命題10.動き出す泉の呪い 5

 ――こんにちわ

 ――お散歩してるの?

 ――その子、誰?


 周囲の子供たちが、口々に言葉を投げる。小さい子、大きい子、男の子、女の子。年齢も髪の色も、身なりもてんでバラバラだ。しかしその全員が、干乾ひからびた大地に立つ枯れ木のように、薄く灰色がかっていた。

 生者ではない、と直感した。

 怖くはない。だが、緊張が走る。前後の道はもちろん、木々の影からも子供たちが顔を覗かせている。そのどれもがステラ達を見つめていた。とても逃げられそうにない。

 心なしか、森の風景自体も灰色がかった気がする。まるで濁った薄い膜に覆われたようだ。

 そして、寒い。


 ステラの腰に、リチャードが一層身体を寄せてくる。彼の身体は、まるで春のひだまりのように暖かい。その温もりが、ステラの心を少しだけ安心させた。

 死霊は、生者を攻撃する。例え子供の姿をしていても――むしろ、子どもだからこそ怒らせたらどうなるかわからない。どう切り抜けるべきか、ステラは逡巡した。

 そして、リチャードの小さな背を抱えながら、ステラは恐る恐るボードに指を走らせる。


『何かご用ですか?』


 ボードを掲げて見せると、近くにいた子供たちが身を乗り出した。


 ――よめなーい

 ――わたしもー

 ――「なにかごようですか?」だって


 瞬間、周囲が笑いに包まれた。


 ――迎えに来たんだよ

 ――その子は私たちとお友達になるの


「や、やだ! 余は父上と母上の所に帰るの!」


 リチャードが声を張り上げると、笑い声が一層大きくなった。その冷たさに、ステラの全身の毛がぞわりと逆立った。


 ――君のお父さんとお母さん、もうどこにもいないよ


「うそ!」


 ――本当だよ

 ――ほんとうほんとう

 ――みんな殺されちゃったんだよ


「……うそ!」


 ――君も殺されたんだよ

 ――覚えてないの?

 ――かわいそー

 ――君は幽霊なんだよ


 死霊たちの言葉に、ステラは驚愕で金色の瞳を見開いた。腰にしがみつくリチャードを見下ろすと、彼もゆるゆると顔を上げる。大きな青い瞳が、不安で大きく揺れていた。「うそ……」とか細い声が、小さな唇からこぼれた。

 そんな馬鹿な、とステラは混乱した。幽霊だなんて、信じられなかった。だってリチャードの身体は温かいし、サンドイッチも美味しそうに食べていた。元気に笑って、ステラに優しい言葉をかけてくれた。そんな子が寂しそうにしているのはとても心苦しい。だから家族の元に帰さなければ、と思って――


 いや。

 幽霊でも、死んでいたとしても家族の元に帰してあげたい。ステラの気持ちは変わらない。

 しゃがんでリチャードの目を正面から見つめ、ボードに指を走らせる。


『リチャード、落ち着いて』


 ――君のお兄ちゃんもお姉ちゃんも死んじゃってるよ


『あなたが幽霊なら、家族も幽霊になってるかもしれません』


 ――わたし知ってるよ。よってたかってひどい殺され方してた!

 ――首を落とされたんだよ! かわいそう!


『だから、家族に会いに行きましょう』

「……余は、家族に会いたい。帰りたい」


 リチャードが震える声で呟いた瞬間、周囲の笑い声がピタリと止まった。

 不自然なほどの静けさが、鋭い視線と共に二人を襲う。

 冷や汗が毛皮のすき間を伝う。ステラは、自身の鼓動が急激に早くなっていくのを感じた。


 ――ダメだよ


 死霊の一人が、口火を切った。


 ――私たちと一緒にいようよ

 ――死ぬの苦しかったでしょ? 痛かったでしょ? 怖かったでしょ?

