命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 4

 アダムスが作ったマントを大事に抱えて自室に戻る道中、ステラは人気の無いリビングでアダムスと鉢合わせた。

 新しいローブを着込んだステラの姿に、アダムスは白銀の目を丸くした後、春のような満面の笑みを浮かべた。


「新しい服、できたんだね! すごく似合ってるよ」


 駆け寄り、ステラをぐるりと一周し、もう一度少女の顔を見上げて微笑んだ。


「やっぱり、僕が作ったのよりも職人が作った方が良い出来だね。ボロ布ボロ布言われてたけど、こうしてみると、やっぱりボロだった。女の子に着せられるようなものじゃなかったね、ごめん。」

『そんなことないです』


 寂しそうに俯くアダムスの前に、少女が言葉を綴ったボードを差し込んだ。


『アダムスが作ってくれたマント、本当に嬉しかったです。クルミのボタンが特にお気に入りです』

「そ、そう? ありがとう。でもそのマントはもう要らないよね? 何か別の事に使えるかもしれないから、僕が預かっ――」


 白い手が伸びる前に、ステラはアダムスからマントを遠ざける。渡さないと意思表示する少女に、少年は眉根を寄せ、困惑の色を浮かべた。


『これは、これからも着ます』

「でもこれからの時期は寒いでしょ? そのローブなら内側がもこもこしてて暖かそうだし、わざわざ出来の悪いものを着る必要は――」

『なら、寝巻にします』


 ステラの返答に、アダムスは言葉が喉に詰まった。口をへの字に曲げつつも、少し頬を赤らめていじらしそうに視線を落とす。白い裾を指先で弄りながら、「そう?」と小さく呟いた。

 そんな様子を見て、ステラは心に暖かいものが広がるのを感じた。まるで先ほど飲んだココアのようだ。


『ありがとう、アダムス。私のために服を作ってくれて、本当に嬉しかったです。この服は、私の宝物です。』


 そう書いたボードを見せて、腰を屈めて鼻先をアダムスの肩に寄せる。一つ鼻をすする音が耳に届いて、ステラは小さく苦笑した。鼻先を、アダムスの手がゆっくりと撫でる。


「……ねぇ。時間があるなら、ちょっと三階に行かない? 今ならきっと良い眺めだよ」


 アダムスの誘いに、ステラは小さく頷いた。



 * * * * * *



 治療院のリビングの隣には、吹き抜けの螺旋階段がある。道中にいくつかある部屋は倉庫や物置になっており、ここの生活にも慣れたステラは、この部屋から薬草や道具を取りにくることも珍しくない。

 螺旋階段を一番上まで昇ると、ちょっとしたスペースと丸窓がある。三階の高さから見る精霊の森の景色はとても美しい。

 今なら、木々が赤や黄色に色づいていく様が堪能できる。南の方から徐々に鮮やかな色が浸蝕してきており、治療院付近が賑やかになるのも時間の問題だろう。


 ステラは丸窓を覗いて、感嘆の息を漏らした。


「この治療院ができてから半年、あっと言う間だったね」


 景色を眺めながら、ステラは頷いた。

 視線を遠くに飛ばすほど、色づいていく木々。ずっと先まで続いている森。ここは、ステラが住んでいた世界とは近いようで全然違う場所だ。


『私が知らない大人たちに連れ去られてから、ちょうど一年くらいになります』


 アダムスはその文字を静かに目で追って、同じく静かな目でステラを見上げる。

 ステラは、次の言葉を書き記した。


『とても遠くに来ました』

「……帰りたい?」


 少し逡巡してから、ステラは首を振る。


『よくわかりません』

「…………」

『こんな姿で、家族に気付いてもらえるかわかりません。それに、自分の家がどこだったかも、私にはわからないんです。治療が終わったら出て行かなくてはならないと思いますが、私はどこに行けばよいか、全然わからな――』


 そこまで書いた所で、アダムスに腕を強く掴まれた。


「だったらさ! 好きなだけここにいていいからね!」


 ひと際大きな声が、小さなスペースに木霊する。


「君の身体を治したとしても、予後治療とか経過観察とかもあるから暫くは絶対にいてほしい! 外の世界だと合成獣キメラの身体を研究しようとする奴らもいるから一人じゃ危険だし。でもここなら安全だよ! それに僕だけじゃ治療院を回せないから、ステラが手伝ってくれたら嬉しいなー、なんて……」


