第三部 少女は、どう生きていくか考える
命題14.マスター フィルル・エルピス 1
精霊の森。
それは、潤沢な魔力とその源であるマナに満ちた、精霊たちの住む場所である。
世界中の森と繋がっているが、人外か、心の清らかな者か、森の住人に招かれた者しか立ち入ることができない。
森は広大で様々な植物が自生し、多くの動物たちもここで生きている。
そして、人外専門治療院。
この森にある治療院には、様々な患者が訪れる。
精霊の森の木々は背が高く、今の時期――春には美しい緑と花々で生い茂っている。
森の至る所に走る道には木漏れ日が落ち、地面を優しく彩っている。この道を巨大樹に向かって進む。それだけで、この治療院に辿り着くことができるのだ。
巨大樹の正面まで来ると森が途切れて広場に出る。一面に広がる青々とした芝生を横切る小川には、小さな橋がかけられており、橋口に
橋を渡ると右手側に、半分地面に埋まった形の工房がある。屋根が芝と花に覆われた、レンガ造りの可愛らしい家だ。
巨大樹の根本と一体化した治療院は三階まであり、玄関には鮮やかな色のステンドグラスが嵌められている。正面向かって左手には、横たわる太い根の上にツリーハウスが並んでおり、長期滞在の患者や客人はここで過ごすことになる。
玄関をくぐると待合室だ。正面のカウンターには花瓶に花が生けてあり、春らしい淡いピンクや黄色の花が患者の心を和らげる。室内をぐるりと見渡すと、明るい木の壁に様々な風景画が飾られていた。天井が高く開放的で、ゆったりとした気持ちになれる室内だ。
右手には診察室と黒いカーテンが取り付けられた遮光部屋。左手に続く廊下の先、ドアの向こうは院の住人たちのリビングだ。
廊下を抜けてまず目に入るのは、三階までの吹き抜けと螺旋階段だ。途中にある部屋は物置きとなっており、ここにシーツや包帯、薬草や調合した薬を保管している。
それらを通り過ぎると、大きなテーブルと丸椅子が並び、いつでも団欒できるようになっている。パチパチと音を立てる釜土や、茶器や皿、蜂蜜糖の瓶が置かれた戸棚には生活感が漂っている。
リビングから続く四つ部屋の内の二つは、この治療院の主と同居人の自室となっている。
窓から外の様子を伺うと、手入れされた小さな畑と、物置とレンガ造りの倉庫が見える。
明るい外へと出ると、ツリーハウスの並んだ木の根の手前に出た。
人外専門治療院と言うだけあって、治療院の主も人ではない。
穏やかな風景の中に、「わぁ!」と歓声が上がった。
裏口のそばで、少年と大きな獣が楽しそうにお喋りしていた。
少年はとある魔術師の
彼と共にいる大きな獣は、魔術師によって
キツネの頭と前足に、蹄のついた脚。全身が真っ白な毛で覆われ、特に首回りの毛はふわふわと膨らみ暖かそうだ。胸元には鮮やかな青色の宝石が埋め込まれ、中では小さな光が
そして、
「ステラ、見てこのしっぽ! すっごく綺麗だよ!」
「本当ダ……スゴク、キレイ」
白髪の髪を揺らすアダムスに、ステラと大きな獣がたどたどしい声で応えた。
彼が指さしているのは、ステラの臀部から生えた五本のしっぽだ。天を
「コレ、何ノ羽、デスカ?」
「孔雀だよ! しかも白孔雀、綺麗だねぇ」
「クジャク……」
ステラは金色の瞳を細め、嬉しそうに繰り返した。
ステラは一年前、魔術師によって
人間の姿に戻ることはできないが、おかげで醜く歪んだ姿もかなり綺麗に整ってきたのだ。孔雀の尾羽も、その一つである。
ステラは深緑色のローブを着直して、ゆっくりと立ち上がった。成人よりも大きな身体と並ぶと、小柄なアダムスがより小さく見える。
アダムスがブラシに付いた白い毛を取りながら、少女を見上げた。
「身体のどこかに、違和感とかはない?」
「イイエ、大丈夫デス」
「そう。全身の毛もほぼ生え変わったみたいだから、これからは自分でブラッシングできるね」
「ハイ。デモ、背中は届きません」
「仕方ないなぁ、そこは僕が手伝ってあげるよ!」
肩を竦めつつ、満更でもなさそうにアダムスが胸を叩いた。
「そろそろお昼の準備をしよう。そういえばステラ、今日の午後は予定ある?」
「イイエ」
「じゃあ、そろそろ蜂蜜糖が無くなりそうだから採ってきてほしいんだ。喉の治療にも最適だから、お願いね!」
「ワカリマシタ」