 ――僕たちも同じだよ


 リチャードの顔に、戸惑いが浮かぶ。それは少しずつ歪み、怒りと苦痛の表情に変わっていった。


「余は……余は、父上と母上に逃げるように言われて」


 ――そうそう


 死霊たちが、煽るように彼の言葉の先を促す。


「それで、従者と一緒に森の中に逃げて……」


 ――うんうん

 ――知ってるよ。暗くて寒くて怖かったよね


「でも、怖い大人たちが追いかけてきて……それで、従者が斬られて、それで、余も……剣が振り上げられて、それが――」


 リチャードの身体がぐいと引っ張られ、暖かい毛皮とローブに包まれる。

 ステラが、彼の小さな身体を抱きしめていた。

 驚いて言葉を止めたリチャードの、金色のくるくるの巻き毛を優しく撫で、ステラは一言だけ、ボードに書いて見せた。


『帰りましょう、家族の元に』


 リチャードが息を呑み、瞳を潤ませ、大粒の涙をこぼした。この子に、怒りや憎しみは似合わない。

 彼の頭をもう一度撫で、ステラは周囲の死霊たちを見回した。彼らは一様に、人形のような無表情になって二人を見つめている。誰も、微動だにしない。

 道を開けてくれるよう、ボードに書いて掲げて見せる。誰も反応しない。痛いほどの沈黙に、ステラは気圧される。

 突然、目の前の男の子の死霊がボードを奪い、地面に叩きつけた。そのまま思い切り踏みつけられ、バキンと音を立て二つに割れる。男の子は、何度も何度もボードを踏みつけ、そして呟いた。


 ――……ダメだよ

 ――ダメだよ。もう私たちのお友達だもん


 死霊たちが再び口々に言い始める。その顔は、一人残らず憤怒に染まっていた。


 ――僕たちは、苦しくて怖くて辛い思いをして死んだ子供たちの集まり

 ――世界が憎いの。私たちを酷い目に遭わせた世界が、全部全部憎くてキライ

 ――だから、苦しくて怖くて辛い思いをして死んだ子供は、私たちのお友達なの

 ――その子も、僕たちと一緒になるんだよ

 ――だから迎えに来たのに

 ――一人で幸せになるなんて、ずるいよね

 ――帰らせたりなんかしないよ。ずっと僕たちと一緒に遊ぼう!


「いや……嫌! 余は帰るの!」


 死霊たちの手がリチャードの腕を掴んだ。それを阻もうとするステラの身体も、何人もの死霊たちの手で取り押さえられる。


 ――ステラの事も、ずっと呼んでたのに

 ――ステラ、苦しくて怖くて辛い思いをしてたのに

 ――でも、あいつらがステラを助けちゃった

 ――そうそう。邪魔をした

 ――あの治癒術師だね!


 振りほどこうとステラはもがいた。だが、怒りに染まった彼らの手は後から何本も伸びてきて、なかなか抜け出せない。


 ――あいつ、役に立たないクセに

 ――そうそう、南の王国では結局みんな死なせちゃったんでしょ!

 ――あの騎士みたいな奴が話してたもんね

 ――他の奴らも邪魔だよ。みんなしてステラを生かそうとするんだ

 ――私たち知ってるよ。あんなに辛い思いをしたのに生かすなんて、ひどいよね


 恐らくアダムスの事だろう、嘲笑が辺りを包む。


 ――でも、ステラはもうすぐ死んじゃうんだよね

 ――そしたら楽になるよ!

 ――憎いでしょ? ひどいことをした皆が憎いよね?

 ――またあいつらが邪魔してるよ

 ――えー、もうすぐ死ねるのに

 ――あ、いい事思いついた!


 死霊たちの視線が、声を上げた一人に集中する。その死霊の子供は、無邪気に言い放った。


 ――ステラ、今から死のうよ! そしたら僕たちと一緒になれるよ!


