命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート 2

 大きな桶を芝生の上に置いたアダムスの横を、精霊と共に心地よい風が通り抜ける。

 白髪の髪を軽く抑え、両手を腰に置いた少年は爽やかに言った。


「湯浴み用のテントを張るのもいいけど、せっかく気持ちいいんだからシーツで目隠しするだけでもいいかもね」

「ウ……ン……」


 彼の提案に頷きつつ、芝生の上に座り込んだステラは、耳に届く旋律を辿ってぐるりと頭を上げた。

 尖った鼻のずっと先、木の根の上では相変わらずの人物が歌を歌い続けている。

 爽やかで透き通るような音の流れは、生命力に溢れた精霊の森の春にふさわしい。リュートの音も耳に心地よく、暖かな日差しと相まって、ついうとうとと二度寝しそうになる。


「ステラ?」


 すぐ後ろから声をかけられ、肩がびくりと震える。気恥ずかしさに少し背中を丸めつつ振り返ると、両手いっぱいにシーツを抱えたアダムスも彼の人物を見上げていた。


「あぁ、彼が気になるよね。葉緑ようりょくの吟遊詩人、ヴェルデリュート。僕たちと同じ魔法生物ランプだよ。その名の通り歌が得意なんだ」

「オ……ァ……」


 立てかけた竿にシーツを広げながら、アダムスは語った。


「同じと言っても、七つのランプの中ではちょっと特殊なんだよね。うーん、なんて言えばいいのかな。魔力が他のランプたちより多くて、僕たちよりもずっと人間っぽくない、みたいな?」


 首を傾げながら、アダムスが筆談用のボードを差し出す。ステラはそれを受け取って、早速文字をつづった。


『わかります。先ほどまで、この森の精霊が人の姿をとったのかなって思ってました』

「あはは! それすごくおもしろい! ヴェルデリュートは本当に人っぽくないからね」


 アダムスに釣られてステラも笑った。その背後で、当の本人・ヴェルデリュートが木の根から飛び降り、音もなく地面に着地する。

 手遊びするように抱えたリュートの弦をはじきながら、穏やかな笑みを浮かべてゆっくりとこちらに近づいてくる。

 アダムスは両手を上げて彼を歓迎した。


「やぁ、ヴェルデリュート! 今ちょうど君の話をしていたところだよ。この子がステラ」

「知ってるよ。みんなボクにステラの話ばかりするんだもの」

「みんなって、他のランプ達?」

「ランプたちも精霊たちも花も木も草も鳥も動物も虫も、この森みんながボクに語り掛けてくる。だから君と会うのは初めてだけど、ボクは君のことをよく知ってる」


 しみじみと頷きながら、ヴェルデリュートは目を伏せた。

 アダムスがステラに向き直り、改めて彼を紹介する。


「ヴェルデリュートはすごく耳が良いから、僕たちでは聞き取るのが大変な精霊や木や草花、動物の声も聴く事ができるんだよ。それに、微細な魔力を通して人の心の声を聴くこともできるんだ」


 にっこりと微笑むヴェルデリュートに、ステラはぺこりと頭を下げる。


「ょ……ヨロ、シク、オネガイ……マス、ベ、ウェル、ベル、ベ……」

「ヴェルデリュート、葉緑の吟遊詩人、緑のランプ、吟遊詩人、緑の妖精、言霊使い、魔術師、アレ、ソレ、君はどんな呼び方が好き?」

「ァウ……」


 その場でくるりと一回転したヴェルデリュートは、紳士のように優雅に一礼してから顔を上げた。透き通った妖精の羽のような布と金の髪飾が、陽の光を反射して美しく煌めく。奥行きのある緑色の瞳が、ステラの顔を覗き込んだ。


「この楽器の名前はリュート。そしてボクもリュート。同じ音楽を奏でる楽器」

「ステラ、リュートって呼んでいいって」


 アダムスの通訳につい眉尻を下げつつ、ステラは彼の名前を呼ぼうと口を動かした。何度目かの挑戦でやっと「リュート」と発すると、ヴェルデリュートは満足そうな表情を浮かべた。そして踵を返し精霊たちを引き連れて、近くの草むらから森の中へと姿を消してしまった。

 暫くしてから、アダムスが口を開く。


「ちょっと独特な子でしょ? あまり気にしないでね。彼はソルフレアと同じ性別を持たないランプで、すごく中性的な歌声をしているでしょ? あの声には色んな魔術がかかってて、今は森中で歌を歌いながら、弱った森を浄化してくれてるんだ。聖水を撒くよりも手っ取り早いからね。暫くこの森に滞在するけど、大雨や台風でもない限り治療院に泊まりに事はないかな。出会ったり歌が聞こえてきたらツイてる程度に思うといいよ。ちょっと楽しくなるから」


