命題8.吸血鬼と石鳥 3

 全身ずぶ濡れのエインズワースを診察室に促すと、アダムスはタオルを渡し、濡れた衣服を干し始めた。

 ソルフレアが安易に近づくなと言うので、ステラ達はその様子を遠巻きに眺めていた。

 黒いローブを脱いだ彼は、本当に貴族のような衣装を身にまとっていた。品のある濃紺のジャケットにシルクのスカーフ。袖口には瞳と同じ碧色のカフスが留められている。革靴も良く見れば上等な素材で作られていた。泥水にまみれてしまってはいるが、こちらの留め具にも碧色の宝石が使用されている。


 彼は、吸血鬼テオの仲間だ。

 春先に訪れた吸血鬼テオ。彼は不老不死になった人間の恋人・マルテの治療のために、この人外専門治療院の戸を叩いた。

 その後、自身の長い髪と引き換えに、狩人ハンターに追われる生活を強いられ、不遇な環境に身を置く同胞たちに商品を売ってほしいと、紅蓮ぐれんの商人・ルヴァノスに持ちかけた。

 吸血鬼は、その身体の髪の毛一本までが貴重な魔法素材となる生物である。強い種族であるが、命を懸けて狩るだけの見返りがある存在だ。

 そんな同胞らの生活は悲惨だと、テオは語っていた。


 ――吸血鬼の現状が少しでも変えられたら――


 そう願い実行する彼を、ステラは尊敬している。

 かつて治療院を訪れた恋人たちの姿を思い浮かべていると、ソルフレアが耳を貸すよう合図した。身を屈め、尖ったキツネ耳を彼女に向けると、


「油断するな、ステラ。今回の患者は、いつも通りとはいかないかもしれない。」


 そう小さく囁かれた。

 ステラは目を丸くした。ソルフレアの忠告の半分も理解できなかった。そっと耳を離しながらエインズワースを見つめていると、その視線に気づいた彼がにっこりと微笑みを返す。


「さて、と。怪我の治療だったよね? まずは患部を見せてほしいんだけど。」


 あらかた水気を取り終えたエインズワースと、白髪の美少年アダムスが対面に座り、問診が始まる。ステラとソルフレアは、アダムスの後ろに立って様子を見守った。

 エインズワースは上等な衣服を一枚ずつ脱ぎ去っていく。その度に肉体美ともいえる身体が露わになり、最後の一枚、白いシャツのボタンに手をかけた所で、彼は不敵な笑みを浮かべた。


「あぁ、レディには刺激が強すぎたかな?」


 ソルフレアが鋭い舌打ちを放つのを、隣にいたステラは聞こえないふりをする。


「あ、うーん。男の人の身体って、やっぱり直視しづらいというか、居づらいかな。ステラ、大丈夫? 無理に立ち会わなくてもいいんだよ。」


 明らかに勘違いしているアダムスに、ステラは『へいきです』とボードに書いて見せた。テオの話題が出た以上、席を外したくはない。

 そのやりとりを見たエインズワースが、ほぅ、と頷いた。


「君はステラという名前なのか。あの若造――テオ君から聞いているよ、合成獣キメラの女の子がいるとね。ははぁ、なるほどなるほど。私は五百年ほど生きているが、確かにこれは珍しい……。」


 頭からつま先までしげしげと視線を上下させるエインズワースの様子に、アダムスが眉間に皺を寄せる。気に入らないと言わんばかりの強い口調で彼を急かした。


「ステラの事はいいから、早く怪我を見せて!」

「おぉ、そうだったな。ではよろしく頼むよ、少年。」

「僕の名前はアダムス!」

「はいはい、アダムス君。これだ。」


 そう言ってシャツを脱いで右腕を見せる。露わになったその前腕は、外側が抉れ、赤い肉が見えていた。血は止まっているものの、つい先ほど怪我をしたと言わんばかりの生々しい湿り気を帯びた、直視するのも耐え難いものだった。

 アダムスが慌ててステラに指示を出す。水瓶の聖水を桶に移し、清潔な布をそこに浸して少年の隣に置く。アダムスはいくつかの薬草を取り出してから、患部への治癒術を開始した。