 ステラの背筋に戦慄が走った。

 そんな彼女をよそに、死霊たちが「名案だ!」「すぐにやろう」と口々に盛り上がる。

 拘束する手に力がこもり、ステラの身体が引っ張られ始めた。抵抗しようと足をバタつかせる。が、そんな努力を嘲笑うかのように、死霊たちの手によって地面を引きずられていく。痛い。土の味が口に広がる。


「ステラ! 助けて!」


 見上げると、同じく引きずられるリチャードが助けを求めていた。


 ――僕は焼け死んだよ

 ――わたしは病気

 ――瓦礫に潰されちゃった

 ――ぼくはお腹が空いて死んじゃった

 ――ステラはどうする?

 ――泉で溺れさせよう

 ――そしたらステラ、一緒に世界を、全部ぜーんぶ憎もうね


 全力で振りほどこうとしても、死霊たちの手からは逃れられない。何か手はないか、とステラはどうにか頭を持ち上げた。

 木々の上の方に、自分たちと一緒にいた精霊たちが数体、狼狽え揺れ動いているのが見える。


「ガァ! ガウ! ガァァ!」


 精霊たちに向かって、全力で吠える。それを受けた彼らは、少し迷うような素振りを見せた後、慌てて治療院の方角へ飛んでいった。



 * * * * * *



 紅葉に彩られた森の中。慌てふためく精霊たち数体が、びゅんと飛び去って行く。

 彼らの目的地は、巨大樹と一体になって建つ治療院。精霊たちは院内に入って部屋中を飛び回った。待合室から診察室へ。取って返して廊下からリビング、各々の部屋。いつもどこかに誰かいるのに、今日に限って誰もいない。

 焦る彼らの内の一体が、思いついたように外に飛び出した。残りの精霊たちも急いで後を追った。


 黒い木でできた、静かなツリーハウス。そこら中に散らばる白い紙には、彼女の計算式が書きなぐられている。床一面に広がる、白と黒のコントラスト。そんな一室で、ソルフレアは今日も研究に没頭していた。

 長い髪が散らばるのも気にせず、床に齧り付いてペンを走らせる。垂れ下がる山吹色の髪のカーテンのすき間からは、目の下に黒い隈を作った黄金色の瞳が覗いている。

 ソルフレアの集中力はすさまじい。窓から飛び込んできた精霊が彼女に体当たりをしようが、微動だにしなかった。

 後から追いかけてきた数体の精霊たちも、同じく彼女に頭に身体を張ってぶつかっていく。しかし、ソルフレアは反応しない。

 次に、精霊たちは人間に聞こえない声で口々に彼女に呼びかける。それでもソルフレアは反応しない。

 とうとう、見かねた巨大樹が手を貸した。ツリーハウス全体が一瞬、脈動したかと思うと、ソルフレアのいる床がぐにゃりと歪む。そして床板が太い木の根に姿を変え、彼女の身体を放り投げた。

 ドサッ、と派手な音を立て、床に落ちたソルフレアは目を白黒させて辺りを見回した。そんな彼女の周囲で、精霊たちが囁く。


「な、なんだ! 大事な研究の時に……何?」


 山吹色の髪を振り乱し、ソルフレアはツリーハウスを飛び出した。ツリーハウスを繋ぐ廊下を駆け抜け、転がり落ちるように階段をくだる。


「ソルフレア! どうしたの?」


 焦る彼女の耳朶じだを能天気な声が打つ。顔を上げると、両手いっぱいに紙袋を抱えたアダムスとエドアルドが、不思議そうな顔をして立っていた。


「今帰ってきたところなんだ。すっごい美味しそうなリンゴと洋梨があったから、たくさん買ってきちゃった。ジャムにしようと思って――」

「アダムス! ステラが北の泉に連れていかれた!」

「え――」

「ステラを殺すつもりだ!」


 ドサリ、とアダムスの腕から紙袋が落ちる。

 地面を転がる赤いリンゴを置いて、アダムスは駆け出した。

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