命題9.職人 ロメオ・ガリレイ 1

 精霊の森からは夏の暑さが引き、涼しい風が舞い込んできていた。

 そろそろ木々が色づき始める頃合いだ。精霊に一年の感謝を捧げる豊穣祭の時期も近い。

 吹き抜ける風に肌寒さを感じ、ステラは台車を押す手を止め、マントの襟を寄せた。聖水を汲みに行ってきたのだが、夏用の薄水色のマントの、生地が薄さを実感した。そろそろ深緑色の分厚いマントを着る頃のようだ。治療院に戻ったら出そう、そんな事を思いながら視線を前に戻す。


 分かれ道を、初老の男が早足で横切っていった。

 治癒術師特有の、純白の衣装に片手鞄。追加で旅行用のトランクを一つ提げている。

 上から羽織った白いケープの背では、世界で最も技術が進んでいる大国――エクセリシア帝国紋章の金糸刺繍が、涼し気な木漏れ日に当たる度にちかちかと輝いていた。

 後ろに撫で付けたシルバーグレーの髪ともみあげから繋がる髭は綺麗に切り揃えており、彼の几帳面さを伺わせる。真っ直ぐに道の先を見つめる茶色の眼光は鋭く、厳格な顔立ちをしていた。

 品と威厳を兼ね備えた、高い地位を持つ治癒術師だ。

 見覚えのある後ろ姿に、合成獣キメラの少女は思わず「コーン!」と鳴き声を上げた。

 唐突に響き渡るキツネの声に反応し、初老の男が振り返る。合成獣キメラの少女に気付いた彼は、鋭く切れ長の茶色の瞳を見開き、次いで目じりをたゆませた。


「ステラさん! あぁ、こんなに元気になって……!」


 男はその場にトランクを置き、快哉を叫んだ。アダムスの弟子、エドアルド・ダールマンである。両手を伸ばし歩み寄るエドアルドに、合成獣キメラの少女――ステラも駆け寄って手を伸ばす。

 エドアルドの両手が、ステラの頬の下あたりを包む。少しごわごわ、だけどふわふわな彼女の茶色い毛皮に触れながら、彼はしみじみと呟いた。


「こんなにふくふくとなって……初めて会った時に比べて、本当に元気になりましたね。手の枷も外れて何よりです。」

『またお会いできて本当に嬉しいです。ここに来ると聞いて、とても楽しみにしていました。』


 ステラはすらすらとボードに文字を書き、エドアルドに想いを伝えた。ステラと文通している彼は、その文字の上達具合に目を細める。


 二人が初めて出会ったのは、まだ春先の事だった。

 人間のステラは悪い魔術師に合成獣キメラにされ、キツネの頭と両手に、蹄を持った後ろ足、臀部でんぶからはネズミの様な細いしっぽが五本生えた姿に変えられていた。心身共に傷付き瀕死だったところを、白日はくじつの治癒術師・アダムスに保護された。その姿を見て、エドアルドは悲哀と憤怒を抱いたものだった。

 その頃のステラは文字の読み書きはもちろん、日常生活すら困難な状態だった。身体中の至る所に生傷や火傷の後があり、無理矢理繋ぎられた肢体は常に痛みに襲われ、少女を苦しませる。毛皮はボロボロで至る所が禿げ上がり、身体は痩せ細って見るも痛々しい姿だった。

 それがアダムス達の尽力によって、元気に笑えるまでに回復したのだ。エドアルドは故国に帰ったものの、研究資料を送るなどして治療に協力していた。治癒術師として、患者の回復以上に喜ばしいことはない。


『アダムスとソルフレアさんが待っています。一緒に行きましょう』


 エドアルドはステラの背後にある台車を覗いた。大きな水瓶があり、中にはマナが多量に含まれた、質の良い聖水がたっぷりと入っている。


「先生のお手伝いですか? 偉いですね」


 笑いかけると、ステラも笑い返す。二人は会話を楽しみながら、治療院への道を辿った。



 * * * * * *



 治療院に着いたエドアルドは、アダムス達に歓待された。

 昔馴染みの彼らは思い出話に花を咲かせ、リビングで紅茶とお菓子を囲んで和気藹々としていた。だが、エドアルドが遥々この人外専門治療院に訪れたのは、お茶を飲むためではない。

