命題12.白日の治癒術師 アダムス  6

 診察室に移動したステラは、早速寝台に横になった。腫れぼったい目元には、もう涙の跡はない。

 ロメオが手早く合成獣キメラの手足、身体とベルトで拘束し、イヴリルが痛みを和らげる薬草を腕に注射する。全身に浮遊感が走った後、感覚がなくなり、意識もぼんやりとしてくる。

 慌ただしく準備に駆け回っては持ち場につく皆の喧騒けんそうが、ゆっくりと遠のいていった。


「ステラ、必ず助けるからね……」


 覗き込むアダムスの言葉が、顔が霞んでいく。

 ステラは皆を信頼し、意識を手放した。



 * * * * * *



 パンパン、とイヴリルが手を叩いて皆を急かした。


「ゆっくりしてる時間は無いわよ! ブラウシルト様たちが死霊を食い止めてる間に、早くステラの施術しじゅつを終わらせなくちゃ!」

「死霊たちの目的はステラを殺す事。しかし、所感ではあるがただ殺すのではなく、ステラを助けさせない事に拘っているような節がある。恐らく施術しじゅつを成功させて、彼らも沈静化するだろう」


 ソルフレアがステラの頭のすぐ横に椅子を置き、首元に手を伸ばす。頸部を貫通する鉄の棒に触れると、複雑な文様が幾重にも折り重なった魔法陣が浮かび上がった。手や足の枷を外すときに目にした魔方陣よりもずっと複雑だ。

 宙空に広がるそれに目を走らせ、冷や汗を垂らしながら彼女は不敵に笑う。


「やはりここが一番の難所だな……」

「ソルフレア、どうにかなりそう?」


 ステラの側に控えたアダムスが、不安げな顔で問う。

 しかし、ソルフレアは自信を持って返事する。


「当然だ」


 ソルフレアは山吹色の髪をかき揚げると、魔法陣の端に指を滑らせ、絡み合った魔術を解いていった。その度に魔法陣が淡く発光し、燐光を落とす。

 後ろでは、エドアルドとイヴリルが胸の切開の準備をしていた。


「ステラさんの施術しじゅつは、いつもバタバタしていますね」


イヴリルがゴトン、とロメオが運んできた身体維持装置――透明な結晶化が嵌め込まれた魔法道具をテーブルに置き、


「そうね、でもエドアルドにはこういう雰囲気が懐かしいんじゃない? 偉くなってくると現場でのドタバタ施術しじゅつなんてご無沙汰でしょ?」


 くるりと振り返り、純白の治癒術師衣装の裾を翻らせる。先ほどまでの陰鬱な表情はどこにもない。こんな時なのに、と思ってしまうほど明るい笑顔を浮かべていた。

 エドアルドは苦笑しつつ、切開用のナイフを丁寧にトレーに並べながら呟いた。


「確かにそうですね。腕が鳴ります」


 ロメオはソルフレアの対面に座り、魔力測定器の数値を見張っている。たまにソルフレアの手元に手を伸ばしては、魔法陣を解く手伝いをし、彼女の補佐を務めている。魔法道具職人として、魔術の基礎知識を持つ彼は、素っ気ない態度を取りつつも施術しじゅつに極力的だ。

 そんな彼に、所在なく部屋を見回していたジュリエッタが小声で問いかけた。


「ねぇロメオ、アタシ何すればいい?」

「あ、あぁー……」


 測定器とソルフレアの手元を交互に見つめながら、ロメオは半ば適当に返事した。


「聖水を沸かしたり、タオル持ってきたりしてくれればいいんじゃねーか? ブラウシルト達が出てっちまったから雑用の手が足りないしな。好きに動いとけよ」

「好きにって……」


 紫眼を伏せて溜息をこぼしつつ、ジュリエッタは周囲を見渡した。

 とりあえず聖水の入った水瓶を近くに運び、使いやすいように銀の器に移す。

 それぞれができる事を全力で取り組み、施術しじゅつは順調に進行していった。


 しかし、突然ソルフレアの手が止まる。彼女の表情を強張らせると同時に、アダムスが顔を上げる。

 一拍置いて、ステラの口からうめき声が漏れた。


「――ァァアアアアァガァァアァ――――!」


 首を中心に、合成獣キメラの身体が腫れがあり、歪に増殖していく。ステラから漏れる声は、既に声とは言えない悲鳴に変わっていた。

 ピンク色の肉が覗き、上半身を中心にぶくぶくと膨らむ身体は、あっという間に二倍以上の体積になる。ソルフレアと対面していたロメオの姿が、あっという間に見えなくなった。


