命題8.吸血鬼と石鳥 4

「ステラ、下がって!」


 アダムスの鋭い声が飛ぶと同時に、ソルフレアがナイフをひらめかせる。ステラを庇うように前に出ると、その鋭く光る刀身を目線の高さで構え、エインズワースに狙いを定めた。

 しかし吸血鬼は微動だにせず、瞳に暗い光をたたあやしい笑みを浮かべていた。


「これはこれは、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。私はとても温厚で紳士的な吸血鬼なのだよ?」

「どの口が言うか、吸血鬼エインズワース。人間の命を“食事”と言い切る紳士など、当方は聞いたことがない。」

「おやおや。我々はのだから、仕方のないことではないか。」

「殺す必要はないはずだが。」


 ステラはただ見ていることしかできなかった。少女が経験したことがない、今まで生きてきて全く縁のなかったに、自然と息が詰まり、心臓がバクバクと警笛を鳴らしていた。

 自分を前に立つソルフレアの顔を覗く。彼女の額を、一筋の汗が滑り落ちていた。視線は吸血鬼から一瞬たりとも逸らされない。

 エインズワースは隣のアダムスを見やる。ステラに下がれと言った彼は、その場から一歩も動かず、差し出された右腕に治癒術をかけ続けていた。


「君は逃げないのかね?」

「……僕は治癒術師だ。君の怪我を治すのが使命、逃げるのは仕事じゃない。」

「ははぁ、なるほどなるほど――」


 顎を撫でながら、エインズワースは思案するようにゆっくりと俯いた。ククッと忍び笑いが漏れる。その声は最初こそ抑えていたようだが、徐々に大きくなっていく。そしてとうとう、その場に似つかわしくないほど力強い大笑いが室内に響き渡った。

 思わず目を丸くする三人を、エインズワースは涙を浮かべた目で見回した。


「いやぁ、ハハハ。これは結構! 我々にとって十分信用できる治療院だ。」


 いまだ笑い声をこぼす彼の様子に、ソルフレアは呆れた様子で溜息をつき、ナイフを降ろした。


「ひ、ひどいよエインズワース! 僕たちを試してたの?」


 先ほどの毅然とした態度はどこへやら、涙声のアダムスが顔を真っ赤にして抗議した。

 その様子を横目に、ステラはソルフレアに促され、二人で患者用のベッドに腰を下ろした。同時に全身の力が抜け、緊張から解放される。肺の空気を全て出し切るほどに深いため息を吐いてから、ステラはボードに文字を書き、エインズワースに向けて見せた。


『どういうことですか?』

「ん? 言っただろう、以前我々を罠に嵌めた治癒術師がいた、と。テオ君の話はその時の手口と同じものだった。だから信用できるか確かめる必要があったのだよ。」

「ひどいよ! 精霊の森に悪人は入ってこられないんだから、そんな危険あるわけないのに!」

「無論だ。しかも不老不死とはいえ潰された心臓を復元させるほどの腕を持った治癒術師だ。吸血鬼狩りなどというケチ臭い事をしなくても、金ならいくらでも稼げるだろう。だが、この事件もここ百年ほどの事で記憶にも新しくてね、そう簡単に信じられなかったのさ。だから私はここ一週間、ずっとこの治療院を見張っていたんだよ、アダムス。」

「なるほど。わざわざ嵐の夜に来たのは、何かあった時に逃走しやすいからか。」


 ソルフレアの言葉に頷き、エインズワースはまたククッと笑った。


「私は“”をしているそうだからね。これでおあいこだ、許したまえ。」


 ぶつぶつと文句を連ねるアダムスが言葉を詰まらせ、バツが悪そうに視線を逸らす。エインズワースは空いた左手で、アダムスの白銀の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。


「まぁこれで、この治療院が信用できることは証明できた。私が同胞に口効きすればここも商売繁盛だろう。代金は身体の一部――髪と聞いている、高く売れるだろうなぁ。だが……」


 そう言葉を濁し、エインズワースは自身のブロンドの髪を撫で上げる。


「この通り、私の髪は短い。他の同胞も然りだ。」

『きゅうけつきは、ハンターにかみをわたしてみのがしてもらう、とききました。』

「見逃してもらう……というのは少々しゃくだが、おおむねその通りだよ、ステラ嬢。」


 そう言って、エインズワースは眉根を下げる。


「血液でも支払いはできるのではなかったか? テオという吸血鬼はそうしたと聞いている。当方も実際に保管された血液を確認しているが?」

「ダメだよ、ソルフレア。テオの時は、その時の患者は恋人のマルテだから良かったけど、患者本人に血液を払ってもらうのは治癒術師として承諾しかねるよ。確実に身体に負担をかけちゃうからね。」