 楽しい会話も一段落したところで、エドアルドは「さて、」と呟いた。

 その瞬間、リビングの雰囲気が少し硬くなる。


 春先に比べて随分と元気になったステラだが、その身体にはまだ解決すべき問題が残っている。

 少女の身体には、歪な合成獣キメラの身体を繋ぎとめるために、両手足に枷と鎖が取り付けられ、首と腹は鉄の棒を貫通させられていた。それらは魔法道具として役割を果たしていたが、耐久性が低く、年内に全て取り除かなければならない。魔法道具が壊れ、ステラの身体は崩壊、死亡してしまうからだ。

 ステラは既に、両手の枷が外されていた。だが、この施術しじゅつは本人に苦痛を与える。その上、過去に事例がない案件のため、困難を極める。

 この施術しじゅつを成功させるため、ステラの命を救うため、エドアルドは再び精霊の森にある、人外専門治療院へと訪れたのだ。


 それは、ステラ自身もよく理解していた。だからこそ、静かに耳を傾ける。そのまま自分自身の命に関わる内容だ。自然と、膝に置いた拳に力が入った。

 白髪に白銀の瞳の美少年――白日はくじつの治癒術師アダムスが訪ねる。


「とりあえず、エドアルドはステラの施術しじゅつが全部終わるまでここに滞在してくれる、ってことでいいんだよね? 年内いっぱいの予定なんだけど。」

「はい。陛下にお願いして、丸々一年のお暇を頂きました。今までの功績と国への貢献を鑑みて、家族との時間を持つと良いと快く送り出してくれましたよ。落ち着いたら、妻子の元へ戻る予定です。」

「ごめんね、せっかくのお休みなのに。」

「気にしないでください! 妻と子も事情は理解してくれています。戻ったらうんと二人の我儘を聞くという事で話がついていますから。それに、先生たちと一緒に何かをするのは勉強になります。」


 アダムスは申し訳なさそうに視線を落とした。首から提げた白い小さなランプが、動きに合わせて小さく揺れる。

 ステラもキツネ耳をぺたんと伏せる。エクセリシア帝国随一の治癒術師であるエドアルドは多忙だ。そんな中、無理をして抜け出してきてくれたのである。気にするなという方が難しい。

 二人の様子を見たエドアルドは、慌てた様子で話を逸らした。


「私の他にも協力者がいるのでしょう? 関わる方々についても把握しておきたいです。」

「そうだな。まずは施術しじゅつの内容をざっと説明しよう。」


 口火を切ったのは黄金おうごんの賢者ソルフレア――山吹色の長い髪をハーフアップにした中性的な姿をした魔法生物ランプだ。紅茶に口をつけて唇を湿らし、顔を上げる。太陽の装飾が施された片眼鏡モノクルがキラリと光った。

 ステラは緊張のあまり、紅茶をぐいっと流しこんだ。熱い液体が喉を通って胸中に至り、少しだけ心を落ち着ける。


「ステラの魔法道具の除去だが、既に手枷は外してある。」


 テーブルの上に、黒く大きな手枷と鎖が置かれた。鈍く重い音と、金属の擦れる音が響く。


施術しじゅつ中はステラ自身に強い苦痛が発生し、施術しじゅつ後は身体回復と構造の適用のため、長い休眠期間が入る。手枷の際は五日だったが、足枷、や首・腹の棒の除去時には、この休眠期間はもっと長くなると予想している。」


 ふむ、と頷いて、エドアルドは手枷に手を伸ばした。


「痛みがある、というのは看過しがたいですね。治癒術による沈痛などは?」

「できれば避けたい。魔術的な方法を取ると、施術しじゅつに影響が出る。」

「痛みについては魔術的な干渉が少ない薬草を、吸血鬼のエインズワース達が採りに行ってくれてるよ。彼らが関わってるって事、外では内緒にしてね。」


 吸血鬼は身体の全てが貴重な魔法素材になるため、世界中で狩人ハンターたちに命を狙われている。当然、彼らの居場所を知っている者なら、吸血鬼にだって容赦しない。アダムスがこれを話したのは、弟子であるエドアルド・ダールマンが信頼できる人物だからだ。


「取り外しのための魔術の研究は、ソルフレアさんが?」

「そうだ。ステラに埋め込まれている魔法道具を作ったのは、恐らく大魔術師だ。解除するのは……正直なところ、困難を極める。大魔術師に真正面から挑むと同義だ。だが、手枷からかなりの情報を入手できた。あとは魔力測定器の精度を高めればいい。」