 みるみるうちに勢いがしぼんで、最後の方は小声になっていった。そんなアダムスが上目遣いで見てくるの姿が、ステラはとても嬉しく思った。


『じゃあ、身体が治ったらたくさんお手伝いしますね』

「うん、よろしくね!」


 そう言って、お互い身を寄せ合って丸窓の外を眺めた。

 暫くそうしていると、アダムスが穏やかな声でステラに訪ねる。


「ねぇステラ。もしよかったら、ステラの事、もっと教えてほしいな」


 そういえば、文字を書けるようになっても治療に関連すること以外、自分について話した記憶がない。アダムスたちも、無理に聞いてこようとはしなかった。せいぜい、ソルフレアとの雑談で少し触れる程度だった。

 今なら、過去に触れる事で嫌な事を思い出させないようにしていたんだなと理解できる。実際に、目の前の出来事に集中することで、辛い記憶も薄らいでいた。触れさえしなければ、あの地獄のような日々も遠くに消えていく。

 ステラはゆっくりとボードに書き始めた。家族の事、故郷の事、どんな生活をしていたか、どんな景色だったのか――。

 アダムスはそんな言葉の一つ一つに目を走らせ、表情をころころと変えてステラの話に聞き入った。

 会話が弾んだところで、ふとアダムスが訪ねる。


「そういえば、ステラは深緑色が好きなの? 故郷でもその色の服着てた? ロメオ、色んな色の布を用意してたでしょ?」

『よくわからなかったので、選べませんでした』

「そうなんだ」

『この深緑色は、アダムスが私の毛の色に似合うって言ってくれたから選びました』


 途端、アダムスの顔が真っ赤になり、両手で白い帽子を深く被り直す。

 その様子がとても可愛くて、ステラはアダムスに触れたくなって手を伸ばした。

 ステラの手のひらの肉球が、アダムスの頬にぷにゅっとぶつかった。



 * * * * * *



 秋の晴天の昼下がり。ステラとアダムスはご機嫌な様子で治療院前の広場を横切っていく。手に籠を持っているので、また薬草を取りに行くのだろう。ここの所、毎日あんな感じである。

 地中に続く工房の階段から、頭半分出したロメオが、そんな二人の姿をじっとりとした目で見つめていた。


「どうしたんですか? ロメオさん」

「……あいつら、付き合ってんの?」


 工房の中から声をかけたエドアルドは、ロメオの言葉に目を丸くした。彼の隣に進み、同じく階段から頭半分を覗かせ、森へ入っていく二人の姿を眺める。


「そういった話は聞いたことありませんが」


 別に良いのではないか、とエドアルドは思った。一緒にいる二人はとても楽しそうだし、確かに付き合っていると言われても不自然はないように思う。ステラは恋をしてもおかしくない年頃だし、百年以上を生きるアダムスについてはいわずもがなだ。

 しかし、ロメオはどうにも不服らしい。目をすがめ、二人の後ろ姿を鬱陶しげに見送っている。


「……もしかして、あんな姿で恋愛を、なんて思っていないでしょうね?」


 自然と語気が強くなる。が、そんなエドアルドの問いかけに、ロメオは「はぁ?」と間抜けな声を上げた。


「別に姿なんてどうでもいいだろ。てか、エドアルドのおっさんはそんな事気にしてたのかよ。獣人にもよくいるタイプの姿じゃん。俺から言わせりゃあ、上半身と下半身としっぽが別々ってだけだ」


 若者の返答に、エドアルドは自身の浅慮に恥ずかしくなった。


「それよりも、歳の差すっげぇなって思ったんだけ。百歳差なんてそうそう無いだろ」

「あぁ、それは……別に良いんじゃないでしょうか」

「そうかぁ? 生きる時間だって違うのに」

「誰しもいつかは別れがやってくるんですから、本人たちが幸せなら問題ないのでは?」

「へぇ。俺は絶対ごめんだけどな。そんな相手を好きになったりしない」


 当たり障りのないエドアルドの返答が気に入らないのか、ロメオは強く言い捨てて階段に腰掛けた。


「ていうか、ステラ。あいつはなんでアダムスの作った服なんかに拘るんだ? 選んだのも同じ地味な色だったし。大体、みんなしてなーんで俺の作ったものより質の悪いのを好くんだよ。はとこの野郎の作った物だって、俺ほど出来が良いわけじゃないのにさ――」


