命題14.マスター フィルル・エルピス 3

「今日モ、起キテ来ラレナイミタイデスネ」

「そうだね、そろそろ一回起きてほしいけど……」


 リビングから窓の外を覗きながら、ステラは呟いた。黒い木でできたツリーハウスは、夕焼けに赤く染まっている。

 苦渋を浮かべるアダムスは、鍋をかき混ぜながら深いため息を吐いた。


「ステラの長い休眠とは違うから、ずっと飲まず食わずで寝っぱなしは良くないんだよね。今夜あたりは無理にでも起こさないとダメかなぁ」


 そう言って、もう一度ため息を吐く。

 ステラも釣られて悲しそうに耳を伏せ、尾羽を小さく畳んだ。

 フィルル・エルピスは、もう三日も眠り続けたままなのだ。

 そして、振り返ってテーブルに二人分の食器を並べながら、改めてフィルル・エルピスが来訪した日の夜にアダムスとした会話を思い出していた。



 * * * * * *



「フィルルサンノ分ハ、用意シナインデスカ?」

「うん。多分今日は起きてこないだろうしね」


 二人分の食器を並べながら、アダムスは答えた。

 毛むくじゃらで薄汚れたフィルルが治療院に来て、ヴェルデリュートに彼の話を聞いた夜、湯浴みを終えたアダムス達のマスター・フィルルは、夕食の席に姿を現さなかった。

 かと言って、夕飯を運ぶわけでもない。ステラが首を傾げていると、アダムスが苦笑して説明してくれた。


「昼間もちょっと言ったけど、フィルルはね、ステラの施術しじゅつの日に死霊と戦って勝って、北の泉に封印したんだ。でも死霊たちが強すぎるから、冬中ずっと封印の重ね掛けをしてた。とても難しくて魔力をたくさん使うから、かなり疲れてるはずだよ。暫くは静養しないとね」

「ソウナンデスネ……」


 ステラは俯いて、黒い鼻をひくつかせた。どんな形でも、施術しじゅつに協力してくれた人が倒れてしまうのは胸が痛む。


「オ礼ヲ、言イタイデス……」

「大丈夫、ちょっと休んだら起きてくるよ。精霊の森は良質なマナで潤ってるから、枯渇した魔力の回復も早いだろうし。ただ、暫くは無理できないだろうけどね。いくら大魔術師と言っても、強力な封印を何十、何百もかけ続けたら誰だって倒れるよ」


 アダムスは肩を竦めて苦笑した。テーブルの中央に鍋を置き、ステラの器に出来立てのシチューを流し込む。暖かな湯気がステラの鼻腔に良い香りを運び、口の中に涎を作らせる。

 アダムスが席に着くと、二人は食事に感謝の祈りを捧げ、スプーンを手に取った。白いクリームの中に浮かぶ鮮やかな人参をすくって一口。まだ熱いそれにはふはふと口を動かしながら、舌で押しつぶす。よく煮込まれた根菜は、それだけで柔らかく砕けて芳醇な香りを放った。

 ステラは食事を楽しみつつ、ふとアダムスの言葉に疑問を覚えた。


「大魔術師ッテ、普通ノ魔術師ト違ウンデスカ?」

「うん、全然違うよ」


 アダムスは水を一口飲んでから説明しだした。


「大魔術師は、魔術師の中でも研鑽けんさんの末に不老不死の境地に至った者の事を言うんだ」

「不老不死、デスカ……」

「そう。魔力が膨大になって、そこに強い目的や夢、想いが加わると不老不死になる。というか、その目的を達成するために不老不死になっちゃう、って感じかな? 大抵は“魔術の研究や研鑽けんさんを続ける事”って願いが多いから、何百年も研究に没頭してる大魔術師が多いかな。炎となら炎の大魔術師、氷なら氷の大魔術師って呼ばれるんだ。同じ分野で活躍する魔術師を集めた組織ギルドを作って、効率よく研究を進めたりしてるね。便利な魔法道具を生み出して、世間に売ったりもしてるよ」


 へぇ、とステラは感嘆の息を漏らした。何百年も一つの事を続けるなんて、十五の少女には途方もない話である。


「フィルルサンモ、何カを研究シテイルンデスカ?」

「いや、フィルルは別」


 指示棒のようにスプーンを振って、アダムスは首を振った。


「フィルルの一族は代々魔力が強いんだ。そこに強い想いが加わって不老不死になった。他の研究に没頭するような大魔術師とはちょっと違うね。ま、大魔術師のみんながみんな研究好きってわけでもないんだけど」

「フィルルサンノ、強イ想イッテ何デスカ?」


 アダムスは宙空を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……大切な者を守るために強くなりたい、かな」

「大切ナ者……」

「そう。でも定義が曖昧っていうか、“大切な者”が狭かったり広かったりするんだよね。でも強さを求める魔術師ってちょっと珍しいんだよね。だから“決闘の大魔術師”なんて呼ばれてるよ。普通は炎とか氷とか、一つの分野を極めるものなんだけど、フィルルの場合は色んな分野の魔術を“闘う事”に特化させたからね。戦闘においては大魔術師の中でも指折りの実力者のはずだよ。だから封印みたいな繊細な事は苦手なんだけどね」


 アダムスは呆れたように言い放ち、ちぎったパンを口に放り込んだ。しかし彼の表情は、己の主人を自慢に思っているのだと雄弁に語っている。

 ステラはそんな彼を微笑まし気に見つめた。

 暫く食事を続けていると、アダムスが再び静かに語りだした。


「……古今東西、色んな不老不死の方法はあれど、不老不死になる構造はみんな一緒なんだよね」

「一緒?」

「そう」


 アダムスは頷くと、懐かしそうに目を細めた。


「テオとマルテの事、覚えてる?」

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