 続いて、ソルフレアがテーブルに細長いガラスの筒を置いた。目盛りが振られ、中に丸く整えられた紅い石が浮いている。

 ステラは、手枷を外した時にソルフレアが語っていたことを思い出した。つぎはぎだらけの合成獣キメラの身体は、普通の生物と違って部位によって流れる魔力の量が変わる。その上、施術しじゅつ中にも変化が起き、そのせいで肉体に損傷を与えるらしい。

 その損傷は痛みだけでなく、命にすら関わる影響を出しかねない。だから魔力の流れを可視化するために、ソルフレアは魔力測定器を作ったのだ。

 エドアルドは真剣な眼差しで測定器を見つめた。手に取って掲げ、よく観察する。この魔法道具の真価を見たエドアルドは興奮した様子で語りだした。


「素晴らしいですね……すごい発明です。治癒術師は自身の魔力を変換し、患者の傷を治します。だから使命感に駆られて自身の魔力量をはき違え倒れ……場合によっては命を落とす者も珍しくない。これがあれば患者の容態だけでなく、術者自身の魔力管理もできるようになります。治癒術がより発展するでしょう! ソルフレアさん、これをエクセリシアに持ち帰りたい――貴方専用の研究室も用意します。是非これを、治癒術の発展のために役立ててほしいです!」


 頬を紅潮させるエドアルドに反して、ソルフレアは静かに応えた。


「研究室は魅力的だが、ステラの施術しじゅつが終わってからだ。」

「もちろん、ステラさん優先ですよ。」

「それに、私ではそこまでが限界だ。ここから先の精度を上げるには、魔法道具職人の力が必要になる。」

「ステラの施術しじゅつに協力してくれる職人さんも、今日来ることになってるんだよ。僕はまだ会ったことないけど。」


 クッキーを頬張るアダムスの言葉に、エドアルドは切り揃えた髭に触れつつ、眉間に皺を寄せる。


「ここに来る、ということは、信頼できる人物という事ですよね? 吸血鬼の件もありますし、口が固く実力のある職人という事でよろしいですか?」

「ルヴァノスの紹介だから、信頼できるはずだよ。もうそろそろ来るんじゃないかな?」


 そう言って紅茶を啜るアダムス。ステラも少し冷めた紅茶に口を付けて、クッキーに手を伸ばした。

 その時、外から「待ちなさい!」と怒鳴り声が聞こえた。

 全員の視線が窓に集まる。治療院の玄関に向かって走るルヴァノスの姿が見えた。誰かを追いかけているらしい。

 次いで、乱暴に玄関を開け放つ音と、「待たせたな!」とくぐもった大声が響く。


「って、誰もいねぇじゃねぇか! ……こっちか!」


 地団駄を踏んだ後、リビングに向かって慌ただしく近づいてくる。

 廊下に続くドアが開け放たれ、その賑やかな人物は大声と共に現れた。


「待たせたな! この俺こそ、由緒ある魔法道具職人、ガリレイ家に生まれた若き天才! 未来の職人界を背負って立つ新進気鋭の二十一歳、ロメオ・ガリレイ様だ! お前たちだな、この若き天才職人の力を借りたくてたまらねぇって奴らは。生活用品から小難しい魔術専用道具まで、何でも期待以上のものを作ってやるぜ! ハーッハッハッハッハッハ!」


 突如現れたその男は、一息にのたまうと、背中の両翼を大きく羽ばたかせた。

 適当にまとめられた紅い髪にゴーグルを被り、革の上着にポケットのたくさん付いた革のズボン、革のブーツ。職人というのは嘘じゃないようで、ステラの鼻先に油のような臭いが届いた。

 彼の勢いに気圧されて皆が呆気にとられる中、未だ高笑いを続ける彼の翼の下から、苦笑いを浮かべたルヴァノスが顔を覗かせる。


「騒がしくしてすみません。彼が今回の施術しじゅつに必要な道具を作ってくれるロメオ・ガリレイ。魔法道具職人として名を馳せるガリレイ家出身の、鷲の獣人です。」


 紹介を受けたロメオは目をすがめ、口の片端を吊り上げて不敵に笑った。


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