「こ、これ、いつの怪我? こんなにひどい怪我なのに血が止まってる……でも、傷口は今できたばかりみたいだ。」

「ん、ざっと二百年ほど前だ。」

「二百年!? その間、ずっとこのままだったの?」


 驚愕に肩を竦めるアダムスに対し、エインズワースは小さく頷いた。


「吸血鬼を狙う狩人ハンター達は、死霊術師を伴っている事も多くてね。知っているだろう? 死霊による攻撃は、魔力の高い者ほど有効になる。吸血鬼には覿面てきめんだ。しかも死霊術師の攻撃は、自己再生だけではほぼ完治しないんでね。仕方なく、こうして放っておいたというわけさ。痛みもそのままになるが、こんなもの、吸血鬼の間じゃ珍しくない。」

「誰か、直してくれる人は――」


 言いかけてアダムスは視線を落とし、悔しそうに下唇を噛む。身体の全てが貴重な魔法素材となる吸血鬼。そんな彼らを治してくれる人間などいるだろうか――いるわけがない。密告されるのが落ちだろう。もし下手に匿えば、狩人ハンターたちに使

 エインズワースは大きな肩を落とし、ぽつりぽつりと先を続けた。


「いたんだ、吸血鬼の身の上を哀れに思った人間がね。無償で治すと言って最初の一人を治した。そこから噂が広がって、怪我をした吸血鬼はその治癒術師の元を訪れるようになったんだ。だが……」


 エインズワースの拳に力がこもり、ぎりりと鈍い歯軋りが全員の耳を穿うがつ。口元からはみ出た犬歯が、憎しみの鈍い光を放った。


「罠だったんだ――。」

「罠……わなって、え。そんなまさか、治癒術師が――!?」

「信頼を得て、手負いの吸血鬼を効率よく集める。良くできた計画だな、当方でも思いつかん……わけではないが、胸糞が悪い。」


 ステラは頭に血が昇っていくのを感じた。顔が熱くなり、怒りで両手が震える。治癒術師とは、アダムスと同じ誰かの命を助ける尊い仕事のはずだ。それを悪用するなんて、ステラの知る言葉では糾弾してもしきれない。

 少女は思いのたけのボードにぶつけた。


『なんてひどい! ひきょうです。さいていです。あなたたちはなにもわるいことをしていないのに!』


 叩きつけるように書きなぐった文字を、エインズワースに見せつける。それを読んだ彼はふっと笑い、


「ステラ嬢は優しい子だな。君は人間だとテオから聞いているよ。君のような子ばかりだったら、私たちもこんなに苦しまなかっただろうに――」

「それは違うな。吸血鬼エインズワース。」


 鋭い声が室内に響き渡った。

 全員が声の主に注目する。彼女――ソルフレアは真っ直ぐにエインズワースを見つめ、朗々と言葉を紡いだ。


「人間が吸血鬼を攻撃するようになった原因は、吸血鬼が富と名誉、権力を振りかざし、人間たちを貪り食い散らかしたからだ。そんなお前たちに対抗するために力を得た人間が復讐心に囚われ狩りを続けた結果、吸血鬼の有用性を見つけて現在に至り、お前たちを追い詰めているだけに過ぎん。身から出た錆、自業自得だ。そうやって被害者ぶるのは、男として如何なものかと思う。……ふん、当方の好みではないな。」


 アダムスは戸惑いながら二人を交互に見やる。

 先ほどの同情と怒りの文字が綴られたままのボードを抱え、少女は動揺した。

 人間を貪り喰う? そんな馬鹿な。だってステラにとっては、少なくともテオはそんな風には見えなかった。

 嵐が一層強まり、窓を叩く雨風がとてもうるさい。邪魔な音だ、余計に心をざわつかせる。

 ソルフレアの言う事が間違っているんじゃないかと、俯くエインズワースを伺った。影になって表情が見えない。


「エインズワース、殿?」


 ソルフレアの質問を、吸血鬼エインズワースは小さく鼻でわらった。


「一々食事の回数を数える人間がいるのかい、賢いレディ? やはり君はとても私好みの娘だ。」


 虚ろで暗い笑みが、ソルフレアを見上げた。

 口元からは、鋭い牙が覗いていた。

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