命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 5

 小雨が降り、昼間だというのに薄暗く寒い日だった。


 ステラの施術しじゅつのために、痛み止めの薬草を採ってきたエインズワースと、その仲間の吸血鬼たちが治療院を訪れた。

 丁度彼らが来た時には、ステラはツリーハウスにいた。作業中のエドアルドとロメオを昼食に呼ぼうとしていた所だったのだ。

 ツリーハウスは暗い色の木でできており、治療院の隣に横たわる根の上に数軒建っている。地上から伸びる階段、そして手すりのついた渡り廊下でそれぞれが繋げられている。

 今、治療院の前にいる吸血鬼たちは全部で九人。エインズワース意外の全員が、黒いマントを着こみ、フードを頭からすっぽり被っている。顔や性別や判断できないが、それでも高い位置にいるステラからは、吸血鬼たち全員の様子を伺うことができた。


 ステラの知る精霊の森の明るい雰囲気とはほど遠い、殺気立った気配が全身の毛を逆立てる。

 湿った空気が、この場の雰囲気をより重くさせているような気がした。


「彼らが、例の吸血鬼たちですか」


 手すりに手を置いて、エドアルドが呟いた。いつもは穏やかな表情を浮かべる瞳は、元の鋭さよろしく、剣呑な色を帯びている。

 そんな中でも、エインズワースはこちらを見上げ、ステラににっこりと笑いかけた。そんな彼に、ステラも小さく手を振り返す。

 その隣で、同じく吸血鬼たちを見下ろしていたエドアルドが口を開いた。


「ここからだとよくわかりますね。あの金髪の大男が、穏健派のエインズワースさん……という事は、その後ろに控えている者も穏健派なのでしょうね。そして相対するように距離を置いたもう一つの集団が、恐らく過激派の吸血鬼でしょう。今回の薬草採取は、この治療院での治療費代わりになるという約束でしたから、穏健派ばかりに旨味を持っていかせまいと出張ってきたんでしょうね。話には聞いていましたが、彼らも一枚岩ではないようで」

「おい、穏健派の後ろに外様とざまがいるぜ。あれは?」

「さて……」


 エドアルドとロメオの会話に耳を傾けつつ、ステラは下を眺めた。

 エインズワース達の後ろに、距離を置いて一人だけポツンと立っている者がいた。熊の毛皮を被り、かなりの厚着をした吸血鬼だ。分厚いブーツや手袋を見る限り、恐らく北国で生きる者だろう。

 ふと、過激派がこちらを見上げ、口々に何かを囁いている事に気付いた。その様子は、あまり良い印象ではない。

 眉根を寄せていると、治療院からアダムスとソルフレア、そしてたまたま逗留していたルヴァノスが顔を出した。


「やぁエインズワース! 暫くぶりだね、その後の経過はどうかな?」

「アダムス先生、その節はお世話になったね、右腕の方はとても調子が良いよ。ソルフレア嬢とルヴァノス君もご機嫌よう。今日は急に来て悪かった。その……薬草が手に入って、すぐに届けたいと、ね」


 そう言って、エインズワースが目配せする。他の吸血鬼――特に過激派が強い態度を示したのだろう。アダムスも後ろに控える吸血鬼たちを見て、その様子と人数に目を丸くした。


「みんな滞在と治療ってことでいいかな? そしたら……ツリーハウスはエドアルド達が使ってるし、テントを用意するよ。薬草もありがとう、それは預かるから、後で――」

「待ちなさい」


 妖艶で、重く暗い声が一体に響いた。


「その薬草は、我々が命懸けで採取してきたもの。それを渡す前に、私たちの治療を先にするべきではなくて?」

「メリッサ! 無礼だぞ!」


 メリッサと呼ばれた女吸血鬼は、エインズワースを鼻で笑ってみせる。


「吸血鬼の威厳を忘れ去ったのではなくて? 古き命たる我々が、狩人ハンターの巣窟ともいえる街までこの足で赴き、苦労してその薬草を手に入れてきたのよ。先に対価を払ってもらわなければ割に合わないというもの」


 高慢だが、重圧を感じる声が朗々と響く。ステラにもわかった。あのメリッサという女吸血鬼が、過激派の首領なのだろう。

 メリッサの言葉を受け、黄金おうごんの賢者・ソルフレアが前に出た。


「当方らはエインズワースとの約束を破るつもりはない。貴方がたの治療も――」

「人間に使われるだけの魔法道具モノ風情が、我々吸血鬼に気安く話しかけないでくださる?」


 毒を含んだ言葉に遮られ、ソルフレアは面食らった。


「いい加減にしろメリッサ! 彼らは金の払えない我々への便宜として薬草採取の交換条件を呑んでくれて、善意で治療をしてくれると言っているのだぞ! この治療院は、我々吸血鬼専門の治療院では断じてないのだ。不遜な物言いこそ、我々吸血鬼の品位を下げるぞ」