 なるほど、とソルフレアが頷き、四者はそれぞれに頭を悩ませた。


「金策に悩むのは、どこも同じだねぇ。」


 みんなで、大きな溜息を吐いた。




「傷は深いけど、吸血鬼は回復が早いから、この分なら一週間くらいで完治すると思うよ。」

「ということは、一週間以内に支払い方法を決めねばならんのだな。」


 包帯を巻かれた右腕を掲げながら、エインズワースは眩しそうに碧色の瞳を細め、ぼそりと呟いた。薬草のツンとした香りが鼻腔を刺激し、皆の憂鬱に拍車をかける。


「それ以外にも問題が山積みなのに、全くどうして、事は上手く運ばないのか……。」


 そう言ってわざとらしく肩を落とすエインズワース。ステラが話しかけようとすると、ソルフレアが目で制した。面倒くさい事になるからやめろと、黄金の瞳が語っている。

 誰も彼に声をかけなかった。

 不自然な沈黙が、室内に充満する。

 エインズワースはちらりと三人を盗み見て、もう一度、わざとらしく頭を抱えて高らかに嘆いた。


「あぁ~、困った困った! もしかしたらこの治療院にも迷惑をかけてしまうかもしれないというのに、一体どうしたものか!」

「えっ。僕の治療院にも?」


 言った後で、アダムスは咄嗟に口を塞ぐ。が、エインズワースの食いつきはそれよりも早かった。


「そうとも! 実は同胞の間で面倒なことになっていてだね!」

「吸血鬼エインズワース、厄介事をこの治療院に持ってくるのはやめて頂こうか。」

「いやいや、これは大変誠に、至極しごく真面目な話なんだよ、ソルフレア嬢。君たちのためにも聞いて欲しい。」


 そう言ってエインズワースは姿勢を正し、腕を組んだ。


「今、我々吸血鬼は大きく二つの派閥に分かれている。穏健派と――過激派だ。」


 そこで言葉を区切り、三人の顔を見回す。エインズワースの言葉を受け、彼らの顔が真剣な面持ちに切り替わるのを確認して、話を続けた。


「信用できる治療院、吸血鬼の大多数を占める手負いの者らにとって、これ以上ない救済だ。私の右腕よりひどい怪我を負っている者も多い。ルヴァノス君の援助もあって、物理的にも大変助かっているからね。だが、そうやって身を持ち直して来たらどうなるか。人間に復讐しようとするやからが出てくるのだよ。面倒な事にね……まぁ、気持ちはわからなくもないが。」

「自分たちのしてきたことを棚に上げて、随分と図々しい発想だな。」


 ソルフレアの辛辣な言葉に、そうだな、とエインズワースは肩を竦めた。


「人間に虐げられてきたのは、ソルフレア嬢の言った通り、かつての我々の所業が原因だ。だからと言って許す、許さないというのは別の話になるが……。この治療院の話を聞けば、過激派はこぞってやってくるだろう。力づくでアダムス先生に治療させようとするかもしれん。穏健派の代表としても、私はそれが心配でね。これでも吸血鬼の中では古参に当たるんだ。発言力もそれなりにあるつもりだが、完全に抑えるのは難しい。もっと上の――千年以上を生きる、それこそ大吸血鬼と呼ばれるような大物おおものが皆を纏めてくれたりすれば、丸く収まるのだが。」

「うーん、僕の治療院でそういう事されるのは困るなぁ。患者は吸血鬼だけじゃないし。」

「だろう? 念の為に護衛を雇ってくれると私も安心だ。アダムス先生とステラ嬢は戦えないだろうし、ソルフレア嬢も決して弱くはないが、数百年を生きた吸血鬼に徒党を組まれては手も足も出ないだろうからね。弱い者いじめなんて恥ずかしいことこの上ないが、奴らならやりかねん。」


 ソルフレアのこめかみが痙攣していたが、ステラは見て見ぬふりをする。


「護衛なら当てがあるから、こっちは心配しなくていいよ。」


 ステラが護衛と聞いて真っ先に思いつくのは、やはり蒼空そうくうの騎士ブラウシルトだった。アダムスも恐らく、同じ人物を思い浮かべたのだろう。自信満々にエインズワースに応えている。

 だが、治療院はどうにかなるにしても、吸血鬼たちの事情はとても複雑らしい。ステラの脳裏に、恋人たちの顔がよぎり、ついボードを掲げて見せた。


『テオとマルテはだいじょうぶですか?』


 その言葉に、エインズワースが眉間に皺を寄せる。


「大丈夫、と言いたいところだが、正直危険な状況だ。テオ君は吸血鬼の現状を変えたいと言っていたからね。私もそれに同調はしたが、あれは若い上に経験も浅い。勢いはあっても明確な未来予想図は無いし、彼の意見は誰も聞かないだろう。むしろ、不老不死とはいえ人間の恋人を連れている以上、人間に通じているんじゃないかと怪しまれてしまっているよ。かくいう私も最初は怪しんだものだ。ルヴァノス君が同行している時は安心なんだけどね。彼も君たちの仲間だろう? 我々も無駄に年は重ねてないから一目でわかるのさ、彼はものすごく強い。そうそう手は出せないってね。なんでまた商人なんかに身をやつしているんだか――」


