命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート 5

 次の日、ステラはいつも通り起床した。

 リビングではいつも通りアダムスが朝食を作っていたので、ロメオ達を呼びに行き、みんなで食事をとった。

 食後は少しゆっくりお茶をし、衣服の直しにもう少し時間がかかると言って最初にロメオが席を立つ。

 コウモリの姿をしたジュリエッタもそれに続いて工房に行き、アダムスは聖水を汲んでくると湖へ。

 ステラは、長い眠りでまだ堅い身体を動かして、院内を掃除をしていた。

 それも一段落したので、ドアも窓も開け放った自室のベッドにぼんやりと座っていた。


 窓から入った風がカーテンを翻し、ステラの顔を撫でてドアから外へ通り過ぎていく。

 院内の窓やドアは全部開け放っているので、その風は至る所へ流れていき、とても清々しい。

 自然と降りる視線の先、部屋の隅の床を見つめて、思わず苦笑する。

 以前はこうしてベッドで寝るのが辛くて、床に毛布を敷いて丸まって寝ていた。身体の構造が人間に近くなったおかげで、今はこうして人間らしい生活をすることができる。

 臀部から生える五本のしっぽは、昨日よりも真っ直ぐ上を向いて、毛羽立ちも激しくなっている。やはり鳥の羽なのだろうか。


 ふと、窓の外から物音が聞こえた。草を踏む音だ。

 尖った耳が跳ね、窓に目をやる。森の動物かと思ったが、歩幅からして人らしい。

 ロメオがこちらから来るはずないし、ジュリエッタは太陽の下ではコウモリのままだ。アダムスが驚かせるつもりなのだろうか。

 足音は窓のすぐ傍までやってきて、立ち止まった。

 首を傾げながら暫く凝視していると、ひょっこりと褪せた銀色の頭が飛び出した。


「リュート!」

「やぁ、こんにちわ。良い天気だね」


 ヴェルデリュートが緑色の瞳を細めて笑った。

 金色の葉の髪飾りをきらめかせ、彼はひょいと窓を飛び越え、そのまま窓枠に座って足を組んだ。

 楽器のリュートを構え、弦を一つはじく。


「ナニカ、ゴヨウデスカ?」

「さぁ、何か御用があるのかもしれないし、なんとなく立ち寄っただけかもしれない」

「ジユウ、ナンデスネ」

「確かにそうかもね。他のランプ達みたいに、ボクは仕事をしているわけでもないし。毎日こうして、好きな時に好きな場所で、好きなように歌う毎日さ」


 楽しそうに笑って、より強く弦をはじいた。

 ステラは彼の様子を伺いつつ、どう声をかけたものか少し悩んだ。

 人の心の声が聞こえる彼と、何を話せばいいのだろう。第一、ヴェルデリュートというランプの性格はいまいち掴み所がなくて、どう接すればいいかわからない。

 ふとヴェルデリュートと目が合うと、彼はにっこりと笑って小首を傾げて見せた。

 恐らく、今のステラの心の声が聞こえたのだろう。嫌な気持ちはしないが、反応に困る。

 視線を彷徨わせていると、彼は唐突に口を開いた。


「ロメオからボクの話を聞いたんだね」

「ア……ハイ」

「ロメオは、ルヴァノスから話を聞いたんだね。別に人が多い所を避けてるわけじゃないよ。むしろ大好きだ。賑やかなのは大好き。でも、ルヴァノスが涼しい顔しながら心の中ではたくさんの事を考えてて、彼と人ごみに行くと彼の心の声がすごく増えるから、一緒に行く事が少ないだけなんだ。商人の損得勘定がずーっと隣から聞こえてきたら、ちょっと鬱陶しいでしょ? せっかくの賑やかな場所が台無しだよ」

