命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート 4

 アダムスが出て行った後、ステラは裾直しのために改めて採寸をしてもらっていた。

 成人男性よりも背の高い少女の採寸は大変らしく、ロメオとジュリエッタの二人がかりである。

 両腕を真っ直ぐ横に上げて、胸と腹部に巻き尺を当てられていると、脇の下からジュリエッタが顔を出した。


「ねぇねぇステラ」


 腕を上げたまま、顔をだけを彼女に向ける。花飾りが着いた帽子の下から、悪戯っぽい紫色の瞳がこちらを見上げていた。


「森の中から歌が聞こえてきたんだけど、誰の声? すっごく綺麗だったけど人魚とかじゃないよね?」

「あぁーそういえば聞こえたな。誰か来てんの?」


 手早く背幅、腕の長さと巻き尺を当てながら口々に訪ねてくる二人に、ステラは首肯した。


「リュート、サンガ、キテイマス」

「リュート? 誰だそれ、聞いたことねぇな。アダムスの知り合いか?」


 ロメオは首を傾げつつ採寸を続けた。今度は巻き尺の端をステラの腰に当て、床までの長さを記録している。

 ステラはローブから筆談用のボードを取り出し、彼の名前を書いてロメオの前に差し出した。


「……ヴェルデリュート?」

「ランプノ、ヒトリ、ダソウデス」


 眉間に皺を寄せ、更に首を傾げるロメオとは対照的に、ジュリエッタが楽しそうに身を乗り出した。


「ねぇねぇ、どんな奴? アタシ、歌だけじゃ性別もわかんなかったよ」

「ソルフレアト、オナジデ、セイベツハ、ナイソウデス」

「へぇ」

「ワタシノノドガ、マダヨクナクテ、ハツオンデキナイノデ、“リュート”トヨンデ、イイッテ」

「へぇー」

「ギンユウシジン、デス。カレノウタデ、モリヲジョウカ、シテイマス」

「へぇー、道理で歌がうまいわけね」

「なるほどなぁ、冬の森は悲惨だったもんな。今日は精霊たちもたくさん見かけたし、俺に集まってきてたぜ」


 ジュリエッタはふぅん、と納得しつつベッドに腰を降ろした。

 吟遊詩人だから歌がうまい。大変理にかなった事実だが、ステラはヴェルデリュートがちょっと羨ましかった。

 正直な所、仲良くなりたいとも思っている。

 ステラが歌が好きだ。かつて人間の姿をしていた頃は、毎日のように歌っていた。両親も幼い弟も、ステラの歌が好きだと言って、よく褒めてくれていた。

 声が出せなくなってからは歌を歌う事は諦めた。むしろ、意識して忘れて考えないようにもしていた。そうすれば、苦しくて思い悩むことが一つ減るからだ。

 でも、声を取り戻せた今は違う。また歌いたい、歌えるようになりたいと願っている自分がいる。

 そんな中、吟遊詩人だというヴェルデリュートの存在は大きい。彼に教われば、また上手に歌えるようになるのではないかと淡い期待を抱いているのだ。

 もちろん、その際はアダムスともよく相談するつもりである。


 ステラがぼんやりと考えていると、ジュリエッタが再び声を上げた。


「ねぇ、ロメオ!」

「なんだよ」

「あんた、ランプ達の事に詳しいじゃん? ヴェルデリュートってどんな奴?」

「ランプ達全員に会った事があるわけじゃねぇしなぁ。でも、名前には聞き覚えがあるんだよ……」


 道具を片付けていたロメオは一旦手を止めて天井を見上げた。赤い髪を無造作にかき上げ唸りつつ、記憶を手繰り寄せている。

 暫くして、あ、と気の抜けた声を上げた。


「思い出した! 葉緑ようりょくの吟遊詩人・ヴェルデリュート。人嫌いっぽい、みたいな話を聞いたことがあるな!」


 彼の言葉に、ステラとジュリエッタは顔を見合わせた。


「意外! ランプ達ってみんなお人好しのお節介って感じだったのに!」

「ソンナフウニハ、ミエマセンデシタ」


 二人の言葉に、ロメオは慌てて手を振って取り繕った。


「いやいや、そうかもしれないってだけだよ。ルヴァノスに一度だけ聞いた話だけど、そのヴェルデリュートって奴は人の心の声が聞こえるらしいんだ」

「うわ、それは可哀想……」


 同情を漏らすジュリエッタに驚き、ステラは彼女の顔を覗き込んだ。ヴェルデリュートが微細な魔力を通して人の心の声が聞こえる事は、アダムスから聞いていた。だが、それがなぜ“可哀想”という感想になるのかがわからない。

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる吸血鬼は、少女の意図を察して説明してくれた。


「他人が心の中ではどう思ってるかなんて聞きたくないよ。言葉では耳障りの良い事言ってても、腹の中では何思ってるかわかんないもん。もしかしたら悪口言ってるかもしれないし、暗い事考えてるかもしれないでしょ? 人が多かったらそれだけ心の声が聞こえちゃうわけじゃない? アタシだったら他人の事なんか信じられなくなりそうだし、人がいる所へは近付かないようにするな。第一うるさそうだし」


