命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 8

 夜も更け、誰もが寝静まった頃。ステラはふと目が覚めてしまった。

 寝直そうとしたが、どうにも頭がはっきりしている。何度も寝返りを打って再び眠りに入ろうと苦心したが、とうとう諦めて起き出すことにした。

 パジャマとして着ていたアダムス製のマントを脱ぎ、ロメオ製のローブに着替える。ランタンを片手に静かに部屋を出ると、静かな治療院の空気に少しだけドキドキしてきた。こうなってはもう、大人しく寝直すことはできない。

 なるべく音を立てないよう、忍び足で院内を歩く。かすかなの軋み音を立てながら扉を開けると、冷たい空気に身体がぶるりと震えた。見上げると、夏よりも幾ばくかはっきりと見える月と星。白い息がそれに被り、霞んで消えていく。

 吸血鬼たちのいる大テントには未だに明りが見えた。話し声は聞こえるが、それも密やかだ。彼らを刺激しないよう、静かに大テントを横切る。少しだけ夜の散歩に行こうと顔を上げると、ロメオの工房にも明りが灯っていた。

 明日――日付は変わっただろうから既に今日だが、雪山につと言っていた手前、気がかりになったステラは真っ直ぐに工房へ向かった。


 ドアをノックすると、「入れ」とぶっきらぼうな声が返ってきた。やはり起きていたらしい。

 遠慮なくお邪魔すると、暖炉で温まった空気がステラを包んだ。工房内をぐるりと見渡すと、ロメオは部屋の角に備え付けられたテーブルに向かって手を動かしている。

 顔を上げた彼は、ステラの姿を見るや顔をしかめた。


「大人しく寝てろよ。アダムス達が心配するだろ」


 そう言い捨ててから、テーブルに視線を戻す。ステラは手近な椅子を彼の隣に運んだが、即座に「邪魔」と言われたのでちょっと離れたところに置いて座った。


『何を作っているんですか?』

「……真心?」

『真心?』

「んー。ほら、ジュリエッタの顔。あのままじゃあ、なんつーか……まぁ、無いよりはマシだろ」


 歯切れの悪い返事をしつつ手元を見せる。覗いてみると、細長い楕円の穴が開けられた、木製の薄い器のような物があった。表面に彫り跡が残っている。


「仮面だよ。フード被って隠したがってただろ」


 ステラがクゥンと鼻を鳴らし、会話が途切れた。工房内にはロメオが彫刻刀で木を削る乾いた音と、暖炉の薪が弾ける音だけが続く。

 ぼーっと彼の手元を見ていたステラは、思い出したようにボードに文字を書いた。


『ありがとうございます。たくさん道具や服を作ってくれて。あと、大変なのに魔法鉱石を取りに行ってくれて。』

「あ? 別にいいよ」

『でも』

「ぶっちゃけた話、元々お前の事なんて興味なかったからな」


 なんでもないように言い放たれた言葉に、ステラは目を丸くした。


「世にも珍しい合成獣キメラを助けるための治療。それに関わって成功したら、俺も一流の職人だってうちのジジイ連中に思い知らせられると思っただけ。別にお前を助けてやろうなんて……そんなには思ってなかったな」


 そう言って笑い飛ばすロメオに、ステラは苦笑した。悪い気はしなかった。こんな事を詫びれも無くさらけ出す彼がなんだか可笑しくて、キツネの両耳がピクピクと跳ねる。


『ひどいですね』

「そう言うなって。マジで悔しかったんだよ、俺が次期当主に選ばれなかった事。お前は知らないかもしれないけど、本当は獣人が料理人とか鍛冶師とか、こういう職人になる事は敬遠されてるんだ」

『何故ですか?』

「毛が入る。羽が入る。人間の五本指と違って細かい作業ができない。身体によっては立ち回りに制限がかかる。生理現象で翼が開いたり、しっぽを振ったりするから危ない。まぁ、すぐに出てくる理由としてはこんな所だな。生理現象については、ある程度は子供の頃の躾でどうにかなるんだけど。想像してみろよ、お前のその毛むくじゃらの手でパン生地を捏ねられるか? その四本指の手で細かい作業、できると思うか?」


 ステラは暫く考え、眉尻を下げて感想を述べた。


『ちょっと難しいです』

「だろ? 一応、抜け毛防止の魔法道具もあるけど、代謝を抑えちまうから乱用すると地肌が荒れるし。だからうちのジジイ連中も、俺が獣人だから認めてくれないって思ったんだよ。俺は獣の度合いが低くて手も足も人間のものなのに、そりゃ偏見だろってな。今思えば一方的に喚き散らして出てきたから、実際の所はわかんねぇけどな」


 ステラは黙って耳を傾けた。

 今晩のロメオは、以前に家出の理由を聞いた時とは違ってとても穏やかだ。テーブルに置いたランタンの暖かな光が、彼の顔を橙色に照らす。


「エドアルドのおっさん、俺の事を天才だって言ってくれただろ。皆もそう思ってるって。なんつーかさ、俺が自分で自分を天才って言っても、はいはいって聞き流してるように思えてたんだよな。俺の事を認めてくれてないって思いこんでた。」


 手を止め、天井を仰ぐ。


「嬉しかったんだ、真正面からあぁ言ってくれて。あの人はジジイ連中と魔術義肢の開発をした人だ。最高峰の職人の技を見知ってる。そんな人に認められたんならちょっとは報われた気がするんだよ。だからお前のための道具作りにこだわんなくてもいいかって思ったんだよ。だからお前が気にすることじゃねぇし、変に感謝されてもなって感じだな」


 軽く笑って、また作業を再開する。ステラはその姿をじっと見つめていた。

 とても偉い。彼のこのひたむきさを尊敬すると思った。同時に、


『気にしないなんてできません』

「鬱陶しいな、別にいいんだよ。俺が勝手にやることだし」

『でも、無視することはできません。それでなくても、みんな私のためにすごく良くしてくれてるのに』


 ボードを見せて、力なく項垂うなだれた。自然と両耳もぺたりと伏せる。視線の先、影になった床の木目が、とても黒く感じて仕方ない。

 ロメオは顔を上げ、真剣な顔でステラの様子を伺っている。その視線の先で、ステラは次々と言葉を書いた。


『私の施術しじゅつにはすごくお金ががかかっています。アダムスやルヴァノスさんは、資金繰りにとても困っていました』

「そりゃあ、治療院を始めるとなると金がかかるからな。大抵こういう店や事業を立ち上げたら、数年は安定しないらしいぜ。ましてや、人間相手じゃないなら当然だろ」

『吸血鬼の皆さんは、命懸けで痛みを和らげる薬草を採ってきてくれました』

「そんなもん、傷を治してもらうための事だろ? 打算でやってる事だし、命懸けとは口で言ってるけど、実際の所はそんな危険じゃなかったと思うな。あれだけの古い吸血鬼が徒党を組んでちゃ、狩人ハンターの群れを逃れるのも簡単だろうし」

『ロメオさんも、雪山に行きます。一カ月近くもそんな場所で過ごすのは、とても大変なはずです』

「だーかーら、俺が勝手に行くんだからいいだろうが」


 ステラはますますしょげ込んでいく。そんな少女の様子を受けて、ロメオの片膝が貧乏ゆすりで激しく揺れ続けた。


『私は、誰にも恩を返せていません』

「別にいんじゃねぇの? 黙って受け取っておけよ。っていうか、なんでそんな事を俺に話すんだよ」

『私のことを興味ないって言ったから』


 少女に答えに呆れ、ロメオは盛大な溜息を吐いた。テーブルに向き直り、仮面の表面にやすりをかけ始める。


「……第一、恩をそのままそっくり、関わった全員に返すのなんて無理な話だろ? 皆して合成獣キメラになる予定があるわけじゃあるまいし。お前、自分を産んだ親をお前が産む事ってできるか? 親を育てることは?」

『……できません』

「だろ? 親孝行なんてのも、ぱっと返して終わりってもんでもないんだしな。こういう誰かから受けた恩は、別の誰かに返せばいいんだよ」

『別の誰かに、ですか?』

「そう……って、俺のはとこが言ってた」


「思い出しちまった!」とロメオは頭を抱えて呻いた。あー、とか、うー、とか一通り唸った彼は、無造作に頭を掻きながら言葉を再開する。


「まぁ、お前が元気になったら、その時は誰かのために動ければいいんじゃねーの?」

『そうなんでしょうか?』

「そうだよ。第一、あのランプ達だって好きでやってるんだろ? 放っておけばいいし、気になるなら長い時間をかけてちょっとずつ返していけばいんじゃね? 会うたびにお茶でも入れてやりゃあ満足するだろ」


 最後の方は投げやりに言い捨てて、ロメオはやすり掛けに集中し始めた。

 ステラはその様子を見ながら、彼に言われた言葉を反芻する。誰かに返す――そんな風に考えた事はなかった。目から鱗ではあったが、じゃあどうすれば誰かのためになるのだろう?

 思案しているうちに、瞼が重く、体温が心地よいくらいに上がってくる。睡魔の再来を受け、そろそろ自室に戻ろうと腰を上げるステラの横で、ロメオが喜色を帯びた声で呟いた。


「うん、なかなか良い出来だ」



 * * * * * *



「だっさい」


 手にした木製の仮面にじとりとした視線を落とし、ジュリエッタが零した。

 防寒具に身を包んだロメオの顔が固まり、みるみるうちに赤くなり、遮光部屋の中いっぱいに怒声が響き渡った。


「はぁ!? どこがダセぇんだよ! そりゃ彩色まではできなかったけど、この洗練された曲線と形はかなり良い感じだぞ!」

「女の子に彫りっぱなしの木の仮面ってどうなの? 本っ当センス無いね!」

「女の子って……お前もう三百歳なんだろ、ババアじゃねぇか!」

「ババアだって……吸血鬼の感覚で言えば、アタシとアンタは大体同い年だよ!」

「吸血鬼の感覚なんて知るか! 作ってもらって礼の一言も言えないのかよ!」

「雪山行くってのにこんなもん作ってたわけ!? 第一、こんなもの着けてったら凍傷になりかねないよ、傷を増やすつもり?」


 ロメオが言葉に詰まり、激論が止まる。どうやら二人の言い争いは、ジュリエッタの勝利で終わったらしい。

 彼らを見守っていた面々は、各々が呆れて肩を竦め、額に手を当て溜息を吐く。

 そのうちの一人、アダムスがおずおずと前に出た。


「ねぇ……本当に二人で大丈夫?」

「なんだよアダムス、俺が信用できないってのか?」

「そうなんでしょ。アンタみたいな軽率な男じゃ不安にもなるよ」

「い、いや! そういう意味じゃないんだけど。これ、凍傷用の薬とか身体が温まるお茶とか薬草。良かったら使って」


 ロメオが礼を言い、差し出された紙袋をリュックに詰め込む。ジュリエッタがそれを覗き込みながら、少し遠慮がちに言った。


「さっきの仮面、もっと可愛くしてくれたら貰ってあげてもいいかな……? 花とか着けて、模様も描いて……あ! 帽子も着いてたらいいな! 私の髪、今こんなだし……ってちょっと! 最後まで聞い――」


 荷物をまとめ終えたロメオが立ち上がり、遮光部屋のドアを開ける。日光に晒されたジュリエッタは一瞬で黒い霧となって溶けだしてしまった。一カ所に集まったそれは瞬時に金毛のコウモリに変化し、羽ばたきを始めた。

 彼女は抗議するようにロメオの顔に体当たりをする。が、ロメオに鷲掴みされ、ポケットに無理やり詰め込まれた。分厚い布越しに「キー!」と甲高い声が聞こえる。


「じゃあな」


 軽い挨拶と共に、ロメオはさっさと治療院を出て行った。吸血鬼たちがいる大テントを横切り、冷たい風が吹く中、森へと進んでいく。


「気を付けてねー!」


 アダムスの大声に、前を向いたまま手を振るロメオ。だが暫く進んだ先で振り返り、彼は声を張り上げた。


「ステラー! うじうじするくらいなら、これからの事考えとけよー!」


 ステラの両耳がピンと立つ。その様子を見たロメオは大きな笑顔を見せ、後腐れなく森の中へと走っていった。

 彼の姿が見えなくなり、ソルフレアがぽつりと零した。


「これで少しは静かになるな」

「少し寂しい気もしますが……」


 エドアルドが物憂げに呟く。なんだかんだで、彼はロメオの事をとても気に入っていた。心中、心配でたまらないのだろう。

 ステラは、彼が入っていった森をずっと見つめていた。そんな少女の顔をルヴァノスの深紅の瞳が覗き込む。


「そういえばステラさん、昨晩はロメオと何を話していたのですか? 工房に向かうのを見かけましたが」

「えっ? 何かあったの?」


 二人の顔を交互に見やるアダムス。ステラは少し悩んだ後ボードに文字を書き、笑顔を浮かべ、二人に掲げて見せた。


『秘密です』




 命題9.職人 ロメオ・ガリレイ ~完~


                →次回 命題10.動き出す泉の呪い

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