 そう言って、エインズワースは苛立たし気な様子で髪を掻きむしる。ステラは思わず彼の前に立ち、思いを書き記したボードを差し出した。


『テオはだれかをうらぎるようなひとではないです。』

「うん、僕もそう思うよ。テオはではないけどね。」


 横から身を乗り出してボードを覗いたアダムスが、少し高い声で言った。

 笑顔を向ける治癒術師の少年に、ステラもにっこりと笑顔を返す。

 ステラの知るテオは、不器用だが誠実な性格の吸血鬼だ。素直で真っ直ぐで、人間のマルテをとても大切にしている。他の吸血鬼の事を心の底から心配していたからこその、今回の行動のはずなのだ。だから、こういった悲しい結果を招いている事が辛くて仕方がなかった。

 自然と鼻先が下がるステラを見て、エインズワースも頷いた。


「私も、彼は裏切っていないと思っているよ。捕まった吸血鬼の末路を知っている者が、同胞を人間に売るとは思えんからね。」


 彼の言葉に、ステラはかつてテオに言われた言葉を思い出した。湧き出るように彼の憎悪が蘇る。反芻される言葉に呑まれ、エインズワースの前で少女は立ち尽くした。


 ――俺は憎いぞ。人間が憎い

 ――楽しんでるんだよ、俺たちが泣き叫ぶのを

 ――吸血鬼の女はもっと酷い目にあうぞ


「恐らくの中で、解体について一番詳細に知っているのがテオ君だろうね。目の当たりにした上で生き延びたんだ。しかも彼は私にこう言った。“吸血鬼の女はもっと悲惨だ”と。それはつまり――」

「比べる者、つまり男性も目の前で解体されたはずだ。そのテオという吸血鬼は、最低でも男女二人が解体されている所を見ている。」

「そういう事だ、ソルフレア嬢。テオ君ははっきりとは言わなかったが恐らく――ご両親だ。」


 苦虫を噛み潰したような顔で、エインズワースが吐き捨てた。

 ステラは、胸が圧迫されて呼吸が苦しくなるのを感じた。暫く棒立ちになって遠くを見つめていた少女は、ゆっくりとベッドに足をひきずっていく。シールに腰を下ろすと身を屈め、両手で目を強く押さえた。閉じた瞼のすき間から溢れる涙を、ざらついた包帯が吸い込んでいく。

 鉛のように重い沈黙に、アダムスの優しい声音が流れる。


「…………少し、刺激の強い話だったね。エインズワースも疲れたでしょう? 今日は、もう寝よう。」


 その夜は、そこで解散となった。


 エインズワースは隣の遮光部屋に、他はそれぞれの部屋に向かう。

 ステラは部屋に入る前に、アダムスに声をかけられた。


「ステラ、あのね。吸血鬼たちは確かに、昔々に人間にひどいことをしたけど、でもね、ステラが今の吸血鬼たちの状況をひどいって怒ったことは、間違っていないと思うよ。」


 穏やかで優しい声が、少女の悲しみを少し和らげる。

 赤くなった目でしぱしぱと瞬きを繰り返した後、ステラは自ら屈んで、両腕を広げるアダムスに抱きしめられた。

 頭を撫でる少年の手に、ステラのざわつく心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。



 * * * * * *



「ステラ、当方だ。入って良いか?」


 部屋に戻ったステラがランタンを消そうとした時、ノックの音と共にソルフレアの声が響いた。

 ドアを開けると暗闇の中、いつも無表情の彼女が苦い顔をして立っていた。


「……今晩、一緒に過ごさせてほしい。」


 頷いて彼女を部屋に入れると、空いているベッドに促す。

 ステラの身体は、かなり獣に寄った構造になっている。そのため、ベッドでの睡眠は今の少女にとって、窮屈で寝苦しいことこの上ない。おかげでただのオブジェと化してしまっているのだ。代わりに、床に毛布を敷いてそれにくるまり、丸くなって寝ることにしている。

 ソルフレアは眉間に皺を寄せたまま、皺ひとつないシーツの上に腰掛けた。


『どうしたんですか?』

「経験則だが、あの手のやから夜這よばいをしかけてくるからな。念のため一人になるのは避けておきたい。」

『よばいってなんですか?』

「……ステラは知らなくて良いことだ。くそっ、あの吸血鬼は外のツリーハウスにでも押し込めば良いものを――」


 文句を言いつつ、ソルフレアはランタンのつまみを捻ろうと手を伸ばした。

 その時、


 カタン――


 と、部屋の外で物音がした。

 二人の視線がドアを注視する。


「…………ルヴァノスに言いつけてやろう。」


 そう吐き捨てて、ソルフレアは灯りを消した。

 とりあえず、ステラも毛布にくるまって目を閉じた。


 その夜は特に“よばい”という事が起きることもなく、無事、穏やかな朝を迎えた。

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