれながら、戦士は大剣に力を込める。いくつもの傷を刻んだ顔が、より一層険しく歪む。


 盾越しに彼を観察しながら、フィルルは首を傾げた。

 出で立ちは傭兵そのもの。流浪の戦士だっただろうと推測できる。

 傭兵の幽霊、死霊とは、何度か出会ったり、ランプ達に話を聞いたことがある。金と引き換えに戦う彼らは、散った後は大抵こざっぱりしているものなのだ。

 しかし、彼はあまりに必死すぎる。現世に残した未練が大きすぎるのだろうか?


 戦士の膂力が大剣に注がれ、金色の両翼にめり込んでいく。

 フィルルは思考を振り払い、後方へ数度跳躍。同時に盾が引き裂かれ、燐光となって霧散した。

 戦士の脚が地面を踏みしめ、大剣を上段に構え、迫る。

 フィルルは杖を振り、再び火球を戦士に向けて飛ばした。四つなどと出し惜しみはしない。後から後からいくつもの赤い光が、夜の暗闇を駆け抜けていく。

 戦士に衝突するたび、小さな爆発と黒煙が彼を襲う。なおも前に進む戦士は剣を振り、風圧で煙を吹き飛ばす。

 戦士の出現と同時に、彼の足元の土が隆起する。土でできた棘が四方から彼に襲い掛かる。一拍置いた後、大剣が棘をなぎ倒した。


 すぐさま戦士の目がフィルルの姿を捉える。ふん、と顎をしゃくる彼の挑発に乗り、再び彼に突撃。

 が、氷塊が彼の頭上に降り注ぎ、戦士の足が止まった。




「スゴイ……」


 ステラは思わずつぶやいた。


「アレガ、決闘ノ大魔術師ノ力……」


 目の前では、魔術師と死霊の激しい攻防が繰り広げられている。フィルルが繰り出す魔術を、戦士が薙ぎ払い追いかける。狼の健脚を持つフィルルは素早く走り、跳躍し、戦士を翻弄している、ように見えた。

 なのに、狼王やアダムスの表情は険しい。


「ダメだ……フィルルも長くはもたない」


 ちぎれかけたテオの腕を修復しながら、アダムスは首を振った。


「倒れるほど限界まで魔力を消耗しきって、休息をとってからまだ三日しか経ってない。あそこまで消耗して生きてるのは、不老不死の大魔術師だったからだし、本当は元通りになるまでに年単位の時間を要するんだ。治癒術師としては、あんな状態で戦わせたくないよ……」

「ソンナ……」


 戸惑うステラの頭上に、低く威厳ある声が降った。


「いつもより、キレも悪い。長時間は戦えないだろう」


 狼王ろうおうが歯がゆさのあまり牙を剝き出していた。


「我が戦うにしても、死霊相手では魔術師だろうが我のような人外であろうが分が悪いに変わりはない。噛み殺して魂ごと消滅させても良いが――……」


 恐らくそれだけは避けたいから、フィルルが前に出たのだろう。

 不安になりつつも、ステラはアダムスの手元に思考を戻した。

 彼はテオの腕にかかりっきりだ。だが怪我はそこだけではない。あの戦士の大剣の攻撃は、身体中の肉を切り裂き抉っていた。

 左肩から胸に向かって斜めに走る傷が目につく。が、


「ステラ、そこの怪我は見た目は派手だけど浅い。脚の方を頼む。出血が多いのはそこだから。腕がある程度回復したら院内へ運ぼう」


 手を伸ばしかけたステラに、アダムスが指示を出した。

 ステラの金色の瞳が太ももの出血を捉える。敗れたズボンに手をかけ、思い切り引き裂いた。裂傷自体は肩よりも短いが、傷口が深い。急いでタオルを聖水で濡らし、患部の汚れを拭った。

 狼狽ろうばいするマルテもステラにならい、震える手でテオの傷を見つけ、拭いていった。

 その度に乱れた赤い髪が揺れ、涙が落ちる。


「マルテサンハ、怪我ハナイデスカ?」

「大丈夫、ありがとう。あなた……ステラ、ちゃん? あの、合成獣キメラの子よね?」

「ソウデスヨ」


 小さく微笑むと、マルテもくしゃりとぎこちない笑顔を向けて、何か言おうと唇を震わせた。しかし失敗して口を引き結び、再びテオに視線を落とす。

 背後ではフィルルと死霊の戦士が戦う音が聞こえる。その間に狼王ろうおうが立ちはだかり、自分たちを守ってくれていた。

 緊張と安心が支配する中、黙々と治療だけが進む。

 ふと、アダムスが口を開いた。


「何があったか、聞いてもいい?」


 袖で汗を拭う彼に、マルテは落ち着きのない声で応えた。


「わ、私たち、この治療院に用があったの。途中であの死霊を見かけて、いつもみたいに隠れたわ。いつもそうやってやり過ごすのよ、テオも死霊には弱いから。でも、私があの死霊と目が合っちゃって追いかけられたの。万が一見つかっても逃げ切れる自信があった。でも、あれ見たでしょ? すごく強いのよ。おかしいくらい強すぎるのよ! だから逃げ切れなくて、どうにか森に入って精霊の森を目指して……だってここ、そういうのは入ってこられないはずだから。なのに――!」

「わかった。大丈夫、なんとかなるから。落ち着いてマルテ」


 再び錯乱するマルテを、アダムスが言葉でなだめた。両手で頭を抱え振り乱す彼女を見かねて、ステラは一旦治療の手を止めて手を差し伸べた。

 肩を支え、背中をさする。そうすると、マルテの気分は少しだけ落ち着いたらしい。内心ほっとしつつ、彼女に少し違和感を覚えた。

 マルテはこんなに落ち着きのない女性だっただろうか?

 自身が死にかけた時でさえ、気丈で明るく、聡明な人だった記憶がある。

 吸血鬼たちとはやり取りで、変化してしまったのだろうか。長い時間を生きてきたのに?


 疑問に思っていると、大きな爆発音の波動が全員を襲った。同時に地面が大きく揺れる。

 皆が背後を振り返る。それぞれが、驚愕に目を見開いた。


 戦士が振り下ろした大剣が、大きく地面を抉っていた。

 飛び散る土塊と共に、青白い顔のフィルルが飛びのいている。冷や汗で紫銀の髪が、額にべったりと張り付いている。

 戦士が再度剣を上段に構える。

 フィルルも杖を構え、金色に光る両翼の盾を、上段に出現させた。その刹那、戦士がにやりと不敵な笑みを浮かべる。

 上段にあった大剣の刃が翻り、即座に下段に落とされる。

 戦士の青白い光が、先ほどより強くなっていた。


 そこから先は、ステラの目にはとてもゆっくり動いているように映った。


 下段に構え直された大剣は、そのままフィルルを斬り上げにかかった。フィルルの顔は険しく歪んでいた。上に構えていた盾を下に運ぼうとして、その反応に追いつききれない。

 大剣が盾の端にぶつかると同時に、硬質な金属音。


「ア」


 と、ステラの口から声が漏れた。

 フィルルの身体が、戦士の大剣によって大きく空へと打ち上げられていった。


「フィ、フィルル――!」


 アダムスの悲鳴が、巨大樹に向かって放たれる。しかし、姿が見えなくなったマスターからの返事はない。

 今、目の前で起きた事が信じられない。

 茫然とする中、がさ、と芝生を踏みしめる音が思考を引き戻した。

 狼王ろうおうが一歩前に出る。その四本脚のすき間から、死霊の戦士の姿が覗いた。


 戦士はこちらに向かって大剣を構えた。


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