命題7.黄金の賢者 ソルフレア 2
露骨に渋面を浮かべたソルフレアが舌打ちをした。
「たががボロ布を
「ねぇ、ちょっと。今ボロ布って言った? 僕が作ったマント、ボロ布って言ったの?」
「ボロ布でも私たちの衣服と同じ、身体を隠し守るための大事な服です。それに彼女は獣人ではありません。人間ですよ。」
「ボロ布って言ったね? 僕が作ったマント、ボロ布って断言したね?」
「なるほど、了承した。」
「僕は了承できてない!」
ソルフレアの視線はふくれっ面を作るアダムスを通り越し、その後ろに立つ
それに対し、少女は警戒を解くことなくアダムスの後ろから動かない。
「裸を見られる事が嫌なら気にする必要はない。魔法生物を生成するにあたり、性別はそれぞれの特性を持たせることが可能な分、付与には労力を要するものだ。戦闘特化の
「その前にさぁ、僕たちの前で服をはぎ取ろうとした事を謝ってよ……あと僕の作ったマントをボロ布呼ばわりした事も。」
「わかった、謝罪する。次回からは声をかけ、二人きりの時に観察をしよう。」
そう一旦区切ると、ソルフレアは淡々と無表情に、だが確実に熱が入った口調で捲し立てた。
「では早速別室に移り、身体の調査を開始する。それが今回の当方の任務だ。生きている
ソルフレアの言葉を、ルヴァノスが肩を叩いて制止させる。ゆっくりと首を振る青年に対し、ソルフレアは小さく舌打ちをして、荒々しい足取りで窓際へ向かった。その様子を目で追いながら、ルヴァノスが謝罪を述べる。
「すみません。あの子は研究が大好きだから、お嬢さんの身体を調べるのを楽しみにしていて……。」
どうしてこう
ソルフレアは機嫌を損ねたらしく、眉間に皺を寄せながら、掘りの深い窓辺に座って腰に提げていた本を開いていた。アダムスが声をかけても無視の一点張りだ。
アダムスの手で花瓶に生けられた向日葵の明るさとは裏腹に、少女の胸中は暗雲立ち込める思いだった。
席に着いた少女の前に、青い紅茶が給される。以前、吸血鬼テオの恋人マルテから貰った
少女が喉を潤していると、ルヴァノスがおもむろに紙束を取り出し、テーブルの上に広げ始めた。
「エドアルドから預かってきた、
「わ、こんなにたくさん!
「そのエドアルドからの手紙もありますよ。」
そう言って、一通の手紙をアダムスに渡す。青い蝋にエクセリシア帝国紋章の封が施された、上質な紙の封筒だ。手紙なんて縁もゆかりもない、
そんな少女に、ルヴァノスが声をかける。
それは、少女にとって驚くべき言葉だった。
「お嬢さんにもお手紙が届いていますよ。」
驚愕に少女の肩がびくりと震え、持っていた紅茶の水面が大きく揺れた。
差し出された封筒は、アダムスに手渡されたものと同様に青い封蝋がされている。触った事もない高価な紙が、目の前に差し出されていた。
それは、少女が初めて貰う手紙だった。
少女はそれに手を伸ばそうとして、途中で止める。泳ぐ金色の瞳に気付いた二人が、少女の顔を覗き込んだ。
「あ……そっか。君は文字が読めないんだね。」
「そういえば……。エドアルドも気が利きませんね。もっと違うものを寄越せば良いのに。」
少女が俯き、伸ばした腕をテーブルに静かに落とした。そんな彼女を気遣ったルヴァノスが、一つの提案をする。
「せっかく届いたお手紙なんですから、良かったら私が読み上げましょうか?」
眉尻を下げてに笑う彼に、アダムスも同調した。
「そうだよ。大体、文字を読める人なんて少ないんだから、恥じる事じゃないし。せっかくのエドアルドからの手紙だもん。内容は確認しなくちゃ。」
少女は迷った。初めて貰った読めない手紙をどう扱うか決めかねた。読み上げてもらうのは良い案だが、本当にそれで良いのだろうか。他に案はないのだが、それでも少女の中で何かが引っ掛かる。
だが手紙とルヴァノスの顔、アダムスの顔と順繰りに見て、ゆっくりと頷こうとした時、
「あっ!」
ルヴァノスの声が響き、それに呼応して少女が顔を上げる。
手紙を取り上げたソルフレアの黄金の視線が、少女を見下ろし射抜いていた。
「突然何するんです? それは彼女宛ての手紙ですよ。」
「そうだ。貴殿に送られた手紙だ。」
一瞬たりとも少女から目を離さず、ソルフレアは言葉を続ける。
「手紙とは、差出人が受取人に言葉を伝えるために生まれたもの。だからこの手紙は、貴殿が自力で読まなければならない。
「で、でもこの子は文字が読めないから――」
「読めないのなら、学べば良い。当方が文字を教えよう。」
アダムスの言葉を、ソルフレアは一蹴した。他の者と言葉を交わしているように見えて、黄金の賢者の言葉は全て
どうする? そう黄金の瞳が語り掛ける。片眼鏡の奥の光から、少女は思わず目を逸らした。
少女は今一度、エドアルドからの手紙を見上げた。ソルフレアが掲げるそれが、とても遠い存在に見える。
「まさか、“学ぶ”事を恐れているのではないだろうな?」
ソルフレアは、まるで少女の心を見透かすように目を
「特に田舎者、身分の低い者によくある考えだ。学問や知識は必要ない、役に立たないと口を揃える。だがそんな事はない。学問に貴賤なく、それら全てが貴殿の糧となる。身に着けた学問は、決して貴殿を裏切らない。現にエクセリシア帝国では、庶民への教育に力を入れている。故にあの国は大きく発展していくのだ。だからエドアルドも貴殿に文字の手紙を寄越したのだろう。他国の識字率の低さを失念していただけかもれないが……。」
消え入るように呟かれた後、黄金の賢者は再び言葉を紡いだ。
「文字を覚えれば手紙を読めるだけではない、声が出せない貴殿にとって、当方らと意思疎通をはかることができる。エドアルドへの返事を書く事だってできるだろう。」
少女は息を呑んだ。意思疎通。この数カ月、少女が何度も何度もやりたいと思ってもできなかった事だ。
そして、ソルフレアの言葉は続く。
「貴殿の名前を、知る事もできる。」
「……そうか。文字なら僕たちランプはみんな読めるし、君の詳しい話を書いて伝えてくれれば、治療にだって役に立つよ。 何より、たくさんお話できる。僕たちはまだ、君の事を全然知らないんだから!」
アダムスが頬を紅潮させ、瞳を輝かせる。
少女は、かつてエドアルドに送られた言葉を思い出していた。
――人生は旅のようなもの。あなた方の道行きが、どうか幸福に満ちたものでありますように。
少女はまだ、旅がどのようなものかよくわかっていない。幸福に満ちたものなのかもわからない。だが進む道は、この道行きは今、きっと自分自身が決めねばならない。
先ほど受けたルヴァノスの提案への迷いは、この分かれ道だったのだ。
そして今、黄金の賢者・ソルフレアによって新たな道が提示されている。
黄金の賢者を見上げ、少女は大きく頷いた。
「……当方は文字を教える。その代わり、貴殿の身体は隅々まで調べさせてもらう。良いな。」
無言で差し出した右手を返答とし、ソルフレアはしっかりと握り返した。
「――交渉成立だ。」
強い意思を持って勉学に挑もうとする
その夜、少女は知恵熱を出した。
* * * * * *
※本編更新は水・日定期+書いた時に追加の最低週2回以上になります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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