命題7.黄金の賢者 ソルフレア 4
「まずは、自分の名前を書いて見せろ。」
少女がボードに爪を立て、ゆっくりと線を引く。上手く書こうとするが手枷が邪魔だ、揺れる鎖が不規則に手を引っ張ってくる。線がよれて、一文字一文字のバランスが崩れやすい。
どうにか書き終えた文字を見せると、ソルフレアは表情一つ変えず添削をする。
「どうにか読める……といった所だな。もう少し練習が必要だ。ここの部分はもっと真っ直ぐ、長く書け。そうすれば書きやすくなる。」
しゅんと耳を伏せる少女の頭を、白い手が優しく撫でる。ソルフレアはそのままベッドに転がり、頬杖をついて少女の辞書をめくった。
「何の話をするか悩むところだな。当方に質問があれば、遠慮なくすると良い。」
その言葉に少女は耳を立て、ボードに文字を書く。
『ル ヴェ ノス』
「“ルヴァノス”? あれについての質問か?」
綴りのミスを指摘しながら、ソルフレアは落ちてきた山吹色の髪を耳にかける。
少女は辞書をめくり、一つの単語を指さした。
『好き』
次に、ソルフレアを指さす。意味を理解した賢者は一瞬目を丸くしたが、すぐに無表情に戻った。
「長い付き合いだ。当方もルヴァノスの事を大事に思っている。」
『冷たい』
「あれがそう言ったのか?」
『態度 嬉しい 笑顔』
と少女が辞書の単語を指さした所で、ソルフレアが顔をしかめた。
ルヴァノスは、
当のソルフレアはその指摘に大きく息を吸い、長く吐いてから、彼(彼女?)には珍しく渋々といった様子で語りだした。
「あれは――ルヴァノスは、自分自身を好いていない。だから当方もなるべく好意を示さないようにしている。」
首を傾げる
「例えば、絶対的に嫌悪するものがあったとする。それを好きだと言う他人がいたら、そんな事信じられないという程に嫌いなものだ。ルヴァノスにとっては、それが己自身なのだ。友愛は好むが、恋愛は嫌う。だから近づいてきては愛を
『難しい』
「……そうだな。好ましく思っていても、あまり近寄れないのも考え物だ。」
『悲しい』
そう言葉を指さして、上目遣いで顔を覗く。ソルフレアは少し寂しそうな表情を浮かべた後、再び顔を無に戻した。
「だから、当方は性別が無くて良かったと思っている。別に男女の恋愛に
そう語るソルフレアは、少しの寂しさと温かさを瞳に
少女は懐かしさと、ソルフレアの想いに同調した。性別に
見惚れていると、ソルフレアは無造作にベッドに転がった。山吹色の髪が白いシーツに広がり、
「落ち着いて聞いてほしい。貴殿の身体を調査した結果だが……今の貴殿には、性別が無い。生殖能力を失っている。」
少女は黙したまま、ソルフレアを見返した。彼女が続きを口にすると同時に、ベッドに顎を乗せて身体を楽にする。自然と両耳が垂れ下がった。
「性別の付与は魔術的に難しい。困難を極める
そう言って少女の頭に身を寄せ、優しく頭を撫でる。
長いようで短い時間の後、ソルフレアが起き上がり、少し高い声で少女に提案をした。顔こそ無表情ではあるが、慣れてくると彼女の感情の豊かさが伝わってくる。
「何か別の話をしよう。そうだな……貴殿の事を教えてほしい。好きな人、大切な人はいるか? 家族や恋人、仲間、友人――」
彼女が言い終わる前に、少女は辞書をめくって言葉を探す。ソルフレアがそれを覗き込むと、目的の単語を見つけた少女が、一つ一つそれを指さした。
『母 父 弟』
「家族か。仲は良かったのか?」
『良い 好き 大切』
「そうか。もっと当方に教えてほしい、貴殿の故郷の事を。」
ほんの少し口角を上げるソルフレアに、少女も釣られて目を細め、「ガウ!」と一声鳴いた。
満面の笑みでページをめくる少女を、ソルフレアは娘を見守る母親のような眼差しで見つめていた。
* * * * * *
ソルフレアが治療院に滞在してから二週間。
少女の目の前には、文字を書くためのボードが置かれている。今日はそろそろこの魔法道具の扱いにも、文字の読み書きにも慣れてきた少女に対し、ソルフレアからの試験が課された。