「タシカニソウデスネ。スゴク、ソウゾウガツキマス」


 肩を竦めるヴェルデリュートの話に、ステラはくすっと笑った。

 ジュリエッタの言った言葉から、もしかしたらヴェルデリュートは気難しいランプかもしれないと思っていたが、そうでもないらしい。

 だから、ステラからも声をかけてみた。


「コノモリハ、シズカデスカ?」


 ヴェルデリュートは考えるように天を仰いだ。


「うーん、賑やかな街と同じくらいかな? 人は少ないけど、動物や精霊がたくさんいるし、精霊の森の草や花、木の声はよく聞こえるんだ。だから、結構賑やか。でも内容はのんびりしてるね。良い天気だ、とかあそこの花が咲いた、とか向こうの木がよく成長してる、とか。そんな世間話だよ」


 へぇ、とステラは感心した。続けて、彼は歌うように言葉をつむぐ。


「ステラは、ボクが心の声が聞こえる事を知っても怖がらないんだね」

「……コワイモノ、ナンデスカ?」

「怖がる人もいる。だからあまり教えない。面倒なことになりがちだし」


 ステラが首を傾げると、ヴェルデリュートが薄く笑って見せた。


「例えば、あの子がどんな気持ちでいるか教えてほしい、とかね」


 ふ、と小さくため息をついて、弦をはじく。ポンポンと、軽い音が室内に響いた。


「人の心の声を聴くと、その人がどんな事を考えているのかわかる。耳を澄ませれば、その人がどんな風に生きてきたのか、そしてどんなことがあったのかさえ、わかってしまう。その時その時に、何を考えていたのかもね。まるで――」


 そう言って、彼は視線を滑らせた。釣られてステラも部屋の角、机の上に目をやった。

 そこには、ソルフレアがステラの誕生日に送ってくれた数冊の本が立てかけられていた。


「そこにあるおとぎ話や冒険譚、そんな物語を読んでいる読者みたいな気分になるんだ」


 ステラは驚いて、見開いた金の瞳でヴェルデリュートを見つめた。


「読者は、物語の登場人物たちがどこでどんな風に活躍したか知っている。彼らがどんな気持ちで、どんな覚悟で物事に挑んできたかを知っている。ボクも似たようなものなんだ。この精霊の森で、治療院でどんな事が起こったのか、登場人物たちがどんな思いをしてきたのか、知っている。ここに来てから今までで、それをよく知った。でもね、読者のボクがその登場人物たちに口出しするのはよくない事だと思うんだ」


 そう語る彼は、少し寂しそうだった。

 ステラは合点がてんがいった。なぜ彼が傍観者のようだと言われるのかを。彼はみんなを俯瞰して見ているのではなく、遠くから眺めているだけなのだ。

 ふと、彼はステラに問うた。


「君は、どう思う?」


 漠然とした質問に、ステラは戸惑った。何が、どうなのか。ヴェルデリュートが何を質問しているのか、いまいちよくわからない。

 わからないが、ステラは彼が自身を読者だと思っているのは少し寂しいと思った。せっかくこうして、同じ場所にいるのに。

 だから、思った事をそのまま告げた。


「リュートハ、トウジョウジンブツ、ダトオモイマス」


 柔らかい風が、ヴェルデリュートの髪を揺らす。

 彼の少し驚いたように丸くなった瞳を、真っ直ぐに見つめた。

 一拍置いて、彼は笑った。


「うん。その言葉が聞きたかった」


 少し苦笑を交えつつ、彼は笑顔を浮かべた。それは次第に大きくなり、お腹を抱えて一人で笑いだす。

 もしかしたら、今のは彼なりの「友達になろう」という言葉だったのかもしれない。

 ヴェルデリュートはひとしきり笑った後、


「この百余年生きてきて、思った事がある。どんなに心の声を聴いても、それって結局は心の中の事で、あまり意味はないんだ」


 そう言って、また弦をはじいた。ステラの耳がピンと跳ねる。


「何かをされて嬉しいのに言葉にして伝えなければ、その人が嬉しかった事にはならない。何かをされて悲しいのにそれを口にしなければ、その悲しみには誰も気づけない。何を思ったかよりも、何を伝えるかが重要なんだ。それが言葉でも態度でも、伝わらなければ意味がないし、伝わっていても言葉にしてほしい事がある。言葉だけは、どんなに心の声が聞こえても予想できない。怒っていても優しい声をかける人もいるし、逆もいるからね。だからステラも、伝えるべき事は伝えてほしいんだ。痛くて苦しくて辛い想いをした君だけど、答えなきゃいけない質問を保留にしたままなんじゃない?」


