命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 3

 治療院のある巨大樹の広場の隅に造られたロメオ専用の工房は、半分が地中に埋まったレンガ造りで、屋根や窓の雨除け部分に草花が生い茂る、可愛らしい外観をしている。

 入り口の階段を降りて中に入ると、窓はいくつかあるものの、半地下のせいか少し暗い。しかし地熱のおかげで暖かく、さらに暖炉に火が灯っているので、ステラがここで着替えるのも苦ではなかった。木製の床は、着替えるステラの蹄が当たる度に鈍い音を立てる。


 新しい衣服に袖を通した少女は、背中を向けているロメオとエドアルドの肩をそっと叩いた。


「あぁ、よくお似合いですよ、ステラさん。」

「当然だろ! この俺が作ったんだからな!」


 振り返った二人は、笑みを浮かべて口々に感想を述べた。

 季節の変わり目という事もあり、また前々から衣服は職人に作らせようという話もあって、ステラのためにロメオが新しい服を作ってくれたのだ。

 ステラは手から腕周りの造りが変わり、複雑な動きもできるようになったことから、新しい衣服はマントから袖のあるローブになった。冬用の深緑色の厚い生地、内側は羊毛を使われているので暖かく、フードも健在である。全体的にゆったりとして動きやすいのはそのままに、ステラの身体に合わせたすっきりとしたデザインで、太い茶色の紐によるステッチが所々にわざと残され、又は入れられている。そのため、シンプルなデザインだが洗練された雰囲気があった。

 誰が見ても、アダムスが作ったマントよりずっと質の良い衣服だった。


「着心地はどうだ? 違和感があるところは? ポケットも結構くっつけたからな。ほら、この文字書くための板も入れられるだろ。」

『とても暖かくて、動きやすいです。ありがとうございます。』


 ステラの礼に、ロメオは満足そうな顔をして鼻を鳴らした。


「それほどでもあるけどな! にしても、本当にそんな色で良かったのか? 地味で暗いだろ、女の子ならもっと派手なのが好きなんじゃねぇの?」

『この色がいいです。』


 ロメオが色を聞いてきた時、彼が見本として工房のテーブルいっぱいに広げた布は、赤や黄色、ピンクなどの派手な色が多かった。というか、派手な色を前面に押し出して、地味な色の布地は端の方に追いやられていた。好きな色を選べ、と言われたが、ステラは好きな色というのがいまいちピンと来なくて、結局アダムスが作ってくれたマントと同じ色を選んだ。

 アダムスがステラの茶色の毛並に似合うから、と選んでくれた色だったから、間違いないと思ったのだ。

 着衣済みのステラを一通り眺めたロメオは、ふーんと言って暖炉に向かった。


「変わってんな。よく言えば無難だけど、やっぱ地味じゃん。」

「ロメオさん、人の好みに文句を言うものではありませんよ。」


 たしなめるエドアルドの言葉を「はいはい」と流し、ロメオは暖炉にかけられた小さな鍋の中身を木製のカップに注いだ。

 甘く味わい深い香りが室内に広がっていく。ロメオは紅茶よりもココアという飲み物が好きらしい。


 茶色い粉に少量の水を入れて練り、砂糖とミルクをたっぷり入れて鍋にかけられたココア。目の前に出されたそれは芳醇ほうじゅんな香りを放ち、ステラの鼻腔をくすぐった。飲むのは初めてである。ステラは期待に胸を膨らませながらゆっくりと口を付けた。

 とろりとした濃厚な甘さとミルクの優しさが口に広がり、飲み下すと胸に暖かさが広

 がる。ステラは一口でココアが好きになった。

 喜々として飲み始めるステラを見て、エドアルドは鋭い目じりを緩ませた。


「紅茶も良いですが、ココアも良いですね。この濃厚な舌触りが癖になります。ステラさんも気に入ったみたいです。」

「だろ? 実家の近所の店で出してるココアなんだけど、俺はこれが好きでさ、たくさん買って作業の合間に飲むのが好きなんだよな。特にこれからの時期は身体もあったまる。」


 そう言ってロメオの視線が窓に向かう。彼が来てから数日だが、早くも木々の葉先が色づき始めていた。

 無言のまま、静かにココアを楽しむだけの時間が流れる。外を闊歩する秋風の気配と、暖炉の火が弾ける音だけが、室内を満たした。


 ふと、エドアルドが口を開いた。


「ロメオさんは、なぜ家出を?」


 唐突な質問に、カップに口を付けていたロメオが噴き出しかけた。


「――ッ! なんだよエドアルドのおっさん、藪から棒に。さてはルヴァノスさんから聞いたな?」

「ご名答です。この一週間ご一緒してて思いましたが、確かな実力があるのになんでガリレイ家を飛び出してしまったのか、気になってました。もちろん、話したくないなら構いません。」

