命題10.動き出す泉の呪い 6
ドサリ、とステラの身体が地面に落とされた。
背中に衝撃と共に、冷たさが伝わってくる。草一本生えていない冷たい大地。鼻腔に届く水の臭い。呻きと共に吐き出した息は、真っ白に染められた。
ステラは死霊の子供たちに引きずられ、北の泉に連れてこられてしまった。
隣には気を失ったリチャードが転がされている。咄嗟に彼を抱き起して顔色を伺った。気を失っているが、息はある。それでも既に彼が死んでいる――幽霊なのだと思うと、ステラの胸に鉛が沈んだ。
――うふふふ
――あはは
ビクリと肩を震わせ、周囲を見回した。灰色がかった死霊の子供たちが、自分たちを取り囲んでいた。ヒソヒソと
その子供たち全員が死んでいるのだと思うと、ステラは同情を覚えた。
彼らの誰もが世界を恨み、憎んでいる。苦しく短い人生を、辛い想いのまま幕を閉じた者たちだ。もしアダムスが自分を助けなかったら、今まで手を差し伸べてくれた誰かが一人でも欠けていたら、自分もあの中にいたかもしれない。そう思うと、彼らを強く拒絶することも、恐怖を抱くことも躊躇われた。
だが、それ以上にここから逃げなければならない、と頭の中に警笛が鳴り響く。今、彼らの仲間になるわけには、死ぬわけにはいかないのだ。
引きずられ続け弱った身体にむち打ち、ステラは立ち上がった。ふらつく膝を叱咤し、顔を上げる。成人男性よりも大きなその体躯は、小さな子どもたちの身長を軽々と越えて、向こう側まで見渡せた。
空には今にも雨か雪が降りだしそうなほど、暗く分厚い雲が広がっている。周囲は葉が全て落ち、枯れ枝のみとなった黒い木々。それらを通り過ぎる冷たい風が、ステラに鳥肌を立たせていった。
そして正面の大きな泉の中心では、黒いドロドロとしたものが弱い噴水のようにあふれ出していた。
背中に冷や汗が流れる。
――ステラ、ステラ
――お友達になろう
子どもたちが距離を詰める。思わずリチャードを守るように強く抱きしめた。全身が緊張で強張る。後ずさりしたくとも、四方を囲まれたステラは身動きが取れない。
ぐいと袖を引っ張られた。見下ろすと、
――行こう
幼い子供が、目と口からドロリと黒いものを垂れ流し、にやぁと笑った。
――キャアアアァァァァ――――
甲高い
そして竜巻の中から何本もの手が伸び、ステラとリチャードを掴んだ。
「ガァ! ガウ!」
やめてと吠え、蹄で地面を蹴り踏みとどまる。竜巻の中から、子どもたちの笑い声が聞こえた。どんどん泉の方へと引っ張られていく。これ以上持ちこたえられない。
水面を前に、ステラは強く目を
(誰か――!)
「ステラ!」
ステラははっと顔を上げた。
聞き慣れた少年の声が聞こえた。振り返ると、白髪に白銀の瞳の治癒術師の姿がそこにあった。
全力で駆けてきた少年・アダムスは、竜巻に飛び込んでステラの腰にしがみつく。そして連れていかれそうな彼女を助けようと、反対に引っ張った。
「ステラ! 遅くなってごめん、もう大丈夫だから!」
「クゥ……!」
顔を真っ赤にし、竜巻にも負けない大声を張り上げるアダムスの姿に、ステラは目頭が熱くなるのを感じた。腰に回された彼の腕の温もりが、少女を勇気づける。
アダムスの力と共に、一歩泉から遠ざかる。
それに反応し、死霊の子供たちが叫び出した。
――ステラ! だめ!
――ステラはこっちに来るの!
――リチャードもこっちだよ!
竜巻にいくつもの子供たちの顔が浮かび上がり、頭、肩、胸と姿を現す。皆が皆、目から口から黒いドロリとしたものを垂れ流し、恨めしそうな声を上げた。
鼻先に迫るその顔にステラは怯む。
引っ張る力が強くなり、せっかく下がった一歩がまた前に戻ってしまう。「くっ!」とアダムスの口から呻きが漏れた。
新たに一本の腕が、ステラのローブの襟を掴む。その力の強さに態勢が崩れかけた時、視界の端に銀色の光が走った。
――キャアアァァァ!
悲鳴と共に、襟を掴んでいた手が離れた。間髪入れず、視界をいくつもの銀色の光が横切っていく。その度に死霊の子供の悲鳴が上がり、ステラを掴む手が離れていった。
彼らの腕には、鋭く光るナイフが突き立っていた。
「ステラ! 無事か……!」
振り返ると、ソルフレアが黄色の長衣を翻して、幾つものナイフを構えていた。
「ルヴァノス仕込みの投げナイフだ。余興程度に思っていたが役に立ったな」
再び銀色の光が走り、ステラを掴んでいた腕が離れる。
同時にステラは大きく身を
「今だ! 逃げよう!」
アダムスに腕を引かれ、泉から距離を取る。ぐるりと見渡すと、道の向こうからエドアルドが走ってくるのが見えた。
みんなの顔を見て、ステラは身体から力を抜けるのを感じた。とうとう熱い涙が零れる。雫が胸に抱きかかえたリチャードの頬に落ち、伝っていった。ステラが覗きこむと、金色のまつ毛が震え、青い瞳が開かれる。
(帰ろう。私もこの子も――)
――行かせない
暗く重い声が、ステラの背筋を凍らせた。
「あァ――――!」
女性のような甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。振り返ると、死霊の子供たちがソルフレアに群がっている。ナイフを受けた子たちだった。黒いドロドロを涙のように流し、怒りと憎しみの形相で手や足に噛み付いていた。
「ソルフレアさん……! やめなさい、離れなさい!」
エドアルドが棒きれを振り回し、彼らを追い払おうと試みる。しかし、そう簡単に彼らは離れない。新たに噛み付かれる度に、もがくソルフレアから短い悲鳴が上がった。
魔法道具である彼らにとって、死霊の攻撃は致命的だ。
ステラは焦った。自分たちを助けるために、誰かが傷付くのは嫌だ。
アダムスと共に駆け寄ろうとしたとき、
ドォォン
大きな爆発音が辺りを包んだ。
泉の中心から吹き出していた黒いドロドロが立ち登り、蛇のように大きくうねっていた。
その身体は、死霊の子供たちでできている。表面に浮かぶ子供たちの顔が一斉にステラを睨んだ。
「な、何、あれ……?」
顔を青くしたアダムスが、ステラの手を握る。
全員が注目する中、その死霊の塊は頭をもたげ、子供たちの悲鳴と共にステラめがけて襲いかかった。
黒い塊が、子供たちの狂笑が眼前に迫る。
「先生! ステラさん! 逃げてください!」
エドアルドの声が、死霊の悲鳴に掻き消される。
アダムスが死霊から庇おうと前に出る姿に、ステラは目を見開く。
大きく開けられた口が、ステラとリチャード、そしてアダムスを呑み込んでいった。
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