 ヴェルデリュートが口を開く。彼の口から洩れる声が、別の――よく知ってる声に変わっていた。


「ステラは、生きててよかった?」


 白くなった全身の毛がぶわりと膨らみ、金色の瞳が大きく見開かれる。

 それは、アダムスが施術しじゅつ前に投げかけられた質問だった。


 ステラは立ち上がる。床を蹴って自室を後にし、リビングを抜けて外へ出る。

 芝生の上を駆けながら、アダムスを探して辺りを見渡す。まだ湖から帰ってきていない。


「おい!」


 途中で衣服を抱えたロメオに呼び止められたが、それを無視して森に飛び込んだ。

 すぐにでも、伝えなければならない。伝えたい一心で駆けだした。



 ステラの部屋の窓枠に腰掛けたまま、ヴェルデリュートは部屋の主を見送った。

 小さく弦をはじき、ポツリと呟く。


「ランプはみんな、お人好しだからね」


 ふわりと風が舞い込み、カーテンを大きく揺らす。

 それが収まる頃には、吟遊詩人の姿は消えていた。



 * * * * * *



 小柄な少年が、水いっぱいの水瓶を台車に乗せて森の中を進んでいく。

 湖の聖水は、治療にとても役立つ。常に治療院には置いておきたいし、補充は毎日の日課だ。いつもはステラが率先してやっていくれていたが、まだまだ病み上がりの彼女を働かせるわけにはいかない。