「…………。」


 ロメオが家出中だというのは、ステラもちょっとだけ気になっていた。彼の顔色を伺うと、なんとも気まずい表情を浮かべている。居心地が悪そうに紅い髪を掻きむしった彼は、中空を見つめたままポツポツと語りだした。


「…………じーさん連中が、別の奴を次期当主に指名したからだよ。正式にじゃないけどな。」

「それはそれは……」

「天才の俺が時期当主じゃねーってどういうことなんだよ! って思って、見返してやろうと思って飛び出したわけ。指名されたのは俺のだったんだけど、俺より五つも年上の癖に不器用だし、頭ぼっさぼさででっかい眼鏡かけてて鈍臭いし、ダセェし、地味だし、いつも周りにぺこぺこしてるし、ロメオくんロメオくんって鬱陶しいし、未だにルヴァノスさん経由で手紙送ってくるし――」


 何か思い出したのか、二人が見つめる前で、ロメオの語気は強く、勢いを増していく。


「なのに、あんな奴の周りにばっか人が集まるんだよ。道具作りだって俺の方がずっと上手いのにだぜ? おかしいだろ? 獣人用の道具だって、俺の方がずっと詳しくて良い物を提供できるのに、皆してあいつの元に行っては何度もあーでもないこーでもないってやってるんだよ。効率悪いだろ! なのにフィルルさんもあいつばっかり贔屓してるしさ。フィルルさんの杖を見せてもらったって自慢してくるんだよ! 俺はまだ見せてもらった事ないのに!」


 一気にまくし立てたロメオは、バン! とテーブルを叩き、肩で大きく息をしていた。

 ステラは彼の事が心配になった。ロメオはかなり腹に据えかねているらしい。そのがどんな人物か、ステラには不明瞭に思えたが、ロメオは善い人だと思っている。困ったり、辛い思いをしてほしくはない。

 だが隣のエドアルドに視線を投げると、彼は悠々とココアを飲んでいた。彼を心配する素振りなど欠片もない。だが不思議と冷たいとは感じない。


「フィルルさんの杖に、何かあるんですか?」


 エドアルドの問いに、ロメオの怒りが少し収まった。


「あぁ、フィルルさんの杖は、職人・ガリレイ家の初代当主の作品なんだよ。で、俺の曽爺ひいじいさん――三代目がフィルルさんと同年代の親友で、死ぬ直前までその杖の調整を担当してたってわけ。今は代々当主が調整を担当してる。初代は大天才だったらしいから、とにかくすごい作品らしいんだよな。俺はまだ見せてもらった事ないけど。」


 忌々しげに吐き捨てながら、ロメオはテーブルの上に視線を走らせる。その先にあった物を見て「あっ」と声を上げ、椅子に座ったまま手を伸ばした。どうも目先の事となると怒りもどこかへ飛んでいくらしい。


「ステラ、これもういらないだろ? 俺が処分しておくわ。」


 そう言って、今までステラが着ていた――アダムスが作ったマントを無造作に掴む。それを見たステラは首を横に振るが、彼は訝しそうに眉根を寄せた。


「だってもう着ないだろ、これ。使いまわせる部分は解体して使用するし、こんな出来の悪いもん持ってたって荷物になるだけだぞ。」


 ステラはもう一度強く首を振り、マントを取り上げた。両腕で胸に抱え、椅子に座って身を縮こまらせる。

 ロメオはますます眉間に皺を寄せたが、溜息を吐いて軽く手を振った。


「まぁ、お前がそうしたいなら別にいいけど。新しい服はもう何着か作るってことでいいんだよな?」


 ぶっきらぼうに尋ねる青年に、少女は何度も頷いた。ココアを一気飲みしてカップをテーブルに置くと、二人に一礼して逃げるように工房を出て行く。階段を昇り、地上から頭半分出たところでアダムスの呼ぶ声が、工房内にいる二人の耳にも届いた。

 治癒術師の少年に向かって駆け出すステラを見送り、ロメオとエドアルドは静かになった工房で、特に会話もなくココアを飲み進めた。

 暖炉でパチパチと火の粉が弾ける音が響く中、ふとエドアルドが呟いた。


「ロメオさんに足りないのは、真心、ですね。」


 人生経験の豊富な男の言葉に、胡乱な目を向けていた若者は、数拍かけてみるみる顔を歪ませる。


「はぁ~~~~~~?」


 反発心と反抗心がむき出しの声を、エドアルドは意に介さず甘いココアを飲みほした。


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