合成獣キメラの身体の膨張と変化だ。さすがに今回は規模が大きい!」

「薬草の効果も越えてる、ものすごい苦痛のはずだよ!」

「手を止めるわけにはいかない。このまま続けるぞ!」


 ソルフレアとアダムスの怒号が飛び交う。

 その下で、ロメオが拘束具のベルトを外そうと苦闘していた。膨張する肉を無理に押さえつけているせいで、余計な負担を強いているからだ。しかし、張り詰めた肉のもとでは上手く外せない。


「ジュリエッタ、ナイフを寄越せ!」

「え? あぁ、うん!」


 手渡されたナイフで腕のベルトを切ると、ロメオはそのままステラの腕にしがみつき、身体全体で抑え込む。痛みで悲鳴を上げ、暴れるステラの力に振り落とされそうになりつつ、声を上げた。


「他のベルトも切って押さえつけろ!」


 ナイフを投げて寄越されたジュリエッタは、戸惑いながら反対側の腕と腹部を切って、ステラに覆いかぶさった。そこにエドアルドとイヴリルも参戦する。


「ねぇ、今回はちょっと――痛た! 様子がおかしくない? 身体の変化が大きすぎるわ……!」


 小さな身体で踏ん張るイヴリルの声が、どうにかステラの咆哮を掻い潜って耳に届く。ソルフレアも苦渋を浮かべ、魔法陣を弄る手を止めた。


「頭に近すぎて、ステラの感情が魔法陣にも影響を及ぼしている」

「なるほど、合成獣キメラの魔術は体中に張り巡らされているので、そういう事もあるかもしれません、ね……!」


 もがくステラに吹き飛ばされそうになりながら、エドアルドが頷いた。


「これ以上無理に進められない……せめて、ステラが落ち着いてくれれば……」


 そう呟き、ソルフレアはステラの身体を撫で、彼女に呼びかけ始めた。

 それを見たアダムスも、ステラの名を呼んだ。倍以上に腫れ上がり、それでも微かに元の顔を残す少女の顔を両手で包み、優しく声を掛ける。


「ステラ……ステラ、僕の声が聞こえる? ねぇ、戻ってきて……」


 激しく頭を振って悲鳴を上げ続けるステラに、アダムスは何度も名前を呼び続けた。



 * * * * * *



「では、また後で――」


 会話を終えたルヴァノスは、扇のように広げた羽細工を指で弾いて光を消すと、それを懐にしまった。

 アダムス達との話し合いの後、ブラウシルトと共に精霊の森に駆け込むと、辺りから放たれる冷たい雰囲気に内心舌打ちをした。白銀と呼ぶにはあまりに輝きに乏しい、白黒の雪の世界は、死霊の気配に染め上げられて、ルヴァノスたちを拒絶している。

 北の泉に近づけば近づくほど、背筋を凍らせるような殺気が強くなっていく。


「これ、勝てるんでしょうかね……ヘリオス王国では黒鉄くろがねの戦士がいましたが、有象無象を相手に勝つことはできませんでした」

「別に勝つ必要はないでしょう」


 後ろ向きなブラウシルトの言葉をばっさり切り捨てると、ルヴァノスは深紅の杖を掲げた。その先から血のように赤い煙が噴き出し、ルヴァノスの身体を覆う。

 すぐに四散した煙の中からは、長身痩躯の稜線がはっきりと浮かんだ黒い仕様に、ボロボロの深紅のマフラーを着けたルヴァノスの姿があった。至る所にナイフを取り付け、黒いマスクで顔を隠した格好は、彼本来の、紅血こうけつ暗殺者アサシンとしての姿だ。

 振り乱された金髪の奥に潜む赤い瞳が、曇天を見上げる。


「ほら、お出ましですよ」


 ブラウシルトも手を翳し、光り輝く盾を作り出す。燐光を放ち金色の翼を広げたそれの向こう側には、巨大な黒蛇のようにうねる死霊たちの姿があった。


 ――アアァァァアアアア――――!!!


 幾重にも重なる甲高い悲鳴が、森中に響き渡る。

 鎌首をもたげた死霊たちが、狙いを二人に定めた。

 ルヴァノスとブラウシルトは腰を落とし、それぞれに武器を構え、彼らと相対した。



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