「……ふぅ」


 とはいえ、アダムスにはなかなかの重労働だ。額の汗を拭い、溜息をつく。

 白い髪を揺らす風が気持ちよくて、つい目を閉じた。

 息を整え、さてもうひと頑張りと瞼を開けて目に飛び込んできた光景に、彼は口をぽっかりと開けた。

 道の向こうからこちらに向かって、ステラが走ってきていたのだ。


「どうしたの、ステラ!」


 思わずアダムスも駆け出した。何か事件でも起きたのかと両手を伸ばす。

 少女が少年の腕の中に飛び込んだ。全身で大きな身体を受け止める。「大丈夫?」と戸惑いつつ声をかけると、ステラは両腕をアダムスの身体に回して抱きしめた。

 耳元で、少女の声が聞こえる。


「アリガトウ、アダムス」

「え?」

「ワタシヲ、タスケテクレテ、アリガトウ」


 アダムスの胸に熱さがこみ上げた。一気に白銀の瞳に透明な雫が溜まっていく。

 それは、ずっとずっとアダムスが欲しかった言葉だった。

 息を詰まらせていると、ステラは続けて言った。


「アノトキ、オリノナカニイタ、ワタシヲミツケテクレテ、アリガトウ」

「…………うん」

「タクサン、タスケテクレテ、アリガトウ」

「…………うん」

「ワタシ、イキテテ、ヨカッタ」

「…………うん!」


 震える声と共に、アダムスの目から涙が溢れた。

 春風が二人を祝福するように、通り過ぎていった。



 * * * * * *



 石畳で舗装された道には、たくさんの人々が忙しなく行き交っている。

 両側に立ち並ぶレンガ造りの建物は、全て換金所、取引所、オークション会場などの商業施設だ。

 当然、ここにいる人々もほとんどが商人だ。

 軽やかに人を避けながら進むルヴァノスも、当然その一人である。

 彼は、ひと際大きな赤いレンガ造りの建物の前にやってくると、入り口までの階段を昇り、大きな扉の前に立つ巨漢に声をかける。身分証を見せ、中へ。

 ここは、とある商業ギルドの本部である。三階建ての吹き抜けの屋内では、至る所で金勘定が発生し、山積みの貨幣が天秤を傾ける。


「やぁルヴァノスさん、久々じゃねぇか。最近見かけなかったからとうとうヘマでもしたのかと思ってたよ」


 黒ひげの気さくな大男が、横から声をかける。彼はルヴァノスの隣に並ぶと、豪快に笑いながら気安く肩を組んだ。


「ご無沙汰してます。まぁ、ヘマと言えばヘマでしたが」

「へぇ、アンタでも失敗する事あるのかい。何したんだい?」


 好奇心をむき出した声音に、ルヴァノスは含みを持った笑みで返した。


「とんでもない大怪我ですよ。もう完治しましたけど」


 ヒュウ、と口笛を吹いて、大男は肩を竦めた。


「そうかい。ま、アンタは上客だからこれからもお付き合い願いたいところだね。今日は例の情報かい?」

「えぇ、進展はありましたか?」

「ステラって名前がわかったし、ある程度は絞り込めたよ。ただまぁ、そのステラって子を攫った奴らはプロみたいでな、出身地やら家族やらまではちょっと……」

「そうですか。引き続きお願いしますよ」

「あいよ」


 大男の手に数枚の金貨を握らせると、彼は肩に回していた腕を解いてルヴァノスの背中を叩いた。

 と、そこで二人は顔を上げた。建物の奥から男の怒鳴り声が上がったからだ。

 よくある喧嘩か、とルヴァノスは思ったが、どうも雰囲気が重苦しい。目を眇めて人だかりを見つめていると、黒ひげの大男が気まずそうに頭を掻いた。


「あぁ、またか。かわいそうにな……」

「何があったんですか?」


 黒ひげの大男は、いかつい顔に哀愁を浮かべた。


「ほら、去年ルヴァノスさんが魔術師の隠れ家を見つけてきただろ? うちのギルドの連中も被害にあってたって奴だよ。あいつはその魔術師に妻子を……ほら、あれだよ」

合成獣キメラ、ですか?」

「そうそう、その化け物にされちまった商人だ。結婚指輪とミサンガが肉塊に着いててな――って、アンタも知ってるか」


 顔を覗き込んでくる大男に、ルヴァノスは黙ったまま先を促す。


「で、その犯人の魔術師を捉えてただろ? あいつはその魔術師の男に拷問してたんだけど、そいつ何やっても死なねぇんだよ。こりゃあただ事じゃねぇってんで、もうやめろ、後が怖いぞってみんなで言ってたんだけどな……」

「言ってて、なんです?」

「逃げたんだ、その魔術師が」


 ルヴァノスは耳を疑った。驚愕に見開かれた深紅の瞳が、大男を見上げる。


「馬鹿な。厳重に監視されていたのではなかったのですか?」

「そりゃ厳重も厳重だったさ」


 鋭い声に大男は竦みながら、弁明するように答えた。

 あの魔術師は、ステラを合成獣キメラに変えた悪漢だ。あの魔術師が精霊の森に立ち入れるとは到底思えないが、万が一にでも彼女と出会うことがあってはならない。何か対策を講じるべきだろう。

 ルヴァノスは一つ深呼吸をして騒ぎのする方を見た。どうもその妻子を亡くした商人は暴れているらしい。体格の良い男が数人で取り押さえにかかっている。

 気さくな大男も、黒ひげを撫でながら騒ぎの渦中を眺める。


「でもな、いくらうちのギルドでも相手が悪すぎる。その魔術師はな、不老不死の大魔術師サマだったんだよ……」


 すっと差し出された手に、ルヴァノスは数枚の銀貨を渡した。

 大男はそれを懐にしまい、先を続ける。


「どうもそいつはこう言ってたらしい。『一人生きてる。成功だ。必ず見つけ出す』ってな」


 ルヴァノスは胸中で舌打ちした。


「…………その大魔術師の名前は?」

「名前まではわかんねぇ。けど、どんな大魔術師だったかは吐いたそうだぜ」


 ルヴァノスが顔を上げると、大男は苦々しく吐き捨てた。


「背徳の大魔術師ってな」






 命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート ~完~

 第二部 少女の大施術が、始まる。 ~完結~ 


 →次回 第三部 少女は、どう生きていくか考える。

     命題14.マスター フィルル・エルピス


 * * * * * *


 ※更新日を  木曜・日曜  の週二日に変更いたします。

 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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