「貴殿の名前をここに書け。その文字を、ルヴァノスと
「毎日あれだけ頑張ってたんだもん。きっと大丈夫だよ!」
「肩の力を抜いて。いつも通りに書いてみてください。」
左右から飛ぶ激励に少女は頷き、ゆっくりと右手を上げ、ボードに爪を立てる。
手枷の鎖がじゃらりと揺れ、筆記の邪魔をする。それでも少女は一筆一筆、確実に線を引いた。
やっと書き終えた少女は、肺の中の空気を全て入れ替える勢いで深呼吸すると、ボードを立てて皆に見せる。
アダムスが白髪の髪を揺らして前のめりになり、白銀の瞳を凝らす。
「ス……テラ?」
「ステラ、さん?」
読み上げる二人に、少女が「ガウゥ!」と大きく吠える。その様子を見て、ソルフレア一つ頷いて拍手した。
「合格だ、ステラ。古い言葉で“星”を意味する名を持つ貴殿に、敬意を表する。これからも
「ステラ! 良い名前だね! これからはステラって呼ぶからね!」
満面の笑みではしゃぐアダムスに、少女は何度も頷いた。久々に本名を呼ばれる事が、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
和気あいあいとする三人を、ソルフレアが片手をあげて鎮める。いつもの無表情に真剣な色を浮かべた彼女は、低い声で言った。
「ステラ、貴殿の身体について言わねばならない事がある。貴殿の身体は――このままでは長くはもたない。じきに死ぬだろう。」
少女の身体がびくりと揺れた。
隣からアダムスが手を伸ばし、少女の手をそっと握る。
「ステラ。貴殿の身体は今、その手足の枷と、首と腹を貫く鉄の棒で支えられている。これらは魔法道具だが、いかんせん耐久性が低い。壊れればその瞬間、貴殿の身体は崩壊する。だから取り除かねばならない。なるべく早く、安全に、確実に。」
少女は生唾を飲んだ。手に力がこもり、アダムスの手を強く握った。そこに少年のもう一方の手が被せられる。その暖かく力強い温もりに少女は驚き、ステラ、と自身の名を呼ぶ少年に振り返った。
大丈夫だと言わんばかりの穏やかな笑顔が、少女に向けられていた。
「安心して。大丈夫だよ。僕たちが必ず、君を助けるから。」
少女の耳が跳ね、鼻先がひくついた。鼻腔を通り抜ける空気がツンと目頭に届き、急激に熱を帯びた両の金瞳から、大粒の雫が零れ落ちた。
それは、その台詞は、
ステラは両手でアダムスの手を握り、頭を下げた。両手が震え、自然と背が縮んで胸を詰まらせる。せっかく文字を覚えたのに、これでは伝えたいことをボードに書くことができない。だが、少女の気持ちは十分なほど少年に届いていた。
その様子を見守っていたソルフレアが、力強く宣言する。
「期限は冬――年明けまでだ。それまでに必ず、ステラの身体に埋まった魔法道具を全て取り除く! 史上類を見ない大
「イヴリルやブラウシルトも呼びましょう。できれば
「ちょっと! 今僕の作ったマント、ボロ布って言った!?」
噛み付くアダムスを涼しい顔で流すと、ルヴァノスはステラに顔を向けた。
「エドアルドも呼びましょう。恐らく我々が信頼できる人物の中で、
胸に手を当てて笑う青年の言葉に、少女は涙を拭ってポケットをまさぐった。エドアルドの手紙は、“読み”ができるようになった頃に辞書を使って読了済みだ。それだけではない。初めて貰ったその手紙を、ステラは何度も何度も読み返していた。おかげで上質な封筒も便箋も、既によれてしまっている。
少女は、もう何度も読み返した手紙をもう一度開いた。
お嬢さんへ
お元気ですか? 体の具合はどうですか? 先生の腕は良いから、治療が進んでいることでしょう。
ルヴァノスさんから、お二人の話をよく聞かせて頂いています。他のランプの皆さんとも会ったのですね。皆、とても素敵な方たちだったでしょう?
治療院にも、色んな患者が来たと聞いています。珍しい方もいらっしゃったようですが、お会いしてみていかがでしたか?
