命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 6

 ガキンッ


 鋭い金属音が辺りに鳴り響いた。

 深紅のインバネスコートを翻したルヴァノスが、ロメオを庇うようにして女吸血鬼の前に立ち塞がっていた。彼の細身のナイフが、女吸血鬼の大ぶりのナイフを易々と抑え込んでいる。

 手を伸ばしていたエドアルドがへなへなと膝を付く。その後ろでステラも両手で口を覆い、間一髪の光景を黙って見つめていた。

 冷や汗を垂らし、力を込めたまま呻く彼女に反して、紅蓮ぐれんの商人の身体はびくともしない。女吸血鬼の腕を掴んで手すりから引きずり下ろすと、素早く床に倒して腕を捻り上げる。


「これ以上の無礼は看過できません! 精霊の森で他者を傷付ける事、生命を奪う事は禁忌です。彼らの機嫌を損ねれば、二度とこの森に入れなくなりますよ!」


 下で立ち尽くす吸血鬼たちに、ルヴァノスは言い放った。その言葉を受けた彼らは身じろぎ、互いの顔を伺っていた。

 ふっと小さく息を吐いたルヴァノスが、


「ロメオ、あまり無茶な言動は控えなさい」

「あ、あぁ……」


 額から雨水を垂らしながら、ロメオは声を絞り出した。


「皆さん、申し訳ないですが、暫くこちらで休んでいてください。彼らへの対応は私たちで行います」


 女吸血鬼の拘束を解きながら、ルヴァノスは去っていく。

 小さく女吸血鬼が振り返った。

 焼けただれた顔半分を見ると、ステラはまたかつての苦しみを思い出しそうで、思わず顔を逸らした。



 * * * * * *



「ルヴァノスさんって、商人って感じじゃないよな」

「そんな事より、彼によく感謝なさい。危うく死にかけるところだったではないですか。あと身体を拭きなさい、風邪をひきますよ」



 ベッドに身を投げ出したロメオは、頭の後ろで手を組み、天井を見上げながら呟いた。

 ツリーハウスは質素でありながら、黒い木製のため、どこか洒落た雰囲気がある。白いベッドが二つ並んでおり、ここはエドアルドとロメオの相部屋だ。

 エドアルドはロメオをたしなめながらタオルを渡した。ステラも頭を拭きながら手近な椅子に座る。


「暫くは下に降りられそうにないですね。大人しく研究でも続けるとしますか」


 エドアルドは机に向かい、組み立てかけの魔力測定器を弄りだす。以前、ステラの手枷を外す際に使ったものより、数段大きく複雑な構造になっていた。部品と思われるネジや宝石のような塊が、黒い木製の天板の上に、星空のように散りばめられている。

 そんなエドアルドとは対照的に、ロメオは不貞寝するようにベッドに横たわっている。

 ステラは彼の横に座り直し、顔を覗いた。湿ったタオルを頭から被っているため、表情が伺えない。

 先ほど、彼は命を奪われそうになった。その衝撃は計り知れないものだと思う。心配していると自然と眉尻が下がった。ステラはボードに文字を書いて、ロメオの袖を小さく引っ張る。

 鬱陶し気にタオルをめくったロメオの鮮やかな黄色の瞳が、胡乱げにステラを見返した。


『さっきは、ありがとうございました』

「……何が?」

『悪口を言われた私を、庇ってくれました』

「別に庇ったわけじゃねぇよ。思った事を言っただけだ」

「そのおかげで、危険に身を晒したのです。もう少し自重なさい」


 顔はテーブルの方に向けたまま、エドアルドが皮肉げに零す。


「ですが、おかげで私もすかっとしました。彼らの境遇は同情しますが、あまりに言いたい放題でしたからね。ただ、彼女の事は気になります。あんなにひどい傷を負っているとは思っていませんでしたから。女性ならより辛いでしょうに……」

『エインズワースさんも、右腕の怪我は二百年そのままだったそうです』

「そうですか、彼女も長い間苦しんでいるかもしれないですね」


 ロメオは再びタオルをかけ、寝返りを打って二人に背を向ける。

 雨脚が強くなり、騒がしい音が耳にうるさい。

 以降、三人の間には会話が無いまま日が暮れていった。



 * * * * * *



 数日が過ぎた頃、吸血鬼たちは外の大テントで寝泊まりするおかげで、ステラ達も治療院に顔を出せるようになっていた。

 彼らの治療も一段落して、後は経過を見つつ完治したら帰ってもらうことになっている。

 日が落ちるのも早くなってきた。外は既に暗く、大テントには明りが灯り、賑やかな声が漏れ聞こえてくる。対照的に、リビングで食卓を囲むステラ達の雰囲気は暗く重かった。


「それは本当なのですか、ソルフレアさん? ステラさんの施術しじゅつが難しいなんて……」

「あぁ。どれだけ探っても、首と腹の鉄の棒――魔法道具を全て抜き去ってしまうのは不可能だ。ステラの身体は、自身のみで繋ぎとめ続けることができない。魔法道具を全部取り去ったら崩壊してしまう……だが、残しておくわけにもいかない」


 頭を抱え、シチューを掬うスプーンを指先で弄る。エドアルドは顔を蒼白にして、浮いた腰を力なく椅子に落とした。

 ソルフレアはいつも無表情だが、今晩の彼女の顔はいつも以上に白く温度が感じられない。ステラが隣のアダムスに目をやると、彼の白銀の瞳もこちらを見ていた。力なく笑うと、申し訳なさそうに視線を落とす。目の下には隈ができて、連日の治療による疲労が伺える。