 頬杖の上に顎を乗せて、ジュリエッタは口を尖らせた。そうしていると、大人っぽく美しい彼女が不思議と幼く見える。

 ステラは眉尻を下げながら訪ねた。


「カレハ、チリョウインニモ、アマリチカヅキマセン……ヤッパリ、イヤナンデショウカ?」

「いや、それはどうかな」


 答えたのはロメオだった。


「本人がどう思ってるかはルヴァノスも知らないらしい。あまり自分の事を語らない奴なんだってさ。普段の行動を見る限り、人がたくさん集まる場所には近寄らなくて静かな場所を好むから、そうなんじゃないかって言ってただけだよ。本当の所はどうかわからないし、フィルルさんとランプ達とみんなで旅してた頃は、よくランプ達の喧嘩の仲裁をしてたらしいぜ」

「あれ、やっぱりお人好し?」

「かもな。ランプ達も衝突する事が多いみたいだし、心の声が聞こえるランプが仲裁するのは自然なんだろうけど。そんなだから、他人の事には詳しいけど自分の事は滅多に話さない。聞いてもふわふわっとした事ばっかり口にして、いつもはぐらかしちまうんだってさ」


 そう言ってロメオは肩を竦めた。


「輪の外でこっちを眺めてるような、傍観者みたいな奴だったんだって。そういう時の顔は皆を暖かく見守るような眼をしてたから、別に嫌ってるわけじゃないんだろうってさ。ランプ達はみんな、単にそういう性格と距離感の奴なんだと解釈してるって言ってたぜ」


 ステラは理解できたようなできないような感覚で、小さく頷いた。難しくて、想像の範疇はんちゅうを超えた考え方に上手く頭がついていかない。ただ、仲良くできるだろうかという不安が胸に残る。

 ジュリエッタの方はと言うと、気に入らないとでも言わんばかりに顔をしかめていた。


「アタシは嫌だな。自分の事を教えてくれない奴とは仲良くなれないよ。好きな人の事はなんでも知りたい。現にロメオの事はよく知ってる!」

「話すり替えんなよ……」


 呆れた様子で呟くロメオに、ジュリエッタは尚も言い募った。


「アタシはロメオの事大好きだし、ロメオの事はなんでも知りたいよ! ロメオは何でも話してくれるし――」

「俺の話はいいだろ!」

「なんでよ! 恋人なのに!」

「今の話には関係なかっただろ!」


 顔を真っ赤にしたロメオは、そう言い放って足音を荒げつつ窓に近づいた。「ちょっと、」というジュリエッタの静止も聞かず、黒い遮光カーテンに手をかけ一気に引き開ける。

 カーテンが滑る音と共に、ステラでも眩しく感じるほどの陽光が差し込み、ジュリエッタに直撃した。

「キャッ」と小さな悲鳴の後、一瞬でジュリエッタは白い煙に包まれた。数秒後、パタパタと軽い羽音と共に金毛のコウモリが中から現れる。


「キー! キーー!」


 甲高い声で鳴きながらロメオに突撃し、翼で彼の顔を叩く。コウモリにされたジュリエッタはかなりご立腹らしい。そんな彼女を手で払いつつ、ロメオはさっさと荷物をまとめるとステラに向き直った。


「採寸終わったし、作業は外の工房でやるからお前は服を持ってきてくれ。明日には全部直せるだろうから待ってろよ」


 頬を赤らめたままのロメオは、ジュリエッタに攻撃されつつそそくさと部屋を後にした。

 残ったステラは、カーテンを引き直して自室に向かった。道中、ついアダムスの事を考える。

 彼は何を思って突然出て行ったのだろう。とても気になる。

 彼の事を、全部知りたいだろうか。知りたい。もっとたくさん知りたい。

 心の声が聞こえたら、この知りたい気持ちを満たせるのだろうか。

 その時、自分は自分の思った事、感じた事を全部アダムスに伝えるだろうか。伝えられるのだろうか。


 答えが出ないまま、“もしも”の想像をしては時間が過ぎていった。



 * * * * * *



「ヴェルデリュート!」


 精霊の森の中に、アダムスの声が響く。


「ヴェルデリュートォー! どこー?」


 両手を口に添え、森中に向かって叫ぶ。しかし、返事は聞こえない。

 アダムスははぁ、と肩を落とした。

 突然ステラ達の元を離れたのは理由がある。どうしても、ヴェルデリュートに聞きたいことがあったのだ。

 ヴェルデリュートは穏やかで気の良いランプだ。半面、取り留めも無く流浪する風のように、考えている事がよくわからない人物でもある。

 そんなちょっと不思議な部分はあるが、彼はアダムスとイヴリルが喧嘩するといつも仲裁を買って出てくれた。他のランプ達が、自分たち双子の喧嘩が生ぬるく見えるほど派手で本格的で殺し合いでも始めるのかという程の喧嘩をした時も、上手い事仲裁をするランプなのだ。