魔法道具モノごときにペコペコ頭を下げる方がどうかしているわ。エインズワース、貴方も腑抜けになったものね」

「彼らを侮辱するのは看過できんぞ、メリッサ。ここやルヴァノス君を紹介してくれたテオ君の顔にも泥を塗ることになる」

「テオ! あの坊やの顔が汚れたところで何だと言うのかしら!」


 過激派の吸血鬼たちが揃ってあざけり笑う。それを止めさせようとエインズワースが声を張り上げ、みるみるうちにその騒ぎは穏健派と過激派の言い争いに発展していった。

 その様子を気だるげに眺めていたロメオは、呆れた声音で言葉をこぼした。


「よそ様の込み入った事情を見せつけられる事ほど、居たたまれない事はねぇな。よそでやれよ……」


 ざんばらの髪をかき上げて、手すりにもたれて大きな溜息を吐く。

 ステラも困って眉尻を下げた。上から見ている以上、どちらにしろ眺めている事しかできないのだが、立ち去るのも忍びない、なんとも言えない居心地の悪い空気だ。アダムスも、言い争う吸血鬼たちの間でおろおろしている。ソルフレアに関しては、侮辱されたせいか敢えて傍観を貫いているようだ。

 だが、テオの事を笑われるのは良い気がしなかった。その点だけは、もし声が出せていたら口を出したかもしれない。

 眉間の皺をより深く刻んでいると、ふと過激派の一人がこちらを見上げた。


「大体、人外専門の治療院だっていうのに、人間たちがいるとはどういうことなんだ? えぇ?」

「俺たちは人間たちから迫害されてきたんだ。当然、人間に姿を見られたくないし、同じ場所にもいたくない」

「それはお前らがここに来たいって言うからだろう!」

「礼を重んじるなら、事前に連絡するべきだったのだ」


 どうやら争点がステラたち向いたらしい。エドアルドは眉をひそめ、


「行きましょう。私たちが表にいると、ややこしくなりかねません」


 そう言って、ステラたちをツリーハウスの中に促した。ステラも踵を返した瞬間、背中に誹謗ひぼうが飛んだ。


「見ろよあれ、元は人間だったらしいぞ」

合成獣キメラだっけ? あんな醜い姿、俺だったらとても生きていけないな」

「ふん、人間たちは、もっと苦しめばいいんだ」


 ステラの胸に、冷たく重いものがズンと落とされた。

 足を止めるステラの背後で、エインズワースやアダムスの怒声が聞こえた。

 この姿になってから、初めて悪意ある中傷を受けた。その衝撃が、ステラの身体を強張らせた。胃の奥からドス黒い何かが溢れ、吐き気を催させる。またあの声が聞こえてきそうな気がした。地獄のような苦しみの中でずっと聞こえていた、子どもたちの声が。

 小雨が地面を叩く音が、ひどく耳を打つ。

 そんな少女の横を、一人の青年がすれ違った。彼は舌打ちをして、手すりから身を乗り出した。


「お前ら、さっきからうるせぇんだよ!」


灰色の空気の中、ロメオが紅い髪を振り乱して大声で叫んだ。


「自分たちばっかりって被害者面して、周りの奴らを下に見て、見苦しいったらねぇ。吸血鬼だからって何が偉いんだ、みんな生きてるのは一緒だろうが。それとも吸血鬼ってのは、誰かに助けてもらってやっとここに立ってるくせに、ありがとうの一つも言えねぇのか! そんな事やってるお前らの方がずっと醜くてカッコ悪いんだよ!」


 最後の言葉が放たれた瞬間、ざわり、と辺りの空気が凍り付いた。

 ステラの背筋に冷たい物が走った。吸血鬼たちが怒ったのだと、反射的に理解した。鋭く痛い、強烈な殺気がこちらを向いている。景色がより暗くなった気がする。

 ロメオが危ない。そう思って彼を振り返ると同時に、エドアルドが彼に手を伸ばして駆け出していた。ロメオが本能的に手すりから手を離す。血の気が引いた真っ白な顔は、過激派のメリッサに釘付けだ。

 彼女が半歩前に出た。来る。ロメオが殺される。そう思った瞬間。


 水しぶきを上げ、手すりの上に人影が滑り込んだ。

 その勢いに圧され、ロメオが尻もちをつく。

 毛皮の上着を翻し、フードが外れた厚着の吸血鬼は、大振りのナイフを構えロメオを睨みつけた。


「何も知らないくせに、知った風な口をきくな!」


 鋭い女性の声が辺りをつんざいた

 金色の髪をほぼ丸坊主にして、顔半分が焼けただれた女吸血鬼が、手すりの上からロメオを睨みつけていた。

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