第二部 少女の大施術が、始まる

命題8.吸血鬼と石鳥 1

 強風が森の木々を揺らし、空気の裂ける音が悲鳴のように鳴り響く。大きな雨粒が横凪に飛んできて、治療院の窓ガラスを激しく叩いた。

 夏の夕方だというのに、外は既に暗い。台風が精霊の森を訪れていた。

 だが、外の大荒れに反して、診察室は緊張で静まり返っていた。


 合成獣の少女――ステラが、水色のマントから両腕を突き出し、テーブルの上に乗せている。手枷とそこから伸びる鎖がランタンの当たりに照らされ、鈍く光っていた。

 十代半ばの姿をした白髪の美少年、白日はくじつの治癒術師アダムスと、山吹色の長い髪をハーフアップにまとめた性別不詳の黄金おうごんの賢者・ソルフレアがテーブルの横に座る。彼らはそれぞれ、一流の特殊技能を備えた魔法生物ランプだ。

 ソルフレアの片眼鏡モノクルの奥で光る黄金色の瞳が、少女の手枷を睨みつけた。常日頃から無表情でいる彼女だが、今日はその顔が強張っている。


「まずは、右腕からだ。」


 そう言って、彼女はテーブルの上に細い長いガラスの筒を置く。目盛りが振られたその中に、丸く整えられた紅い石が浮いていた。魔力量を計るための道具らしい。

 張り詰めるほどの緊張に、ステラは思わず生唾を飲んだ。台風の気配がずっと遠くに感じる。


 ステラは元々、普通の人間の女の子だった。だが今は、茶色の体毛にキツネの頭部と両腕、蹄の脚、ネズミのような五本のしっぽを持った姿をしている。

 ある日、誘拐された彼女は魔術師によって合成獣キメラの被検体にされてしまった。とても人間とは言い難い姿となり、瀕死だった所を白日はくじつの治癒術師・アダムスの手で救い出され、一命を取り留めた。

 だが、そんな彼女は今、新たな問題に直面している。


 彼女の身体には、いびつな肉体を繋ぎとめるために、複数の魔法道具が使用されている。両手足の枷と鎖、そして首と腹を貫通する鉄の棒がそれだ。これらの耐久性は低く、ソルフレアの見込みでは次の冬を越す前に壊れてしまうとの事だった。

 そんな事になればどうなるか――肉体は崩壊し、ステラは死んでしまうだろう。


 回避するためには、これらの魔法道具を全て少女の身体から取り除いた上で、彼女の身体の構造を安定させなければならない。魔法道具は、。少女の身体を崩壊させないためにも、魔術と治癒術の知識、それに伴う高い技術、細心の注意が必要となる。


 そして今、合成獣キメラの少女・ステラの手枷を外す施術しじゅつが始まろうとしていた。


白日はくじつの治癒術師、計測器の動きを全て記録してくれ。当方は手枷の除去に入る。ステラは可能な限り動かないように。痛みがある場合は声を上げろ。」


 ステラは、ソルフレアの目を見つめて大きく頷いた。茶色の毛の間を汗が伝う。

 魔術を組み込まれた鍵が、手枷の穴に吸い込まれた。カチャ、と金属の動く音が振動となってステラの腕を刺激する。

 手枷と鎖一面に、魔法陣が浮かび上がった。同時に隣に置かれたガラスの長い筒――魔力計測器の中に浮かんでいた赤い石が、少しずつ浮き上がっていく。


 ステラの身体に流れる魔力は、歪んで無理矢理繋ぎ合わされた身体と同様に、変則的な流れを作っている。下手に治癒術や魔術をかければ、ステラに苦痛を与えてしまうのだ。それを加味してステラを治療し続けたアダムスの手腕は見事なものだが、魔術となるとそうはいかない。しかも首や腹の鉄の棒を取り除く際は、かなりの大施術となる予定なのだ。難易度は今までの比ではない。

 だからこその魔力測定器である。魔力の流れとその強さを把握して、可能な限り苦痛を緩和させるために、ソルフレアが自ら作り上げた魔法道具だ。まだ試作段階だが、上手く機能しているらしい。


 ソルフレアは浮かび上がった魔法陣を指先でなぞり、一つ一つほどいていく。その傍らで、アダムスが測定器の動きを記録している。ステラには彼らのやっている事の詳細はこれっぽっちもわからないが、二人とも真剣そのものだ。

 せわしない彼らとは対照的に、ステラは少しも動かないよう気を張っていた。そうすると思考の方が暇になってしまい、ひたすら測定器の紅い石を見つめて過ごす。


「ん……?」

「どうしたの? ソルフレア。」


 眉間に皺を寄せて手を止めるソルフレアの様子に、アダムスが不安げな声で尋ねる。

 黄金おうごんの賢者は目の前に浮かぶ最後の魔法陣を睨みつけた。一番大きく複雑な文様を描いており、素人目に見ても手枷の根幹を担っていると思われるものだ。


「……いや、これを作った魔術師は相当優秀だと思っただけだ。マスターと同じく、大魔術師に相当するかもしれないな。少し時間はかかりそうだが、当方にかかればこれくらい――」


