命題12.白日の治癒術師 アダムス  7

 真っ暗闇の世界に、ステラはいた。

 身体中を襲う苦痛しか感じられない、終わりなど見えない世界だ。

 ステラは呻いた。あの檻に閉じ込められていた頃と同じ。いや、今も閉じ込められているのかもしれない。

 今まで見ていたのは全部夢だったのかもしれない。

 苦しすぎて、自分が作り出した妄想だったのかも。

 いや、真実だ。この歪な身体で生きられるようにしてくれると、皆言っていた。


 …………皆って、誰だっけ?


 どうにか思い出そうと、苦痛に染まる頭の中をかき分けていく。

 なんだっけ。なんだっけ。


 そんな時、ずっと先に三人の人影が見えた。

 お父さんと、お母さんと、弟だ。

 彼らは踵を返し、向こうへ歩いていってしまう。


 待って、そう叫びたかったのに、上手く声が出ない。

 走って追いかけたいのに、身体が思うように動かない。進まない。


 そんなステラの横を追い抜いて、次々と誰かが通り過ぎていく。


 純白の治癒術師衣装――何人か、それを着ていた。

 深紅のインバネスコートが翻る。

 山吹色の長い髪が、微風のように流れていく。

 青いマントをなびかせた騎士が歩いていく。

 コウモリたちが飛んでいく気がした。

 大きな翼が、大きく広がっては閉じる。


 彼らの背中に手を伸ばし、呼び止めようとした。

 だが、思い出せない。

 どんな名前だったっけ? どんな顔をしていただろう。

 声は? 瞳は? 私になんて言葉をかけてくれた?


 思い出せないまま、彼らは通り過ぎていく。どんどん先に行ってしまう。

 彼らは闇に溶けて、消えていく。


 目の前には真っ暗闇しかない。

 何も、感じない。

 どこまで行っても果てのない暗闇は、あの男を思い出させた。

 自分をこんな風にしたあの男。

 檻の中から、いつも見上げていた。

 彼の事は、思い出したくない。


 頭を振って、その記憶を消し飛ばす。

 なかなか消えない。こんな場所にいるからだ。辛くて悲しくて、寂しくて涙が出てくる。

 ステラは頭を抱えて、その場にうずくまった。

 動こうという気力すら削がれていた。


 ――ステラ……


 背後から、幼い声が響いた。


 ――ステラ、こっち

 ――こっちなら、もう寂しくないよ


 頭を上げて、縋るように振り返る。

 背後も暗闇なのに、もっと底の知れない、奥深く悲しい何かに見えた。

 きっと向こうに進んだら、帰ってこられない。そんな予感が胸の奥から湧き出てくる。

 だが、


 ――みんなも一緒だよ

 ――もう苦しまなくていいんだ


 甘く優しい、纏わりつくような言葉に惹かれ、ゆっくりと立ち上がった。



 * * * * * *



 精霊の森を、吹雪が襲っていた。

 巨大な黒い蛇の姿をした死霊たちが木々の上にまで立ち昇り、鎌首をもたげた。

 勢いよく迫る頭が、黄金に輝く盾に衝突する。轟音と共に衝撃で周辺に積もった雪が吹き飛ばされ、砕けた燐光が突風にかき消された。死霊たちも個々に散るが、再び集まって蛇の姿をとる。