とても苦しい想いをしてきた貴方ですが、辛い事や悲しいことが、まだまだこれからもあるかもしれません。
ですが、決してそれだけではない。楽しい事、素晴らしい事もたくさんあるでしょう。
それらの全てが、お嬢さんの人生の旅の糧になっている事を願います。
私も近いうちに、そちらに伺う事になるでしょう。
その時はまた、一緒にお茶を飲んでお話をしましょうね。
それまでお元気で。
エドアルド・ダールマン
ステラの指が、便箋の縁をなぞる。
「手紙の書き方は私たちが教えましょう。ソルフレアばかり良い顔してて、ずるいと思っていたんですよ。」
ステラが頷くと、ルヴァノスは待ってましたとトランクをテーブルに置いて中を漁りだした。質素なものから派手なものまで、様々な便箋を取り出してはステラ達の前に並べていく。
「早速、どんな封筒と便箋にするか選びましょう! 女の子ですから、可愛いものも良いと思いますよ。エドアルドは城勤めの人ですが、今回は私が手渡すのでちょっとくらい派手でも構いません!」
「待って待って! 先に返事の内容を考えなくちゃ。どのくらいの長さになるかわからないもの。ねぇ?」
ルヴァノスとアダムスがあぁでもないこうでもないと騒ぐ傍ら、ソルフレアは院を出ようと、静かに裏口のドアに手をかけていた。
それに気付いたステラが慌てて席を立ち、彼女を引き留める。振り返ったソルフレアは、相変わらず無表情のまま冷淡に言い放った。
「当方は研究の続きがある。用なら手短に。」
ソルフレアに急かされ、ステラは忙しなくボードに文字を書き、それを掲げてみせる。
見せてから気づいた。急いで書いたから読めないかもしれない。先ほどの合格が取り消しになってしまうかも、と。
そう思い至ると同時に、自然とボードを持つ手が沈んでいく。だがステラの不安に反して、ソルフレアは口に手を当ててくすりと笑った。彼女の珍しい態度に、後ろで口論していた二人も驚いてこちらに注目する。
「馬鹿者。もっと上手く書けるよう、毎日練習する事だ。」
『あ り が と う』
そう書かれたボードを見たソルフレアは、向日葵のような満面の笑みを浮かべていた。
* * * * * *
エクセリシア帝国の当代皇帝は、学問や研究に熱を注いでいた。それらの進歩が、国を大きく豊かにすると考えているからである。実際に結果は実りつつあり、城内には様々な部門の部屋が設置されていた。
その中の一つ、治癒学の最高顧問となったエドアルド・ダールマンは、忙しい日々を送っていた。
後ろに撫で付けたシルバーグレーの髪ともみあげから繋がる髭は綺麗に切り揃えており、彼の几帳面さを伺わせる。だが、厳格な顔立ちと鋭い茶色の瞳には疲労が色濃く浮かんでいた。
夜遅くになっても研究室に籠るエドアルドは、一度ペンを置いて目頭を揉む。彼は五十を目前にした初老の男性だ。徹夜も体力的に厳しくなっている。
紅茶でも淹れ直そうと席を立つと同時に、室内にノックの音が響いた。
「エドアルド様。ルヴァノス様がお見えです。」
「入りなさい。」
若い治癒術師がドアを開け、深紅のインバネスコートを着た金髪赤瞳の青年を通す。彼が一礼して出て行くのを確認してから、エドアルドは
「これはこれは。夜遅くまでお疲れ様です、ルヴァノスさん。」
「すみませんね、忙しい中こんな時間にお邪魔して。」
そう言いつつ、ルヴァノスは懐から一通の手紙を取り出す。
「すぐにでも届けたかったものですから。」
「手紙……私にですか? 何か急用でも――」
そう呟きながら、差し出された封筒を受け取る。淡いクリーム色に蔦と葉の箔押しが施された、上品な封筒だ。裏返して差出人を確認すると、大きく
「ステラ……?」
思わず読み上げて、ルヴァノスに視線を移す。青年は黙って微笑むのみだ。
瞬間、エドアルドは息を呑んだ。胸を締め付けられるように高ぶる気持ちを抑えながら、慌てて封を開け便箋を取り出した。
たった一枚のクリーム色の紙を開く。蔦と葉の箔押しが施された枠の中に、やはり大きく
便箋に一つ、水滴が落ちる。それを皮切りに、ぽたぽたと丸い染みが広がり、文字の端を滲ませた。それに気付いて涙を堪えようとするが上手く止められず、それでもエドアルドは、何度も何度もそこに書かれた内容を読み返すのだった。
エドアルド さん へ
わたし の じんせい の たび は
とても たのしいです。
ステラ
命題7.黄金の賢者 ソルフレア ~完~
第一部 助けられた少女は、様々な生命の在り方と出会う。 ~完結~
→次回 第二部 少女の大手術が、始まる。
命題8.吸血鬼と石鳥
* * * * * *
※本編更新は水・日定期+書いた時に追加の最低週2回以上になります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます