命題10.動き出す泉の呪い 1

 朝食後のお茶の席で、アダムスは一つ柏手かしわでを打った。


「今日はイヴリルとブラウシルトがきて、明日になったらステラの足枷を外すよ。 やっとここまで来たね!」


 ステラが鼻を鳴らし、ソルフレアとエドアルドが小さく頷いた。

 今日、治療院に到着する二人は、アダムスやソルフレアと同じ魔法道具ランプだ。

 アダムスとは双子の兄妹として造られた、彼と瓜二つの少女。白月はくげつの治癒術師・イヴリル。

 ルヴァノスを原型モデルに造られ、彼の弟にあたる青年。蒼空そうくうの騎士・ブラウシルト。

 彼らは梅雨の時期に治療院に立ち寄り、ステラの施術しじゅつに役立ちそうな文献を集めに旅立っていった。同時に、治療院のために人外向けの研究書も探し、各国を回っていたらしい。

 やっとこちらに来てくれるとの事で、一晩休んだらすぐにステラの施術しじゅつにかかるという話だった。

 ステラからしたら、他の皆と同様に何度お礼を言っても足りないくらい、力になってくれる人たちだ。

 しかし、ソルフレアがうんざりとした様子でひとりごちる。


「ロメオが出て行って、吸血鬼たちが帰ったと思ったらあの二人……また喧しくなりそうだな」

「はっはっは。先生とイヴリルさんが揃うと賑やかになりますからね」


 彼女に同意しながら、エドアルドは湯気の立つ紅茶に口をつける。ついステラも笑顔を零した。双子の治癒術師は、顔を合わせるたびに口喧嘩をするのだ。小さな身体で声を張り上げ、大した内容でもない事で騒ぎ立てる様子は、慣れてくると可愛いものである。

 当の本人のアダムスは、頬を紅潮させながら一つ咳払いをした。


「イヴリルがうるさいからだよ……。それよりステラ、意識がない間の身体管理はこっちで任せてね。最近は治癒術による栄養や水分補給もできるようになったんだって」

「そうそう。近年、一般にも普及してきた治癒術なんですよ。自力で食べる力がないほど弱った人なんかにも使えます。私も経験があるので安心してください」


 アダムスとエドアルドの師弟に励まされ、ステラはコクコクと頷いた。彼らがステラを心配するあまり、もう何度も聞かされた話だ。

 ソルフレアが山吹色の髪をかき上げて、後を続ける。


「もう耳タコだろうが、前回の手枷の施術しじゅつ後は五日間眠り続けた。今回の予想だが、二~三週間。もしかしたら、一カ月近くになるかもしれない。長い間眠ることになるが、心の準備はいいな?」


 ステラは前に聞かされた時と同じように、大きく頷いた。


「……もう時間がない。眠期を考えるとかなりギリギリだ」


 ソルフレアに釣られて、ステラも窓の外に視線を投げた。森の木々は赤々と色づき、乾いた葉が緑色の芝生を彩っている。


「ステラが眠ってる間に豊穣祭になっちゃうね。今夜は何か食べたいものある? イヴリルとブラウシルトも来るんだし、前祝に豪勢にやろうよ! ステラの誕生日祝いも兼ねて――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 エドアルドが慌てて身を乗り出した。


「ステラさんのお誕生日? 私は聞いてませんよ!」

「あれ、言ってなかったっけ? この前二人でゆっくり話した時に教えてもらったんだ。豊穣祭と同じ日なんだって。僕はもうプレゼントを用意したよ」

「なんと……ソルフレアさんは?」

「当方は本を用意している。ルヴァノスは飲食系だ。エドアルド、中身は被らないようにしろ」


『お気になさらないでください』とステラはボードを見せたが、「私がそうしたいから」とエドアルドは腕を組み、頭をひねった。うんうんとうなる彼を後目しりめに、アダムスは質問を投げる。


「もちろんタルトも作る予定だよ。豊穣祭と言ったらタルトだもんね、森で採れたベリーのジャムを使おうと思ってるんだけど、他に食べたい物ある?」


 ステラは天井を仰ぎつつ、懐かしさに顔を綻ばせる。家族にも、毎年こうやって「何が食べたい?」と聞かれたものだ。調子に乗った幼い弟の方が希望を口にして、父が笑いながらたしなめる光景。決して裕福ではなかったが、素朴で幸せな日々。


 この世界は、精霊たちがあらゆる自然に宿り、魔力の源となるマナを作り出して世界を支えている。そんな彼らに一年の感謝を込めて、秋の収穫と共にタルトを焼いて捧げ、共に食す。それが豊穣祭だ。

 共に食すと言っても、普通は精霊の姿を見ることはできない。あくまで祭壇だったり窓際だったりにタルトの一部を置いておき、次の日には無くなっているという流れなのだ。だが、この精霊の森では光の玉の姿をした精霊たちがたくさん浮遊している。実際に「共に食す」事になるだろう。


 弟に話したらきっと驚いて羨ましがるだろうと思うと、自然と口角が上がった。


『木の実のパンケーキが食べたいです』


 なんとなく、幼い弟の好物にした。

 アダムスは頷いて、


「わかった。 豊穣祭の前だからどの街も賑わってるだろうし、他にも美味しそうな物があったら買ってくるね! せっかくだから、ステラは木の実を集めておいてくれる? 多分、他のどの森よりも、ここの木の実が一番美味しいから」


 ステラは頷いて、温くなった紅茶を一気に飲み干した。各々が席を立つ中、エドアルドが慌てて口を開く。


「わ、私も買い物に付き合います! 待っててくださいね、ステラさん。とっておきのプレゼントを用意してきますからね。先生、買い物先はどちらへ?」


 ステラが『気にしないでください』とボードに書いている間に、彼らの会話は少女を置き去りにして進んでいく。


「うーん、世界各地の森と繋がってるのはいいだけど、こういう時は迷っちゃうよね。ソルフレア、おすすめの街はある?」

「やはり中央大陸は、各大陸の物が集まりやすい。目当ての物があるなら各大陸、各地方の街に行くのが一番だが――そういえば、西の大陸の戦争が終わったそうだ。少しは安全になったかもしれない」


 ソルフレアの言葉に、エドアルドは顔をしかめた。元々鋭い目つきがより険しさを増す。


「戦争が終わったからと言って、人々の暮らしが良くなったわけではありません」

「……そうだな。戦争で死んだ者たちが、死霊となって大量にうろついているらしい。おかげで紫幽しゆうの魔女も大忙しだ。まだまだ当分、彼女がここに来る事はできそうにない」


 ソルフレアの返答に、アダムスは「そっか……」と肩を落とした。一流の魔術師である紫幽しゆうの魔女は、アダムスたちと同じ魔法道具ランプだ。北の泉の呪いの調査をお願いするべく、以前から掛け合っているようだが、未だそれは果たされていない。


「出来る事なら、ステラの施術しじゅつに向けてもう一人魔術師を確保しておきたいところだ。ステラを合成獣キメラにしたのは、恐らく大魔術師だ。当方は確信している。そんなものに向き合うなら、不測の事態に備えたい」


 ソルフレアは、普段から無表情な顔をより固くさせ、テーブルを睨みつける。

 そんな彼女にアダムスは訪ねた。


「ロメオじゃ役不足?」

「魔法道具の職人である以上、魔術師としての知識も素養もある。が、彼には彼の役目がある」

「そっか。紫幽しゆうの魔女はダメだとしても、マスターはどうなの?」

マスターは、行方不明になった葉緑ようりょくの吟遊詩人を探している」

「えぇ? あの子が姿をくらますのはいつもの事じゃない!」

「そうは言っても、貴殿――白日はくじつの治癒術師の件があったからな。マスターも心配なのだろう」

「はぁ……十年前、先生は行方不明になった挙句、一命を取り留めましたからね。仕方がありません」


 肩を竦めるエドアルドの言葉に、アダムスは唇を尖らせた。



 * * * * * *



 ステラとソルフレアは玄関先で秋風を感じていた。

 日に日に寒さが増していく。豊穣祭を追えると季節は一気に進む。霜が降り、外に置いた桶には氷が張って、そのうち雪が降ってくる。

 冬は寒いし、食べ物が少なく辛い時期だが、ステラはこの季節の移り変わりが好きだった。毎朝、霜柱を踏むのがお気に入りである。今の身体――脚の蹄なら、もっと踏み甲斐があるだろうか。そんな事を考えていると、身支度を終えたアダムスとエドアルドがやってきた。

 寒さに自身の身体を抱いたソルフレアが、二人に向かって訪ねる。


「結局、どこの街に行くんだ?」

「どうしよう、エドアルド? 久々に西の大陸を覗いてみる?」


 さて、とエドアルドは手を顎に運び、思案した。


「……ソルフレアさん、戦争はどうやって終結したのですか? 大陸の国の大多数が参加していたでしょう?」


 彼の問いに、鉄仮面を誇るソルフレアの顔が、珍しく曇った。


「……弱小国に全ての罪を着せて、王族を皆殺しにしたそうだ。逃亡した幼い王子も手にかけられたらしい。おかげで大陸はまとまった」


 吐き捨てるように言い切り、ソルフレアは顔を背ける。

 ステラもつい、ローブの裾を握りしめた。この精霊の森も治療院もとても平和で、少女の周囲には優しい人ばかりが訪れる。だがそんな人たちの向こう側、外の世界の残酷を知る度に、ステラは胸が締め付けられるような悲しい苦しみを覚えた。

 それはアダムスとエドアルドも同様だ。暫く間をおいて、治癒術師の少年が口を開く。


「西の大陸は、やめておこうか……」

「そうですね。もし怪我人が目に入ったら放っておけなくて、帰宅が遅くなってしまいそうですし」


 エドアルドも頷く。

 そして二人は沈んだ空気を一掃すべく笑顔を作り、美味しい物をたくさん買ってくると言って、精霊の森を後にした。

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