 何十回目かの攻撃に、ブラウシルトは荒い呼吸も整えられないまま、地面に突き立てた盾に体重をかけた。凄絶な寒波に晒されてなお、彼の頬には幾筋いくすじもの汗が伝う。

 自身の体格の良い身体を覆ってしまうほどに大きな光の盾は、死霊の攻撃でぼこぼこに歪み、広がる翼も砕けかけている。


 個々に散った後、蛇に戻らなかった死霊たちは治療院を目指し道を進む。

 そんな零れ落ちた子供たちを、ルヴァノスが片っ端から片付けていた。

 腰ほどの高さにある頭にナイフを真っ直ぐに振り下ろし、ルヴァノスは深紅の双眸そうぼうすがめた。


「キリが無い……」


 頭にナイフが突き刺さった死霊は、二歩三歩と後ろに下がり霧散する。

 それを見届ける間もなく、死角から飛び掛かってきた死霊の頭をねじ切り、上がった息を整える。倒した死霊は黒い霧に霧散し、大きな蛇の姿をしたへと戻っていく。

 魔法道具にとって死霊は天敵。勝てる見込みははなから無い事なんて重々承知だ。

 が、ここまで敵が強力だとは思わなかった。

 子供の霊が、こんなにも憎しみを抱いているとは、百年以上を生きる彼にも予想できなかったのだ。

 殺気ですら、そこら辺の傭兵やならず者よりずっと強い。


 彼らを押しとどめるのもそろそろ限界だ。頑強なブラウシルトと言えど、不利な相手に対していつまでも耐えきれるわけがない。現に目の前で仁王立ちしていた彼は、背中を屈めて立っているのがやっとの状態だ。

 そういう自分も、零れ落ちた死霊の処理に手を焼いている。倒しても倒しても、暗殺者アサシンの自分では、に大打撃を加えることはできない。霧散させるのが関の山だ。


 正面から飛び掛かってきた死霊の首めがけて、ナイフを横に一閃してかき消す。

 はぁ、と大きく息を吐いた瞬間、ドンッと横から衝撃を受けた。

 横腹に強烈な熱を感じる。遅れて喉の奥から熱液体がせり上がり、口の中に鉄の味を充満させる。


「ゴッフ……」


 黒いマスク越しに、口元に血が滲む。

 脇腹を見やると、いやらしく口端を吊り上げた子供の死霊がルヴァノスを見上げてせせら笑っていた。


「この……ガキッ!」


 殴りつける前に、その死霊が霧散する。脇腹には自分のナイフが刺さっていた。死霊に突き刺したままだったものを使われたのだ。

 不覚、と思うより先に、弱ったルヴァノスめがけて個々の死霊たちが襲い掛かる。


「ルヴァノス!」


 叫びつつ盾を構えるブラウシルトにも、再び蛇の突撃が降りかかる。受けるだけで精一杯の彼では、肩越しに振り返ることしかできない。

 死霊たちがここぞとばかりにナイフを取り上げ、ルヴァノスに突き刺していく。どさりと倒れた後もまるで遊んでいるかのように、何度も何度も、何人もの死霊がそれを繰り返した。彼らがナイフを振り上げる度に、鮮血が飛び散る。

 あっという間に周囲の雪が深紅に染まった。


 下手をこいてしまいましたね……


 雪に顔を埋めたまま、ぼんやりと考えた。

 本体のランプさえ無事なら、この肉体が死んでも問題は無い。

 しかし、動けなくなった事で彼らを抑える術が無くなってしまった。

 鈍い衝撃の度に鋭い痛みが走る。あっという間にこの肉体は死んだが、死霊たちが手を止める様子はない。

 玩具で遊ぶように、無邪気に凄惨にナイフを突き立てる。あまりそれをやられると肉塊にくかいになってしまう、などと思った。

 再度ブラウシルトの叫ぶ声が聞こえる。が、それに反応して、何人かの死霊がナイフを構えてそちらに向かって行く。

 間もなく、彼のうめき声と地面に倒れる音が耳に届いた。


 彼に「勝つ必要は無い」と言ったのを覚えている。

 必要は無いのだが、出来ればもう少し粘りたい所だった。

 肉体をいいように弄ばれながら、ルヴァノスは苛立ちを覚えた。


 しかし、どのくらいの時間が経ったか、それとも間もなくの事だったか、死霊たちの手が止まった。

 彼らは一様に治療院の方角、後方に目を向けていた。


 ――なんで?

 ――なんでお前がそっちにいるの?

 ――こいつらの味方をするの?