 ソルフレアが魔法陣に触れた瞬間、計測器の石がカン! と音を立てて筒の天井にぶつかった。


「ッッガアアァァ――――――!」


 ステラがつんざくような咆哮を上げた。部屋が震えるほどの悲鳴にランプ達が竦み、動きが止まる。

 あまりの痛みにステラが腕を振り回す。枷から伸びる鎖が周囲を飛び回り、ジャラジャラと音を立て暴れまわる。少女の右腕は二倍に膨れ上がり、茶色の毛の下の皮膚が赤黒く変色していた。

 先に動いたのは、アダムスだった。


「ステラ!」


 ステラの胴体にしがみつき、落ち着かせようと奮闘する。アダムスの声に反応してか、少女は悲鳴を上げつつも動きを止めた。右腕をテーブルの上に乗せ、ソルフレアの前に差し出す。背中を丸め俯く少女の顔からは、涙と涎、抑えきれない悲鳴が漏れ続けていた。

 茫然とするソルフレアを、アダムスが怒鳴りつける。


「ソルフレア、施術は一旦中止だ! ステラの負担が大きすぎる!」

「……いや。」


 賢者の頬を一筋の汗が流れた。蒼白な無表情で、手枷に浮かぶ難解な魔法陣を凝視する。


「……ダメだ、。このまま強行する。」

「そんな……魔力測定器も振り切ってるじゃないか!」

「そうなってしまったものは仕方がない! ステラ、すまないが我慢してくれ。すぐに終わらせる。」


 ステラには、あまりの苦痛で二人の会話など耳に届いていなかった。外の台風の音のように、どこかずっと遠い雑音のように感じていた。

 ひたすら俯いて痛みに耐える。下に向けた頭をアダムスが抱えるように抱きしめ、背中を撫で続けた。

 ほんの数分の後、その苦痛は突如として途切れ、ガコン、と鈍い音がテーブルに響いた。

 アダムスがステラの右腕に飛びつき、治癒術をかける。


「ステラ! ステラしっかりして……!今治してあげるから!」


 ぼんやりとした意識の中、ステラはされるがままになっていた。すぐそばでソルフレアの声も聞こえたが、上手く聞き取れない。

 少女の意識がはっきりとしたのは、右腕全体に包帯が巻かれ、目の前に暖かい紅茶が出されてからだった。




「無理だよ、ソルフレア。ステラへの負担が大きすぎる。左腕の施術しじゅつは後日にしよう。」

「いいや。左右対称に取り除かなければ、ステラの身体の均衡が崩れる。以降の施術しじゅつの難易度が格段に上がってしまう。今すぐやるべきだ。」


 独り言のように呟きながら、ソルフレアは乱暴にペンを走らせる。テーブルに広げられた紙片には、彼女が描いた魔法陣と何かの術式がいくつも並んでいた。ステラの手枷に浮かんだ最後の魔法陣の解析をしているらしい。

 ステラは、それを黙って見つめていた。無事な左手でティーカップの取っ手を持ち、長くとがった口で器用に飲み下す。かつてはエドアルドが制作した彼女専用の吸飲すいのみを取り付けた道具はその役割を終え、既に解体されていた。ステラは既に普通の食事を普通の道具を使用するほどに、この身体に慣れてきていた。


「……ステラ。魔法陣の解明が進んだ。先ほどよりも格段に痛みを抑えられるはずだ。今すぐに続きを始めたい。」

「ちょ、ちょっと! 僕は反対だよ。せっかく文字が書けるようになったのに、両腕ともこんな事になったら……。」


 ステラは自分の右腕をまじまじと見つめた。二倍に膨れ上がっていた腕は今でこそ腫れが引いているが、急激な変化による損傷は免れない。手枷を外した分、少女の肉体に安易に治癒術をかけるのもはばかられる状態だ。

 アダムスは咎めるような視線をソルフレアに向ける。だが彼女はそれを無視して、真っ直ぐにステラを見つめて言った。


「ステラ。どうか当方を信じてほしい。」


 ソルフレアの言葉を正面から受け、少女は沈黙した。暫くの後、アダムスが取り付けた、上だけ縫われていないアップリケのようなポケットからボードを取り出す。

 動きにくくなった右手で、ゆっくりと文字を書いた。


『おねがいします』

「ステラ……。」


 思わず声を漏らすアダムスにステラは一つ頷くと、左腕をテーブルの上に置いた。

 そこに着けられた手枷に、ソルフレアが手をかける。


「すまない。すぐに終わらせよう。」


 その後、院内には再度少女の悲鳴が響き渡った。だがそれは一度目ほどひどく大きいものではなく、少女の左腕の処置も、右腕ほど重篤なものにはならなかった。

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