 自分が助からないかもしれないと思うと、少しだけ鼓動が早くなるのを感じた。静かにシチューを口に運び、その味に集中して抑えようと試みる。あまり味がしない。

 黄金おうごんの賢者・ソルフレアは、焦りの色を帯びた声を絞り出した。


「あくまで現状では、の話だ。何か解決策さえあればどうにかなる」

「そりゃ、解決策ってのはどうにかなるから解決策なんだろ。あねさん疲れてんな。とりあえずちょっと休んだらどうよ、頭回ってねぇんじゃねぇの?」


 敢えて能天気に言ってのけるロメオの調子に乗る者はいない。相変らず、重い空気のまま食事は進み、静かに食器を片付けるに至った。


「ステラ、大丈夫?」


 食後の紅茶を出しながら、アダムスが顔を覗き込んでくる。ステラは頷いて笑ってみせたが、それでも治癒術師の少年の顔は晴れない。「ごめんね」と小さく呟いて、隣に座って黙り込んでしまった。

 紅茶で唇を湿らせながら、ルヴァノスが零す。


「解決策と言っても、魔術の類について私はからっきしなので、良い案も思い浮かびませんね……」

「僕も。治癒術の視点から色々探ってはいるんだけど、どうしても合成獣キメラの身体を保つには補助がいるんだ。エドアルドはどう思う?」

「私もすぐには……ソルフレアさんがまとめた資料を見せてください。検討してみますので」

「大体、この鉄の棒ってのが不細工すぎるんだよなぁ。作りも甘いし」


 行儀悪く紅茶を立ち飲みしていたロメオが、ステラの首元に手を伸ばす。貫通した鈍い黒色の棒が襟から覗き、その場にいる全員の注目を集めた。


「俺だったらもっとカッコよくて丈夫なのを作ったのにな!」


 ハハハ、と笑うロメオの言葉に、ソルフレアが立ち上がった。太陽を模した片眼鏡モノクルがキラリと光る。


「それだ!」

「うわっ、なんだよあねさん」


 ステラに駆け寄ったソルフレアは、無表情のまま頬を紅潮させて捲し立てた。


「例えば、現在ステラに刺さっているものよりもずっと質の高い身体維持装置を作ったとして、そうだな……最初に首の棒を抜いて、新たに製作した装置を埋め込み、それから腹部の棒を抜く、ならどうだろうか? エドアルド、魔術義肢を開発した貴殿ならどう見る?」

「調整は必要ですが、可能です。研究する事が増えましたが、時間ならまだあります。ステラさんの施術しじゅつも、年内には間に合うでしょう」

「本当に!? ステラ、ちゃんと助けられる?」


 アダムスが胸の前で両手を握り、喜色を帯びた声を上げる。それにエドアルドが頷いて応えると、アダムスとステラは顔を見合わせて微笑んだ。


「そうか、良かった。すまないステラ、不安にさせてしまった……」


 そう言ってソルフレアは山吹色の長いまつ毛を伏せ、ステラの頭を撫でる。


「身体に別の物を埋め込むようになるが、いいだろうか? もちろん、邪魔にならないように考えるつもりだ」


 真っ直ぐに見つめてくる黄金色の瞳に向けて、ステラも強く頷いた。彼らならばと、ステラは信頼しているのだ。きっと良い結果に導いてくれるだろう。

 自分はいつも、そんな周囲の皆に悩んでもらい、助けてもらってばかりなのがとても歯痒く辛いこともあるが、それでも微笑んでみせる。

 すると、他の面々も安堵のせいか、誰からともなく笑い声をあげた。


「ハハッ、あねさん、本当疲れてんな! 人騒がせも良いとこだぜ、吸血鬼の治療の手伝いとステラの施術しじゅつの研究で疲れすぎだ」

「ですが……その身体維持装置は誰が作るんですか?」

「そりゃあもちろん、この天才魔法道具職人ロメオ様だろ!」


 エドアルドの疑問に、即座にロメオが挙手をする。


「はぁ、まぁ貴方なら作れそうですが、素材の問題があります。ステラさんの身体を維持するとなると、かなりの魔力量を持った素材が欲しいですね。魔法鉱石とか……ルヴァノスさん、どうでしょうか?」

「度合にもよりますが、かなり強力な物が必要になりますよね?」

「できれば大きいのが良いです」

「うーん、加工の時間も考えると、見つけ出して取り寄せて、お金も用意して……だと、正直難しいです。この精霊の森は各地の森と繋げられるんですから、直接採取してきた方が早くて確実ですが――」


 言葉を切り、片手をあげて皆を制す。深紅の瞳が鋭く細められ、外と繋がる扉を睨みつけた。

 自然と皆の視線も、その扉に集中する。


「盗み聞きは品がありませんよ、ジュリエッタさん?」


 投げかけられる静かな声。

 一拍置いて、そろそろと扉が開く。その隙間から女吸血鬼が顔を覗かせ、申し訳なさそうな返事をした。


「ごめんよ、盗み聞きするつもりは無かったんだけど、盛り上がってるみたいだったから、ついタイミングを逃しちゃって……」


 そう言って入ってきたのは、ロメオに刃を向けた丸坊主の女吸血鬼だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る