命題14.マスター フィルル・エルピス 2
「トイウ事ガ、サッキアッタンデス」
「ぷっ、あははははは!」
岩の上に腰掛けていたヴェルデリュートが、盛大に噴き出した。彼には珍しい大声を上げて、膝の上から楽器にリュートが滑り落ちそうになる。
ステラはカラマリバチの巣の穴に蓋を捻じ込んで、平たい箱に溜まった蜂蜜糖に視線を落とした。気泡を取り覗くため、地面に敷いた布の上でトントンと箱を叩く。
「そんな事になっていたとは思わなかった。それで、フィルルはそのまま寝ちゃった?」
「イイエ。不潔ダカラッテ、アダムスガ怒ッテ、湯浴ミヲサセテイマシタ。男ノ人ナノデ、私ハホトンド手伝ッテナクテ、チャントシタ姿ハ、見テイマセン」
「ちゃんとした姿、ねぇ……」
ヴェルデリュートは尚も含み笑いを浮かべ、爆笑の余韻に浸っている。
ステラは蜂蜜糖の一箱目を整え終わると、新しい空箱に手を伸ばした。
カラマリバチの巣の中は高温だが、蜂蜜は常温で固形化する。巣から採取した蜂蜜が固まったら、適当に砕いて使用するのだ。
蜂蜜糖はステラの大好きな甘味で、
「働き者のステラに比べたら、フィルルはぐうたらの怠けもの」
リュートの弦を一つ
ステラは巣から流れる蜂蜜を箱で受け止めながら、顔だけをそちらに向けた。
「皆サンノ
「彼を育てたのはボク達。言っておくけど、怠け者にしたかったわけではない」
「オ話、聞キタイデス」
ステラの請いに、ヴェルデリュートが微笑みで返す。彼は中空を見つめ、「どこから話そう」と楽しげに小首を傾げた。色褪せた銀髪が、緑のケープの上をさらりと流れていく。
アダムスにお礼を言いに行った次の日から、ステラは森に入って薬草などを集める傍ら、彼とお喋りをして過ごしている。上手く発声できるようになるには実際にお喋りをするのが一番だからだ。
ヴェルデリュートは心の声が聞こえる。だが、本心以上に“その人が何と言葉にし、相手に伝えるか”を重視する彼は、不思議な雰囲気を纏った幻想的な印象に反し、お喋りが大好きなようだ。毎日話していても話題は尽きない。
ふとヴェルデリュートが視線をこちらに戻した。
「フィルルはね、ボクたちランプが育てたん」
「エッ!」
ステラの持つ箱が大きく揺れる。
「意外?」
「ハイ、ビックリ、シマシタ……。ランプノ皆サンハ、フィルルサンガ、造ッタモノカト」
少女の尖った耳がピンと跳ね、臀部から伸びる白孔雀の羽が揺れる。
ヴェルデリュートはその反応を楽しそうに眺めながら、言葉を続けた。
「フィルルの生家、エルピス一族は生まれながらに強い魔力を持っている。そのほぼ全員が将来は大魔術師やそれに準じる者となって、不老不死になる運命にある。ずっと一人で生き続ける事になっても寂しくないように、親が子のために
「ジャア、フィルルサンガ、小サイ頃カラ、ランプノ皆サンモ、一緒ニイタノデスカ?」
「フィルルが七歳の時にボク達は贈られた」
懐かしそうにヴェルデリュートが目を細める。ステラはその様子に胸が暖かくなるのを感じながら、蜂蜜で満たされた箱を置き、次の空き箱を手に取った。
ポーン、と弦楽器の優しい音が森に響き、それに応えるように木の葉が風に揺られる。
「贈られる
「……小サナ子を連レテノ旅ハ、大変ソウデスネ」
肩を竦めるヴェルデリュートをねぎらいつつ、ステラはでも、と続けた。
「皆サン、ソレゾレニ特技モアッテ、安心デハナイデスカ?」
「全然そんな事なかった」
ステラの言葉に大きく頭を振って否定する。ヴェルデリュートは遠くを見つめながら、顔中に苦労の色を浮かべた。