ステラは頷きながら、アダムスに続いてリビングへ入った。さっそく包丁とまな板を並べる少年を横目に、テーブルを拭いて皿を並べる。
ステラの手の指は四本しかないが、手先は器用になってきた。とはいえ、料理をするには至らない。その上ステラはまだまだ病み上がりだ。冬の間がずっと眠り続けて、一週間ほど前に起きたばかりである。まだまだ身体が硬く動きが鈍いので、あまり無理をしないように、と主治医のアダムスに強く言われているのだ。
基本的に働き者のステラは所在なく立ち尽くし、ちょこまかと動くアダムスを眺めていた。
すると、ドンドンドン、と激しいノックの音が尖った耳に届いた。正面玄関からだ。
芋の皮を剥いていたアダムスが振り返り、誰だろうと小首を傾げる。
「新しい患者さんかな? ステラ、ちょっと見てきてくれる?」
「ワカリマシタ」
仕事ができたと嬉しそうに頷いて、ステラは裏口を出ていった。
ステラは白い蹄で柔らかい草を踏み、正面玄関へと足を運んだ。
向かう途中でも、ドンドンと扉を叩く音が響いている。急患かな、と足早に進むと、尖った鼻先にツンと酸っぱい匂いがぶつかった。思わず足が止まる。
顔をしかめつつ、今度はゆっくりと音のする方へ向かう。
人影が見えた所で、ステラは目を丸くした。
玄関の前には、紫がかった銀色の毛玉のような男が力いっぱい玄関を叩いていた。
「…………あ」
男がこちらへ振り返る。
「君、ステラでしょ? あぁ、すごく綺麗になったね。元気だった? 俺の事覚えてる?」
ステラに気付いた男が、久々に会った親戚の様な台詞とともに両手を広げ近づいてくる。銀色の髭に覆われて顔立ちすらわからないが、尖った耳とふわふわ――を通り越してゴワゴワのしっぽ、獣の脚を見るに、獣人のようだ。
足元には、同じ体毛の小さな狼の子供もいた。
男が近づくにつれて酸っぱい匂いが強くなる。
ステラは思わず顔をしかめ、一歩下がった。
「スミマセン、覚エテイマセン……」
「えぇ、そんなひどいなぁ。でも仕方ないか、あんな状態じゃ無理な話だよね」
見るからに落胆した男は、それでもステラに詰め寄る。足元の子狼も付いてくるが、小さくくしゃみをしつつ、男から一定の距離を取っていた。
男が治療院を指さして言った。
「とりあえず、アダムスを呼んでくれるかな? 俺もう、くったくたに疲れ切ってて、ベッドを貸してほしいんだよ」
「……ワカリマシタ」
ステラは踵を返し、逃げるように裏口へと駆け込んだ。
「ステラ! どうしたの? 急患?」
慌てた様子の少女に驚いたアダムスが、鍋の蓋を持ったまま振り返る。そんな少年に顔を寄せ、小さく耳打ちする。
「……浮浪者ガイマス」
「なんだって?」
アダムスが顔を
「ステラはここにいて。何かあったらすぐ呼ぶから」
ステラが頷くのを確認して、アダムスは棒を構えて外に出る。
暫くの後、アダムスと男の言い争いが聞こえ始める。ステラは緊張で身体を強張らせながら、耳をそばだてた。
しかし、言い争いが長い。
不安に思ってステラが顔を出すと、アダムスの怒鳴り声が聞こえてきた。
「いいから! ベッドより先に湯浴み! 髭も剃るよ!」
「嫌だ! もう眠い、疲れたんだ! 柔らかくてあったかいベッドで寝たい! ベッドいっぱいあるだろう!?」
先ほどの浮浪者のような男が、恥も外聞もなく地面に寝転がっていた。子供のようにじたばたと暴れ、駄々をこねている。
「衛生面の懸念から、そんなのは絶対にダメ! まずは身体を綺麗に――あ、ステラ!」
アダムスが男の片足を掴み、力任せに引きずってくる。火かき棒は芝生の上に転がり、子狼がクンクンと匂いを嗅いでいる。
呆気にとられていると、ばちんとアダムスと目が合った。
「ステラ、手伝って!」
「アダムス……ソノ人、誰デスカ?」
「これ?」
アダムスは無様に寝転がる浮浪者のような男を一瞥した。
「フィルルだよ! フィルル・エルピス。北の泉の死霊たちを封印してた、僕たちの
「エ――――エェッ!?」
乱暴に言い放つアダムスの言葉に、ステラは再び目を丸くしたのだった。
* * * * * *
※更新日を 木曜・日曜 の週二日に変更いたします。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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