命題7.黄金の賢者 ソルフレア 2

 露骨に渋面を浮かべたソルフレアが舌打ちをした。


「たががボロ布をめくるくらい、どうという事ないだろう? 獣人は衣服が無くても気にしない。」

「ねぇ、ちょっと。今ボロ布って言った? 僕が作ったマント、ボロ布って言ったの?」

「ボロ布でも私たちの衣服と同じ、身体を隠し守るための大事な服です。それに彼女は獣人ではありません。人間ですよ。」

「ボロ布って言ったね? 僕が作ったマント、ボロ布って断言したね?」

「なるほど、了承した。」

「僕は了承できてない!」


 ソルフレアの視線はふくれっ面を作るアダムスを通り越し、その後ろに立つ合成獣キメラの少女に向かう。

 それに対し、少女は警戒を解くことなくアダムスの後ろから動かない。


「裸を見られる事が嫌なら気にする必要はない。魔法生物を生成するにあたり、性別はそれぞれの特性を持たせることが可能な分、付与には労力を要するものだ。戦闘特化の男型おがたでもなく、魔術に適正の高い女型めがたでもない。男女両方に有用性のある治癒術師でもない当方や葉緑ようりょくの吟遊詩人には、性別は付与されていない。よって、当方に裸を見せる事について、貴殿が性別による羞恥を抱く必要はない。」

「その前にさぁ、僕たちの前で服をはぎ取ろうとした事を謝ってよ……あと僕の作ったマントをボロ布呼ばわりした事も。」

「わかった、謝罪する。次回からは声をかけ、二人きりの時に観察をしよう。」


 そう一旦区切ると、ソルフレアは淡々と無表情に、だが確実に熱が入った口調で捲し立てた。


「では早速別室に移り、身体の調査を開始する。それが今回の当方の任務だ。生きている合成獣キメラの身体なんて滅多にお目にかかれない。今すぐにでも研究を始め――」


 ソルフレアの言葉を、ルヴァノスが肩を叩いて制止させる。ゆっくりと首を振る青年に対し、ソルフレアは小さく舌打ちをして、荒々しい足取りで窓際へ向かった。その様子を目で追いながら、ルヴァノスが謝罪を述べる。


「すみません。あの子は研究が大好きだから、お嬢さんの身体を調べるのを楽しみにしていて……。」


 合成獣キメラの少女は、思わず大きな溜息をついた。

 どうしてこう魔法生物ランプという存在は変わり者が多いのだろう。新しいランプに会う度に、少女は驚かされている気がする。ソルフレアに性別が無い事にも驚いたが、自分本位で無遠慮なのも考え物だ。これから彼(彼女?)と生活を共にしなければならないと思うと、上手く付き合っていけるのか不安で仕方がない。

 ソルフレアは機嫌を損ねたらしく、眉間に皺を寄せながら、掘りの深い窓辺に座って腰に提げていた本を開いていた。アダムスが声をかけても無視の一点張りだ。


 アダムスの手で花瓶に生けられた向日葵の明るさとは裏腹に、少女の胸中は暗雲立ち込める思いだった。




 席に着いた少女の前に、青い紅茶が給される。以前、吸血鬼テオの恋人マルテから貰った胡蝶蒼樹こちょうそうじゅの紅茶だ。透き通った青が美しいそれは暑さに合わせて水出しされ、目で見ても舌で味わっても清涼感溢れる逸品だ。

 少女が喉を潤していると、ルヴァノスがおもむろに紙束を取り出し、テーブルの上に広げ始めた。


「エドアルドから預かってきた、合成獣キメラの研究に関する資料です。元々は彼の魔術義肢まじゅつぎしの研究のために集めたものですが、『もう必要ないから役立ててほしい。』と譲ってくれました。」

「わ、こんなにたくさん! 合成獣キメラの研究資料なんて探すのも大変だったろうに……。後でエドアルドにお礼をしなきゃね。」

「そのエドアルドからの手紙もありますよ。」


 そう言って、一通の手紙をアダムスに渡す。青い蝋にエクセリシア帝国紋章の封が施された、上質な紙の封筒だ。手紙なんて縁もゆかりもない、ろくに見たことすらない田舎者の少女は、その手紙を物珍しげに見つめていた。