「フィルルが住んでいた所はとある深い森の中。ご両親以外の誰とも会った事が無かった。御父上のランプ達は御父上の前にしか姿を現さなかった。初めての森の外や知らない人たちに大興奮。わんぱくでやんちゃですぐにあっちこっち、面倒を見るのが大変だった。怪我してくるから、アダムスとイヴリルも手を焼いていた。イヴリルが『次に怪我してきたらもう治してあげないからね!』って怒鳴ってフィルルを泣かせた」
「ソノ様子、目ニ浮カビマス」
クスクスと笑うステラに、ヴェルデリュートは尚も嬉しそうに語り続けた。
「ボク達ランプもその頃はあまり仲が良くなかった」
「ソウナンデスカ? 今ハ皆サン、仲良シニ見エルノデ意外デスネ」
「造られた――生まれたばっかりだからボク達も初対面だった。個性が強いから、当時はすぐ喧嘩。特にフィルルの教育方針」
「キョウイクホウシン?」
「ソルフレア筆頭のちゃんと躾て必要な勉強をさせたい教育派、ブロスケルス筆頭のフィルルちゃん可愛いからとにかく甘やかしたい派。毎日毎日もう大変」
「リュートサンハ、ドッチダッタンデスカ?」
「ボクは中立。心の声が聞こえるから、皆の仲裁。どっちも行き過ぎる事が多くてフィルルも困ってた。加減って大事」
額に手を当てるヴェルデリュートの姿に、ステラは思わず苦笑した。今日の彼はいつにも増して饒舌だ。
そういえば、彼の話の中に馴染みのない名前がある。
「ブロスケルス、ッテ……」
「
「ハイ。ブラウシルトサンニ、アダムスノ昔ノ話ヲ聞イタトキニ、耳ニシマシタ」
確か覚えがある。ヘリオス王国にアダムスを救出しに向かったランプの一つだ。
最近気づいたことだが、ランプ達はそれぞれの名前に色が入っていて、瞳の色や服装などにその色が反映されている。
蜂蜜糖を集め終え、箱を積んで道具を片付け始める。陽も傾いてきたし、そろそろ引き上げ時だ。
ヴェルデリュートも岩から腰を上げ、楽器のリュートを構えた。
「ブロスケルスは豪快で酒のみ、ちょっと間抜けでだらしない。フィルルの事を孫みたいに可愛がって――」
「マゴ?」
「そう、孫。大きくなったら一緒に酒を酌み交わしたいが口癖。今のフィルルも、彼の影響が大きいのかも。お酒大好き、ちょっと抜けてる、だらしない。ボクも奔放に生きてるから、人の事は言えない」
堂々と笑って見せるヴェルデリュートに、ステラは肩を竦めて言った。
「アマリ皆サンニ、心配カケチャ、ダメデスヨ」
「わかってる。でもフィルル、やる時はちゃんとやる子だよ。宮廷マナーや難しい事もソルフレアが仕込んでた。それに、北の泉の死霊たちを冬中かけて封印してたのもフィルル。そういう小難しい仕事は苦手なのに頑張ってたから、お礼を言ってあげて」
「ハイ……できる限りのお礼をしたいと思います」
ステラの言葉に頷くと、ヴェルデリュートは踵を返して森の奥へと足を伸ばした。荷物をまとめ終えたステラは、片手を上げて挨拶する。
「オ話、タクサン聞カセテクレテ、アリガトウゴザイマシタ」
「どういたしまして。またお喋りしてね。ボク、お喋り大好き」
「ハイ」
小さくお辞儀をして、ステラも治療院へと歩を進める。が、ふと脳裏に疑問がよぎった。
アダムスはどっち派だったんだろう?
考えた途端、森の奥からヴェルデリュートの声が飛んできた。
「アダムスも中立――!」
驚いて振り返るが、彼の姿は見当たらない。
先ほどのフィルルに対する厳しい姿勢を見た限り、どちらかというと教育派だと思ったが、確かに彼は厳しい面も優しい面もある。
中立だった事に納得したステラは、夕焼けの赤を背中に受けつつ、治療院へと戻っていった。
* * * * * *
※更新日を 木曜・日曜 の週二日に変更いたします。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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