 剣呑な声があちこちで上がる。

 かろうじて動く瞳で死霊たちが注目する方向を見やると、幼い子供の姿を捉えることができた。質の良い衣服を身に纏った、くるくる巻き毛の金髪の幼い子供だ。

 あの子も死霊だ、と感じたが、他の死霊たちのように灰色がかっていない。鮮やかで綺麗なままの子だ。

 その子供は、誰かと手を繋いでいた。


「ありがとう、案内してくれて」


 聞き慣れた男性の声が、幼い子供に礼を述べる。子供はそっと手を離し、男性の元を離れた。

 いつの間にかその男性の奥には、灰銀の毛並みの巨大な狼が姿を現していた。


 勝つ必要は無い。どちらにしろ、死霊相手に私たちが勝てることはないのだから。

 勝てる者が来るまで耐え凌げば良いんですよ。だから、早く来てくださいね。

 そう、羽の形をした魔法道具で彼に伝えていた。


 でも――


「おそい……です……」


 そこで、ルヴァノスの意識は途切れた。



 吹雪の中、死霊たちと倒れる二つのランプの姿を見て、青年は顔を強張らせた。

 しかしそれは一瞬で、ふっと表情から険を消しさると、腰のポーチから金の装飾が施された薄い箱を取り出した。蓋を開け、ビロードの布が敷き詰められた内側を彼らに向ける。

 倒れる二つの影は発光し、小さな光となって青年の元まで引き寄せられた。ルヴァノスとブラウシルトだったその光は、箱の中の八つの溝のうちの二つに収まると、小さな赤と青のランプに姿を変える。

 青年はそのランプを観察する。

 表面に無数の傷がつき、若干のひび割れと、灯の濁りが確認できる。

 青年は凛々しい眉を悲し気に歪ませ、


「遅くなってすまなかった」


 ぽつりと呟き、箱をポーチに戻した。


 ――お前、知ってる


 ふと、死霊の一人が声を上げる。


 ――知ってる、知ってる

 ――そいつらの仲間だ


 続けて、あちこちで声が上がった。


 ――ステラを奪う悪い奴!

 ――ランプ達のマスター

 ――決闘の大魔術師だ!


 至る所で上がる野次に向けて、灰銀の巨大な狼が牙を剝き出して唸り声を上げた。

 重厚な圧力に死霊たちは怯む。


「まさか精霊の森でも有名だとは思わなったな。確かに、俺は決闘の大魔術師と呼ばれている」


 明朗で鋭い声が響き渡る。

 すらりと背筋が伸びた人間の身体に、狼の耳と尾、脚を持った、獣人の青年だった。紫がかった長く柔らかい銀髪が印象的だが、右目を覆う眼帯がその柔和さを打ち消している。

 左の紫眼を細め、彼は腰の鞘から短く細い杖を引き抜いた。まるで指揮棒のようなそれを、オーケストラを率いる指揮者のように構える。


「しかし、七つのランプ達と共に何かを成す時だけは、こう名乗っている――“希望の大魔術師”とね」


 ざわりと、修理がざわめいた。死霊たちが身構え、巨大な黒蛇が鎌首をもたげ、青年に狙いを定める。

 強烈な殺気に臆することなく、青年は高らかに宣言した。


「我が名はフィルル・エルピス。ここから先は、一歩も通さん!」


 その声を合図に、双方が衝突した。



 * * * * * *



 ――ステラ、こっちだよ

 ――早くおいで


 後方の闇に手を伸ばそうとして、ステラは逡巡した。

 本当に、これで良かったんだっけ?

 私に手を差し伸べてくれた相手は、私が手を取った相手は、彼らだっただろうか?