 また始まった、とエドアルドは嘆息し、冷たく固い階段に腰掛けた。それに気付く事もなく、ロメオはぶつくさと例のへの文句を垂れ流す。


 実は、エドアルドはこっそりルヴァノスに“ロメオの面倒を見てやってほしい”と頼まれていた。

 ロメオは将来有望で優秀な職人だ。だが、ルヴァノスは家出した彼の生活の面倒は見ていたものの、この自信過剰な性格を矯正することはできなかった。

 ルヴァノスは人脈を使って人と人とをめぐり合わせる事は得意だが、誰かを導くのは苦手である。だがロメオのこの性格が、彼の職人生命において弱点になるのは理解していた。

 ルヴァノスはロメオという職人に投資しているし、彼なりにロメオの行く末を案じているのだ。

 ロメオと生活を共にしていたソルフレアは、人を導く事には長けている。が、それは相手に限る。

 アダムスはあぁ見えて頑固なので、イヴリルやロメオのような気の強い者とは喧嘩になりやすい。

 そこで、エドアルドに白羽の矢が立ったというわけだ。


 ステラの施術しじゅつに対する役割分担もあって、エドアルドとロメオは共同で研究・作業をすることが多い。

 出会ってからそれなりに時間を共にしたが、確かにロメオの技術には目を見張るものがあった。一流といっても過言ではないだろう。

 だが、この自信過剰な性格が、彼の職人としての技術を台無しにしていた。


 ロメオは主に獣人専門の職人である。

 獣人は個体によって獣化の割合が違う。普通の人間のように同じ構造を服、場合によっては日常生活の道具さえ、同じものを使用できるわけではない。

 その為、獣人は職人に頼んで自分専用の衣服や道具一式をフルオーダーする事が多いのだ。

 実際に、獣化の割合が二割程度のロメオの衣服も職人製である。彼の上着の背中には、鷲の翼が出せるように縦に大きな切れ込みが入り、インナーは翼の穴の部分を閉じるために紐がついている。


 職人が個々の身体に合ったものを作るには、本人との話し合い――ヒアリングが必要になってくる。

 だが、この自信過剰な性格では、そんな基本的な事が上手くできなかったのだろう。ステラのローブの出来栄えからもわかるように、彼自身の美的センスも良い。だからロメオ自身の意見を押し付けてしまうのだ。人の話は聞かないし、自分が一番だと思っている。

 この慢心が、ガリレイ家の当主候補から外された理由なのだと容易に推察できた。


 そこまで考えて、エドアルドは思案した。弟子を多く持つ彼にとって、こういう手合いの若者と巡り合うのも珍しい事ではない。

 横目にロメオの様子を伺うと、いまだに文句を垂れ流している。周囲には精霊たちが集まり、彼の紅い髪を引っ張ったりして悪戯をしていた。工房内には入ってこないが、ロメオは精霊に好かれている。悪い子ではないのだ。


「ロメオさんは、その自信過剰な性格を直した方が良さそうですね」


 悩んだ挙句、直球で伝えることにした。遠回しな表現では理解しないだろうと思ったからだ。

 案の定、ロメオは目じりを吊り上げてエドアルドを睨んだ。


「自信過剰? 職人が自信を持たずして何を持つってんだ?」

「自信は結構。ですが、それも行き過ぎると毒になります。矜持を心に持ち合わせても、慢心は身を滅ぼしかねません。誰かのために物を作る以上、それはその誰かに降りかかるかもしれない。少し冷静になって、自分を見つめ直してみてはいかがでしょうか?」


 ロメオは鬱陶しそうな顔のまま、返事もせずに工房の中へ戻っていった。

 そのままバタンと扉が閉まる。板一枚を隔てた向こうから、


「また用ができたら声かけるわ」


 わかりやすく拒絶されたエドアルドは、小さく肩を竦めて自室に戻っていった。



 それから数日後、事件は起きた。

 エインズワースが、薬草を持って治療院を再訪したのだ。

 過激派の吸血鬼たちも連れて。

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