 そんな彼だから、きっとアダムスの質問には答えてくれると思った。


 しかし、小一時間ほど呼んでも探し続けても彼は見当たらない。

 最初は歌声が聞こえる方向に進んでいたが、いつの間にか歌はやんでしまっていた。

 代わりに聞こえる小鳥たちのさえずりや木々や草の擦れる音が、森中を駆け回るアダムスを笑っているような気さえする。

 第一、彼の耳なら絶対にアダムスの声が届いているはずなのだ。それなのに姿を見せないなんて。

 絶対にわざとである。


「…………いじわる」


 ポツリと呟くと、一迅いちじんの強い風がアダムスを襲った。

 咄嗟に帽子を押さえて目をつむる。白髪が乱暴に乱され、純白の治癒術師衣装がめくれ返る。

 森が騒々しくざわめいた。

 木々のすき間を縫って駆け抜ける風は、唐突に巻き起こり、唐突にやんだ。

 恐る恐る目を開けて、周囲を見渡す。

 ここは精霊の森、意味もなくこんな事は起こらないはず。だが、アダムスの目に映るものに特段の変化はない。

 首を傾げていると、ポーンと爽やかな弦楽器の音が耳に届いた。

 ヴェルデリュートだ。そう確信すると同時にもう一度ポーン、と弦をはじく音が響き渡る。

 音のする方を見上げると、大きな木の枝に座ったヴェルデリュートが、アダムスを見下ろしていた。

 色褪せたような長い銀色の髪が、木漏れ日に輝き、緑色のローブは森と同じ色合いを見せる。そのまま精霊の森と同化してしまいそうだ。

 彼は薄く微笑んで、木の葉のような緑色の瞳を細めた。


「ボクは意地悪じゃないよ」

「だってすぐに出てきてくれなかったんだもん。ずっと探してたのに!」


 頬を膨らませて抗議するアダムスに向かって、吟遊詩人は肩を竦めてみせる。腕に抱えたリュートを抱えて枝の上に座り直すと、そのままリュートをはじき歌い始めた。

 もう、アダムスの方は向いていない。


「……木の上にいると、また降りてこられなくなっちゃうよー」


 アダムスの野次に、彼は答えない。


「みんな、君が木のうろで眠りこけてた事に呆れてたんだからー」


 やはり、彼は答えない。

 アダムスは少し視線を泳がせた後、恐る恐る声をかけた。


「ねぇ、君に相談があるんだけどー……」


 それでも、彼はこちらを見ない。歌い続けるだけだ。

 人の心の声が聞こえる彼には、アダムスの相談が何かも知っているはずなのに。姿を見せはしたものの、無視に徹している彼の態度に疑問を抱きつつ、アダムスは続けた。


「ステラの事なんだけどさ、ずっと気になってる事があるんだ。僕は、あの子を助けて良かったのかな? 独りよがりじゃなかったかな」


 ヴェルデリュートの歌声が止まる。だが、こちらには振り向いてくれない。

 それでもアダムスは一歩踏み出し、頭上の吟遊詩人に向かって思いのたけを叫んだ。


「ステラ、どう思ってるかな? 僕のこと恨んでたりしない? 怖い思いをしなかったかな?」

「それは、ステラを見てればわかることなんじゃない?」

「でも!」

「たとえ心の声が聞こえなくても、君たちを見守ってきた、協力してきた誰もが口を揃えて言うと思うよ」

「なんて!?」


 ヴェルデリュートは答えない。ただ、質問に質問を返した。


「それは僕に聞くこと?」

「――!」


 思わず怯んだ。

 アダムスの頭の片隅に、やっぱり、と呟く声が響く。聞く相手を間違えている事を、どこかで自覚していた。それを遠慮なく指摘され、彼に聞きたかったことが霧散しそうになる。

 それでも、アダムスは彼に向かって言い募った。


「……ステラに聞くのは、やっぱりちょっと怖い。施術しじゅつ前に助かってよかった? って聞いてみたけど、結局うやむやになっちゃって、答えをもらってないんだ……」


 アダムスは視線を落とした。足元で揺れる花を見つめながら、少しずつ吐き出していく。握った拳に力が入る。


「生きたいって言ってくれたけど、助かって良かったかは別かもしれないじゃない? ステラはずっと怖くて痛くて苦しい思いをしてきてて、もしかしたら、多分、恐らく万が一だと思うけど、助かりたくなかったかもしれないじゃない? 僕のやったことは余計なお世話だったかもしれないもん。だから知りたくて……心の声が聞こえる君なら、ステラと会った時にわかったんじゃないかと思って……」


 少しずつ声が小さくなり、自身無さげに掻き消えていく。

 うなだれ、肩を落とすアダムスを見下ろしながら、ヴェルデリュートは一言だけ告げた。


「それは、ボクから口にする事じゃない」

「え……あ、待って!」


 踏み出したアダムスを押しとどめるように、再び森の中に強風が巻き起こった。

 思わず目を閉じ、腕で顔をかばう。風がやんだ頃には、ヴェルデリュートの姿は消えていた。


「ヴェルデリュートォ…………」


 半泣きになりながら名前を呼んでみたが、その日はもう、彼が姿を現すことはなかった。

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