命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート 3

 ステラが起きてから、精霊の森は穏やかな晴れの日が続いていた。

 今日もステラは治療院の横で、アダムスにブラシをかけてもらっていた。

 目隠しのついでに洗濯された大きなシーツが、日の光を反射して眩しい。

 柔らかいタワシの様なブラシに毛を一撫でされるたびに、ほど良く気持ちの良い刺激が走る。無駄な毛が巻き取られすっきりとする感覚に、ステラは感嘆の声を漏らした。


「キモチイイデス……」

「そう? よかった、起きてから抜け毛が激しいもんね。どんどん白くなっていくよ」


 ブラシについた毛を取り除きつつ、アダムスは笑った。芝生の上に落とされた毛は茶色のものばかりで、ステラの身体は日に日に真っ白に近くなっていく。

 全身を一通りブラシをかけ終えたアダムスは、ステラの首元に手を伸ばした。


「今日はここまで。首周りの毛がふわふわになったねぇ」


 少女の襟首は、まるでふわふわのマフラーを巻いたようにかさが増していた。今やアダムスにとって、ステラの肉球の次にお気に入りの部分である。

 座っているのを良い事に、少年がもっふりと顔を埋めた。


「お日様の匂いがする」


 もごもごと喋るアダムスの頭に鼻先を置いて、ステラはゆるやかな風に誘われるまま目を閉じた。

 春の陽気も、アダムスの体温も心地よい。このまま微睡んでしまいそうだ。つい耳がゆっくりと垂れていく。

 ふわふわの毛にはまっているアダムスも多分同じ気持ち。そう思いながら身体を楽にしていると、


「何してんだお前ら」


 唐突にかけられた声に、ビクリと身体が震えた。

 尖った耳を立てつつ振り返ると、捲られたシーツの向こうからロメオが顔を覗かせていた。赤い髪と頭にかけたゴーグルの上には、花飾りのある帽子を着けた金毛のコウモリが乗っている。

 アダムスはステラから身体を離すと、ロメオに返事した。


「やぁ、久しぶり! 急で悪かったね」

「別に、そろそろだろうと思ってたからな。ここに用事もあったし丁度良いさ」

「キー」


 金毛のコウモリ――ジュリエッタも小さな声で挨拶を返す。

 アダムス以外の施術しじゅつに協力してくれた人に会うのは、起きてからはこれが初めてだ。ステラは喜びと感謝を込めて、彼に言った。


「オヒサシブリデス、ロメオサン。オカゲサマデゲンキデス」


 たどたどしい言葉を声で伝える少女の姿に、ロメオは肩を竦めながら苦笑した。


「あぁ。ちゃんと起きられて良かったじゃん」



 * * * * * *



 再会の挨拶を交わした後、ステラ達は遮光部屋に移動した。

 ロメオが訪ねてきたのは、ステラの身体維持装置の様子を見るためだ。必要に応じて組み込まれた魔術の調整もする。

 施術しじゅつもこの魔術も完璧だが、万が一異常があった場合は、施術しじゅつに関わった各々に再度招集をかける事になっていた。


 ロメオがステラの胸に埋まった大きな青い結晶に手を伸ばす。触れた瞬間、結晶の上に幾重もの魔法陣が浮かび上がった。

 赤にも青にも緑にも発光するそれらは、自分の身体に関わるものじゃなければ、あまりの美しい光景に感動していただろう。だが、今のステラはさすがにそんな気分にはなれない。

 ロメオはそれに指を滑らせ、ゴーグル越しに魔法陣が描く紋様を凝視した。

 各々の顔に、ほんの少しだけ緊張が走る。ステラも顔を上に向けて身体を強張らせながら、彼が判断を下す瞬間を今か今かと待ち続けた。膝の上に置いた拳に、つい力が入る。

 が、


「特に問題なさそうだな」


 目にかけたゴーグルを上に滑らせながら、軽い声音でロメオは言い放った。


「アダムスが診る限りでも体調は良好。その抜け毛も、歪に繋がってた身体が施術しじゅつとこの身体維持装置で整理・安定した影響だと思うな。多分、元々想定されてた姿なんじゃないかな。おそらく、素人判断だけど」