 そんな少女に、ルヴァノスが声をかける。

 それは、少女にとって驚くべき言葉だった。


。」


 驚愕に少女の肩がびくりと震え、持っていた紅茶の水面が大きく揺れた。

 差し出された封筒は、アダムスに手渡されたものと同様に青い封蝋がされている。触った事もない高価な紙が、目の前に差し出されていた。

 それは、少女が初めて貰う手紙だった。


 少女はそれに手を伸ばそうとして、途中で止める。泳ぐ金色の瞳に気付いた二人が、少女の顔を覗き込んだ。


「あ……そっか。君は文字が読めないんだね。」

「そういえば……。エドアルドも気が利きませんね。もっと違うものを寄越せば良いのに。」


 少女が俯き、伸ばした腕をテーブルに静かに落とした。そんな彼女を気遣ったルヴァノスが、一つの提案をする。


「せっかく届いたお手紙なんですから、良かったら私が読み上げましょうか?」


 眉尻を下げてに笑う彼に、アダムスも同調した。


「そうだよ。大体、文字を読める人なんて少ないんだから、恥じる事じゃないし。せっかくのエドアルドからの手紙だもん。内容は確認しなくちゃ。」


 少女は迷った。初めて貰った読めない手紙をどう扱うか決めかねた。読み上げてもらうのは良い案だが、本当にそれで良いのだろうか。他に案はないのだが、それでも少女の中で何かが引っ掛かる。

 だが手紙とルヴァノスの顔、アダムスの顔と順繰りに見て、ゆっくりと頷こうとした時、


「あっ!」


 ルヴァノスの声が響き、それに呼応して少女が顔を上げる。

 手紙を取り上げたソルフレアの黄金の視線が、少女を見下ろし射抜いていた。


「突然何するんです? それは彼女宛ての手紙ですよ。」

「そうだ。貴殿に送られた手紙だ。」


 一瞬たりとも少女から目を離さず、ソルフレアは言葉を続ける。


「手紙とは、。だからこの手紙は、貴殿が自力で読まなければならない。代読だいどくなどもっての他だ。」

「で、でもこの子は文字が読めないから――」

「読めないのなら、学べば良い。当方が文字を教えよう。」


 アダムスの言葉を、ソルフレアは一蹴した。他の者と言葉を交わしているように見えて、黄金の賢者の言葉は全て合成獣キメラの少女に向けられていた。


 どうする? そう黄金の瞳が語り掛ける。片眼鏡の奥の光から、少女は思わず目を逸らした。

 合成獣キメラの少女は、勉強なんてした事がない。文字は上流階級や商人たちのための高等教育だ。本だって、そうそう庶民の手に入るものではない。故にこの世界の識字率は極端に低い。それを田舎者の誰とも知れない自分に施そうと言うのか。それ以前に、上流階級の学問を、自分なんかが習得できるのか。

 少女は今一度、エドアルドからの手紙を見上げた。ソルフレアが掲げるそれが、とても遠い存在に見える。


「まさか、“学ぶ”事を恐れているのではないだろうな?」


 ソルフレアは、まるで少女の心を見透かすように目をすがめた。


「特に田舎者、身分の低い者によくある考えだ。学問や知識は必要ない、役に立たないと口を揃える。だがそんな事はない。学問に貴賤なく、それら全てが貴殿の糧となる。身に着けた学問は、決して貴殿を裏切らない。現にエクセリシア帝国では、庶民への教育に力を入れている。故にあの国は大きく発展していくのだ。だからエドアルドも貴殿にを寄越したのだろう。他国の識字率の低さを失念していただけかもれないが……。」


 消え入るように呟かれた後、黄金の賢者は再び言葉を紡いだ。


「文字を覚えれば手紙を読めるだけではない、声が出せない貴殿にとって、当方らと意思疎通をはかることができる。エドアルドへの返事を書く事だってできるだろう。」


 少女は息を呑んだ。意思疎通。この数カ月、少女が何度も何度もやりたいと思ってもできなかった事だ。

 そして、ソルフレアの言葉は続く。


「貴殿の名前を、知る事もできる。」

「……そうか。文字なら僕たちランプはみんな読めるし、君の詳しい話を書いて伝えてくれれば、治療にだって役に立つよ。 何より、たくさんお話できる。僕たちはまだ、君の事を全然知らないんだから!」


 アダムスが頬を紅潮させ、瞳を輝かせる。

 少女は、かつてエドアルドに送られた言葉を思い出していた。


 ――人生は旅のようなもの。あなた方の道行きが、どうか幸福に満ちたものでありますように。


 少女はまだ、旅がどのようなものかよくわかっていない。幸福に満ちたものなのかもわからない。だが進む道は、この道行きは今、きっと自分自身が決めねばならない。

 先ほど受けたルヴァノスの提案への迷いは、この分かれ道だったのだ。

 そして今、黄金の賢者・ソルフレアによって新たな道が提示されている。


 黄金の賢者を見上げ、少女は大きく頷いた。


「……当方は文字を教える。その代わり、貴殿の身体は隅々まで調べさせてもらう。良いな。」


 無言で差し出した右手を返答とし、ソルフレアはしっかりと握り返した。


「――交渉成立だ。」


 強い意思を持って勉学に挑もうとする合成獣キメラの少女の姿を、アダムスとルヴァノスは眩しそうに目を細め、微笑みながら見つめていた。




 その夜、少女は知恵熱を出した。




* * * * * *


※本編更新は水・日定期+書いた時に追加の最低週2回以上になります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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