 何も思い出せないのに、違和感が胸中を襲う。

 頭が混乱して、考えがまとまらない。

 誰だっけ、誰だっけ、誰だっけ――……


「ステラ!」


 誰かが名前を呼んだ。

 確かに聞こえた。

 少年の声だ。


 ステラは周囲を見回した。

 姿はどこにも見当たらない。それでも、暗闇に手を伸ばしまさぐってみる。

 どこだ。どこだ。


 ――私はその手を掴みたい。



 * * * * * *



「ステラ、ステラ! ねぇ戻ってきて、僕の声を聴いて!」


 診察室で、アダムスが叫び続けた。

 ステラの身体は膨張し、苦痛に暴れるステラをロメオ達が取り押さえている。


「おいお前! 生きるつもりで施術しじゅつに臨んだんだろ!」

「ステラさん! どうか頑張ってください!」


 吹き飛ばされそうになりながら、ロメオとエドアルドが呼びかける。

 それでもステラの意識は戻ってこない。

 アダムスの白銀の瞳が大きく揺れる。


「ステラ……! 僕と一緒に生きよう。生きて、お願いだから!」


 胸元に提げた白いランプが揺れる。


「僕が……僕が必ず助けるよ。だから安心して……」


 押さえつけられたステラの大きな手に、アダムスの手が伸びる。

 何かを探すように動いていた少女の手は、少年の手に触れた途端、それを逃がすまいと力強く握りしめた。

 爪が手の甲に食い込み、血を滲ませる。しかしアダムスは顔色一つ変えず、少女の手を握り返した。


「ァ……だ、むス……」


 ステラの口から、微かにが漏れた。

 その場にいた全員が驚愕し、少女の顔に注目する。


「ぁ……あァア……だ……」

「何、ステラ? 僕はここにいるよ。アダムスは、ここにいるよ!」


 アダムスに呼びかけに、ステラの手により力がこもった。


「ぁダ、むす……ゎ、わだ……わだシ、い゛っ、しょ……に゛……!」

「うん……」

「いギだい…………生き、ダい……デす……」

「うん……うん! 一緒に生きよう! この治療院で、ずっと一緒に!」


 アダムスの目から、大粒の涙が零れた。ステラの口から安堵の息が漏れ、強張った身体から力が抜ける。

 落ち着きを取り戻した少女の肉体は、膨張が鎮まっていった。


「……おい、今の内だ! 早く施術しじゅつを進めろ!」


 ステラの身体から離れ、ロメオが叫ぶ。その言葉に、各々が弾かれたように再び動き出した。


「アダムス、あんたはそのままステラに呼びかけて!」


 イヴリルの言葉にアダムスは振り返ることなく、ステラに声を掛け続ける。


「当方は魔法陣の解除を進める。エドアルド、切開に取り掛かれるように準備をしていてくれ、すぐに終わらせる」

「わかりました!」


 エドアルドが大きな結晶を備えた身体維持装置を近くまで運び、ソルフレアの手元を伺い始めた。

 それを後目しりめに、診察室の奥に移動したイヴリルが声を張り上げる。


「テオだっけ、吸血鬼の血も使い切っちゃったわよ! ステラの身体の修復、ただの聖水じゃ間に合わない! 治癒術は使えないし、アダムス、何かない!?」

「あ、アタシの血でよければ!」

「キャー! ちょっとジュリエッタ、何ざっくりいっちゃってんのよ! 怪我人増やさないでよ!」


 慌ただしくも前向きな空気へと変化した診察室の中で、アダムスはステラの顔を覗き込み、ずっと名前を呼び続けていた。



 * * * * * *



「……テラ――ステラ……」


 アダムスの声が聞こえる。そう、アダムスだ。ちゃんと名前を憶えている。顔も、思い出せる。

 身体中が痛い。が、不思議と安心感がある。とても暖かくて穏やかで、終わったんだな、と感じた。

 何が終わったのだったか。そう、施術しじゅつだ。施術しじゅつが、終わった。

 自分は、生きている。


 ぼんやりとした頭で考えながら、ステラは薄っすらと瞼を上げた。強烈な眠気に、それ以上開けることは難しい。

 優しい灯りの中、ぼやけたみんなの顔が自分を覗き込んでいる。

 今にも、意識が途切れそうだ。


「ステラ、施術しじゅつは成功だ」


 ソルフレアの声が降ってくる。疲れ切っているが、優しい声だ。


「ステラさん、よく頑張りました」

「全部ばっちり! もう大丈夫よ、心配ないわ」


 エドアルドとイヴリルが笑い合っている。


「ねぇロメオ、腕痛いよ~」

「深く切りすぎなんだよ、馬鹿。そういえば、ルヴァノスさんとブラウシルトはどうしたんだ?」


 ジュリエッタとロメオの声だ。相変わらず素っ気ない。

 彼の質問に、イヴリルが返事をした。


マスターが間に合ったみたいよ。もっと早く来てくれればよかったのに!」

「まーたいいとこ取りかよ……」


 はぁ、と溜息の気配がした。

 みんなも無事だ、良かった。安心した途端、眠気に抗えなくなった。

 意識が閉じていく中、アダムスの声が聞こえる。


「お疲れ様、ステラ。ずっと僕が側にいるからね――春まで、おやすみなさい……」


 うん、おやすみ


 心の中で、そう返事をする。

 そうして、ステラは少しだけ長い眠りに就いた。




 命題12.白日の治癒術師 アダムス ~完~


            →次回 命題13.葉緑の吟遊詩人 ヴェルデリュート

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