「そっか、よかったぁ……」


 アダムスが安堵で胸を撫でおろし、ステラも思わずため息を吐いた。

 ロメオが結晶を二、三度指で叩くと、魔法陣たちは一瞬で結晶の中に吸い込まれ、中で煌めく光に変化する。

 ジュリエッタが出された紅茶に口を付けながら口を挟んだ。


「ステラの身体って吸血鬼の……灰? だっけ? が使われてるんでしょ? それによる変化かもよ。基本的に吸血鬼って素材がもたらす効果は“美しさ”だからね。老いを遅らせたり美貌を生み出したり、みたいな」

「へぇ、それで真っ白になってるのか?」


 首を傾げるロメオに、ジュリエッタが首肯する。


「ステラの茶色の毛、ゴワゴワして色もちょっとまだらだったじゃん? 今はすごいふわふわしてるしさ、そういう事だと思うよ」

「それ、テオも言ってたよね。きっと綺麗になるよってさ」

「ウン、イッテマシタ」


 アダムスに釣られてステラも笑顔を見せる。テオ達の事がとても懐かしい。もテオが吸血鬼だから、重症のマルテをこの遮光部屋に寝かせて治療していた。陽の光の元では小さなコウモリになってしまう彼が、元の姿のままで愛する人の側にいられるようにするためだ。

 うすぐ、彼らが出て行ってから一年くらいだろうか。

 ステラが思い出にふけっている横で、アダムスが身を乗り出した。


「ロメオ。ステラのしっぽ、君はどう思う?」

「はぁ? しっぽ……?」


 ステラは背中を向け、毛羽だった五本の細長い尾を見せた。ステラの記憶では起きた時よりも色も白く変化して、毛も広がり始めているのだが、何なのかはよくわからない。

 ロメオがその一本を手にとり、指で毛先を撫でて感触を確かめる。両目を細め、眉間に皺を寄せて暫く観察していたが、ふと顔を上げて言った。


「なんだこれ? なんか……羽? みたいだな」

「羽?」

「ハネ、デスカ?」


 アダムスとステラが揃って首を傾げる。すると、ロメオが背中の翼を広げて指さしてみせた。


「そう、この羽。なんつーか、濡れて毛がまとまった時に似てるんだよな。それに、中心に細い芯みたいな感触もある」

「ソウイエバ、マエヨリモ、グニャグニャウゴカスコトハ、デキナクナッテマス」

「そりゃ羽だもんな、真っ直ぐ生えるものなんだから、動物のしっぽみたいにはいかねぇよ。ま、折れないように注意しつつ様子を見るといいんじゃねぇかな……そうだな、鳥系の獣人あるあるだけど、長い尾羽はなるべく地面に向けて垂らすなよ。人に踏まれて痛い目見るからな。なるべく上に向けておく練習をしとけ」


 そう言うと、パンと自分の膝を叩いて続けた。


「ま、身体の方は問題なし異常なし。あと俺ができそうな事と言えば衣服の裾直しか? 猫背だったのが姿勢よくなってるから、丈が足りなくなってるだろ。採寸してぱぱっと直してやるよ」

「それは助かるよ! お願いね、ロメオ」

「ヨロシクオネガイシマス」


 頭を下げるアダムスとステラに、はいはいと素っ気ない返事をするしながら、ロメオは鞄から採寸道具を取り出した。

 彼が準備している様子を眺めながら、アダムスはしみじみと、


「あぁ、でも本当に良かった。ステラが助かって……」


 呟く声が、ふと途切れた。

 不思議に思ってステラが振り返る。口を引き結んだ少年の顔が、ほんの少しだけ強張っているように見えた。

 心配して声をかけようとするより先に、ロメオが鬱陶し気に言った。


「あーもー、皆して何回同じこと言うんだよ、しつこいっつーの」

「ろ、ロメオが淡泊なんだよ! 良かったものは良かったじゃないか!」

「そーだそーだ、言ってやれー」


 アダムスの反論に、お茶菓子のクッキーを頬張りながらジュリエッタも応戦する。が、アダムスは急に席を立つと、入り口に向かって行った。


「ちょっと用事を思い出しちゃった。すぐに戻ってくるから、皆好きに過ごしててね。ロメオ達は今晩泊まっていく?」

「ん? あぁ、衣服の直しには一晩かかるだろうから、宿は貸してほしいけど……」

「わかった、その準備もしておくよ。じゃあね!」


 そう言うと、アダムスは逃げるように部屋を出て行ったしまった。

 部屋に残った三人は、目を丸くして顔を見合わせた。


「……なんだアイツ」


 巻き尺を持ったまま、訝し気にロメオが呟いた。

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