 ステラは再び眉尻を下げながら、アダムスにボードを見せる。


『そういう感じでいいんですか?』

「そういう感じがいいんだよ、彼にとってはね。さ、早く湯浴みをしてさっぱりしよう!」


 ステラの疑問を一蹴して、アダムスはブラシを手に取ってステラを促した。



 * * * * * *



 硬く凝り固まった全身をほぐすようなブラッシングに、ステラほぅ、と息を吐いた。

 アダムスがステラの身体をブラシで撫でる度に、大きな毛玉が芝生の上に落ちる。茶色い毛が落とされ、まだらに見えていた白い毛が身体中を覆っていく。

 ブラシに詰まった毛を取り除きながら、アダムスは首を傾げた。


「毛の生え代わりかな?」

「ドウ……ナン、デショ……」

「どこか痛い所とか、違和感のある所はない? 皮膚がかゆいとか痛いとか。寝てる間も様子は見てたし、ぱっと見は問題なさそうだけど」

「セ、ガ、タカク、ナリマシ、タ……」

「うん、猫背じゃなくなったね、人間らしい感覚に近づいたかな?」


 満足そうに頷くアダムスに、ステラは首の包帯に手を添えて続けた。


「ノド、チョット、イタ……」

「あ、じゃあ今日はお喋りするの、なるべく控えようか」


 目を丸くする少女の頭を、アダムスが優しく撫でながらブラシをかける。


「声帯に異常はないよ。でも、ずっと声を出してなかったんだから、無理に発声すると傷付けちゃうからね。暫くは筆談も交えながら、ゆっくりと喋る練習をしていこう」


 ステラはこくりと頷き、早速ボードに言葉を書いていく。


『みんなはどうなりましたか?』


 差し出されたボードの文字に、アダムスは肩を竦めた。


施術しじゅつ前もそうだったけど、ステラはいつも他の誰かの心配をしてるね。大丈夫、みんな無事だよ」


 苦笑するアダムスの言葉に背中を丸めつつ、彼の話に耳を傾ける。


施術しじゅつは成功。死霊たちもマスターが食い止めた。ルヴァノスとブラウシルトが怪我しちゃったみたいだけど、僕の時ほどひどくなかったって。随分前に修理も終わって、今は普段の生活に戻ってるよ」

『死霊たちはどうなりましたか?』

「それは、すごく強力な死霊の群れだからって、マスターが何重にも北の泉に封印を施してるよ、あれからずっとね。だから暫く彼らは出てこられない。その間に対策を立てようって話になったんだ」


 ブラシがけが終わると、アダムスはステラを湯の張った桶に入るよう促した。頭からお湯をかけ、泡立てた石鹸で身体を洗っていく。すてらの身体はあっという間に泡で真っ白になっていった。


「エドアルドはご家族と一緒に東の国の別荘に滞在してるよ。絵ハガキが届いてるから、誕生日プレゼントにもらった筆記用具で手紙を出すといいよ! ソルフレアは魔力測定器の本格的な研究・開発のためにエクセリシア帝国にいる。皇帝陛下とウマが合うみたいだね、ルヴァノスは苦手だってぼやいてたけど。イヴリルとブラウシルトも以前みたいに旅に出てる。ロメオはすぐに会えるよ、ジュリエッタも一緒にね。ステラの身体維持装置の調整はあの子の担当だから。これ、洗っても大丈夫なのかな?」


 そう言いながら、アダムスはステラの胸に埋め込まれた青い結晶を指でなぞった。

 中空ではシャボン玉が風に揺られ、虹色に反射する。

 みんな元気そうだ、とステラは安心した。口元まで垂れてきた泡をフンと鼻息で飛ばし、自身の胸に手を当てる。

 硬くつるつるとした水晶鉱石の表面に、肉球が滑る。視線を落とすと、中心の方で柔らかな光が瞬いていた。

 そんなステラに構わず、アダムスは「かけるよ」の言葉と同時にお湯を頭から流し始めた。


 さっぱりしたステラの体毛は乾くと同時にとてもふわふわになった。

 特に襟首を一蹴する毛は柔らかく、アダムスはその感触と温かさが気に入って顔を埋めてしまうほどだった。

 やはり全身の毛が白く変化していってるらしく、暫くは抜け毛がひどいかも、とアダムスは呟いた。

 そして、臀部から生える五本の細いしっぽにも変化がある。


「……ささくれ立ってる」


 アダムスがしっぽの一本を手に取って見せた。


「以前は鼠みたいにつるつるした肉っぽい感じだったんだけど。ほら見て、毛っぽくなって細かく毛羽だってきてるよ。痛くない?」

「イィエ……」


 ステラも首を傾げながら、自分の身体の変化に少しの不安と大きな楽しみを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る