命題8.吸血鬼と石鳥 5

 嵐が過ぎ去ったおかげで、窓から見える景色には、早朝にも関わらず燦々さんさんと黄色い陽光が降り注いでいる。日陰は潤いのある濃い緑色で、陽光とのコントラストがまるで昼間のように明るく眩しい。起き抜けにリビングに出てきたステラは、つい目を細めた。

 芝生の上には、木の葉や木の枝が散らばっている。今日は治療院の周りを掃除しよう、そう思いつつ少女はテーブルに着いた。

 そして一つ、大きなあくびをした。

 大きく開かれたキツネの口からクァー、と間の抜けた声が漏れ、読書に熱中していたソルフレアが顔を上げる。


「……今朝は随分と眠そうだな。昨日の施術せじゅつの影響か?」


 不安げに身を乗り出すソルフレアと対照的に、ステラはのんびりと首を傾げる。次いで出そうになるあくびを噛み殺し、金色の瞳をしぱしぱと瞬かせた。

 朝食を運ぶアダムスも、首から提げた白い小さなランプを揺らし、心配そうにステラの顔を覗いた。


「大丈夫? 両腕もまだ痛みがあるだろうし、今日はゆっくりしててね。」


 目を閉じたまま少女は頷く。船を漕いでいるのか、しっかり反応しているのか曖昧な動きだ。

 アダムスとソルフレアは顔を見合わせ、眉尻を下げた。




 今朝のご飯は、ぷるぷるの大きなオムレツと焼いたソーセージ、付け合わせの野菜。柔らかいパンと、倉庫で冷やしておいた冷製スープだ。

 アダムスの作る料理はとてもおいしい。ステラもしっかりと固形物を飲み込めるようになり、獣の口から零すことも無くなってきた。それに合わせて食事も一般的なメニューになり、素朴で質素だがレパートリーの豊富な一日三回の食事は、ステラの楽しみになっている。

 既に食事を済ませたステラは、本日の朝食メニューをお盆に乗せて遮光部屋へ向かう。前を歩くアダムスは、ポットいっぱいの氷水とタオルを抱えていた。

 アダムスが遮光部屋をノックして扉を開ける。壁のように天井から垂れ下がる黒いカーテンを捲らないように中へ入り、ステラが入るのを待ってから扉を閉めた。光が入らないようにするための二重構造だ。

 アダムスが布から顔を出し、エインズワースに声をかけた。


「おはよう~。検診と朝食だよ……大丈夫?」


 困ったような声に続いて、ステラもカーテンから顔を出した。瞬間、鼻先にかかる蒸し暑い空気を受け、思わず眉間に皺を寄せる。

 吸血鬼の大男は、ベッドに座って力なく項垂うなだれていた。


「アダムス先生……この部屋、暑いんだがね。……どうにかならないかい?」

「そうだね……すごく、暑いよね。」


 真夏日な上に、窓に着けた黒いカーテンが陽光を吸収してより室温を上げている。閉め切っている部屋は、もはや蒸し風呂と言っても過言ではなかった。

 タオル渡し、ポットの氷水をコップに注いでエインズワースに差し出す。それを一息に飲み干した彼は、うんざりと言った様子でぼやいた。


「本来は上のツリーハウスにいられるんだろう? 今からでも移動しちゃダメかな?」

「怪我の治療中だから、あまりコウモリの姿にはなってほしくないんだよね。今日は風も穏やかだし、窓と扉を開けるからそれで我慢して。陽が落ちたら移動していいから。」


 右腕の包帯を解きながら、アダムスが口を尖らせる。ステラはサイドテーブルにお盆を置いて、『お大事に』と書いたボードを見せた。


「ありがとう、ステラ嬢。君もなんだか怠そうだね。お互い大変だ。」


 左手をフォークに伸ばしながら、エインズワースが苦笑する。釣られてステラも口角を上げて、遮光部屋を後にした。



 自室に戻ったステラは、眠い目をこすりながら麦わら帽子をかぶった。穴から二つの尖った耳を出して、裏口付近の物置に向かう。

 普段は朝食を終えたら湖に聖水を汲みに行くのだが、包帯をぐるぐるに巻かれた両腕で力仕事はダメだと、ソルフレアとアダムスにキツく言い聞かせられている。

 だからと言って、ステラは大人しくしていられるような少女ではない。

 増してや、この治療院の財政が厳しいのは、恐らく自分の治療費がかさんでいるだろう。そのような事を、昨晩ソルフレアが言っていた。

 いくら睡魔が強いからと言ってものんびり昼寝をしていられるほど、ステラは図太くもなければ人に甘える性格でもなかった。

 物置から箒を取り出し、周辺の落ち葉や枝を掃いていく。

 治療院周辺の掃除が終わったら、雨で汚れた窓を拭こう。その後は院内の清掃だ。畑や植木鉢に水やりをしたら、カウンターで読書をしながら店番をしよう。患者は決して多くない、誰も来ない日の方が多いくらいだが、それでも何かやらないと落ち着かない。

 ステラは今日一日の予定を立てて、一つ頷いた。あくびを噛み殺して顔を左右に振ると、掃き掃除を再開する。


 今日は、なぜかやたらと眠かった。両腕の枷を外した影響なのだろうか。だが、おかげでステラの両腕は軽い。鉄の枷と鎖が無くなるだけで、こんなに解放感があるなんて、と箒を揺らしながらつい顔をほころばせる。

 光の玉の姿をした精霊たちが、そんなステラに近づいてくる。いくつかが心配するように両腕の包帯に留まったが、笑顔を向けるとふわりと舞って周囲を漂い始めた。



 手際良く掃き掃除を終え、窓拭きも順調に進んだ。最後の一枚を磨き上げ伸びをするステラの背後に、囁くような声が投げかけられる。


「ステラ。こっちだ。」


 ソルフレアが足音を忍ばせ、ステラを倉庫へと促した。手には小さなガラスの器が二つ。レンガ造りの倉庫を開け、冷気が漂う中を彼女は奥へと進む。何事かと入り口から覗いていたステラを手招きすると、目の前の箱を開け、大きなスプーンで中身をよそい始めた。


「ガゥゥ……」

「しっ! 白日はくじつの治癒術師は今、聖水を汲みに行っている。黙っていればバレない。」


 ステラは呆れ半分、期待半分でその手元を見つめた。彼女がよそっているのは、蜂蜜糖を混ぜたアイスクリーム――ステラの大好物だ。

 蜂蜜糖は、ステラにとって回復薬にもなる食べ物だ。これは常温だと固形のままなので熱い紅茶に入れて摂取していたのだが、暑くなるにつれ少々辛くなってきた。その対策として、蜂蜜糖を水と一緒に熱して溶かし、ゼラチンを加えたものをアイスクリームと混ぜて食べているのである。食べ過ぎるとお腹が冷えるので、一日一回、決まった時間にアダムスがおやつとして出してくれる。

 暑い日にこれを食べると、すごく幸せな気分になるのだ。口に運ぶとひんやりと涼しさが広がり、優しくほろりとした甘さにはつい唸ってしまう。今日は特に暑いので、つまみ食いをしたくなるソルフレアの気持ちはとても理解できた。


 卵黄の黄色みを含ませた白と、蜂蜜糖のゼリーが煌めく橙色のコントラストが美しい、アイスクリームを盛った器を差し出し、ソルフレアは言った。


「これで当方と貴殿は共犯だ。二人だけの秘密だぞ……。あまり精を出すと熱中症になりかねないから、少し休憩しろ。」


 優しい手つきで鼻先を二、三回撫でてから、ソルフレアはそそくさとその場を去っていった。

 ステラは少し迷った後、簡単に片づけをしてから待合室のカウンターに向かった。


 ここ最近は治療院の窓やドアは全開にして、風の通りを良くしている。

 玄関側を向いてカウンターに座り、読みかけの本と辞書を隣に置いてアイスクリームを口に運ぶ。口いっぱいに広がる優しい爽涼感と、玄関から訪れる爽やかな夏風が気持ち良い。

 一口一口、噛みしめるように味わっていたが、ガラスの器はすぐ空になってしまった。あくびが出るが、今度は我慢せず思いっきり口を開いた。せっかくソルフレアが言ってくれたのだから、このまま少し休憩しようと思い、本を開いた。

 どこかの国のおとぎ話だ。ルヴァノスが用意してくれた、子供向けに書かれた簡単な内容の一冊である。たまにわからない単語があれば、辞書をめくって意味を調べた。


 辞書の文字は小さく細かい。眠気が去る気配のないステラには少々辛い作業だ。視界が霞み、文字を追うのを妨げる。目頭を押さえて顔を上げると、玄関から見える景色の中に、小さく動く何かを発見した。

 目を凝らして見ると、石のような灰色の何かだ。ふらつきながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。


 ステラは席を立ち、玄関を出る。よたよたと歩く客人に近づいてみると、それは鎧のように石をまとった、大きな鳥だった。

 頭から両翼、尾羽に至るまで灰色の石に覆われている。翼の色や形もわからないほどだ。翼は中途半端に広げたままで固まり、身動きが取りにくそうである。顔まで隠れていて、目も見えているか定かではない。それでもステラに気付いたのか、もう力尽きたのか、クェー、と弱々しく鳴いてその場に座り込んだ。

 どう見ても、治療院を訪ねてきた患者である。ステラはその鳥を両腕に抱え、診察室に運んだ。

 間もなく帰宅したアダムスに声をかけて戻ってみると、その鳥はぐったりとした様子でアダムス達を見上げていた。

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